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分からない人間を笑う陰湿さ。

2021/06/28

 私が小学校2年生の頃。算数の時間、九九を暗唱させられるということをやらされました。2の段から始めていくのですが…皆の前で暗唱させられる緊張感もあり、中々苦労したのを覚えています。

 そんな中でも忘れられないのことなのですが…。私は7の段で苦戦していました。言い回し的に苦手だったのもあるかもしれませんが、『 七三にじゅういち、七四にじゅうはち 』の『 にじゅういち、にじゅうしち、にじゅうはち 』という数値が発音的に似ていることや緊張感もあり、中々上手くいきませんでした。その度に、何度も担任の教師から皆の前で『 ダメだな 』と冷たく言われては、教室の皆から嘲笑されたことは今も忘れません。家に帰ってから、母親と何度も練習したことを覚えています。

 そんな中で、一番忘れられないことは…私が『 七三… 』というと、周りの人間たちが嘘を教えるということ。それも、声に出して『 にじゅうしち 』やら『 にじゅうはち 』と言いまくるのです。戸惑う私に『 にじゅうしちだって 』『 にじゅうはちだよ 』と何人もが言ってくるのです。言ってくるというよりは、確実に誘導ですね。『 本当に?21じゃないの? 』という私に、『 違う、違う27だって 』と平然とウソを言ってくるのです。緊張感もあり、もともと気が弱い私は言われた通り言ってしまうのですが…その度に、担任の教師が冷ややかに『 ダメだな 』の声を発します。同時に、教室内は大爆笑。『 ひっかかった 』と言わんばかりに、皆で大笑い。悔しくて泣いている私を、さらに『 泣いてるよ 』『 こんなことも分からないのかよ 』と嘲笑しまくりました。スゴイものですね。ン十年たった今でも、彼らへの恨みは少しも消えることなく、私の中にしっかりと残っているのですから…。

 人にウソを教えて、間違えさせて喜ぶ。人間として最低の行為であることは間違いありません。小学校2年生で、やっていることが人間として最低…。まあ、その内の何人かの現在の情報は耳にするのですが…単刀直入に言ってしまえば、どう見ても幸せとは言えない人生を送っているみたいです。自業自得とは、まさにこのこと。まあ、その程度の人間だからこそ、小学生の頃から人を誑かしては笑っているのでしょう。

 担任の教師にも大いに問題があることは、お分かりいただけることと思います。仮にも授業中。生徒が真面目に暗唱している最中に、他の生徒が喋っても注意をしない。更に嘘を教えていることを制止しない。最後には、そそのかされて答えたことに、さもこちらが悪いとばかりに、突き放すような言葉を吐き捨てる。その後の、そそのかした連中の嘲笑を咎めることも一切しない。しかも、これが授業中のこと。私が教師というものを、今一つ信用していない理由がここにあります(もちろん、全員という訳ではありませんが…)。まあ、この教師もろくでもないと言えば、ろくでもない教師。私の実家は以前、すし屋を営んでいたのですが…ウチに来てはしこたま酒を飲み、人事不省に陥ることは日常茶飯事。その度に、私の父が車で家まで送っていったことも、毎度のこと。お金は払っていますし、お客さんな訳ですから、別に酒を飲んで酔っ払うことは悪いことではありません。しかし毎度、毎度、人事不省に陥り、へべれけになって帰ることもできない。タクシー代も無くなる位に、酒を飲む。そして、車で送ってもらう…これは人間として如何なものでしょうかね?仮にも『 先生 』と呼ばれている人間なら、それ位の節制を持って酒を飲んでもらいたいものですが…。まあ、この程度の人間ですから、先のような『 教師としてあるまじき行為 』を、何の疑問も持たずに行っていたのでしょうけれど…。確かこの教師も、晩年は幸せとは言えないような人生だったと聞いています。当然でしょうね。

 私にとっては、はらわたが煮えくり返るような経験ですが…二つだけ良かったなと思うことがあります。それは『 分からない人間に対する気持ち 』が、分かるようになったということ。そして、『 分からない人間や一生懸命やっている人間を嘲笑したり、そそのかしたりすることは、絶対にやっちゃいけない 』ということが、深く深く自分の中に刻まれたということ。この二つは財産だと思っています。自分は、前述の九九の一件で、もの凄い嫌な目にあいました。辛い目にあいました。人格さえ否定されているような気持になりました。実際、当時は毎日毎日、一人で泣いて過ごしていました。だから、自分がやられた前述の様なことは、絶対に学生にやってはいけないのだと、心底思って…イヤ、自分の一部としてしっかりと存在しているのです。予備校の講師という職に就き、このことはもの凄い重要なことだと思っています。

 私は『 分からないことは悪いことではない 』と、よく口にします。ブログやホームページのいたる所でも、この言葉は書かせてもらっています。分からないことは悪いことではありません。嘲笑されたり、見放されるようなことでもありません。少なくとも、私はそう思っています。誰だって、『 分かろうとしないで分からない 』訳ではありません。皆、分かろうと努力しているのです。一生懸命やっているのです。私の九九の場合だって同じです。間違おうとして間違っている訳ではないのです。だから悪いことではないのです。嘲笑されることでもないのです。突き放すように、冷たい言葉を投げかけられることでもないのです。それを、そそのかして笑うなんて下の下です。

 学習指導等で学生さんと話していると、私の九九の時のような経験を予備校や大学でしてきた人が、あまりに多いことに驚かされます。ある人は涙を流しながら、またある人は今まで見せたことが無いような沈痛な面持ちで、その経験を話してくれます。その度に、私はその理不尽な仕打ちに憤慨するのですが…。

 そんなことして楽しいんですかね?よく、そんなことで笑えるなと思います。そして…そういうことをされたら、どういう気持ちになるのか分かりませんかね?ましてや、人が一生懸命にやっていることに対し、嘲笑したり、そそのかしたり、突き放すように、冷たい言葉を投げかければ、相手はどういう思いをするのか…。それが、分かりませんかね?人として社会の中で生きている以上、相手の気持ちを考えるということは大切な事です。まあ、そういったことなど考えていないのでしょうけれど…。逆に言えば…そういうことをする輩は、人として社会の中で生きていく権利が、無いと言ってもいいと思います。

 人がイヤがることはしない。ましてや自分がされてイヤなことはしない。これは、人間として当たり前の行動ではないでしょうか?私は、九九の件で未だに恨みをかき消すことができないくらいの、イヤな思いをしました。だから自分の学生には、絶対にそういうことをしたくないと思っていますし、当然していません。もちろん、薬進塾の講師陣にもそういう行為はさせたくないと思っています。嬉しいことに、薬進塾の職員・講師一同は、皆優秀な人達ばかりですので、そういったことは一切しませんが…。

 自分がそういう目に合ったから分かる。人にモノを教えるという仕事をするとき、このことはもの凄く大きな財産と言えると思っています。少なくとも講師という稼業に付いている私にとっては、もの凄く大きな財産になっていることは確かです。分からない人の気持ちが分かる。分からないことに、突き放すように、冷たい言葉を投げかけられることの気持ちが分かる。一生懸命にやっていることに対し、嘲笑されたり、そそのかされたりされることの屈辱が分かる。これは、経験していなければ分からないことだと思います。もちろん、経験していなくても、節制ある人間、理性ある人間なら、そんなことはしないでしょうけれど…。しかし、経験があるからこそ、それが節制や理性から外れてしまうことへの、大きなブレーキになっていることも確かだと思っています。そういう意味では、良い経験だったと言えるかもしれません。もちろん、恨みが消える消えないは、また別の話ですが…。もし、このブログを読んでいる人の中に、一生懸命にやっている人を嘲笑したり、そそのかしたり、分からない人に対し突き放すように、冷たい言葉を投げかける人がいるのならば…気を付けた方がいいですよ。相当な恨みを買っているやもしれません。今すぐ止めることをお勧めします。中には私みたいに、ン十年間経っても恨み続ける人が、いるやもしれませんから…。

 第一…分からない人に手助けしてあげたり、温かい言葉をかけて導いてあげる方が、よっぽど楽しいし、嬉しいことだと思うのですが…。気持ちよくありませんかね?ましてや『 ありがとうございます 』なんて、お礼の言葉なんか頂けたら、至上の喜びだと思うのですが…。自分も嬉しくて、相手も喜んでくれるなんて、こんな良いことはないと思うのですが…。まあ私としては、こっちの方が、嘲笑したり、そそのかしたり、冷たい言葉を投げかけるよりは、よっぽど気分がいいことだと思っていますし、そうしていきたいと思っていますけれど…。

 

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2021年6月28日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

薬剤師国家試験が、どれほど大変なものなのか、知っているんですかね?

2021/06/22

 以前、勤めていた予備校でのこと。ある会社の人と仕事の関係で、一緒に大学を訪問することとなった。こちらとしては大学訪問は毎度のことなので、特に気にすることもなく、あちらこちらの研究室を回っては、その会社の人を紹介し、色々と話をしていったのだが…。研究室回りも一通り終え、帰途に就く最中のこと。その会社の人がこんなことを口にした。

 薬学部って、こんなに色々な研究室があるんですね。私も大学に行っていましたが、こんなにたくさんの種類の研究室はありませんでしたよ。まあ、文系っていうのもあったかもしれませんが…。しかも、法律関係や公衆衛生、微生物学とか、私たちが考えると『 薬学って、こんなことも勉強するの? 』といような研究室もあったりして…。薬学に、こんなにたくさん研究室があるとは思いませんでしたね。

 薬学出身である我々からすれば、当たり前のようなことだが、どっこい他人の目から見ればそうではないようだ。確かに薬学部の研究室は、その種類も様々であることは確かである。そして、どの研究室も薬剤師国家試験に関係している。逆の言い方をするならば、それほど多くの分野から問題が出題されているということ。しかも、345題という題数で…。おまけに、どの分野もそれ相応の難易度である。

 薬学部を卒業したということは、そういった広い範囲の科目の単位を取得して来たということである。さらに研究室として直接存在してはいないが、CBTやOSCEという試験もあり、当然、卒業するためにはクリアしなければならないし、実習だってクリアしなければならない。そういった関門をクリアすることができずに、薬学を去る人間も決して少なくはない。更に、最後には卒業するための卒業試験というものまで控えている。これとて、決して簡単なものではない。ほとんどの大学が、卒業試験は国家試験の過去問がらみの試験だったりするが、前述したようにその内容たるや、広い範囲で深く出題されているものなのだ。おまけに10年分くらいが、試験範囲であったりする。こういったものを全てクリアできて、晴れて薬学卒業となる訳である。もちろん、留年や卒業延期等でストレートにいかない人が多いことも忘れてはならない。そんな関門をクリアできて来た人間が、晴れて国家試験受験にたどり着くことができるのである。

 私が、何を言いたいのかというと…薬剤師国家試験対策は大変だということ。そして、国家試験を受験する所にたどり着くまで、すなわち薬学部を卒業して来たということも、それはそれは大変なことだということ。ハッキリ言わせていただくが、そういった薬学部卒業の大変さ、そして国家試験対策の大変さを知らない人間、経験したことが無い人間に、軽々しく試験対策云々の話をして欲しくないということ。

 別に、薬学出身でない人を蔑視している訳ではない。しかし、薬剤師国家試験を軽く見ているような言動を取ったり、薬学部出身者を軽んじるような発言をする人は少なくない。私は薬剤師国家試験の予備校の講師をして久しいが、そういった人達とお会いしたことは星の数ほどある。そして、そういった人達が薬剤師国家試験対策を軽く捕らえるような話をしたり、薬剤師国家試験で結果を出せなかった人に関し、軽々しい評価をするたびに…まあ、ハッキリ言ってしまうが、不愉快な気持ちにならざるを得ないのも事実である。

 『 過去問をやっていれば受かるんだろ 』などと、したり顔で言っていたりする。過去問をやっていれば受かるほど、薬剤師国家試験は簡単なものではない。恐らくそういった人達は、そこら辺の有象無象の資格試験と薬剤師国家試験を一緒にしているようだが…笑止千万とはこのこと。『 雲泥の差がある 』などといったどころの話ではない。中には、薬剤師国家試験の合格率(それも新卒の)を見て、『 薬剤師国家試験はさぁ、85%の人が受かる試験なんだから… 』なんてサラッと言ってのける、(薬学出身ではない)人間がいたりするが…ハッキリ言いたい。『 じゃあ、お前受けてみろ! 』と…。『 試験対策やってみろ! 』とも言いたい。私は200題の頃の薬剤師国家試験を受験したが、それとて『 85%の人が受かる試験だから… 』なんて簡単に口にできるほど、試験対策は甘いものではなかった。そんな200題の頃の試験対策をやってきた私でさえ、『 85%の人が受かる試験だから… 』なんて言われたら逆上するのである。それ程のことを言っているのだという自覚は…おそらく無いのだろう。

 だいたい、薬学の過程を経験していないことはもちろんのこと、試験対策もやったことが無ければ、薬剤師国家試験を受験したこともないのに、何故、そう簡単に試験対策や薬剤師国家試験に大して、軽々しく口を出すことができるのだろう?もちろん、薬学出身者ではない人間が全員、こういった軽んじた発言をするわけではない。中には…イヤほとんどの人は『 薬剤師国家試験は大変ですよね… 』と口にしている。自分が経験したことが無いモノに対する謙虚な、そして当然な姿勢である。普通に考えてみれば医療系の国家資格であるのだから、簡単ではないこと位は予想が付くはずである。『 薬剤師国家試験は大変ですよね… 』といった発言は、そういったことからの発言なのだろう。これが普通の人の対応だと思うのだが…。

 更には国家試験が不本意な結果となってしまった人に対し、『 コイツ、受からなくてさぁ… 』『 受からなくて困ったもんだよ… 』などという具合に、侮蔑的な発言をする人もいたりするから、憤慨極まりない。誰だって、好き好んで不本意な結果となったわけではない。それ相応の試験対策、それも前述したように、経験したことが無い人には分からないほどの過酷な試験対策をやってきているのだ(まあ、受験生の中には、そうではない人も若干いるようではあるが…)。ましてや、そこにたどり着くまでにさえも、多くの難関があり、それを乗り越えてきているのだ。そういった人間に対して、無経験者が『 受からなくて困ったもんだよ… 』などと、軽々しく発言するのは如何なものだろうか?『 お前、(試験対策)やったことあるのかよ 』『 じゃあ、お前やってみろよ 』という言葉が、口をついて出てくることになるのも、至極当然のことではないだろうか?

 やはり、こういったことが起こる原因は、前述のように薬剤師国家試験というものがどういうものなのか分かっていない、それなのに軽く見られているからに他ならない。もちろん、国家試験受験までの過程も、さして分からずに軽く見られていることも言うまでもない。どれだけ過酷なものなのか知らないのだろうから、ある意味、仕方が無いのかもしれないが…しかし、知らないのだからこそ口を出さないのが大人としての行動ではないだろうか?ましてや、分かるはずがなかろう試験対策にまで口を出してくるとなると、こちらが閉口してしまう。薬剤師国家試験対策歴ン十年の私に対しても、平気で『 試験対策というものは… 』などと言い放ったりする。中には『 あんな試験は過去問やっときゃ受かるんですよ 』などといった内容を平気で口にしたりで、逆にこちらは開いた口が塞がらない…といった状況になることも、よくある話。そんな人達を目の前にしていると、私の頭の中には、フトこんな言葉が湧き出してくることになる。『 こういう人が側にいるから…こういった人間と接しているから、学生さんは国家試験で不本意な結果を出すことになったんだ… 』といった言葉が…。そう、そんな人間と接していれば、まともな試験対策などというものができなくなるのは、当然の話である。

 心配するなとは言わない。しかし、薬剤師国家試験というもの、そしてその試験対策の過酷さが分からない人間は、ヘタに口を出さないでもらいたい。知りもしないのに、余計な発言をされると、試験対策を行っている当人の足を引っ張ることになるからである。本当に、当人のこと思うのなら、試験対策には口を出さず、静かに応援してもらいたいものである。少なくとも、そちらの方が試験対策の結果が喜ばしいものとなる確率が高いはずである。薬剤師国家試験というもの、そしてその試験対策の過酷さが分からない人間が、試験対策に口を出すということは、間違いなく合格率の低迷に貢献していることになると私は思っている。知りもしない人間が、試験対策で困惑している人間に対し、『 過去問をやっていれば受かるよ 』『 参考書とか3回やれば大丈夫だよ 』などと軽々しく発言することが、合格に貢献することではないことだと、よくよく考えてみればお分かりいただけることではないだろうか?私はそう思うのだが…。

 

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2021年6月22日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

🏃 諦めるのは早すぎませんか?

予備校は大手予備校だけではありません。

 やり方を変えてみませんか?  

あなたは〝少人数制〟なら、伸びる人かもしれません。

第107回 薬剤師国家試験対策 半年コース 受講生募集中!

 

 『 予備校にいったけど…ダメだったから… 』といって薬剤師を諦めてしまう人。中には自信喪失に陥って、やる気を失せてしまっている方も少なくないでしょう。しかし…それは少々、早すぎはしませんか?

 

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あなたの知らない予備校があります。

予備校に行ったとは言いますが…

 では、少人数制で学んだことはありますか?

  マンツーマンで、時間が許す限り学習指導を受けたこと

 はありますか?

  熟練した講師の、基礎から理解していく、暗記に頼らない講義を受けたことが

 ありますか?

  分からないことが自由に質問でき、マンツーマンで答えてもらえる環境で学んだ

 ことはありますか?

  イヤな顔をされずに、質問に答えてもらったことがありますか? 

  講師・職員に気兼ねなく接することができる環境で、試験対策を行ったことが

 ありますか?

  休み時間中にトイレを終えることができる環境でしたか(大事なことです)?

  周りの学生さんの目を気にすることなく、試験対策に集中できる環境でしたか?

 薬進塾には、それらが全てあるのですが…。

今や試験対策は、大人数で講義する〝十把一絡げ〟の時代ではありません。

これからは、一人ひとりを指導する〝少人数制〟の時代です。

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やり方が異なれば、違う結果が手に入ります。

 もし、上記したような経験がないというのなら、まだまだ薬剤師を諦めるには早すぎますよ。あなたの知らない、経験したことのない予備校があるのですから。そして、そこで学べば、違う結果を得ることができるのです。ホームページでも何度も書かせていただいていますが、違う結果が欲しいのなら、違う方法でやらなければなりません。違う方法でやれば、違う成果を手にすることができるのです。なのに…違うやり方を知らないから、諦めてしまう…。勿体ない話とは思いませんか?

 予備校を変えても、やっていることが同じならば、結局は同じやり方をやっていることになります。多くの学生が教室にひしめきあって講義を受け、人数の多さに質問もままならない…。参考書の大事な所に線を引くだけ、語呂合わせの講義…。試験、試験で復習する暇もない。どうしていいのか相談したいが、相談にものってもらえない…。どこに行っても、このやり方では結果を出すのは難しいでしょう。しかし、薬進塾には、前述の『 あなたの知らない予備校があります 』にも書かせていただいた、他とは違うやり方があります。

 

同じやり方を何度もやって、同じ結果しか出せず、薬剤師を諦めるのか?

違うやり方を試みて、違う結果を出して、薬剤師になるのか?

どちらを選ぶかは、その人次第です。

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色眼鏡で見ると、見えなくなるモノがあります。

 『 色眼鏡(で見る) 』とは…

『 偏った物の見方。先入観にとらわれた物の見方(デジタル大辞泉より) 』

という意味です。『 小さいから… 』『 聞いたことがないから… 』等で予備校を判断することも、立派に色眼鏡で見ていることになります。小さいからということと、良い講義ではないということは、何か関係ありますか? 聞いたことがないということと、一人ひとりのケアをしないということが関係ありますか?そう、どちらも全く関係の無いことです。そういった色眼鏡で判断してしまうと、自分の可能性の幅も狭めてしまうことになり兼ねません。せっかく、既存の予備校とは違うやり方でやっている予備校があるのに、そしてそのやり方でやれば、違う成果を手に入れることができるのに、色眼鏡で判断して、その成果を手にする可能性を捨ててしまうというのは…やはり、勿体なくはありませんか?。

 もちろん、色眼鏡で〝見えなくなるモノ〟は、いいモノばかりではありません。悪いものも見えなくなってしまいます。『 大きいから… 』『 聞いたことがあるから… 』等で予備校を判断して、成果を得られなかった人も大勢いるのです。

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薬進塾には、あなたが知らない試験対策があります。

 おそらく、ほとんどの薬学生が薬進塾の試験対策を知らないのが現状だと思います。何故なら、塾生さん達は、皆、『 こんな講義初めて 』『 初めて勉強のやり方を教えてもらいました 』『 質問にいくと、すぐに答えてもらえました 』『 マンツーマンで答えてくれるんですね 』『 (塾に)来るのが辛くないです 』なんていう、試験対策としての当たり前のことを、笑顔で口にしていますから。『 当たり前のことを、口にする 』ということは、皆、それを経験したことがない、つまり当たり前のことを経験したことが無いからです。薬進塾には、あなたが知らない、あなたが経験したことの無い試験対策があるのです。あなたが〝違う成果を手にすることができる試験対策があるのです。まだまだ諦めるのは早すぎますよ。

 

勉強のやり方が分からなければ、学力は身に付きませんよ。

 だから、薬進塾では学習指導、すなわち勉強のやり方から指導するのです。一年コース、半年コースでは1日かけて学習指導を行います(正確には1日では終わりませんので、別に時間を設けて指導を行っています)。もちろん、この1日で終わりではありません。学習指導は、試験対策における勉強のやり方を指導するわけですから、国家試験のその日まで学習指導は行います。さらに、塾生さん全員を目の前に行う学習指導もありますし、マンツーマンで個人的に行う学習指導もあります。勉強のやり方に関する内容や悩みは、一人ひとり違うわけですから、塾生さんと向かい合って、一人ひとりの学習状況を把握して、指導していかなければならないからです。当然ながら、勉強に関する相談に応対して指導するのも学習指導の一環です。塾生さん一人ひとり、勉強のはかどり具合や問題点が異なる訳ですから、指導を受けたい時期や問題点が出てくる時間も異なって当然。ですから、相談に来るたびに、指導していかなければならないのです。

 当たり前の話ですが…実際に勉強をしていくための学習指導ですから、具体的でなければなりません。実際に説明しながら、『 こういう風に進めていってください 』というやり方も指導します。学習指導と称して、勉強本のノウハウを話したところで、『 では実際に日々、どうやって勉強を進めていいのか分からない  』では、全く意味がないからです。誰もが知っているような内容(復習は早めにやるべき 等)を話してもらうことも、『 そんなことは知っています。では、どうやって勉強していけばいいのですか? 』と、結果は同じです。

 1、2回皆の前で話して終わりでは、学習指導ではありません。前述させていただきましたように、試験対策というものは国家試験のその日まで続くからです。国家試験のその日まで続けて、初めて学習指導と言えるのです。もちろん、一人ひとりに対して…。

 こういった学習指導を、してもらったことがありますか?ここまで勉強のやり方を、サポートしてもらったことがありますか?もし、無いというのなら…こういった指導を受ければ、学力の付き方や成績の伸びは、当然、変わってくるはずです。なぜなら、こういった学習指導を受けた経験がないということは、勉強のやり方を知らないまま試験対策を行ってきたということだからです。やり方を知らずにやっても、成果が出るはずはありません。何事も成果を上げるのならば、まずやり方をしっかりと指導してもらうことが大切なのです。こういった指導を受けたことが無いというのなら…まだまだ、諦めるのは早すぎると思いませんか?

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諦めず薬進塾に来て合格していった人達の声

 

◎ 第97回薬剤師国家試験 旧4年制課程 既卒者 合格インタビュー

  旧4年制課程の既卒者。6回目の受験で、一回目の新国家試験

 (345題の国家試験)で合格したU君(D大学卒)。

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◎ 第98回薬剤師国家試験 旧4年制課程 既卒者 合格インタビュー

  旧4年制課程の既卒者。ブランク4年、初の国家試験受験で合格した

  Wさん(N大学卒)。

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◎ 第99回薬剤師国家試験 旧4年制課程既卒者 合格の声!

  働きながら一年コースに通って合格したM君(K大学卒)

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◎ 第100 薬剤師国家試験 合格者 体験記!

  98回、99回(宅浪)を受験。薬進塾に通い、最後の模試から国家試験で

 40点以上点数が伸びたT君(J大学卒)。

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◎ 第101回薬剤師国家試験 旧4年制課程既卒者 合格の声!

  旧4年制大学を卒業し、9回目の受験となる時に薬進塾に入塾。見事、

 合格したKさん(T大学卒)。

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◎ 第101回薬剤師国家試験 合格インタビュー

 社会人としての豊富な就業経験があったが、仕事を辞めて薬学部に入り直し、卒業。その後、他の予備校に通い99回、100回を受験。101回対策で薬進塾に通い、見事合格したTさん(T大学卒)。

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◎ 第102回薬剤師国家試験 合格インタビュー

  大学を卒業して4年目、長年勤めた仕事を辞め、薬進塾に入塾。

 5回目の受験となる102回の国家試験で合格したO君(Y大学卒)。

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◎ 第103回薬剤師国家試験 合格インタビュー

 入塾した時は、毎日のように試験成績は最下位ばかりだったが、後半は順位が3位を下ることはなく、試験前は毎日のように成績が1位だった、103回国家試験合格者のTさん(T大学卒)。

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◎ 第104回薬剤師国家試験 合格インタビュー

 新卒で101回国家試験を受験し、他の予備校に通い102、103回国家試験を受験し、4回目の国家試験で薬進塾に来て合格したKさん(T大学卒)。

 

◎ 第105回薬剤師国家試験 合格インタビュー

 卒業延期となり103、104回国家試験を受験し、3回目の国家試験で薬進塾に来て合格したBさん(S大学卒)。

【 主な合格者の声(抜粋)】

2009年9月(卒業)です。卒業延期、半年したんで…。

(ブランクは)3年…4年かな?(国家試験受験は)初めてです。

A・Wさん:N大学卒

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今回で5回目・・・イヤ、6回目ですね。宅浪も1回あったんで。

Y・Uさん:D大学卒

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 ようやく国家試験に合格する事が出来ました。ひとえに、家族や薬進塾の先生方のサポートがあったからだと感謝しています。

S・Mさん:D大学卒

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 何年も合格できなかった日々から、解放されました。

先生のアドバイスが良かったです。

T・Tさん:H大学卒

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 私には数年のブランクがありましたので、国家試験には受からないと決めつけていました。4年制最後だから記念に…というようなつもりでした。ですが薬進塾での日々は、「どうせ受からない」という気持ちを「絶対受かってやる」という気持ちに変えてくれました。そして、その気持ち通り、国家試験に合格することが出来ました。

Y・Aさん:N大学卒

※ 薬剤師になることを諦めきれず、12月からのコースを受講して合格された塾生さんです。12月からでも、まだまだ間に合うということを証明してくれた塾生さんでもあります。

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 どうでしょうか?諦めずに、薬進塾に来て合格していった人がたくさんいるのです。もちろん、ここに掲載したのは、ほんの一例です(本HPの〝合格者の声のページをご参照ください)。いくつもの予備校に行った〟〝ブランクがある〟〝何度も国家試験を受けている〟…そういった人達も諦めることなく薬進塾に来て、合格を掴み取っているのです。諦めるのは、まだまだ早いですよ!

 さらに、現在106回国家試験対策に通っている塾生さんからはこんな声が…。

 

 薬進塾には、卒業延期が決まってからすぐに入塾を決めました。決めた理由としては、講座が始まるまでの間も、学習指導(講座前アプローチ)を受けられることや、講義に関しても基礎の基礎から学べること(これに関しては、正直ここからやるのかと、はじめは少し驚きましたが、基礎の基礎が分かることでこんなにも違うんだということを、今の段階で感じています)などが決め手でした。そもそも基礎の基礎が何かというのをきちんと理解していませんでした。

 学習指導は1月末から始まり、卒業試験に向けて、自分専用の勉強計画を作成してもらい、2月から勉強を始めていきました。はじめはそれ通りにやるのが大変でしたが、教えてもらった勉強法を行うことで、少しずつ慣れていきました。授業が始まってからは、卒業試験の勉強と並行して授業の復習もやっていくようにしました。分からなかったことや疑問に感じたことは、授業後に質問して解決するようにしています。

 やはり、現在学んでいる塾生さんも、すでに違う結果を手にしていることが、お分かりいただけることと思います。違う方法でやれば、違う結果が、違う成果が早く手に入ることもあるのです。こんな予備校があることを、果たして何人の人が知っているのでしょう?そして、そんな予備校で今までとは違う試験対策を行えば、十分に合格を掴み取ることが可能だということ。まだまだ、薬剤師をあきらめるのは早すぎるという事が、十分お分かりいただけたことと思います。

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『 知らないから… 』ならば聞きに来ては如何ですか?

 『 知らないから… 』『 聞いたことがないから… 』なんていう色眼鏡で判断しては、勿体ないとは思いませんか?『 でも、分からないから… 』という人。だったら、見学に来てみてはいかがですか?昨今の学生さん達は、少々フットワークが重いような気がします。合格する人達は、何気にフットワークが軽い人であることも確かです。自分がお金を払って試験対策を行う所ですから、やはり噂や表面的な評判だけに捕らわれず『 どういった所なんだろう? 』と、見学に来て話を聞くことは重要なこと。『 皆がいっているから… 』『 ○○だって聞いたから… 』で済ませてしまうようでは、チョット試験対策に対する意欲が、足りないような気がしなくもありません。薬進塾では、見学・相談は随時受け付けています。色眼鏡で判断して、合格へのきっかけを失い、薬剤師への夢も諦めてしまうのは、勿体ない話。ぜひ、見学・相談に来てください。あなたの知らなかった予備校を発見することができると思いますよ。そして、その発見があなたの一生を変えるものになるかもしれないのです。

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※ 見学・相談がいくつか入っています。電話等での予約・確認をお勧めします。


見学・ご相談は

  フリーダイヤル 0120970894

          急(9)な(7)お(0)願い、薬進塾(894)

  〔 受付時間 〕 月 金曜日(祝祭日除く)  10:00 ~ 17:00

 お問い合わせ から、メールでの受け付けも行っております。

 ※ アクセスは『浅草橋』のページにある『アクセスマップ』をご参照ください。

◎ 相談のお問い合わせ、面接予約が相次いでいます。できる限り、ご相談の希望
 の日程を取れるよう調整していますが、大変立て込んでいるため、希望の日時が
 取れない場合もございます。早めに、ご連絡いただけましたら希望日時への調整
 も可能となりますので、よろしくお願いいたします。

 

 

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2021年6月18日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:試験対策サポート

自分で決められないのかね?

2021/06/14

 以前、ある講演を聞いたときのこと。一つ気になったことがあった。まあ、講演の後というのは、お約束で講演者の方への質問タイムが設けられているのだが…。その講演も例外ではなく、講演者の方への質問タイムが設けられていた。気になったのは、そこでの質問でのこと。質問内容が、質問ではなく『 どうしたらいいんでしょう? 』といった、判断を委ねるものが多かったということ。別に、質問の中に〝判断を委ねる内容〟があることは悪いことではない。判断に専門的な知識が必要な場合、専門知識を持たない人間は、専門知識を持った人間に、そのアドバイスを求めるのは、至極当然のことだからである。例えば『 熱が38度あり、意識が朦朧としている。発疹も出ているようですが、どうしたらいいでしょう? 』といった内容。これは、判断に専門的な知識が必要で、専門知識を持たない人間が、専門知識を持った人間にそのアドバイスを求めるものである(しかし、それとて最終的にどうするかの判断は、自分自身で行わなければならないが…)。ところが、その講演後にされた質問のほとんどが、専門の知識を持つ講演者に『 専門知識から察する判断 』を聞いているものではなく、『 どうしたらいいんでしょうかね? 』といった、ある意味、専門家の方でなくとも十分対応できる内容なのであった。私的には、ラジオやテレビの人生相談的な物のような気がしてならなかった。正直な話、『 あなた、それくらいの判断、自分自身でできないの? 』と思える内容。講演者の方は、非常に心が広く、人間ができた人であった。講演を聞いていて、それは手に取るように窺い知ることができた。実際、講演を聞いていて、『 人格者というのは、こういう人を言うんだろうな…見習うべきだ 』と、改悛の思いであった。そんな方だから、私程度の人間なら『 あなた、それは自分で判断したら 』と言ってしまいそうなところを、丁寧に優しく答えていらっしゃった。さすがだなと、改めて自分の未熟さを痛恨した次第なのである。

 自分で判断しない人が多いよう思う。昨今の学生さんを見ていて、特にそれを思うことは多い。『 ○○さんが良いって言っていたから… 』流行文句のように、この言葉を使う学生さんは多い。自分で判断できないかなぁ…といった苦言を呈すると、これまた判で押したように同じ内容の答えが返ってくる。『 (人の意見を)参考にするのはいいことだから… 』と…。参考の意味が分かっているのだろうか?参考とは『 何かをしようとするときに、他人の意見や他の事例・資料などを引き合わせてみて、自分の考えを決める手がかりにすること(デジタル大辞泉より) 』とある。つまり『 自分の考えを決める手がかりにすること 』であって、『 自分で決めることを放棄すること 』ではない。あくまでも『 手がかりにすること 』である。『 手がかりにする 』であるから、当然〝自分で行動する〟ことを指している。人が言ったことを、『 あの人が良いっていったから… 』などと、自分というフィルターを通さずに、素通りさせて決定権を放棄することではない。

 自ら判断できない学生さんが、増えてきているのは事実である。まあ、私も優柔不断というか、中々決められないタイプの人間である。しかし、それは『 かつ丼とカツカレー、どっちにしようかな… 』的な選択における、優柔不断さである。例えば参考書を選ぶ場合。自分で『 これだ! 』と思ったものを買う。『 これから自分が、長く勉強していくために使うものだ。自分で選ばなくて、どうする! 』と思っている。人が使いやすいものが、自分に取って使いやすいものかどうかは、全くの別の話である。人から教えてもらったり、周りの連中が『 これがいい 』と言っていたもので、自分がいいとは思わなかったものは、ごまんとある。人が使うのではなく、自分が使うのである。自分以外の人間は関係ないとも思っている。

 第一…『 これがいい 』と口にした人間とて、果たして自分で良いと思ったかどうか定かでない。その人間も、だれかが口にしたに『 これがいい 』に感化されている可能性は十分ある。そんな人間も、ごまんと見てきた。『 これがいい 』の伝言ゲームであり、全くもって信用できない場合が多々あったりする。だから私は、(自分が使うものは)大概、自分がいいと思ったものを選んでいる。他の誰でもない、私が使うのだ。私がいいと思ったものがいいに決まっている。別に誰に迷惑をかけている訳でもない。もし、それで何かあったとしても、それは私の判断で行ったことだから、私の責任である。誰を責めることでもない。

 自分で決めないことによる〝責任の放棄〟については、過去に書いた『 こんなはずじゃなかったのに、という考えは捨てなさい 』『 自分で考えて決めんかい! 』といったブログで色々書かせていただいているので、そちらをご参照いただきたい。今回、私が言いたいのは『 自分で判断しなければ、自分で判断するということができなくなる 』ということ。判断力という言葉があるように、『 判断する 』ということは能力の一つである。これも、私がよく口にする内容なのだが…能力は使えば使う程、研ぎ澄まされていく。早い話、判断するという行為を行えば行う程、判断力は発達して強化されていくということ。なるほど、自ら判断しない人間は、色々な場面で判断しなくなっていることが多い。自ら判断しないから、その能力が発達しない、衰えていっているのだろう。それはそれで困ることなのだが…こと国家試験対策を行っている人間にとって、これほど危険なことはない。何故なら、問題の答を出すときには、否が応でも自らの判断が必要になるからである。自らの判断無く、答など出せるわけがない。そう言えば、昨今は『 何故、この答えにしたの? 』と尋ねると『 何となく… 』という学生さんが多い。これなどは、判断力が劣ってきている証拠ではないだろうか?

 以前、『 どんな参考書が良いんですか? 』と聞いてきた学生さんに、『 自分で読んでいて、分かり易いと思ったものが良い参考書だよ 』と話したところ…『 自分で読んでいて分かり易いって、どういうことですか? 』と返答されたことがある。これには魂消た。『 自分で食べて美味しいって、どういうことですか? 』と聞いているのに、等しい行為だからである。これなどある意味、究極の判断力劣化と言えるのではないだろうか?『 自分で読んでいて分かり易い 』といった判断が為されないのだから…。確かにその学生さん、ことあるごとに母親が出てきていた。学生さん自身も、ことあるごとに母親を持ち出していた。全て母親に判断させていたということ。これでは自ら判断するという能力も、退化していくのは致し方ない話である。

 これも何度も書かせていただいたことだが…現代は情報化時代と呼ばれている時代である。365日24時間、千万無量の情報が飛び交っている。そして、その中には虚偽の情報もあれば、悪意ある情報、人を誑かそうとする情報、己の利のために人を利用しようとする情報も、これまた万万千千飛び交っているのである。下手に手を出したら大火傷どころか、とんでもない事態になってしまう情報だって不遑枚挙である。そんな中、やはり自分で判断することは重要であり、そして身を守ることにもつながる。前述の講演者の方は、仁徳ある方であったから良かったものの、中には専門家だというから頼ってみたところ、とんでもない判断を与えて、己の利に導こうとしている輩も存在しているのである。情報化社会だからこそ、自らの判断力を鍛えていかなければならないのである。どうも今の世は『 ネットで調べれば出てくるから… 』と、〝その情報を判断するという行為〟が為されていない場合が多い。判断というものが為されなくなってきている社会になりつつあるのだ。そして、これはとても危険な事なのだが…。『 テレビで言っていたから… 』『 ネットに書いてあったから… 』『 ○○さんが言っていたから… 』こういったことが、とても危険であるということを、誰もが判断できていない、イヤ判断しなくなってきているような…そんな気がしなくもない。

 生きていくにも判断は必要であるが、国家試験対策を行う上でも、自ら判断する力は必要である。少なくとも、試験対策に携わっている以上、自ら判断していく行為は率先して行っていくべきである。イヤ、自ら判断して進んでいくことこそが、試験対策と言ってもいい。もちろん、判断付きかねる事態が生じたのなら、前述したように、専門知識を持った人間に、そのアドバイスを求めればいいだけである。そして、自分の考えを決める手がかりにしていけばいいのである。手がかりにする。最後の判断は自分である。そうやって、自ら判断することを行っていけば…判断は能力であるからして、その能力も研ぎ澄まされ、強化されていくことは間違いないはずである。そして…それは情報化社会と言われている現代を生き抜く上でも、必要なことなのではないだろうか?私はそう思っている。

 

 

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2021年6月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

【 き 】貴ガス

【 き 】

貴ガス

He(ヘリウム)、Ne(ネオン)、Ar(アルゴン)、Kr(クリプトン)、Xe(キセノン)、Rn(ラドン)の6元素の総称。いずれも、反応性がとても低い。


① 周期表では18族が、この貴ガスである。

② 以前は『 希ガス 』と表記されていたが、現在は『 貴ガス 』と表記される。

③ 最外殻が閉殻構造を取っているため、安定で化学的に不活性である。

 それゆえ、不活性ガスとも呼ばれる。

④ 空気中にわずかに含まれていたりするが、いずれも1個の原子のままで存在している。

⑤ 貴ガスの価電子数は0と考える。

【 例題 】

 ① 貴ガスは1族である。

  誤:周期表の一番右側で、18族である。

    ちなみに1族はアルカリ金属で、周期表の一番左側である。

 ② 貴ガスは安定な元素であり、他の元素と化合物を形成しにくい。

  正:最外殻が閉殻構造を取っているため、化学的に安定である。

 ③ 貴ガスの価電子数は0である。

  正:最外殻が閉殻構造を取っているため、価電子数は0とする。

 ④ いずれも空気中に存在していない。

  誤:いずれも空気中に、単原子分子(一個の原子で構成されている分子)として存在している。

 

薬進塾は小さな大切なことを、一つ一つしっかり教えていく予備校です。

 

 

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2021年6月8日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:いろはに国家試験! ~ 物化生の基本用語 ~

刺身が高い。

2021/06/08

 総菜が高い。総菜だけでなく、刺身も高い…。スーパーで、以前は普通に買って食べていたものが高くなっている。今回のコロナ騒動が原因かと思ってしまいそうだが、そうではないようだ。今回の騒動前から、買い物をしている時に『 なんか高いな… 』と思うことがしばしばあったからである。私は根っからの酒飲みなので、休日前はスーパーで、酒のつまみを調達してから帰ることが多い。『 これ食べようかな 』『 おおっ!安いじゃん 』などと買い物をしているときは、ある種、至極の一時である。それを食べながら一杯やっているのを想像しながら買い物するのは、何とも楽しいかぎりだ。それが最近では、以前とは全く異なった感情を抱くことが多い…イヤ、毎回と言っていいほど、買い物時には眉間にしわを寄せる事態となってしまった。そう、値段の高さからである。ちなみに今回のブログ。スーパー等のお店を非難する意図は全くないことを、あらかじめお断りさせていただく。

 最近、特に思うのが…刺身が高くなったということ。以前は、半身をさらに半分に切ったものが白いトレーに入れられて、300円近辺の値段で売られていた。もちろん魚の種類にもよるが、ビントロ(ビンチョウマグロのトロ部分)やカツオのたたきなんかは、そんな程度の値段だったと思う。それが…ふと気づいたら、チョット酒のつまみに…なんていう具合に、気軽に手を出せない値段になってしまっていた。『 そんな大げさな 』と思う人もいるかもしれないが、決してそうではない。こちらも、予算というものがあるので、その目はシビアである。『 大体、これくらいの値段で酒を楽しもう 』という予算が暗黙のうちに設定されているのだ。『 これを買ってしまうと、他のものに響くから… 』といった具合に、値段に配慮しながら、つまみを購入していく。これが、正しいウチ飲みの仕方である(と私は思っている)。で、刺身は酒のつまみの定番。刺身をつまみに一杯やっているところを、嬉し楽しと想像して買っていたのだが…。ここ数か月(イヤ、一年になろうとしているだろうか…)『 この値段じゃなぁ… 』と思うことがほとんどである。

 値段が高いというよりは、あからさまに〝量が少ない〟といった方がいいかもしれない。以前は〝半身を半分に切ったものが入っていた値段〟が、今では〝切られた刺身(以降刺身と表記させてもらう)が数切れ入っている値段〟となってしまった。これには正直、たまげた。『 びっくりした 』ではない『 たまげた 』である。漢字で書くと『 魂消た 』らしいが、まさにこの漢字は、私の心境をダイレクトに表してくれていると思う。パックの中に、刺身数切れ…。それも、〝目視で数えられる数〟である。以前は〝塊〟が入っていたのが、今や〝(切られた)刺身数切れ〟…。その刺身の数も、日を追うごとに〝少人数制〟になってきている感がある(まあ〝人〟ではないから、〝少魚数制〟とか〝少刺身数制〟が正しいのかもしれないが…)。薬進塾は〝少人数制〟を売りにしているが、刺身の〝少人数制〟は、いただけないこと、この上ない。そして悲しいことでもある…。

 更に悲しいことに、最近では、その刺身がダイエットしてしまっているご様子。普通は、ダイエットに成功すると嬉しい限りであるが、刺身のダイエットが成功することは悲しい限りである。『 何も、そこまで細くなることは… 』というセリフは、ダイエットに成功した人に対して苦笑いで発するものであるが、刺身に関する『 何も、そこまで細くなることは… 』というセリフは、自分自身に対して言う物悲しいセリフでしかない。

 刺身のパックが、上げ底になっていたりすることも、悲しさを増幅させてくれる。前述させていただいたように、以前は白いトレーに刺身は入っていたのだが、その白いトレーは平たんな底であった。しかし…昨今の〝少人数制ダイエット成功刺身〟は、色鮮やかなトレーに入っている場合が多いのだが…このトレーが曲者だったりする。底から大きめの突起が、ボコボコと出っ張っていたりする。この上に刺身は乗ることになるのだが…身長測定で下駄をはいているようなものである。そう、上げ底である。これでもかというくらいダイエットして、上げ底ブーツ…。お前は90年代の渋谷ギャルか、原宿ガールか!?

 さらに…。そのトレー底の突起と刺身の間に、何やらあるような…。イヤ、『 あるような 』というレベルでなく、刺身からおもむろにはみ出して、その存在感を誇示しているような…。おもてなしのための座布団だろうか?確かに刺身は高級品。座布団くらい敷いても当然だろう。色も白いようだし、やはり座布団か…と思いきや、座布団ではなかった(まあ、当たり前の話ではあるが…)。白いのは〝つま〟である。〝つま〟とは『 刺し身に添える千切り大根や海藻類などの食材。主となる刺し身への添え物(実用日本語表現辞) 』とある。添え物…。イヤイヤ、昨今の刺身では添え物というか、こっちが主役のような気もしなくはない…。刺身の方が、添え物状態…。政権交代も甚だしい感がある。内閣改造というか、刺身改造か!?別に〝つま〟が嫌いなわけでもないし、いらないと言っている訳でもない。ただ、刺身の政権交代が悲しい…それだけである…。

 おまけに、この〝つま〟座蒲団はかなり高級だ。何故なら、羽毛布団位の厚みがあるからだ。イヤ、座蒲団というよりは、刺身からすれば、れっきとした布団といっていいほどの広さだ。厚さといい広さといい、チョットした高級ホテル並みの布団だ。刺身なのに、なんと贅沢な。刺身が贅沢(な食べ物)と言っているのではない。その待遇が贅沢と言っているのだ。おまけにベッドは、上げ底〝ハイベッド〟。刺身にとっては〝至れり尽くせり〟の待遇だが、こちらにとっては〝踏んだり蹴ったり〟の待遇である。

 刺身は高級品である。それ位の事は分かっている。一般的な食品よりは、やはり値段が高いのも致し方ないし、今までもそうであったから、高級品であることを否定する訳でもない。しかし、この現状は〝高級品〟という扱いとは別事のように思える。刺身の端の、キレ残り部分と言ってもいいほどの寄せ集め…おそらくスプーン一杯程度のキレ残り部分がパック詰めされて、以前の(通常の)刺身の値段で売られているのを見た時は、〝魂消たの極み〟であった…。『 そこまでして、売るのか? 』という思いと、『 これを売るということに対して、何も思わないのだろうか? 』という思いで、何とも複雑な心境であった。何も『 そんな切れ端は売るな 』と言っている訳ではない。『 そういった切れ端を出ないよう(大き目に)切るか、または通常の刺身に加えて、一緒にパック詰めして売ればいいのではないか? 』ということである。まあ、お店にはお店の理由があるのだろうし、そこをとやかく責めるつもりはないのだが…そういった刺身を目にすること自体が、何とも言えぬ哀愁を誘うのである…。

 ウチ飲みが叫ばれる昨今。叫ばれるというよりは、『 外飲みができない状況にある昨今 』といった方が正しいだろう。外で飲めない以上、ウチで飲むしかない。だからこそ、少々贅沢なものを…と刺身コーナーに足を向かわせるのだが…足は向かわせることができるものの、贅沢過ぎて手は出せないといった状況…。なんとも、酒飲みには辛い日々である。せめて、ウチ飲みくらいは気兼ねなく美味しいものを、つまませていただきたいものである。『 低いトレイに直に敷かれた、そこそこの厚さの〝つま布団〟に、ダイエットに失敗した半身がドカンと横たわっているような、庶民的刺身に早く戻ってほしいな…やっぱり、庶民は庶民と相性がいいんだからさ… 』と、何とか工面したつまみを肴に酒を飲みながら、ぼんやりと考えている、今日この頃なのである。

 

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2021年6月8日 | コメントは受け付けていません。 |

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