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安心したいのか?合格したいのか?

2021/07/25

 声を大にして言わせていただきたい。安心したいのか?合格したいのか?と…。『 合格すれば安心します。だから、安心したいです 』という声が聞こえてきそうだが…。じゃあ、合格するための行動を取ればいい。ところが、合格するための行動をとる人は少ない。むしろ、〝合格できない行動〟をとっている人の方が圧倒的に多い。これは、いったいどういう事だろう?

 講師業という仕事をしていれば、学生さんからの『 不安です 』という相談が尽きることはない。何十年経とうがそれは同じ。国家試験が200題のころから、今に至るまで、この相談を受けないことはない(ちなみに、私が講師稼業に携わったのが200題の時)。年が明けると、日替わりで学生さんたちが『 不安です 』と相談にやってくる。

 では、何が不安なのだろう?答は簡単。『 国家試験の合格できるかどうか不安 』なのである。まあ、不安だろう。誰だって何かに挑戦するときに、『 大丈夫だろうか? 』となってしまうのは、至極当然の話。自信満々、余裕綽々で『 完璧です。大丈夫です 』などという人は、まずいないだろう。長い講師業の中、そういった学生さんにお目にかかったことは一度もない。

 数々の偉業を成し遂げてきた、元プロ野球選手・監督の王貞治選手。特に本塁打(ホームラン)においての偉業は筆舌に尽くし難いものである。その王選手が次のようなことを話している。

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もう打てないんじゃないかという恐怖は、常について回るんです。

結果を残してきた人ほど不安と戦ってきたはずだし、恐怖心を持っていない人は本物じゃない。

その怖さを打ち消したいがために、練習するわけです

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あの王貞治選手でも、『 もう打てないんじゃないか 』と不安になるのである。それも、恐怖として常について回る…。そう、何か事を為す時は、誰もが不安なのである。

 では、どうすればいいのか?王選手も言っている。『 その怖さを打ち消したいがために、練習するわけです 』と…。これを薬剤師国家試験に当てはめるならば、『 その不安を打ち消したいがために、勉強するわけです 』となる。すると『 勉強はしていますよ 』という声が出てきそうだが…『 それは本当に勉強なのか? 』と、これまた声を大にしていいたい場合が多い。ハッキリ言わせていただくが、試験対策と銘打って、試験対策を行っていない、勉強をしていない人間は多い。本人としては、いたって勉強している気になっているようだが…何故、このように矛盾したことが起きるのだろうか?

 不安から逃れるためである。不安から逃れるために、安易な方に行ってしまう。王選手は不安だからこそ、練習した。もちろん〝正しい練習〟である。『 練習を怠る人が上手くなることはないんですよ。修練して上手くなった人がより上手くなるんです 』という言葉からも、それは十分に伺える。不安だからと、〝正しい練習〟ではない、安易な方法に逃げることをしなかった。『 勝つための最善の努力は、どんな時もやめてはいけない。逃げたらだめなのです 』これも王選手の言葉である。

 不安から逃れるために、〝正しい練習〟ではない、安易な方に行ってしまう。試験対策において、これに陥る人間は少なくない…イヤ、現状の薬剤師国家試験対策の状況は、まさにこれがほとんどであろう。不安から逃げるための〝偽りのやり方〟を行う。それは決して〝正しいやり方〟、すなわち合格するやり方ではない。私も過去、たくさんの学生さんに、何度も注意し指導してきたが、耳を貸さない学生さんが多いのも事実である。何故か?正しい方法には不安が付きまとうからである。

 では、偽りの誤ったやり方は、不安にならないのだろうか?不安にはならない。何故なら、不安にならない事だけを目的に構築されたものだからである。ここでのポイントは、『 不安にならないため 』のモノであり『 不安にならないことが優先されている 』モノのであり、『 合格するため 』のモノではなく『 合格することが優先されている 』モノでもないということ。ここに、『 合格すること 』よりも『 安心すること 』を優先するという事態が生じることになる。もちろん、この安心は、まぎれもなく偽りの安心であるが…。

 『 これをやっておけば合格できる 』と信じ込んでいる。何のことはない、小学生がやっている『 好きな人と両想いになれるおまじない 』というのと、同じレベルである。単なる思い込みと言っていい。思い込むことによって、『 合格できるんだ 』と自分を偽って、安心しているだけである。不安になりたくないがために…。

 正当な試験対策を行えば、不安は次から次へと出てくる。でも、それは当たり前の話である。自分の分からないことも出てくるだろうし、何度やってもできないことも出てくる。やることは山のようにあるし、やらなければいけないことも、たくさんある。思うように勉強がはかどらないこともあれば、成績だってすんなり伸びてくるわけではない。しかし、それを真正面から受け止めなければ、試験対策は始まらない。真正面から受け止め、『 じゃあ、どうやって進めていけばいいのか? 』と進んでいくことが重要なのである(これを指導するのも学習指導であるが…)。無駄な苦労はする必要はないが、自分の学力に見合った〝それ相応の苦労〟は致し方ない。そういった苦労やそれに伴う不安を克服しながら進めていくのが、試験対策というものだからである。

 分からないこともある、できないこともある、やることも山のようにある、勉強がはかどらない、成績が伸びない…まさに不安以外の何物でもないが、前述したように、これを克服しながら進めていくのが試験対策である。その不安を真正面から受け止めるということを放棄して、ただ安心したいがために、『 ○○をやっておけば合格するんだ 』などという、小学生レベルのおまじないに逃げ込むことは、試験対策でも何でもない。本人は試験対策を行っているつもりなのであろうが、その内容たるや国家試験対策とは、とてもではないが言える代物ではない。それはそうであろう。不安を真正面から受け止めずに、安易に(偽りの)安心を選択しているだけなのだから…。ブログ初頭で『 〝合格できない行動〟をとっている人の方が圧倒的に多い 』と書かせていただいたのも、『 試験対策と銘打って、試験対策を行っていない、勉強をしていない人間は多い 』と前述させていただいたのも、こういった理由からである。

 試験対策をやっていないのだから、当然、合格への道のりは遠いものに…イヤ、合格への道は閉ざされることになるといっていいだろう。仕方がない。合格することよりも、安易に安心することを選んだのだから…。そして、今日も必死に小学生レベルのおまじないに精を出している。意味も理解せずに、何度も何度も同じ問題をひたすら繰り返す…。表面だけ覚えてできた気になり、語呂合わせを見つけては覚え、それに喚起している…。まあ、ご本人がそれで安心していいというのなら、別にそれでも構わないが…少なくともそれは試験対策と呼べる代物ではないし、もちろん〝合格する方法〟でもない。もし、私の学生がそんなことをしていたのなら、速攻でやめるよう伝え、すぐにでも適切な指導をする。それ位、危険な状況だからである。安心している本人にとっては、それがどれだけ危険な状況なのかも判断できないのだろう。なんと言っても、それで安心してしまっているし、合格することよりも安心することを選んでいるのだから…致し方ないといえば、致し方ない話ではあるのだが…。

 

 

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