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分からない人間を笑う陰湿さ。

2021/06/28

 私が小学校2年生の頃。算数の時間、九九を暗唱させられるということをやらされました。2の段から始めていくのですが…皆の前で暗唱させられる緊張感もあり、中々苦労したのを覚えています。

 そんな中でも忘れられないのことなのですが…。私は7の段で苦戦していました。言い回し的に苦手だったのもあるかもしれませんが、『 七三にじゅういち、七四にじゅうはち 』の『 にじゅういち、にじゅうしち、にじゅうはち 』という数値が発音的に似ていることや緊張感もあり、中々上手くいきませんでした。その度に、何度も担任の教師から皆の前で『 ダメだな 』と冷たく言われては、教室の皆から嘲笑されたことは今も忘れません。家に帰ってから、母親と何度も練習したことを覚えています。

 そんな中で、一番忘れられないことは…私が『 七三… 』というと、周りの人間たちが嘘を教えるということ。それも、声に出して『 にじゅうしち 』やら『 にじゅうはち 』と言いまくるのです。戸惑う私に『 にじゅうしちだって 』『 にじゅうはちだよ 』と何人もが言ってくるのです。言ってくるというよりは、確実に誘導ですね。『 本当に?21じゃないの? 』という私に、『 違う、違う27だって 』と平然とウソを言ってくるのです。緊張感もあり、もともと気が弱い私は言われた通り言ってしまうのですが…その度に、担任の教師が冷ややかに『 ダメだな 』の声を発します。同時に、教室内は大爆笑。『 ひっかかった 』と言わんばかりに、皆で大笑い。悔しくて泣いている私を、さらに『 泣いてるよ 』『 こんなことも分からないのかよ 』と嘲笑しまくりました。スゴイものですね。ン十年たった今でも、彼らへの恨みは少しも消えることなく、私の中にしっかりと残っているのですから…。

 人にウソを教えて、間違えさせて喜ぶ。人間として最低の行為であることは間違いありません。小学校2年生で、やっていることが人間として最低…。まあ、その内の何人かの現在の情報は耳にするのですが…単刀直入に言ってしまえば、どう見ても幸せとは言えない人生を送っているみたいです。自業自得とは、まさにこのこと。まあ、その程度の人間だからこそ、小学生の頃から人を誑かしては笑っているのでしょう。

 担任の教師にも大いに問題があることは、お分かりいただけることと思います。仮にも授業中。生徒が真面目に暗唱している最中に、他の生徒が喋っても注意をしない。更に嘘を教えていることを制止しない。最後には、そそのかされて答えたことに、さもこちらが悪いとばかりに、突き放すような言葉を吐き捨てる。その後の、そそのかした連中の嘲笑を咎めることも一切しない。しかも、これが授業中のこと。私が教師というものを、今一つ信用していない理由がここにあります(もちろん、全員という訳ではありませんが…)。まあ、この教師もろくでもないと言えば、ろくでもない教師。私の実家は以前、すし屋を営んでいたのですが…ウチに来てはしこたま酒を飲み、人事不省に陥ることは日常茶飯事。その度に、私の父が車で家まで送っていったことも、毎度のこと。お金は払っていますし、お客さんな訳ですから、別に酒を飲んで酔っ払うことは悪いことではありません。しかし毎度、毎度、人事不省に陥り、へべれけになって帰ることもできない。タクシー代も無くなる位に、酒を飲む。そして、車で送ってもらう…これは人間として如何なものでしょうかね?仮にも『 先生 』と呼ばれている人間なら、それ位の節制を持って酒を飲んでもらいたいものですが…。まあ、この程度の人間ですから、先のような『 教師としてあるまじき行為 』を、何の疑問も持たずに行っていたのでしょうけれど…。確かこの教師も、晩年は幸せとは言えないような人生だったと聞いています。当然でしょうね。

 私にとっては、はらわたが煮えくり返るような経験ですが…二つだけ良かったなと思うことがあります。それは『 分からない人間に対する気持ち 』が、分かるようになったということ。そして、『 分からない人間や一生懸命やっている人間を嘲笑したり、そそのかしたりすることは、絶対にやっちゃいけない 』ということが、深く深く自分の中に刻まれたということ。この二つは財産だと思っています。自分は、前述の九九の一件で、もの凄い嫌な目にあいました。辛い目にあいました。人格さえ否定されているような気持になりました。実際、当時は毎日毎日、一人で泣いて過ごしていました。だから、自分がやられた前述の様なことは、絶対に学生にやってはいけないのだと、心底思って…イヤ、自分の一部としてしっかりと存在しているのです。予備校の講師という職に就き、このことはもの凄い重要なことだと思っています。

 私は『 分からないことは悪いことではない 』と、よく口にします。ブログやホームページのいたる所でも、この言葉は書かせてもらっています。分からないことは悪いことではありません。嘲笑されたり、見放されるようなことでもありません。少なくとも、私はそう思っています。誰だって、『 分かろうとしないで分からない 』訳ではありません。皆、分かろうと努力しているのです。一生懸命やっているのです。私の九九の場合だって同じです。間違おうとして間違っている訳ではないのです。だから悪いことではないのです。嘲笑されることでもないのです。突き放すように、冷たい言葉を投げかけられることでもないのです。それを、そそのかして笑うなんて下の下です。

 学習指導等で学生さんと話していると、私の九九の時のような経験を予備校や大学でしてきた人が、あまりに多いことに驚かされます。ある人は涙を流しながら、またある人は今まで見せたことが無いような沈痛な面持ちで、その経験を話してくれます。その度に、私はその理不尽な仕打ちに憤慨するのですが…。

 そんなことして楽しいんですかね?よく、そんなことで笑えるなと思います。そして…そういうことをされたら、どういう気持ちになるのか分かりませんかね?ましてや、人が一生懸命にやっていることに対し、嘲笑したり、そそのかしたり、突き放すように、冷たい言葉を投げかければ、相手はどういう思いをするのか…。それが、分かりませんかね?人として社会の中で生きている以上、相手の気持ちを考えるということは大切な事です。まあ、そういったことなど考えていないのでしょうけれど…。逆に言えば…そういうことをする輩は、人として社会の中で生きていく権利が、無いと言ってもいいと思います。

 人がイヤがることはしない。ましてや自分がされてイヤなことはしない。これは、人間として当たり前の行動ではないでしょうか?私は、九九の件で未だに恨みをかき消すことができないくらいの、イヤな思いをしました。だから自分の学生には、絶対にそういうことをしたくないと思っていますし、当然していません。もちろん、薬進塾の講師陣にもそういう行為はさせたくないと思っています。嬉しいことに、薬進塾の職員・講師一同は、皆優秀な人達ばかりですので、そういったことは一切しませんが…。

 自分がそういう目に合ったから分かる。人にモノを教えるという仕事をするとき、このことはもの凄く大きな財産と言えると思っています。少なくとも講師という稼業に付いている私にとっては、もの凄く大きな財産になっていることは確かです。分からない人の気持ちが分かる。分からないことに、突き放すように、冷たい言葉を投げかけられることの気持ちが分かる。一生懸命にやっていることに対し、嘲笑されたり、そそのかされたりされることの屈辱が分かる。これは、経験していなければ分からないことだと思います。もちろん、経験していなくても、節制ある人間、理性ある人間なら、そんなことはしないでしょうけれど…。しかし、経験があるからこそ、それが節制や理性から外れてしまうことへの、大きなブレーキになっていることも確かだと思っています。そういう意味では、良い経験だったと言えるかもしれません。もちろん、恨みが消える消えないは、また別の話ですが…。もし、このブログを読んでいる人の中に、一生懸命にやっている人を嘲笑したり、そそのかしたり、分からない人に対し突き放すように、冷たい言葉を投げかける人がいるのならば…気を付けた方がいいですよ。相当な恨みを買っているやもしれません。今すぐ止めることをお勧めします。中には私みたいに、ン十年間経っても恨み続ける人が、いるやもしれませんから…。

 第一…分からない人に手助けしてあげたり、温かい言葉をかけて導いてあげる方が、よっぽど楽しいし、嬉しいことだと思うのですが…。気持ちよくありませんかね?ましてや『 ありがとうございます 』なんて、お礼の言葉なんか頂けたら、至上の喜びだと思うのですが…。自分も嬉しくて、相手も喜んでくれるなんて、こんな良いことはないと思うのですが…。まあ私としては、こっちの方が、嘲笑したり、そそのかしたり、冷たい言葉を投げかけるよりは、よっぽど気分がいいことだと思っていますし、そうしていきたいと思っていますけれど…。

 

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