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合わない人とは何やっても合わないんだから、合わせる必要が無いんですよ。

2021/07/19

誰にでも合わない人というものはいる。それは悪いことでも、疚しいことでもないと思う。全世界77億人全ての人と合うという人間がいたら、そちらの方がよっぽど気持ちの悪い話だと思う。イヤいないでしょ、そんな人。誰もが『 全世界77億人、全ての人と合うなんて、そんなことある訳ないでしょ 』と口にすることと思う。なのに『 あの人と合わないんだよね』なんて話を耳にすると『 そんなんじゃダメだよ。誰とでも合わせてやっていかなきゃ』なんて叱責するのは、どういう訳だろう?昔から不思議でたまらない

講師稼業に携わってから、早ン十年。学生さんからの悩み相談は尽きない。もちろん、人間関係の悩み相談も少なくはない(ちなみに、一番多いのは試験対策に関する悩み)。そして、人間関係の悩み事のほとんどが、『 合う・合わない 』を基にする内容。もっと手っ取り早く言うのなら、合わない人から色々な事をされて云々といった、〝被害届け〟が多いということ。

前述させていただいたように、合わない人がいることは悪いことではないし、疚しいことでもない。聖人君子ではないのだ。合わない人もいて当然だろう。ただ、それだけの話である。なのに何故、皆〝合わない人がいるということ〟を叱責するのだろう?まあ、理由はいくつかあるのだろうが

理由の一つは先ほどの話であるが『 あの人と合わないんだよね』なん言うと『 そんなんじゃダメだよ。誰とでも仲良くやっていかなきゃ』という発言から伺える。つまり、多くの人の中で『 合わない=仲良くしない 』という方程式が出来上がっているということ。もっと、ぶっちゃけて言うのなら『 合わない=何かしらの攻撃をする 』という具合になっているということ。先ほどの『 色々なことをされる 』という学生さんの話からも伺えるが、『 合わないから、意地悪する 』『 合わないから、うわさを流す 』『 合わないから、陰口を言う 』等、合わないことが、イコールで合わない人を攻撃するということになっているということ。これが、『 合わない 』ということを口にすることにより、叱責される理由の一つだろう。

賢明な方はお気づきのことと思うが〝合わない〟ということと〝攻撃する〟ということは、イコールではない。もちろん、〝合わない〟ということと〝攻撃してもいい〟ということも、イコールではないし、イコールであっては困る。しかし、どうも世間では『 合わない人は攻撃する 』ということが、実しやかにイヤ、ある種、常識のようにまかり通っているようである。これは、中々厄介なことである。

合わないということは、人を攻撃する理由にはならない(まあ、人を攻撃していい理由など、そうあるものではないが)。つまり、『 合わない=何かしらの攻撃をする 』という方程式は成り立たないということ。『 そんなんじゃダメだよ。誰とでも合わせてやっていかなきゃ』などと、〝合わない人がいること〟を叱責する人は、まずはそこの所を自分自身、深く考えてみた方がいいと思う。おそらく、『 合わない=何かしらの攻撃をする 』という方程式が、成り立っていると思われるから。合わないことは悪いことではない。合わないことを悪いこととするのは、間違いなく、この方程式が成り立っているからに相違ない。

『 皆と合わせてやっていく=和は大事 』みたいな考え方もある。日本人特有の村社会的考え方である。『 皆と同じでなければダメ 』『 皆と合わせないことは悪 』等の考え方である。自分の意見を述べただけで、『 和を乱すのか 』『 皆がいいって言っているんだから、いいんだ 』などと、個人という存在を踏みつぶして従わせる考え方。こういったものが、日常に普遍的に存在している…このことを否定する人間は、今の時代、まずいないだろう。そう、『 和を乱す 』とか『 チームワークを大切に 』といった内容を、間違えて捉えている輩は、決して少なくはない。こういった輩も『 そんなんじゃダメだよ。誰とでも合わせてやっていかなきゃ』と叱責してきたりする。ちなみに『 合わない人がいる=和を乱す 』という方程式も、成り立ちはしない。大体、個人が意見を述べることに対して、『 和を乱す… 』的な言動を取ること自体、正気の沙汰ではないと思うのだが…。

更に厄介なことに…『 誰とでも合わせてやっていかなきゃ』といった内容が、世間的に汎用されている一般論だけに、正しいよう思えるし、反論することにどこか疚しさを感じてしまう場合も少なくはない。ましてや、『 和を乱すのか 』などと追い打ちをかけられた日には、黙ってしまうしかない。うつむくしかないだろう。そして『 そうだよね合わせてやっていかなきゃね』などと言う具合に己を非難し、自分の身を削りながら、無理に相手に合わせていかなければならない状況に陥ってしまう

だから、ここで声を大にして言わせてもらう。合わない人とは何やっても合わない。これは事実である。全世界77億人の人全員と合うか?合わないだろう?無理に合わせれば、合うのか?77億人と無理に合わせれば、77億人と合うようになるのか?77億人に合わせるなんて、一体どういうことなのか、見当もつかないぞ。合わない人もいて当然。悪いことでもない。だから合わないなら合わないで、いいのである。ただし、注意してもらいたいのは、それが攻撃の理由にならないということ。無視したり、陰口をたたいたり、意地悪したりするという行為は、『 合わない 』ということとは、全くの無関係であるということ。合わないから、何かしていいという訳ではない。ここのところさえ取り違えなければ、何も問題ない。人としてのマナーを守りつつ、最小限に接していけばいい。多く接する必要もなければ、あえて少なく接する必要もない。まあ、接する機会が少なくても特に支障がないのなら、少ないに越したことはないと思う。全く接する必要もなければ、あえて接する必要もない。私は合わないなと思った人間には、一切関わらないようにしている。接する必要性が生じた場合にのみ、接するだけである。別にそれでいいと思っているし、今のところ、それで問題を生じたことは一度もない。むしろ、至極快適である。

もちろん、合わせる必要もない。まあ、社会人として仕事上、どうしても合わせなければならない事態は生ずるものである。その時は、最小限度にとどめて合わせればいい。仕事上とか、そういった致し方が無い場合以外、つまり完全にプライベートな場合なら、全くといっていいほど合わせる必要はない。ついでに、顔を合わせる必要もない。『 えっ?いいんですか 』いいに決まっている。何をわざわざ、合わない人間と顔をつき合わさなければならないのか?仕事をすれば顔を合わせたくない人とも、顔を合わさなければならないのだ。現在、そういった状況の人もいるだろう。顔を合わせたくない人にも、やむを得ず顔を合わさなければならない状況が、致し方なく生じる場合もあるというのに、何を好き好んで、合わない人間とあえて顔を合わせなければならないのか?おかしいことだとは思わないだろうか?

ちなみに、合わない人と無理に顔合わせて、無理に合わせようなんてしていたら、身体壊しますよ。合わない人と無理に顔合わせて、無理に合わせて、身体なんか壊した日には、踏んだり蹴ったりだとは思いませんか?

 合わない人とは何やっても合わないんだから、合わせる必要なんて無いんですよ。人として最低限度のマナーを守って、最小限に接していけばいいだけの話です。そんな事を続けているうちに、ひょんなことから〝合わない人〟だったのに、〝合う人〟になっている場合もありますから。一応、言っておきますが『 場合もありますから 』ですからね。そうならない場合も往々にしてありますし、まあそっちの方が多いような気がしますけど。でも、別にいいではありませんか。何度も言っているように悪いことしている訳でも、疚しいことしている訳でもないんですから。どうせ一緒にいるのなら、気の合う人と一緒にいた方が楽しいでしょ?合わない人とは、出来る限り接点を持たない。人としてのマナーを忘れず、最小限度の接点で済ませる。これが一番です。『 そんなのよくない!合わない人とも、うまくやっていかなければ』という人はもう一度、このブログを最初から読み直すことをお勧めいたします。

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