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常識を知らないと非常識はできない。

2020/04/23

 前回のブログでは、新型コロナの件に関して書かせていただきました。その新型コロナウイルスによる肺炎により、3月29日、志村けんさんが逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 日本の総理大臣が誰かは知らなくても、志村けんを知らない人はいない。そう断言できると思います。老若男女問わず、日本人で…イヤ、日本に在住している人で、志村さんを知らない人はいないと言っていいでしょう。と同時に、志村さんに笑わされなかった人も皆無だと思います。誰もが志村さんのコントを見て笑った経験がある。それこそ老若男女問わず…。あのCNNに『 日本のロビン・ウィリアムズ 』とまで、言わせしめたほどの〝お笑いの実力者〟。まだまだ笑わせて欲しかったな…と言うのが、私の本音でもあります。

 そんな志村さんですが、やはり仕事に対しては厳しいものがありました。『 お笑い芸人には、2つのタイプがある 』という事を耳にしたことがあります。一つは普段からひょうきんで面白いという人。カメラ前でも、舞台上でも普段と全く変わらない。そして、同じように面白いことをいい、同じように面白い表情や動作で振る舞っているというタイプ。もう一つは、普段は真面目で寡黙な人物で、『 人を笑わせるという事に誇りと責任を持っている 』という事が前面に出ているというタイプ(もちろん、前述の〝普段からひょうきんで面白いという人〟という人も、『 人を笑わせる 』という事に誇りと責任を持っていることは言うまでもありません)。カメラ前や舞台上で見せるキャラクターとは、何気にかけ離れた人物である場合が多く、仕事に対する厳しさのあまり、現場で怒鳴ったりすることも多々ある…そんなタイプです。志村さんは、どちらかというと後者のタイプだったそうで、やはり『 人を笑わせる 』という事に対し、人一倍誇りと責任を持っていたのだと思います。

 そんな志村さんのお弟子さんであった、乾き亭げそ太郎氏(以下、げそ太郎氏)が書かれた文章を先日読ませていただきました。志村さんの身近にいた人間でなければ書くことができない、〝人間そして芸人である志村けん〟が、とても良く描かれている内容でした。人一倍、芸には厳しい。そして、人一倍、人には優しい…そんな志村さんが伝わってきました。

 げそ太郎氏は、その文章の中で、志村さんが生前言っていたことを書かれていました。その内容は…『 常識を知らないと非常識はできない。コントでは非常識を演じたりするが、常識の範囲を全て知らないと面白さは表現できない 』といったもの。言い得て妙とはまさにこのこと。コントでは非常識を演じる…もちろん、ここでいう〝非常識〟とは『 人様、世間様に迷惑をかける行動 』の非常識ではなく、ナンセンス、すなわち『 ユーモアを重視して、常識や倫理的なものを無視している 』という意味での非常識のこと。

 何故、人は笑うのか?人が笑う理由は、それこそたくさんあると思いますが、往々にして『 予想外の言動をされた時 』、人は笑う場合が多いようです。考えていた範囲から逸脱した返答があった。考えていた範囲から逸脱した行動をとった。その時、人は笑うのだと思います。考えていた範囲から逸脱する…。人がモノを考える場合、当然ながら常識的な範囲で物事を考えます。この常識の範囲から逸脱するからこそ、人は笑うのです。〝常識の範囲〟から逸脱するからには、当然、その〝常識の範囲〟を知らなければなりません。そう、これこそが、志村さんの言っている『 常識の範囲を全て知らないと面白さは表現できない 』ではないでしょうか?常識の範囲を知っているからこそ、その範囲から逸脱して、笑いを取ることができる。よく言われるところの『 そう来たか! 』『 そう来るとは思わなかった! 』といった笑いを取ることができる。そう思うのです。

 常識の範囲を知らなければ、そこから逸脱した笑いは取れない。げそ太郎氏によると、実際、志村さんは普段からよくニュースを見ていたとのこと。スポーツ紙も全紙購読していたそうで、忙しいときには、車の中で隅々まで目を通していたそうです。だからこそ『 世の中の常識 』『 今の常識 』が分かったのでしょう。『 常識 』と一言に言っても、『 一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力(デジタル大辞泉) 』の方の〝常識〟だけではありません。『 そんなことも知らないの?今や常識だよ 』といった『 今、持っておいて当然の知識 』の方の〝常識〟にも、通じていなければならないのです。つまり『 分からないことが無い状態 』にしておく。これこそが、〝常識の範囲を網羅している状態〟と言えるのだと思います。イヤイヤ、口で言うのは簡単ですが、かなり大変なことですし、なかなかできることではないと思います。さすが、CNNに『 日本のロビン・ウィリアムズ 』とまで、言わせしめたお方。月並みな物言いですが、あの笑いの陰には、そういった地道な努力が隠されていたのです。そんな努力があったからこそ、老若男女問わず、誰をも笑わせることができたのだと思います。

 常識を知っているからこそ、何が非常識か分かる。人は往々にして、求めるものだけに目を向けます。今回の件で言わせていただくならば、『 非常識(な笑い)』が欲しいから、非常識さだけを求め、身に付けようとする。『 常識なんか関係ないさ 』とばかりに、常識を蔑ろにし、非常識なものだけを選りすぐっていく。しかし、これでは、『 非常識(な笑い)』は得られないという事。実際、志村さんも『 常識を知らないと非常識はできない 』と言っているではありませんか?

 実は、国家試験対策にも似たようなことが言えます。これは、私が学習指導等で、そして口癖のように言っていることなのですが…『 国家試験に出ないモノをたくさん勉強しないと、国家試験に出るモノは解けない 』といった内容。そして、これもよく口にする内容なのですが…昨今の学生さんは『 (自分は)基礎がない・基礎ができていない 』という割には、では基礎を講義すると『 そんなの国家試験に出ない 』とないと、放棄する傾向が多々あります。これでは、いつまで経っても基礎はできるようにはなりません。国家試験に出ることばかりに目を向けて、国家試験に出る内容ばかりを身に付けていこうとする。『 国家試験に出ないような基礎を身に付ける→国家試験に出る問題が解けるようになる 』そういった、ワンクッションあるやり方をしなければ、国家試験の問題は解けるようにはなりません。何故ならば、誰も国家試験にどんな問題が出題されるかは分からないからです。まあ、大まかなモノは分かりますが、問題の詳細までは、漏洩でもしない限り分かりようがありません。だからこそ、まずは基礎をしっかりと身に付けて、何が出題されても解けるようにするという、ワンクッションあるやり方が、一番功を成すことになるのです。国家試験に出題された内容だけを、意味も分からず身に付けた所で、これから出題される問題には、何の功も成すことはできないでしょう。

 前述した、志村さんの〝非常識を得る方法〟。直接『 非常識を知る 』ではなく『 常識の範ちゅうをしっかりと知る→そこから逸脱して非常識を得ることができる 』といった、これまた、ワンクッションあるやり方です。ワンクッション置かずに、すぐに非常識なものだけを手に入れれば…と思いがちですが…。残念ながら『 コレが非常識です 』と転がっているものはありません。非常識には、それ自体の基準が無いからです。常識を基準にしてしか、非常識は生まれないのです。だからこそ、志村さんは一生懸命、常識を知ろう、身に付けようとしたのだと思います。そして、これは何もお笑いに限ったことだけではなく、今まで書いてきたような国家試験対策や、その他の物事を成す場合にも、十分言えることだと思います。人は、求めるものだけに目を向け、色眼鏡だけで判断して選りすぐっていく。しかし、それでは逆に欲しいモノを遠ざける結果となってしまう。志村さんは、ドリフターズの坊や(付き人)から始められた苦労人。苦労したからこそ、志村さんはそのことを十分知っていたのだと思います。

 老若男女、問わずに笑わせてくれた志村さん。そんな笑いの陰には、坊や(付き人)だった時の苦労や、常日頃からニュースを見て、スポーツ新聞を全紙購読し、世の中の流行や若者のブームなどの情報を取り入れるといった努力があったのです。いや、その苦労と努力があったからこそ、老若男女、問わずに笑わせてくれる、そして『 日本のロビン・ウィリアムズ 』とまで言われるようになったのだと思います。

 それにしても…こうやって色々と書かせていただきましたが、改めて実感する次第なのです。『 志村けんさん。やはり、あなたはスゴイ人です… 』と…。

 

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2020年4月23日 | コメントは受け付けていません。 |

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2020年4月16日 | コメントは受け付けていません。 |

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孤独な鳥は高く飛ぶ ~ 試験対策のあり方 ~:完結編

2020/04/08

 前回のブログの続き。今回〝孤独な鳥は高く飛ぶ〟三部作の最終章である。

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 孤独な鳥は静かに歌う。この詩の中でも、私が好きなフレーズである。

 〝第105回 薬剤師国家試験 合格者 体験記!〟で体験記を書いて頂いた二人。その二人へのエールとして、色々と書かせていただいたのだが…どちらへのエールにも書かせていただいたのが『 黙々と勉強している 』という言葉。大辞林によると、〝黙々〟とは『 黙っているさま。また、黙って仕事に精を出すさま 』とある。鳥の仕事は歌うこと…そう考えるならば、まさに『 静かに歌う 』は『 黙って仕事に精を出す 』ということになる。つまり、合格体験記を書いてくれた二人の『 黙々と勉強している 』ということが、『 静かに歌う 』ということになる。

 やる人間は、寡黙である。ベラベラと自分のやっていることを喋らない。私は、ン十年にわたり学習指導をしてきて、それこそ数えきれないほどの学生さんを指導してきたが…しっかりやっている学生さんは、あまり勉強のことについて、ああだこうだ言わない傾向がある。指導している時も、本人が意識しているかどうかは分からないが、単刀直入にコアな部分だけを聞いてきたり、話してくれたりする。実際に勉強を進めていく中で突き当たっている、もしくは気になっている部分がしっかりと把握できているので、単刀直入にその部分が質問できるのである。それで、学習状況が好調なのかどうかも窺い知ることができるのだが…とにかく、しっかりと勉強している学生さんは、あまり余計なことを話さない。一方、ああだこうだ言う学生さんに限って、しっかりと勉強していない場合が多い。『 四の五の言わなくていいから、とにかく勉強しろよ 』と口から出てしまうこともよくあること。ああだこうだと口は動いているのだが、手はさっぱり動かしていない…早い話、サッパリ勉強していない。そんな学生さんは、決して少なくないのである。

 やっていないからこそ、『 ああいう場合は… 』『 こうなった場合は… 』と空想しては、色々と聞いてくることになる。実際にやっている人は、やっている過程で突き当たった問題点を質問してくる。実際に突き当たっている問題点だから具体的であるし、数も少ない。一方、やっていない場合は空想だから、具体的でなければ、数も無限大に等しい位、出現させることができる。道を歩いているからこそ、『 川があった場合は? 』『 砂利道と泥道があるのですがどちらを? 』と具体的に、かつ分かり易く単刀直入に問題点を質問することができるのである。道を歩いていなければ…『 雷が落ちてきた場合を考えて… 』『 虎と熊が同時に現れた場合は… 』『 隕石が落ちてきた時には… 』等、あらぬ〝妄想〟を質問してくることになる。

 もちろん勉強している学生さんは、勉強している時も静かである。105回合格体験記を書いてくれた二人も、静かに勉強していた。『 勉強しているんだから、話さないでしょ 』という人が、いるやも知れないが…確かに一人で勉強しているのだから、口を開くことはない。しかし『 静か 』とは、何もしゃべらないことだけではない。余計な動作が無い…もっと簡潔に言うのならば、一旦勉強を始めると、席を断つことが無いという事。これも『 静か 』ということであり、そして何気に重要なことでもある。勉強をしていない人に限って、勉強を始めてから席を立つという行為が多かったりする。参考書を取りに行ったり、トイレに立ったり、飲み物を取りに行ったり、人に聞きに行ったりとやたら動き回る…というよりは、腰が落ち着かない場合が多い。

 『 トイレはしょうがないでしょ? 』という人がいるかもしれないが…しっかりと勉強する人は、始める前にトイレを済ませておく。これは非常に大切なことである。何故ならば、『 これから勉強に専念するための準備を、万全にしておく 』という事だからである。勉強のみに集中する。だから必要な参考書等も、勉強の途中で取りに行くことが無いよう、事前に準備しておく。飲み物に関しても然りである。勉強に専念するための体制を万全にしておく。だからこそ、一心不乱に勉強に集中することができるのである。途中で席を外せば、当然、集中力は削がれることになる。それを嫌うからこそ、万全の態勢で勉強に臨めるよう態勢を整えておく。だから余計な動作もなく、〝静かな勉強〟ができるのである。もちろん、集中している以上、人とコンタクトを取るなどという事は皆無に等しい。そう、『 孤独な鳥は静かに歌う 』のである。

 孤独な鳥は静かに歌う。前編で〝孤独な鳥の五つの条件〟には、試験対策における〝あるべき姿勢〟そのものがある…と書かせていただいたが…。実は、試験対策という観点で見た場合、『 孤独な鳥は静かに歌う 』というフレーズには、前述で書かせていただいた内容以外に、もう一つの見方があると言える。それは…『 合格していった人は、静かに喜んでいる 』ということ。

 長年合格してきた人を見てきたが…合格した人は、皆、静かに喜んでいるよう思える。もちろん、合格したことに対し、誰もが千歓万悦(せんかんばんえつ)、歓天喜地(かんてんきち)、歓喜抃舞(かんきべんぶ)で喜ぶのだが…。それとは別に、一人しみじみと合格の喜びを噛み締めている…そんな人が多いことも事実である。努力した、苦労した、涙も流した、何度も挫折しそうになった…そうやって掴み取った合格。そういったものを噛み締めながら、合格というものを一人味わっている…そんな感じがしなくもない。一人静かに、合格を謳歌している。『 孤独な鳥は静かに歌う 』のである。

 孤独な鳥は高く高く飛ぶ。この詩の最初に書いてある言葉である。最初に書いてはあるが、締めとも言っていい言葉である。何故、孤独な鳥が高く飛ぶのかは、前編・中編・後編で述べてきたとおりである。もちろん、これは試験対策の見解として捉えた『 孤独な鳥の条件 』の解釈であるが…試験対策でなくとも、その意味はぶれないような気がする。この詩は〝物事を成し遂げるためのエッセンス〟を表していると言っても、決して過言ではないからである。実際、〝合格を成し遂げるため〟の薬剤師国家試験対策においても、シッカリと当てはめることができる内容だったではないか?

 この詩に書いてあることは、決して難しいことではない。どれもが、誰もが簡単に行うことができる内容である。ただ一つ、難しいことがあるとするならば…この詞の要でもある〝孤独〟という部分であろう。一人になることができるかどうか?ここが大きなポイントであろう。前編で書かせていただいたように、何もこれは無視している、無視されている云々といった、安易な内容ではない。私が何度も『 基本的に試験対策は一人で行うもの 』と口にしているように、その対策を一人で完遂できるかどうかということである。このご時世、一人で行っていれば、他人から何か言われることもあろうし、好奇な目で見られることもあるだろう。しかし、『 自分は自分 』と孤独を選び、進んでいかなければならない。どう進んでいくのか?それが、この『 孤独な鳥の五つの条件 』に書かれている。試験対策とは、一人コツコツやっていくものである。私は、常々『 勉強とは地味なものである 』と口癖のように言っている。日々地味な事の繰り返し。地味なことを、一人でコツコツと…これが、試験対策の日々なのである。ある意味、孤独な日々といえよう。しかし…最後に高く高く飛ぶことができるのである。

 改めて、この詞を読んでみると、本当に美しく、そして絶妙な味加減で何とも言えない雰囲気を醸し出している、いい詞である。この中には、試験対策どころか、物事を成し遂げるためのエッセンスが織り込まれているのだ。孤独は決して悪いことではない。私は、むしろ力強さの象徴であるような気がする。孤独になれることは、力強さを必要とすること。群れなければ何も出来ない人間や、いつも誰かとつながっていなければ不安を感じてしまう人間が多い昨今。『 孤独になることができる 』ということは、間違いなく『 強い 』ということではないだろうか?確かに合格していった学生さん達は、皆、力強さを感じる人たちであった。物事を成すためには、その強さが必要なのである。己が正しいと思った道を、一人孤独に進んでいく強さが必要なのである。その強さを持った人間こそが、高く高く飛ぶことができる。私はそう思っている。

 

   孤独な鳥の五つの条件
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     孤独な鳥は高く高く飛ぶ。

     孤独な鳥は仲間を求めない。同類に煩わされない。

     孤独な鳥は嘴を天空に向ける。

     孤独な鳥は決まった色を持たない。

     孤独な鳥は静かに歌う。

 

 

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2020年4月8日 | コメントは受け付けていません。 |

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