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試験対策 攻めか? 守りか? ~ 後編 ~

2020/06/29

 試験対策は攻めである。攻めでなければならない。では、試験対策における〝攻め〟〝守り〟とはなんであろうか?前回の内容は〝守り〟についてであった。今回は〝攻め〟についての内容となる。

 〝攻め〟というのは能動的行動を指す。自ら行動して、事を成していく。これが〝攻め〟である。何度かブログ等でも書かせていただいたが…昨今の学生さんは、受け身の学生さんが多い。自ら行動せず、与えられるのを待っているという姿勢が多く見受けられる。前回のブログで書かせていただいた『 これさえやっておけば合格する 』。一見すると、受け身的要素は見当たらないよう思われるかもしれないが…これなどは、典型的な受け身の姿勢である。『 これさえやっておけば 』は、『 与えられたもの、決められたものをこなすだけ 』ということを意味している。自分で調べることも、考えることも、そして決められた以上のこともしないという姿勢であるからして、間違いなく受け身の姿勢と言えよう。そう、試験対策における〝守り〟の姿勢というのは、受け身の姿勢なのである。

 年が明けた頃になると、いつものことながら、毎日のように学生さん達から相談を受けることになる。『 やることが、まだまだ一杯あるんですけど… 』『 やることがたくさんあって、終わらなくて… 』という声も何気に多い。そんな相談に対しては、いつも『 おおっ、いいじゃない 』と答えている。『 なんて非情な!何かアドバイスはしてあげないのか!』という怒り心頭の声も聞こえてきそうだが…アドバイスはしっかりしている。イヤ、正確に言うならばアドバイスはする必要がないので、『 それで、いいよ 』と答えているのである。それで、いい…つまり、状況としては良好ということである。

 試験対策、こと薬剤師国家試験の試験対策おいては、終わりというものはない。つまり、『 これだけやっておけば大丈夫 』といったものはないということ。勉強せど、勉強せど、やらなければならないことなど、それこそ無尽蔵に出てくる。コレを覚えたら、ソレをやって、ソレが終わったら、アレを解いて…なんていう具合に、やらなければいけないことは、次から次へと出てくることになる。大変かもしれないが、これが真っ当な試験対策である。私は長年にわたり講師稼業を続けてきているが、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)『 楽勝、楽勝 』と涼しげな表情で合格していった人間なんぞ、未だかつて見たことがない。出来る人も、そうでない人も、皆、必至に試験対策に取り組んで、合格していっている…。

 実は、意外だと思う人もいるかもしれないが…できる人は、出来る人なりにやっている。皆、『 できる 』という部分だけに目を向けがちであるから、その陰にある『 できるに至る過程 』が目に入らない場合が多いため、色々な誤解を生じてしまうようである。しかし、出来る人とて、試験対策は同じである。コレを覚えたら、ソレをやって、ソレが終わったら、アレを解いて…なんていう具合に、やっていかなければならないし、実際やっていっている。そう、常に〝攻め〟なのである。出来る人に限って『 これくらいやっておけば… 』などという具合に、〝守り〟には入らない。もちろん、『 これさえやっておけば 』という所で止まることもないし、第一『 これさえやっておけば合格する 』と言ったものにも飛びつかない場合が多い。中には『 これさえやっておけば合格する 』といった内容に、手を付ける人もいなくはない。しかし、それに手を付けて終るのではなく、そこからまた違う内容に着手し始める。国家試験の時まで…。これを〝攻め〟と言わずに、何が〝攻め〟であろうか?

 話は少々戻るが…試験対策が〝攻め〟である以上、やることが尽きることはない。つまり、真っ当な試験対策を行っていれば、やることが無くならないのは当たり前のこと…ということになる。だからこそ、前述のように『 やることがたくさんあって、終わらなくて… 』なんていう相談を受けると、『 おおっ、いいじゃない 』という発言をするのである。真っ当な試験対策を行っているからこその尽きない課題…。たまに、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)『 楽勝、楽勝 』という人もいなくはないが…当然ながら、こちらの方が心配になってしまう。真っ当な試験対策をしていない可能性が大だからである。実際、『 どんな感じ? 』なんていう具合に聞いてみると…『 ○○やってるんで大丈夫ですよ 』なんていう、軽い答えが返ってきたりする。そう、前回のブログでも書かせていただいた『 ○○をやると合格する 』とか、『 これさえやっておけば大丈夫 』といった、眉唾物の試験対策である(正確には試験対策とは呼べる代物ではないが…)。だから指導する立場としては、『 やることがたくさんあって、終わらなくて… 』という声を聞けば一まず安心するし、『 ○○やってるんで大丈夫ですよ 』なんていう声を聴くと、いささか不安な気持ちになってしまう…という訳なのである。

 何度も言わせていただくが、試験対策までやることは尽きない。次から次へと、やらねばならないことは出てくる。これでもかこれでもかと、攻めていかなければならない。『 こんなもんでいいや 』となった時こそ、用心しなければならない時である。終わりなき試験対策に、終わりが見えたとしたのなら…それは偽りの終わりとしか言いようがない。偽りの終わりに到達して、終わりと称して何もやらなければ…それ以上の学力向上は望めないことになってしまう。ましてや、行っていたのは〝眉唾物の試験対策〟である。〝それ以上の学力〟と書かせていただいたが、その学力とて、果たしてどれほどのものか疑わしい限りである。前述の出来る人の話ではないが、本当に学力がついていればこそ、『 コレを覚えたら、ソレをやって、ソレが終わったら、アレを解いて… 』なんていう具合に、やるべきことは、次から次へと出てくるはずである。『 こんなもんでいいや 』ということは、次にやるべきこと、延いてはその先にあることにも終わりが見えたということ。『 見えるはずなきものが見えた 』訳であるからして、こんなに危険なことはないのではないだろうか?自ら進んでいけば、怪しいものが見えても『 幽霊の正体見たり枯れ尾花 』とばかりに、惑わされることはないのだろうが…自ら進む足を止め、受け身に徹してしまえば…見えぬものが見え、無きものに翻弄されてしまうことになる。これが如何に危険な事かは、言わずもがなである。

 試験対策は〝攻め〟である。ひたすら進んで攻めていかなければならない。終わりはないのだから、手を休めている暇などない。やらなければならないことは、次から次へと出てくるのだから。大変な事のように思うかも知れないが…そう、薬剤師国家試験対策とは大変なものである。以前ブログでも書かせていただいたが、『 薬剤師国家試験対策は大変なのものである 』と認識するところから、国家試験対策は始まるのである。今回のブログを読んで『 薬剤師国家試験対策って大変だな 』と思ったのなら、薬剤師国家試験対策の第一歩を踏み出したと思っていいであろう。そして…大変だからこそ、早め早めに手を打つことが大切なのである。そのためには、それ相応の計画も立てねばならない。そう、ここからすでに、やるべきことはたくさん生じることになる。しかし、不安になる必要はない。真っ当な試験対策を行っているからこそ、次から次へとやるべきことは出てくるのだから…。そして…これから先、『 やることが沢山あって、終わらない… 』と不安になったのならば…真っ当な試験対策を行っているからこそだと思い出してほしい。そして…次から次へとやるべきことに対し、〝攻め〟の姿勢で取り組んでいってもらいたい。

往々にして…戦いがきつい時こそ、勝利が目の前にある時である。

 

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2020年6月29日 | コメントは受け付けていません。 |

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試験対策 攻めか? 守りか? ~ 前編 ~

2020/06/20

 攻めである。そう、試験対策は攻めでなければならない。では、試験対策における〝攻め〟〝守り〟とはなんであろうか?

 守りの試験対策の代表的なのが、『 ○○(参考書の名前が入る)を△回(△には好きな数字を入れて欲しい)やればいい 』といったやり方。これは本来、とてもではないが〝試験対策〟と、呼べた代物ではないのだが…。呼べた代物ではないのに、試験対策と呼ばれては蔓延している所が怖い所。ハッキリ言わせていただくが、試験対策と称して『 ○○を△回やればいい 』などと言っている輩は、100%試験対策というものが分かっていない輩である。そんな人間に学習指導などできるはずがない。できるはずがないのに、指導と称して何やらやらかしている所が、これまた怖い所である。

 『 それで□□さんは受かった 』と言い返してくる輩がいるのだろうが…『 そのやり方で受かった人もいる 』というだけの話である。じゃあ、全員それで受かるのかと言ったら別の話。私に知人にパチプロがいる。ちなみに、パチプロとは『 パチンコから得る収入を、主な収入源として生計を立てている者 』とある。パチンコで生計を立てている人がいる。では、『 収入が無い 』『 仕事が無い 』という人に『 パチンコで生計を立てている人がいるから、同じようにパチンコをやってみないさい 』と進める人がいるだろうか?これと全く同じである。『 パチンコで生計を立てている人もいる 』というだけの話であって、だから生活が困窮している人や就職を探している人に、『 パチプロになれ 』と指導することが、如何におかしい話であるかは、お分かりいただけることと思う。もちろん、これがとてもではないが指導などと呼べた代物ではないことも、お分かりいただけることとと思う。

 大体…本当に□□さんは、○○を△回やったから受かったのだろうか?それだけが、原因で受かったのだろうか?○○を△回やるまえに、どれほどの勉強をしていたのか?どれほどの学力、基礎力のバックグラウンドがあったのか?もちろん、勉強のやり方を習得していたのかということも、重要である。そういう所を全部すっ飛ばして、『 ○○を△回やれば… 』などと発言することは、いささか軽率すぎる行いではないだろうか?

 学習指導などできない人間が、指導を求められた時。『 指導できません 』 『 分かりません 』と言うのは、どうにもプライドが許さない。だから何か言わなければと、無難に頭に思いつくのが、この『 ○○を△回やれば… 』なのである。『 これさえ言っておけば何とかなるだろう 』といった無責任な匂いがプンプンしている発言である。そりゃあ、学力、基礎力のベースが出来上がっていて、自分の勉強のやり方も確立している人間なら、それ相応の成果を発揮するかもしれない(この場合とて『 それ相応 』『 かもしれない 』といった言葉を外すことはできない)。しかし…残念ながら学力や基礎力が芳しくなかったり、自分の勉強のやり方が確立していない人間にとっては、全くと言っていいほど、効力を発揮しないやり方である。出来る人間(つまり、それ相応に学力のある人間)が指導と称して、この『 ○○を△回やれば… 』といった発言をする場合もあるが…私から一言いいたい。『 私も含め、皆、あなたのように頭がいい訳ではないのですよ 』と…。

 他にも『 ○○をやると合格する 』とか、『 これさえやっておけば大丈夫 』的なやり方が跋扈していたりするが…こういった考え方・やり方は、全て〝守り〟である。まあ、〝守り〟といっても〝悪い守り〟ではあるのだが…。今回は、紙面の都合上(画面の都合上か?:笑)とりあえず『 悪い 』『 良い 』は置いておくとして、何故、こういった考え方が〝守り〟なのかというと…。守りの根底には『 これさえやっておけば受かる 』といった考え方がある。これが極端になると…以前、私が受け持ったことのある学生さん(それも覚えているだけでも4人はいる)の話。『 最低限、これさえやっておけば受かるというのが知りたいんですよ。ギリギリでいいんで…それ以上のことはやりたくないんで… 』と口にしていたが、そういった状況に陥ってしまうことになる。そんなもん分かるなら、誰も苦労はしない。大体、それが分かるなら、教えている方にとっても、こんな楽なことはない。それだけ教えればいいのだから。それが分からないからこそ、全体をまんべんなく教えているのである。もちろん、ある程度は把握しているし、さらにそこから精査した内容を教えてはいる。そこがベテラン講師の腕前ではあるが…それでも『 最低限、これさえやっておけば受かる 』なんていうことを、軽々しく口にする講師はいない。

 確かに、『 最低限、これさえやっておけば受かる 』という試験もなくはない。私は薬剤師国家試験も含め、計6つの医療資格試験対策に関わってきたが、そんな試験など一つもなかった。薬剤師国家試験など、そういった類の試験(『 最低限、これさえやっておけば受かる 』という試験)ではない、最たる試験と言ってもいい。第一…『 ○○を△回やれば… 』で合格するなら、皆、合格しているはずであろう。ちなみに…私は、最高で某参考書を90回以上やったと豪語していた学生さんを知っているが…未だ合格には到達していない。まあ、今頃は100回目位に突入しているのではなかろうか?

 『 これさえやっておけば受かる 』といった考え方は、捨てなければならない。何度も言わせていただくが、そういった試験も確かにあるし、薬剤師国家試験とて、まだ問題数が200題の時分には、そういうやり方で、ある程度持っていくことは、出来なくもなかった。しかし、出題数が240題となり、その240題の国家試験も中盤に差し掛かる時分には、『 これさえやっておけば受かる 』といった手法では、太刀打ちできなくなったのは事実であるし、345題の国家試験なら言わずもがなである。

 もちろん、私は万人に共通するやり方ということを基に書かせていただいている。学力、基礎力のベースが出来上がっている人間、自分の勉強のやり方が確立している人間だけに可能なやり方をベースに、話をさせていただいている訳ではない。そもそも…指導というものは、万人に対して可能なやり方でなければならないのではないだろうか?一部の人間にしか可能ではないやり方を、その一部じゃない人間に押し付けるなど、とてもではないが、指導と呼べる代物ではないと思うのだが…。

 『 ○○を△回やれば… 』と指導して合格できなかった場合、指導した方は何と口にするのだろうか?まあ私の知る限りでは『 やり方が悪い 』だの『 君の場合は□回くらいやらなければ… 』などと口にするようだが…。怪しい新興宗教と同じである。状況が好転しない場合『 お布施が足りない 』『 信仰心が薄い 』『 拝み方が足りない 』と言っている、アレである。言い方としては辛辣かもしれないが…さして変わらないような気がするのは、私だけだろうか?

 守りの姿勢には、『 これさえやっておけば受かる 』といった姿勢がある。確かに不安であることは分からない訳ではないし、ギリギリでもいいから合格したいという気持ちも痛いほどわかる。しかし、『 これさえやっておけば受かる 』といったものは無いという、現実から目を背けないことは重要である。何故ならば、薬剤師国家試験は『 これさえやっておけば受かる 』といった試験ではないからである。『 では、どうすればいいのですか? 』という声が聞こえてきそうであるが…。だからこそ『 まだまだ、やらなければならないことは、たくさんある 』という姿勢でいなければならないのである。これこそ、この『 まだまだ、やらなければならないことは、たくさんある 』という姿勢こそが、試験対策における〝攻め〟の姿勢なのである。

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 いつもの悪い癖で、長文となってしまったが…今回はあらかじめ『 前・後編の二部作で行こう 』と決めていたので、それなりの見通しが付いていることが救いである。これが、また悪い癖で『 前・中・後編の三部作 』となってしまわないよう、気を引き締める次第ではあるが…。来週のブログ、乞うご期待あれ!

 

 

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2020年6月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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アフターコロナの憂鬱 ~ がんばれ居酒屋 ~

2020/06/13

世の中に 蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて 夜も寝られず.

 有名な狂歌。狂歌とは『 社会風刺や皮肉、滑稽を詠み込んだ、五・七・五・七・七の音で構成した短歌 』とある。冒頭の狂歌は、文武を奨励する松平定信の寛政改革を皮肉る狂歌。寛政の改革は、松平定信による倹約政策で、幕府の財政を立て直すべく、徹底した倹約政策がとられたとのこと。松平定信は真面目な性格だったそうで『 金儲けにうつつを抜かさず、分をわきまえて真面目に働くように!ムダ使いはダメ!倹約、倹約!贅沢品も取り締まるし、風紀も粛清、出版統制も行います。武士の皆さんは文武両道を奨励しますので、引き締めてください! 』などとやったものだから、庶民はもちろん武士や大奥の方たちからも、評判がよろしなかったそうで。あまりに煩く言われたものだから、冒頭のような狂歌が誕生したという訳である。結局、寛政の改革は上手くいかず、定信も失脚することに。やはり、原因は厳しすぎる倹約令とのこと。どんなに正しいことであっても、度が過ぎたり、それを押し付けるようであったりすると、皆からは疎まれるということ。そして、それが基に新たなる禍を生み出してしまう場合があるということ。

 4週近くにわたり、新型コロナウイルスに関して書かせていた。さすがに、新型コロナウイルスに関しては、食傷気味であろうと違うブログネタをと考えたのだが…よく考えてみれば、そんな私も新型コロナウイルスに関しては、食傷気味である。テレビをつければ、100%間違いなく新型コロナウイルスに関する内容である。もちろんテレビだけではない。ネットの内容も週刊誌、新聞等の内容も、ほぼ新型コロナウイルスに関するモノばかりである。ましてやその内容たるや『 今日は○人の感染者が… 』『 ○○で集団感染が… 』『 新型コロナウイルスによる死者数は… 』『 ワクチンの見通しはかなり先に… 』『 有効な治療薬は未だ… 』『 第二波来るのは… 』等、これまた100%ネガティブなモノものばかりである。朝起きて『 さあ、1日頑張るか! 』とテレビをつけると、こんなネガティブな情報をこれでもかと流し込まれる。朝一から、げんなりである。電車に乗ったら乗ったで、これまた、これでもかと中吊り広告が〝新型コロナ攻撃〟をかましてくる。職場に付いて、パソコンを開いてネットに目をやると…これまた新型コロナウイルスのネガティブ情報満載。新型コロナウイルスの第二波が、どうのこうの騒いでいるが、こちとら朝起きてから仕事をするまでの間に、〝新型コロナ攻撃〟を、第三波までかまされているのだ。それも毎日。さらに第三波で終わりではない。仕事が終わってウチに帰れば…これまたテレビからの第四波、ネットからの第五波も待ち構えている。これを食傷気味と言わずして、何と言おう?

 こういうことを言うと、すぐに『 新型コロナウイルスは、危険な感染症なんだぞ!用心するに越したことはないし、それに関する情報は大切だろう! 』という輩が出てくるのだが…。前回のブログで書かせていただいたように、『 ものを恐がらな過ぎたり、恐がり過ぎたりするのは優しいが、正当に恐がることはなかなか難しい 』の通り、甘く見るのではなく、さりとて恐がり過ぎず、感情的にならず、冷静に振る舞う。思い込みに捕らわれるのではなく、正しい知識を根源に言動することが大切である。『 用心すること 』と『 脅すこと 』は別物であるし、『 自粛させること 』と『 脅すこと 』も違う。『 危険なんだから、どんなに脅しても、どんなに煽ってもいい 』というのは、100%間違った考え方である。

 少し過敏に…イヤ過敏を通り越して、ナーバスになりすぎてはいないだろうか?前々回のブログでは、『 「 知識が無い 」ということは、ある種の目隠しである 』と書かせていただいたが…『 ナーバスになりすぎること 』も目隠しとなってしまう場合が多い。ナーバスとは『 神経質になっているさま 』とある。神経質になりすぎて、一つの観点からしか物事が見えなくなったり、少数のモノしか目に入らなくなってしまえば、やはりそれは『 目隠しをされている 』といっても過言ではないだろう。目隠しの恐い所は、本質が見えなくなってしまう事にある。そう、大事なものが見えなくなってしまう危険性があるのだ。今の〝新型コロナウイルス狂騒〟は、まさにこの状況ではないだろうか?何度も言うが…ものを恐がらな過ぎたり、恐がり過ぎたりするのは優しいが、正当に恐がることはなかなか難しい…正当に恐れることが必要なのである。そのためにも、脅し、煽りは控えてもらいたい。心から、そう思っている次第である。寛政の改革よろしく、行き過ぎた言動は、新たなる禍を生み出してしまう場合があるのだから…。

 世の中に、そんな狂騒曲が流れているからこそ落ち着くこと、そして自粛等から解放された時に、どんな楽しいことをしてやろうかと、あれこれ想像することが必要なのではないだろうか?ネガティブな情報があふれているからこそ、ポジティブな思考が必要だと思う。私なんぞは根っからの酒飲みであるからして、今回の新型コロナ騒動では、『 酒を飲みに行けない 』という自粛を強いられることになっている(まあ、自主規制ではあるが…)。飲み友達でもある、薬進塾のある講師も『 しばらくは我慢して、家飲みします 』とぼやいておられた。酒飲みにとって、外で一杯やることができないという事は、かなりのストレスである。家で飲むのも悪くはない。しかし、何にだって演出というものは必要である。居酒屋の匂い、喧噪、人、内装…そういった演出がなされている場で飲むというのは、チョットした一興である。あの雰囲気だからこそ、味わえるものというのがあるのだ。酒飲みには、あの雰囲気が必要なのである。今回の騒動が治まり、大手を振って外で飲むことが解禁となったその日には、そんな雰囲気を存分に味わいたい。そう思っている。

 しかし…憂鬱なことが一つある。晴れて解禁となり、『 さあ、お目当ての居酒屋に行こう! 』となった時…その店はあるのだろうか…。そういった不安が頭をよぎるのである。飲むぞと勇んで出かけては見たものの、お店が無くなっている…そんな状況になってはいましないかと、不安なのである。今回の新型コロナ騒動での、飲食店の打撃は筆舌に尽くし難いものがある。テレビ等でも何度も報道されているが、見るに忍びないものがある。私は、実家が飲食店を経営していたこともあって、その打撃がどれほどのものか痛いほど分かる。そんな報道を見る度に、今は亡くなった親父が、店がヒマな時『 今日は、ヒマだなぁ 』と力なく言っていたことが、昨日のことのように思い出される。飲食店にとって、今回の新型コロナ騒動は大打撃…どころの話ではなく、まさに死活問題と言ったところである。せっかく、楽しみにお店に繰り出したのに店が閉店している…。こんな悲しい事態に遭遇する酒飲みも、少なくないのではないだろうか?

 酒飲みにとってのいい店は、個人店である場合が多い。その個人店も、最近はすっかり影を潜めるようになってきている。正直な話、いい店を探すのは大変である。だからこそ、いい店は希少価値が高いのである。今回の新型コロナ騒動では、個人店が大きな打撃を受けていると聞くし(もちろんチェーン店もだが…)、自分の経験(実家が飲食店を経営していた)からしても、そうだろうと思う。自分が気に入っていたお店が無くなってしまう。酒飲みにとって、こんな悲しいことはない。しかし、それ以上に…愛すべきお店が痛手を受けることになるお店の人たちは、もっともっと悲しいはずである。

 解禁になったら、しこたま飲みに行ってやろうと思う。そして、お店を盛り上げてやろうとも思う。いつもより2、3品多く頼んでやろうとも思っている。そして、思う存分その店を堪能してやろうと思う。そう、そんなことを楽しみに、新型コロナ狂騒曲が流れている今の世を、必死に生きている人が沢山いるはずである。『 今に浴びるほど飲んでやる! 』『 落ち着いたら、どんちゃん騒ぎの大盤振る舞いだ! 』『 一人で時間をかけて、じっくり飲むぞぉ! 』という、全国無数の酒飲みたちが、それこそ手ぐすね引いて、今か今かとその日、つまり解禁となる日が来るのを待ち望んでいるのだ。まあ、健康的に考えた場合、少々問題はあるのかもしれないが、ポジティブな考え方ではないだろうか?少なくとも、朝一から げんなりするよりも、こちらの方がよっぽどいいとは思うのだが…。

 居酒屋はもちろん、全国の飲食店の皆さん。応援しています。あなたのお店のお酒を飲むのを、楽しみにしている人が沢山います。あなたのお店の食べものを、堪能したがっている人が沢山います。あなたのお店の雰囲気に、酔いしれたい人が沢山います。この新型コロナ騒動が落ち着いたら、必ず皆があなたのお店に、こぞって行ってくれますから、それを思って乗り越えてください。心の底から応援しています!

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2020年6月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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偏見 ~ もう一つのコロナとの戦い ~ 最終章

2020/06/01

 一応、薬剤師国家試験予備校の講師として、私は感染症を受け持って教えている。更に微生物(もちろんウイルスも含む)も私の教える分野である。両科目とも、ン十年に渡って教えてきている。もちろん、大学の先生方や研究所等に勤めている方から見れば、とてもではないが、専門家などとは見てもらえない立場の人間だという事は、重々承知している。私は、あくまでも『 薬剤師国家試験として出題される範囲の感染症(or微生物)を、学生さん達に分かり易く教える 』ことが仕事であり、その範囲の中の知識があるだけにしか過ぎないからである。一介の予備校の講師でしかない。そこら辺は弁えなければと思っている。しかし、少なくとも一般の方以上には、それ相応の知識はあると思っている。

 そんな立場の私から言わせていただいても、医療従事者に対するコロナ偏見はおかしいことばかりである。

そして、私が強く言いたいのは『 感染した人と接触した=感染 』ではないということ。これくらいのことは、少々医療の勉強をしたことのある人間から言わせれば、常識以前の話。この『 感染した人と接触した=感染 』という知識ある人達の非常識が、知識無い人たちの常識、つまり『 感染した人と接触した=感染 』となっている所が怖い所である。断っておくが、私は(感染症に関する)知識が無い人を揶揄している訳ではない。前回のブログで書かせていただいたように、知識が無いのなら、それ相応に知識を求めればいいだけの話である。知識無き思い込みで言動するのは如何なものか…そう、言いたいだけである。

 新型コロナウイルスは、飛沫感染する。飛沫感染とは、咳、くしゃみ、会話等で飛ぶ唾液の飛沫(しぶき)を直接吸いこむ感染経路である(飛沫接触感染の場合もあるが、文面の都合上割愛させていただく)。咳、くしゃみ、会話等で飛ぶ唾液の飛沫が感染源になるのであって、咳、くしゃみ、会話等が無ければ、飛沫感染はまず起こりえない。『 細かい飛まつは、空気中に数時間とどまることもあるという 』という報告も、恐ろしさを際立たせるものであるが…。ただ、そういうことが分かったという事で、だからと言って『 空気中にずっといて、そこから確実に感染する 』訳ではない。『 その可能性もある 』というだけのこと。大体、それくらいの性質は、別に新型コロナウイルスに限ったことではない。これも言いたいのだが…『 ウイルスが1個(生物ではないので個でカウントさせていただくが…)でも体内に入ったら感染する 』ではない。それ相応の数のウイルスが体内に入り、更に体内の免疫システムを突破した時、初めて感染が起きるのである。ここにも『 ウイルスが1個でも体内に入る=感染 』という、知識人から見た場合の非常識が、常識としてまかり通っている恐ろしさがある。

 ちなみに『 感染=発病 』ではないことも、少々医療の勉強をしたことのある人間から言わせれば、常識以前の話。感染しても症状が現れない場合を不顕性感染というが…これも、やたら恐ろしげに報道されているのだが、感染しても発症しないことの方が圧倒的に多い(まあ病原体にもよるが…)。つまり不顕性感染の場合が多いという事。人間には免疫というシステムがあるのだ。一過的にウイルスが体内に定着し増殖できた(すなわち感染した)としても、免疫によりすぐに体内から駆逐されることになる。ほとんどの病原体は、こうやって始末されているのである。その免疫との応戦にウイルスが勝った場合、初めて発症という過程へと進むことになる。こういう知識があれば、如何に医療従事者が患者さんから感染し、更にその医療従事者から自分が感染し、そして発症するというに過程には、いくつもの過程を経なければならないことが、お分かりいただけるのではないだろうか?もちろん、感染した医療従事者から家族が感染して、その家族と接触して、感染し発症するという事も、何段階もの過程を経なければならないことも、お分かりいただけることと思う。

 医療従事者と接触したところで、感染する確率は低いから心配せずに何もするなと言っている訳ではない。、医療従事者だからという理由で恐れ過ぎるのではなく、他の人と同じように、それ相応に注意して接触すればいいと言っているのである。(第一…一般の方同士で感染する場合にしても、やはり何段階もの過程を経なければならないのは、前述の通りである)。医療従事者であろうとなかろうと、感染しないよう、感染させないよう心掛けて接する。それが大切ではないだろうか?

 確かに世の中全体が、恐怖に煽られているのだからして、やたら恐れるのも分からなくはない。世の中に流布されている情報は、どれも恐ろしげで、皆を不安にするネガティブなものばかりであるから…。やたらと耳にする『 感染の危険性がある 』という言葉。なんとも、人を不安へと誘う言い回しであるが…前述したように、単に『 感染する場合がある 』というだけのことである。『 街を歩いていると交通事故に合う危険性があります 』と聞いたら、どうだろう?なんとも恐ろしげに聞こえるが…単に『 街を歩いていると交通事故に合う場合があります 』と聞いたら…だれもが『 そうだろうな 』と思うのではないだろうか?交通事故に合う場合があるのだからこそ、道を渡る場合は注意して渡らなければならないし、信号や交通ルールは守らなければならない。それ以上でもそれ以下でもない。『 でも、(新型コロナウイルスの場合)感染させる危険性もあるし、感染させられる危険性もあるだろう 』という人がいるかもしれないが…。車で(人を)ひく場合もあるし、車にひかれる場合もある。交通事故で人が亡くなる場合だってある。だから、注意しなければならない。それと同じことである。『 車を運転しているから、人をひき殺した人 』というのが、如何におかしい考え方かは説明するまでもないが…医療従事者に対する偏見は、これとさして違わないような気がする。

 怯え過ぎず、侮らず、正しく注意して行動することが大切。これは、何も新型コロナウイルスに限ったことではない。インフルエンザであれ、ノロウイルスであれ、腸管出血性大腸菌O157であれ、正しく恐れることが重要である。過去のブログで何回も登場している寺田虎彦先生は、こんなことを言っている。

 ものを恐がらな過ぎたり、恐がり過ぎたりするのは優しいが、正当に恐がることはなかなか難しい

まさに、この通りであろう。甘く見るのではなく、さりとて恐がり過ぎず、感情的にならず、冷静に振る舞う。思い込みに捕らわれるのではなく、正しい知識を根源に言動する。これが大切ではないだろうか?そして…医療従事者達は、このことを身に染みこませて行動していることも、声を大にして伝えたい。医療従事者達とて、感染が怖くない訳ではない。しかし、彼らは正当に恐がっているのである。恐がらな過ぎたり、恐がり過ぎたりせずに…。

 寺田先生のお言葉を借りるなら…新型コロナウイルスを恐がらな過ぎたり、恐がり過ぎたりするのは優しいが、正当に恐がることはなかなか難しい…と言ったところだろうか…。しかし…私は今回のブログを書いてきて、本当に怖いのは新型コロナウイルスなのだろうかと感じている。各国のお偉方は『 敵は新型コロナウイルスである 』と説いているが…これも、本当にそうなのだろうかと思い始めている。もしかすると、医療従事者の方達も、同じ思いをしているのかもしれない。本当に怖いのは新型コロナウイルスなのだろうか?本当の敵は、新型コロナウイルスなのだろうか?あえて言わせていただくが…本当に怖いのは新型コロナウイルスでもないし、本当の敵も新型コロナウイルスではない。本当に怖いのは〝人の持つ偏見〟である。本当の敵は〝人の持つ偏見である〟。無知から生じる偏見こそ、この上なく厄介な代物であり、恐い敵なのではないだろうか?もしかすると、これによる被害の方が甚大で、そしてこれからの人間の在り方や社会に、大きな影響を与えることになるのではないだろうか?実際、偏見の眼差しは医療従事者以外の人たちにも、向け始められているではないか?〝人の持つ偏見〟が、人間の在り方や社会に、大きな影響を与えることになる…その影響がいい方に作用して、偏見というものの一掃に役だってくれればいいのだが…悪い方へと作用したのなら…なんとも恐ろしい話である。まあ、そうならないように祈るばかりではあるのだが…。

 

 

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2020年6月1日 | コメントは受け付けていません。 |

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🔖『 いろはに国家試験!~ 物化生の基本用語 ~ 』連載開始!

『 いろはに国家試験 』とは?

 

 私が常々、塾生さんを指導する際に口にしているのが…

 

     自分の口から出す言葉は、意味が分かって使いこなせるように。

     言葉とは、そういうものだよ。

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といった内容。昨今は、自分が使っている言葉の意味を分かっていない学生さんが多いようです。これでは試験対策は、ままなりません。

 特に薬剤師国家試験では、普段あまり耳にしないような専門用語が多く用いられています。当然、試験対策を行っていく上では、そういった言葉を理解して身に付けていかなければなりません。さらに、そういった言葉を用いる力が無ければ、問題解法に支障をきたすことにもなります。

  しかし、『 調べてみても、今一つ分からなくて… 』 『 調べても、書いてある内容が難しいから… 』 という人も少なくありません。基本的な用語のため、どちらかというと 『 知っていて当たり前 』 的に捉えられているのか、『 分かっていますよね? 』 という観点で書かれている場合が多いのも事実です。

 そんな国家試験対策に関わる専門用語を、端的に分かり易く解説していくのが、『 いろはに国家試験 』です。すでに国家試験対策を始めている方はもちろん、これから試験対策を始めるという方にとっても、試験対策の導入として利用してみると、色々とお役に立てることと思います。

 当然、知っている言葉もあるかもしれません。そんな言葉も、ちょっと違う視点から説明されると『 そんな意味もあったんだ 』『 そういう使い方もあるんだ 』なんていう具合に、あらたな発見があるかも…。そういった感じで、違う視点や関連事項を交えながら、端的に説明していこうと思っています。もちろん、物化生の基本用語ではありますが、他の科目との関連用語なんかも掲載していきたいと思っています。

 国家試験に関わる用語を、いろは47文字の順番に、毎週、2語程度掲載していく予定です。試験対策の合間の読み物として、肩に力が入らず、楽しんで読めるようなものをと考えていますので、ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

薬進塾は小さな大切なことを、一つ一つしっかりと教えていく予備校です。


〝 いろはに国家試験 は…

『  いろはに国家試験!~ 物化生の基本用語 ~  』 のページにて掲載中です!

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