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何か楽しい話はないものかね?

2020/07/05

 この騒動のおかげで、めっきりと楽しい話を耳にしなくなった。私は『 〝楽しい〟は見つけるもの 』という考え方を支持している。『 生きていても全然楽しくない 』という考え方自体が、楽しくない。楽しくなりたいなら、楽しいものを見つける…というか、自分で〝楽しい〟という方を選択すればいい。楽しいか楽しくないかは、自分が判断すること。つまり、自分の心持次第である…と考えているし、そう生きていこうと思っている。とはいったものの…やはり社会で、そして人の中で生きている以上、多少なりとも影響を受けてしまうのは致し方ないこと。

 楽しい話題など、すっかり耳にしなくなってしまった昨今。確かに、前述させていただいたように、楽しむのは自分自身であるし、楽しくなくなるのも自分自身。『 されど、世の中がこんな状況じゃあ… 』と、世の中のせいにするのは、全くもって好きではないのだが…楽しい、面白いの〝種〟が減っているのは、事実ではないだろうか?まあ、それでも楽しんでやっていかなければならない。楽しい時に楽しむのはもちろんのこと、楽しくない環境でも楽しんでこそ本物だと思うし、そこが大事だとも思うのだが…。今回は、あくまでも『 楽しい、面白いの〝種〟が減っている 』ということにウエイトを置いて、ブログの方を書かせていただくことにする。

 先ほど『 世の中のせいにするのは、全くもって好きではない 』とっかせていただいたのだが…世の中がこんな状況になると、楽しんでいたり、嬉しがったり、喜んでいることに対し、『 不謹慎だ 』と宣う(のたまう)輩がいるから厄介である。それはそれ、これはこれ。別に暗い世情であろうと、楽しんだり、嬉しがったり、喜んだりするのは悪いことではない『 こんな世情なのに、笑うなんて不謹慎 』と言っている輩の方がよっぽど不謹慎だと思うし、『 こんな世情なのに、楽しむなんて非常識 』と言っている輩の方がよっぽど非常識だと思う。世情がどうであれ、楽しんだり、笑ったり、喜んだりすることは、人として大事なことではないだろうか?むしろ、そういう事が非常識とされる環境の方が、よほど問題ある環境ではないだろうか?そして…現在のように、そういった楽しんだり、笑ったり、喜んだりする内容が乏しい環境も、また異常であるよう思える。たった、一年半かそこらの間に、そんな異常な環境になってしまったのは、どういうことだろうか?以前は、泣きも笑いも、喜びも楽しみも、そしてバカ笑いするようなことも普通にある環境だった。

 ブログを書く時には、色々なことを考慮して…というか考えてしまう。『 こういう事件が起こったから、こういうことは書かない方が… 』やら『 こういう状況だから、こういう言葉は… 』云々、こう見えても悩みながら、そのネタは選んでいるつもりである。しかし…たとえ何を書こうと、どういう表現をしようと、こちらがその状況や関係者を揶揄している…というか、考えて意識的に何らかのダメージを与えようと思っていない限り、そういった配慮は如何なものかと思ってしまう。イヤ、『 こういう事件が起こったから、こういうことは書かない方が… 』やら『 こういう状況だから、こういう言葉は… 』という行動は、はたして配慮になるのだろうか?悲しいかな、日常には色々な悲劇的事件や事故があふれかえっている。それはそれで悲しいことだし、決して揶揄してはいけないことだと思う。しかし、(そういったこととは関係のない)笑いある話や楽しい話を書くということは、また別な話なのではないだろうかと思う。

 ここ数カ月、誰もが思い切り笑えなくなってきているような気がする。笑うことが不謹慎であるよう捉えられている動きもある。笑っている場合じゃない…そういう人たちも、実際に多いと思う。笑ている場合じゃないから、笑うことができない。これは致し方ない話だと思う。当事者にとっては、それどころではないのだから…。しかし…笑うのは不謹慎だ、笑っている奴らは云々…という傾向は如何なものだろうか?『 楽しい 』ということに関しても、全く同じ状況である。

 娯楽や趣味だってそうだ。『 人が集まれば… 』みたいな考え方がノーマル化してきているが、別に一人でも十分楽しめる娯楽や趣味もある。そういった〝一人で楽しめる趣味・娯楽〟や〝趣味・娯楽を一人で楽しむこと〟にまで、屁理屈をつけては『 いけない、いけない 』とするのは如何なものか?そういった言動は、ひいては『 楽しんではいけない 』『 笑てはいけない 』ということの抑制に、つながっているのではないだろうか?なんとも、楽しくない話であるが…昨今、楽しいことが無い理由はココにあるのではないかと思う。

 何か楽しいことはないだろうか?イヤ、自分一人で楽しいことを見つけることは、いくらでもできる。しかし、『 楽しい 』と一言で言っても、沢山のバリエーションがある。実際、この騒動の前にはたくさんの楽しいことが、日常に溢れかえっていた。楽しむことや笑うことに関して、もっともっと寛容な環境だったと思う。イヤ、いつだってそうでなければいけないのでは、ないだろうか?楽しむことや笑うことに寛容ではないな環境。それを許さない環境。楽しむことや笑うことが、阻まれてしまう環境。こういった環境の方が、よっぽど阻まれなければいけない環境なのではないだろうか?

 何も葬式中に笑うだの、人の不幸を楽しめだのという話ではない。日常生活の中にある、何気ない楽しむことや笑うことを、もっと盛り込んでもいいのではないかという話である。イヤ、少なくともこの騒動の前位までの盛り込みで十分だと思う。無理に、楽しんだり笑えと言っている訳でもないのだ。人として日常生きる以上、起こり得る、遭遇しえる楽しみと笑い。それ位は、普通にあってもいいのではないかという話である。中には、『 この状況の中、楽しいことなんて不謹慎な! 』という人がいるかもしれないが…それが楽しくないことだと、ブログ冒頭から書いてきているのだ。まあ、そういう人には、そう言い聞かせても耳に入らないのだろうが…これまた、何とも楽しくない話である。

 

 

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