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何十年かぶりの〝残念感〟

2020/07/14

 以前、ブログでも少々書かせていただいたのだが…。はまっているものがある。月並みではあるが、鬼滅の刃。ご存知ない方のために、非常に簡単に説明させていただくと…主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)が、鬼になった妹である竈門禰豆子(かまど ねずこ)を人間に戻すために、鬼殺隊(鬼を狩る目的で作られた政府非公認の組織)という組織に入り、鬼と戦って成長していく話。

 私は、あまり流行モノには飛びつかない主義。というか、あえて避ける傾向にある。流行っているからと飛びつくという行為が、あまりにも自分自身の存在を軽くしている様思えるからである。以前〝『 落ち込んでいる 』ということと『 動かない 』ということは別。~ 煉獄さん、最高です ~〟というブログを書かせていただいたが、そのブログの中でも、流行りものには飛びつかない性格を書かせていただいた(ちなみに煉獄さんは、鬼滅の刃の登場人物)。流行っていると言われると、余計遠ざけてしまう天邪鬼な性格。そして…そのブログの中で、鬼滅の刃にはまっていることについても書かせていただいた。

 一旦、はまってしまうと、とことんはまってしまう。これも、私の性格である。オタク系と言っても過言ではない。ちなみに、オタクの定義は、未だ曖昧であるが…本ブログで使わせていただくオタクとは、『 あることに対して、とことん強い興味や関心を持ち、それにこだわる性格及びその人物 』という意味で使わせていただくことにする。よく、物事に熱中しすぎる人間は『 〇〇バカ 』という言葉で表現されるが、私などはまさにコレである。気に入ったものができると、とことん〝それ尽くし〟に染まってしまう。中学生のころは、ある音楽グループ。高校生の頃は必殺シリーズ。いずれも、周りから『 バカ 』と呆れられるくらい、はまっていた。

 今回も鬼滅の刃に、はまってしまったのだが…まだ、はまりは浅い方。しかし、根っからのオタク気質であるが故、少々グッズ集めに手を染め始めている。まだ本格的に、はまっている訳ではないので、値段的にも、量的にも、少々といった感じではあるが…。

 で、先日、鬼滅の刃のデコシール(普通のシールと違い、ビニール地でチョット厚め。貼ってはがせるシール。シールというよりもカードに近い)が入ったスナック菓子を買った。もちろん、シール目当てである。ウチに帰って、ワクワクしながら袋を開けると…出てきたシールは竈門炭治郎。おおっ!記念する第1枚目は、主人公の竈門炭治郎かい!こいつは、のっけから縁起がいいぞ!

 で、ヒトというのは欲しているものが1つ手に入ると…お約束のように、もう1つ欲しいという具合になる生き物。ましてや、オタク度が高い私であるからして、やはりもう一つと手を出してしまうことは必然。ということで、数日後にまた菓子を買うことに。高まる胸を押さえて、いざウチへ。ウチへ帰るなり、胸ときめかせてシールの入っている袋にハサミを入れる。袋に指を入れ、ワクワクしながらシールを出すと…出てきたシールは富岡義勇。富岡義勇は、炭治郎の兄弟子に当たる存在。炭治郎が鬼殺隊へと入るきっかけを作った人物でもある。ちなみに、寡黙でクールな故、女性ファンが多いらしい。富岡義勇…コレクションとしては悪くはない。もちろん、好きなキャラでもある。

 その菓子を売っているスーパーには、よく買い物に出かけるのだが…。先日、そのスーパーで買い物をすることになったのだが…『 よし、また買おう 』と、オタクの虫がうずくことに…。で、その菓子を買いものカゴに入れ、購入決定。前回と同じように、胸高鳴らせてウチへと向かう。ウチにつくなり『 今日は何かな? 』とワクワクしながら、シールの入っている袋にハサミを入れる。袋に指を入れ、胸高鳴らせてシールを取り出すと…竈門炭治郎…。しかも、一回目に当たったのと同じ…。心の中に『 … ? … 』という想いが浮かぶ…。なんとも言えない虚無感…。イヤ、竈門炭治郎が悪いわけではない。仮にも主人公だし、嫌いなキャラでもないし、好きなキャラでもある。でも、どこか侘しさというか、虚無感が漂う…。竈門炭治郎でも、違うポーズ、違うショットのモノなら、こうはならなかったのだろう。しかし、当たったのは一回目と同じ竈門炭治郎…。

 何とも言えない残念感に浸ることになったのだが…。ふと、『 ん?この何とも言えない残念感…どこかで感じたような…遠い昔か… 』という思いが頭をよぎる。そう、この残念感は子供のころに味わっているのだ。

 私が子供のころ、ヒーロー番組のカードがおまけのスナック菓子が売られていた。子供ながらに、楽しんで集めていたのだが…。当時は子供のこともあり、今のように好き勝手にスナック菓子を買うことはできなかった。だからこそ、買ったときの嬉しさも一入。久々に買った菓子を片手に『 どんなカードだろう 』と、胸ときめかせたものである。今とは違い、菓子を買うと、お店の人からカードの入った袋を受け取るシステム。その袋を手にしながら、どんなカードかと期待に胸膨らませる。で、ウチに帰ってから袋を開けて、中のカードを取り出すと…すでに持っているカード…。心の中に『 … ? … 』という想いが浮かぶ…。そう、幾年経とうと、同じ想いが浮かぶのである。人というのは、そういった〝やりきれない想い〟〝悲しい想い〟〝無念な想い〟は、成長に関わりなく、変わらないものなのかもしれない…。

 イヤ、前述したように子供のころは、今のように好きな時に購入という訳にはいかなかった。久しぶりに手にすることができる、新しいカード…。なのに手にした〝新しいカード〟は、自分にとっては〝新しくない〟既存のカード…やり切れなさは、今の比ではない。残念感は、子供のころの方が強いはずである。ましてや、このカードが、どうでもいいようなキャラや、大して面白くもない一場面のカードだったりした日には、残念感も水増しである。さらに、そんなカードがどういう訳か2枚ほど当たって所有している状況にあり、追い打ちをかけるようにさらにもう一枚、早い話3枚目が当たってしまった日には、絶望感も絶頂である。子供ながらに、神も仏も無いものかという想いにさえなってしまう状況…。カードをしみじみと眺めながらも、『 なんで、こいつばっかり当たるんだろうなぁ… 』、そういった残念感に打ちひしがれた人も、少なくないのではないだろうか…。

 その残念感は今も昔も同じである。残念感の強弱は変われど、残念感自体は何ら変わることはない。今回、そのことを身にしみて感じた。感じたというよりは、思い出したといったところだろうか?何か何かと楽しみにしていたものが、同じもの…。思えば、日常にもこれに近いことは、よくあることである。おいしいラーメン屋さんと聞いて食べに行ったが…普通というか、どこかで食べたことがあるような味に、少々がっかりしたような経験をお持ちの方は、少なくないだろう。これも、同じシールが出てきた時の残念感と同類項のモノではないだろうか?

 しかし…先ほど『 残念感の強弱は変われど 』と書かせていただいたが、他にも変わるものはある。大人になった場合は、割りと自由に購入することができるという背景ゆえ、後生大事に抱えているのではなく、それ相応に気軽に使うことができるということ。シールならシールで、2枚あるのなら、一枚は貼って使えばいい。職場に持ってきて、職場に置いておいてもいい。学校とは違い、そこらへんは自由だ(まあ、職場にもよると思うが…)。踏ん切りをつけて自由に使うことができる。これが、既存のモノが当たってしまった場合の〝大人対処法〟になるではないだろうか?残念感に打ちひしがれているだけでなく、しっかりと前向きにそれを活用して楽しむことができる。これも大人になった証拠だろうか?同じモノが当たったと、残念感に捉われているよりも、『 おおっ!ラッキー!これ2枚あるから、一枚使っちゃおう! 』と喜ぶ方が精神的に健全であるし、竈門炭治郎もそっちの方がよっぽど喜んでくれるはずである。私はそう思っている。

 

 

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