イメージ画像

たこ以外入っていないぞ、たこ焼き!

2019/08/27

 ブログ等でも何回か書かせていただいたが、私は祭りの屋台の食べ物が大好きである。子供のころ、それらを食べることを禁止されていたせいもあるが、大人になって解禁された(勝手に自己解禁したのだが…)途端、親の仇のように食べるようになった。たこ焼きやらお好み焼やら、粉モノがメインではあるが…今とは違い私が子供の頃は、そういった食べ物を普段から提供している店が無かった。だからこそ、屋台が出る祭りや盆踊りでしか食べられず、食べたくなるのも一入…という具合。もちろん、美味しいから食べることもこれ然りである。祭りや盆踊りと聞くだけで『 屋台の食べ物が食べられる! 』と胸ときめかせているのは、今も昔も変わらない。本格的に酒を飲むようになってからは、そういった食べ物は良い酒のつまみでもある。更に、最近の屋台の食べ物には〝和牛串焼き〟や〝海鮮串焼き〟などといった、酒のつまみにはもってこいの品々もあったりする。こうなればもう、祭りや盆踊りが『 美味しいものを食べながら一杯やることができる至極の機会 』へと変貌するのも、当たり前と言えば当たり前の話。

 で、先日もウチの街で祭りがあったのだが…。実は、その4、5日前に盆踊りをやっていた。もちろん盆踊り会場に足を運び、いつものように、たこ焼き、お好み焼き、フランクフルトなどを購入。すぐにウチに帰って、家人と食べることに。準備は万全で、もちろんビールは冷えている状態!『 さあ食べるぞ! 』とばかりに食べては『 この味、この味 』と堪能していたのだが…家人の反応は今一つ。『 美味しくない? 』と聞いても『 イヤ、美味しいけど… 』と今一つはっきりしない返事…。

 そして、いよいよ祭りの日。喜び勇んで屋台の食べ物を買いに行こうとする私に、家人が『 私、たこ焼きはいいわ 』の一言。『 どうして? 』という私の問いに『 だってタコしか入っていないし… 』の返答が…。

 言われてみてハッとした。そして、今まで引っかかっていた胸のつかえが、急に取れたような気がした。前述のように、幼いころから屋台の食べ物にあこがれ、そしてそれらを食べることができるようになってからは、大好物などという安っぽい言葉では言い表せないほど好きになった食べ物…その一つがたこ焼きであった。初めて食べた、たこ焼きの美味しさは今も忘れない。世の中にこんな美味しいものが、あったのか!大げさではない。本当にそう思った。だからこそ、今に至るまで、やれ祭りだ、やれ盆踊りだと屋台が出る度に、喜び勇んで買いに行っていたのだ。ところが…ここ数年、気のせいかその感動が薄れてきているような気がしていた。『 年齢を重ねるうちに、味の好みが変わったのだろうか? 』とも思っていたのだが…同じ屋台料理である、お好み焼や広島焼き、大阪焼き等の粉モノの感動は、全くもって昔と変わっていない。ハッキリと認識していた訳ではないのだが、お好み焼や広島焼き、大阪焼き等に比べると、たこ焼きには以前ほどの感動がないというか、美味しさが感じられないような気がしていた。おそらく、その原因が何か、ハッキリと認識することができなかったので、漠然と胸のつかえとして引っかかっていたのだろう。そして、家人がそれを指摘したことによって、そのつかえが取れたのである。そう、最近のたこ焼きは具が少ない。

 確かに、たこ焼きを食べた時に『 ? 』が付くようになったのは、『 (たこ焼きの)具が少なくなったな 』と感じ始めた時と、一致しているような気がする。以前のたこ焼き…つまり私が惚れぬいた、たこ焼きには色々な具剤が入ったいた。タコはもちろんのこと、紅ショウガ、ネギ、天カス、カツオ節(砕いていたようだから、カツオ粉か?)等々…そういったものが色とりどりと入っていた。たこ焼きの屋台では、たこ焼きを焼く鉄板の前に、お客さんに見える様にそれらが並べられていたのを思い出す。たこ焼きが焼き上がるまで、その食材を見つめながら『 美味しいだろうな… 』なんて、想像していたものである。水に溶いた粉を鉄板の上に流し込んでいき、少々固まった頃に、紅ショウガ、ネギ、天カスなんかを、上から振り撒いていた。鉄板の上は、それら色とりどりの具剤によって、パレットが如く、何とも言えない魅力的な色彩を放っていたものだ。

 いつの頃だったかは覚えていない。しかし、そのことは鮮明に覚えている。たこ焼きを食べていた時、その断面図を見て『 ? 』と思った。トロリとした小麦粉の中に、タコが一つ入っている。『 ? 』となった違和感の理由が何だったのかは、その時は分からなかったのだが、今はハッキリと分かる。タコ以外何も入っていなかったからだ。もう一度書かせて頂くが、トロリとした小麦粉の中に、タコが一つ入っているだけ…。

 以前の私が惚れぬいた味と違うことは明白であろう。具剤が入っていないのだから。確かにソースはかかったいるし、青のりもかかっているし、カツオ節もかかっている(私はマヨネーズは掛けない派)。しかし、中身にそれ相応の具剤が入っていなければ、それ相応の味など出るはずがない。ましてや、紅ショウガ、ネギ、カツオ粉などは、その味を左右する大きな要因ではないだろうか?それが入っていないのだ。以前の味と違うのは明白なことである。

 原材料の値上げや社会情勢等もあり、たこ焼きも大変なのかもしれない。コストパフォーマンスの観点からも、具剤に関してはそれ相応の対応がなされても、致し方ない部分があるだろう。タコしか入っていないたこ焼きも、それはそれで悪くはない。しかし、私としては、自分が惚れぬいた〝具沢山(ぐだくさん)のたこ焼き〟が、やはり一番であることは間違いないし、一番食べたいと思っているたこ焼きである。昔は道端でたこ焼きの屋台なんかが出ていて、帰宅がてら買っていたものだが、そういった所で買ったたこ焼きは〝惚れぬいた具沢山のたこ焼き〟であった。しかし、今はそんな屋台もすっかり見かけなくなってしまった…。

 我儘かもしれないが、惚れぬいた食べ物であるからして、〝具沢山のたこ焼き〟を食べたいなと、痛切に思っている次第である。まあ、こんなご時世だから、そういった たこ焼きを出すお店も、まだあるはずだと思うのだが…。しかし、やはり祭りや盆踊りの屋台で、そういった たこ焼きを買って食べたいなと思っている。これも、私の我儘なのではあるが…。

 

 

タグ

2019年8月27日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

何故、こんなことを知っているのに、こんなことを知らないの?

2019/08/20

 私のモットーの一つに『 講師は、学生さんに教える際に「 こんなことも分からないの? 」と言ってはいけない 』というものがある。『  こんなことも分からない 』から、学びに来ているのである。そういった人たちに教えるのが講師の仕事であるからして、そこを叱責するかのような発言を講師がするということは、矛盾していると思う。それが予備校とあれば、なお更である。さらに…『 分からないこと 』は決して悪いことではない。分からないから聞いて、分かるようにする。ただ、それだけのことである。そこに、良いも悪いもないはずである。だからこそ、私は『 講師は、学生さんに教える際に「 こんなことも分からないの? 」と言ってはいけない 』ということをモットーにしているのである。

 そんな私であるが、『 こんなことも知らないの? 』と思ってしまうことが多々ある。『 先ほどのモットーとは違うではないか! 』とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれないが…その考えは尚早というもの。少々話を聞いて(読んでか?)もらいたい。学生さんと接していると、『 こんなことを知っているのか! 』と驚かされる学生さんがいたりする。専門的な内容…それも少々高度な内容を話したりする。使っている単語も中々難しいモノなのに、流暢に述べていたりする。『 これは、相当分かっているな… 』などと驚いてしまうのだが…。そんな学生さんが質問に来たりするので、アレコレ教えていると…そんな学生さんだから、質問に関しても専門用語を流暢に交えながら、質問してくる。もちろん、どんなに分かっている学生さんであれ、やはり質問に対しては、基礎からしっかりと理解させながら応答していかなければならない。そこで、『 ○○って何だったっけ? 』なんていう基礎的な部分から教え始めるのだが…。返ってくる答えが、チンプンカンプンの全くの的を得ていない答…。的を得ていないどころか、場合によっては全く答えられない場合もあったりする。言っておくが、私がしている『 ○○って何だったっけ? 』という質問は、基礎的な質問である。決して難しい質問ではない(質問形式から見ても、難しいものではないことはお分かりいただけることと思う)。なのに…答えられない。答えられても、全く的外れのチンプンカンプンな答え…。

 気を付けてもらいたいのは、『 基礎的内容が分かっていないことに対し云々かんぬん 』とか『 基礎的な質問に答えられないことが云々かんぬん 』と言いたい訳ではない。そういった学生さんなど、ごまんと対応して来たし、前述のようにそういった学生さんに教えるのが講師の役目であるからして、基礎的な質問に対し的外れな解答をしようと、答えられなかろうと、ビックリすることもなければ、当然非難するつもりもない。何度も言うが、そういう人を相手にするのが私の仕事であるからして、どんどんと来てもらいたいものである。

 私が言いたいのは、高度な内容を話し、専門用語も流暢に交えながら、その質問内容に関して語っているのに、その質問の基礎的内容が全くと言っていいほど分かっていないということ。つまり、意味も分からずに高度な内容を語り、意味も分からず専門用語を使っているということである。分かり易く言うのなら…微分積分をこなすのに、九九が出来ない…そういったところだろう。『 えっ!?こんな(高度な)こと知っているのに、こんな(基礎的な)ことも知らないの? 』となってしまうのが、お分かりいただけるだろうか?微分積分をこなすのに、九九が出来ないといった状況なのだ。『 こんな(基礎的な)ことが分かっていないのに、何故こんな(高度な)ことが分かっているの? 』となるのも、至極当然の話ではないだろうか?だから書かせていただいたのだ。『 こんなことも知らないの? 』と思ってしまうことが多々あると…。そう、私が使う『 こんなことも知らないの? 』は、『 高度な内容を話すのに、何でその内容の基礎的な部分が分かっていないの? 』という意味での『 こんなことも知らないの? 』なのである。決して、基礎的な部分が分かっていないことを、嘲笑している訳ではないことを、ご理解いただきたい。

 しかし、何故こんなことが起きるのだろうか?普通、高度な内容というモノは、基礎的な部分から積み上げていき、身に付くものである。基礎ができて、応用…というのは、全ての習得過程に当てはまる、基本的流れである。その基本的流れを無視しているようなことが、なぜ起きるのだろう?実は、高度な内容を知っており、かつ専門用語を流ちょうに話すが、基礎的な部分が分かっていないという学生さんには、一つの特徴がある。それは、そういった学生さんが話している高度な内容や用いている専門用語は、全て国家試験に既出のものであるということ。つまり、国家試験に出た内容は覚えているし、その用語も使いこなせるということである。しかし其の実、その基礎的内容はさっぱり理解していないということ。これなら、何故前述のような『 基礎を知らないのに、高度な内容を知っている 』といった矛盾が起きるかも頷けなくはない。早い話、国家試験の過去問題を覚えている。過去問題の解説を覚えてしまっている。覚えているのだから、高度な内容も話せるし、流暢に専門用語を扱うこともできよう。しかし…『 何故? 』と基礎から理解しないで身に付けてしまっているので、基礎的な部分はサッパリ…という事になってしまっているのである。〝砂上の楼閣〟とは、まさにこのこと。残念なことに、昨今はこのような学生さんが増えてきているのが事実である。

 〝解く〟とは『  筋道をたどって解答を出す 』ことである(デジタル大辞泉より)。筋道をたどるとあるように、『 何故? 』といった部分から考えていき、解答を出さなければならない。意味も分からずに高度な内容を知ったところで、意味も分からず専門用語を使ったところで、決して道筋をたどることはできない。知っている内容が直接問われれば、解答を出すことはできるだろうが、ちょっと視点を変えられたら、対応はほとんど不可能だろう。何故なら、意味を分かっていないのだから…。道筋など見いだせる訳もない。

 昨今の国家試験は、考えて解答を導き出すことが顕著に求められている。そのためには、基礎的な部分を身に付け、その上で国家試験の過去問題を理解していくというやり方で、〝活きた学力〟を身に付けていかなければならない。でなければ昨今の、そしてこれからの国家試験への対応は難しいものとなるだろう。過去問の勉強は確かに大切である。しかし、その扱い方を間違えると、とんでもない方向へと進んでしまうことも然りである。およそ何であれ、やり方というモノ、使い方というモノがあるということ。それを誤ると、良からぬ方に進んでしまうということ。その結果生まれた、前述のような〝歪な学力〟では、国家試験には対応できないこと。それを、しっかりと認識して、国家試験対策にあたってもらいたい。そう思っている次第である。

 

 

タグ

2019年8月20日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

試験対策は、基本、一人でやるものです。

2019/08/14

 塾生達に常々言っている言葉。学習指導等での講演でも言っている言葉である。試験対策は基本一人でやるものである。昨今の薬剤師国家試験の世界には、試験対策として芳しくない言動が多くあるが、そのうちの一つが『 皆で合格しよう 』といった内容の言葉。まあ、『 ここにいる皆が合格するよう頑張りましょう 』的な励まし言葉なら分からなくはない。『 皆、受かろうね 』というのは、ある種、社交辞令的な言葉であるからして、使用したところで特に問題はないだろう。しかし…これが、社交辞令ではなく『 皆で一丸となって合格するぞ 』と〝言動〟の〝動〟の方、つまり行動として現れてくると、いささか…イヤ、大いに問題あるものとなってしまう。

 薬剤師国家試験は、個人で受験するモノである。団体戦ではない。さらに試験対策も、皆で行うモノではない。薬剤師国家試験を受験する人の学力はまちまちである。勉強のやり方も、進め方も進み方も十人十色と言って間違いない。視点だって、考え方だって違う。そんな人間たちが、果たして『 皆で一緒に… 』なんて具合に、試験対策を進めることができるのだろうか?もちろん、同じ講義を受講することはできる。しかし、その後の復習や質問などは、一人ひとりが異なるモノとなる。一人ひとりが異なるモノである以上、やはり一人で行うモノである。一人ひとりが異なるモノであるのに、皆で一緒に…つまり違う人と一緒にやるという事は、当然ながら、どこかにそのしわ寄せが来ることになる。しわ寄せ…これが、試験対策の足を引っ張ることになるのは言うまでもない。

 よく『 皆で一緒に勉強して、教えあえば理解が深まる 』等、発言する人間がいるが…。確かに、人に教えることで理解が深まることはある。しかしそれとて、いつも一緒にいて、何かあるごとに質問されていれば、自分の勉強が滞ってしまうことになるのは言わずもがな。知識が、自分よりも今一つ身に付いていない人間と一緒に勉強して、『 分からない 』と言ってくるたびに教えていれば、自分の勉強など進むはずがない。せっかく、勉強のペースが乗ってきたなと思ったら…『 チョット、いいかな? 』なんて具合に、そのペースを中断するように質問がなされる。教えれば、そこの所の知識は理解が深まったり、より定着しやすいことは確かだが…では自分の勉強はというとサッパリ進まない。これで果たして試験対策が成り立つのだろうか?

 教えてもらう方だってそうである。よく『 分からない所は、出来る人から聞くといい 』と言われているが…確かに、これもあながち間違いではない。しかし、ではこれで全てがうまくいくのかというと、決してそうではない。出来る人から教えてもらっても、それが果たして納得のいく、つまり質問した人が納得のいくような解答へと導かれるのかというと…決してそうではないからである。教えてもらったけれども、今一つよく分からない。でも、わざわざ時間を割いて教えてくれているのだから、とりあえず分かったように生返事をするだけ…。こんな経験のある人は、決して少なくはないはずである。もし、そんな状況であれば…質問した方も質問に答えている方も、全く持って無駄な時間を過ごしていることになる。そう、試験対策にかけるべき重要な時間を、浪費していることになる。

 実際、(質問している人に)ある程度の知識が無ければ、質問したところで納得のいく解答を得られることは少ない。講義等を聞いての(講師に対する)質問の場合は、その講義中に〝ある程度の知識〟が与えられているので、その質問は活きてくる。しかし…今まで勉強しておらず、少々参考書を読んだくらいの知識しか持っていない人間の質問に対し、納得する答えを与えるのは、中々難しいことなのである。講師を生業としている我々ならともかく、学力があると言っても、単なる一受験生である人にとっては、それは難しい行為であると言わざるを得ない。

 こういうことを書くと、すぐに『 試験対策では、仲よくやったらいけないんですか? 』という、極端な輩がいるが…。試験対策をやっていて、同じ受験生同士仲良くなることは別に悪いことではない。実際、ウチの塾生さんでも、毎年、仲良くなる人間は何人か出てくる。勉強も一緒にやっていたりする。しかし…一緒にやってはいるが、一人ひとりで勉強している。それぞれが、己がやるべき勉強を黙々とやっているのだ。時折、分からないことを質問したり、教え合ったりはしているが、あくまでも〝時折〟であり、メインの勉強はあくまでも〝一人で行っている勉強〟なのである。これこそが、『 試験対策における正しい教え合い 』である。一人ひとり、相手に関与せず、ひたすら自分の勉強をこなしていく。その過程で、どうしても分からないことがあった場合は、質問して力を借りることにする。相手に迷惑をかけない程度に…。相手の勉強に支障をきたさない範囲で…。これが〝大人の勉強法〟というものである。

 私は、予備校での人間関係は、ドライなモノであって決して構わないと思っている。合格するために、勉強をしに来ているのだ。遊びに来ている訳でもなければ、友達を作りに来ている訳でもない。試験対策を行っている者同士、最低限のマナーさえあれば、それ以上の親密さなど必要ないとも思っている。一人でやりたい者は、一人で勉強すればいい。もちろん、仲良くなる人達が出てくる場合もあるだろう。それはそれでいいと思っている。仲良くなること自体、全然、悪いことではない。しかし、〝仲良くなる〟=〝ドライではない〟とはならない。仲良くあっても、ドライである関係など山のようにある。『 それはそれ、これはこれ 』である。仲良くなった挙句に、『 一緒に合格しようね 』が悪い方向に進んで、試験対策自体がグダグダになってしまうなら、それは本末転倒である。試験対策は基本一人でやるもの。これを常に心がけていれば、決して仲良くなっても、その関係は悪いモノとはならないはずである。この言葉がある限り、『 それはそれ、これはこれ 』と仲良くなっても、ドライな関係が続けられるはずである。

 試験対策は基本一人でやるもの。これから国家試験対策に臨む人は、この言葉を常に意識して、人間関係に翻弄されない、有意義な試験対策を行ってほしいと思っている。そして…そんなドライな関係を続けられる仲間ができたとしたならば…それはそれで嬉しい限りではないだろうか?私はそう思っている。

 

 

タグ

2019年8月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

こんな不安を抱えている方。ご安心ください!Part2

2019/08/06

 先週の続きです。『 不安なんです… 』と相談に来る人は少なくありませんよといったお話。

 不安というものは、そもそも〝現実には無いモノ〟で、自分が作りだした妄想に過ぎないと、前回書かせていただきました。例えば下記不安5の『 講義に付いていけない 』という不安。これは確かに『 付いていけない 』という現実かもしれません。しかし、その後に続く『(講義に付いていけない)だから、国家試験ダメなんじゃ… 』の『 国家試験ダメなんじゃ… 』といった不安は、自分が作りだした妄想です。だって、まだ国家試験の結果は出ていないのですから…。結果が出ていないどころか、まだ受験もしていないのですよ?これを妄想というのです。現実ではない妄想ですから、その妄想を生みだした根源さえ分かれば、その妄想を黙らせることは出来るのです。例えば『 講義に付いていけない 』といったことが、何故、生じたのか?コレが根源ということになります。根源さえ分かれば、そんな不安『 まだ受験してもいないのに、何でそんなことが分かる!対処法を考えればいい、だって、まだまだ時間があるんだから! 』と黙らせることもできるし、その不安の対処法も見えてくるというもの。そんな感じで前回は書かせていただきましたが…今回も、その妄想の根源を知って、不安という妄想を黙らせ、解消法発見の手掛かりを見つける…といった手助けをさせていただきたいと思います。

i

不安5:講義に付いていけない。

 講義での疑問点に対するフォロー、すなわち講義後に質問できないような環境ならば、付いていけなくなるのも、ごもっともな話。やはり講義も含め、学生さん一人ひとりを見つめてフォローしていく環境でなければ、付いていけない人が出てくるのも当然の話です。よく『 付いていけないのは、本人の学力不足 』で済まされてしまう場合が多いようですが…確かにそれは一要因でありますが、では、付いていけない理由が全てそれというのは、いささか乱暴な話。当人の学力だけの問題ではないのです。大体、学力が無いからこそ、試験対策の勉強に来ている訳ですから、『 付いていけないのは、本人の学力不足 』といった対応は、矛盾している行動だと思うのですが…。フォローが成されない環境である以上、自ら質問に行く、自ら調べるという具合に、自ら行動していくしかありません。そういった環境では、与えられるのを待っているのではなく、能動的に試験対策を行っていくということが必要になってきます。受け身でいては、講義についていくことは、ことさら難しくなってしまいます。

i

不安6:成績が伸びない。点数が上がらない。

 よく成績が悪い人を『 勉強していないだろ! 』と〝勉強していない扱い〟する人がいますが…これはとんでもない話。以前ブログ(『 勉強しているけれど成績が上がらない 』こっちの方が、よっぽど重大なことなんですけどね。)でも書かせていただきましたが、勉強をしていないから成績が悪い人は、さして問題ではありません。『 勉強しているけれど成績が上がらない 』こっちの方が、よっぽど重大なことなのです。勉強しているのに成績が伸びない、点数が上がらない。そういった場合は、やはりやり方を変えてみなければなりません。確かに、勉強したからと言ってすぐに成績が伸びる訳ではありません。ある程度の時間はかかります(そこで、時間の経過と成績の伸びを判断して指導するのが講師の仕事なのですが…)。しかし、そのある程度の時間が経過しているのに、それ相応の結果が出なければ…やはり、そのやり方は、よろしくないやり方ということになってしまいます。何度も書かせていただいていますが、同じやり方でやっても、同じ結果しか出ません。特に『 意味も理解せずに、ただ覚える 』『 過去問をバンバン解いていく 』といったやり方では、成績は、それ以上伸びることはありません。しっかりとした正規の試験対策に変えることが重要です。

i

不安7:予備校生活が長くて…。

 不安6の後半にも書かせていただいたことと関連しますが…何故、予備校生活が長いのでしょう?予備校生活の長い原因は、『 同じやり方を続けている 』ことがほとんどです。そのやり方で190点しか取れないのなら、何度やっても、そのやり方では190点しか取れないのです。予備校生活が長い人の勉強のやり方を見ていると、『 ん~、そのやり方じゃなぁ… 』と思ってしまう〝芳しくないやり方〟をしている場合がほとんど。さらに、その勉強方法(正確には勉強方法とは呼べないやり方なのですが…)も、大部分の人が同じ様なやり方…大体、3、4パターン位ありますかね。その〝3、4パターンの芳しくないやり方〟のどれかで、試験対策を行っている場合がほとんどです。どうも、昨今の薬剤師国家試験対策の世界では、〝正しくない試験対策〟が〝正しい試験対策〟として横行しているようですが、何とも嘆かわしいこと…というか危機的状況にあると思います。

 実は、よく相談を受ける不安内容に『 何度やっても忘れてしまう… 』というのがあるのですが、コレなんかは、間違いなく〝正しくない試験対策〟の弊害でしょう。〝正しくない試験対策〟を行っても、知識は身に付きません。知識とは呼べないような、非常に短命な〝チョット覚えたこと〟が、少々貯まるだけです。少々貯まっても、短命ですから、すぐに抜け落ちることになります。結果…『 何度やっても忘れてしまう… 』→『 成績が伸びない。点数が上がらない 』→『 合格ラインに届かない 』→『 また〝芳しくないやり方〟〝正しくない試験対策〟で試験対策を始める 』という悪循環に陥ってしまいます。そうして『 予備校生活が長くて… 』ということに…。予備校生活が長くて不安な人こそ、やり方を一新してみるべきです。

i

不安9:どうやって勉強していいのか分からない・

 これを指導するのも我々講師の大事な仕事。勉強にはやり方というものがあります。〝勉強のやり方〟とは『 苦手な所を毎日30分勉強する 』だとか『 ○本の□□を勉強する 』だとか『 過去問を勉強していけばいい 』というような、表面的な通り一遍のモノではありません(まあ、これも前述させていただいた〝正しくない試験対策〟なのですが…)。科目や過去問ではなく、どんな科目にも共通する、〝試験対策としての正しい勉強のやり方〟というものがあります。やれ過去問をやれだ、やれ参考書の何をやれだとか、そういったものは勉強の末端、枝葉でしかありません。それよりも根本にある〝勉強の主幹〟をしっかりと捉えて、対策を進めていかなければなりません。これが成されてこそ、初めて参考書での勉強や過去問勉強というものは、意味を成すようになってくるのです。往々にして、どうやって勉強していいのか分からないという人は、この〝勉強の主幹〟が出来ていない(分からない)場合がほとんどです。本来、それが分からなければ、指導してもらわなければならないのですが…。当ブログ等でも、勉強のやり方等については、時折書かせていただいていますので、そういったことを参考にしてもらえたらと思います。

i

 如何でしたでしょうか?やはり、不安を解決するためには、具体的な指導が必要となるのですが…指導内容には社外秘のモノが多く、その詳細を書けないことが歯がゆいばかりです。それでも、少しでも不安解消の手助けになっていただけたらと思い、今回のブログを書くことと相成った次第です。試験対策も、本腰を入れなければいけない時期になってきました。試験対策に励み、合格を勝ち取ろうとしているのに、不安があっては試験対策の足取りも重くなってしまいます。前回、今回のブログ内容が、試験対策に励んでいる人の、不安解消にお役に立っていただけたら、嬉しい限りです。頑張ってください!

 

 

タグ

2019年8月6日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

こんな不安を抱えている方。ご安心ください! Part1

2019/08/22

 『 不安なんです… 』と相談に来る塾生さんは少なくありません。同じように『 不安なんです… 』と、来塾される相談者も少なくはありません。これから国家試験対策に取り組もうとしているのだけれども…どうしても、不安が付きまとう…。

 せっかく、心機一転、試験対策に励み合格を勝ち取ろうとしているのに、そのような不安があっては足取りも重くなってしまいます。しかし…不安というものは、そもそも〝現実には無いモノ〟。私も指導がてら、相談に乗って、その悩みとやらを聞いていますが…もともとは、自分が作りだした妄想に過ぎません。その根源を知ったり、解消法さえ分かれば、いくらでも不安を消すことができます。せっかく試験対策に取り組むのなら、そんな不安とはサヨナラした方が良いに決まっています。不安というのは妄想ですから、その根源さえ突き止めれば、何気に軽くしたり、場合によっては解消してみることも可能なのです。今回のブログでは、そんな不安の根源を突き詰めてみたいと思います。その対象法なんかも、少々ご指南したいと思います。

不安1:『 受からない 』と言われた。

 何気に多い相談内容ですが…誰に言われたのでしょうか?ほとんどが〝先生〟と称する方から言われているようですが…。ホームページでも何度か書かせていただきましたが、成功哲学の祖であるナポレオン・ヒル氏は次のようなことを言っています。

君にそんなことができるはずはないよ 』と、あなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?

まさにこの通りでしょうね。大体…〝先生〟と呼ばれる人間の仕事は『 人を導くこと 』。薬剤師国家試験に合格したいと言っているのが教え子ならば、その人を合格へと導くことが仕事ということになります。それを、『 受からない 』などということは、如何なものかと思うのですが…。ナポレオン・ヒル氏のお言葉を借りるなら…

君は受からない 』と、あなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたを合格へと導くだけの指導をしたというのでしょうか?

といったところでしょう。はっぱをかけている場合もあるようですが…あまり『 いいはっぱのかけ方 』ではないような気がします。そんな言葉に振り回されても、何の得にもなりません。そんな言葉は、とっとと吹き飛ばして、試験対策に切磋琢磨することにウエイトを置きましょう!

不安2:何度も試験対策をやっているのに結果が…。

 じゃあ今度は違うやり方でやってみましょう!これもホームページで何度も書かせていただいていますが、同じやり方で何回やっても、結果は同じです。ちなみに、チョットだけやり方を変えたとしても、結果も申し訳程度にしか変わりません。ガッツリ違う結果が欲しいのなら、ガッツリ違う方法でやってみるしかないのです。確かに、違う方法をやるということには、それなりの覚悟が必要になります。しかし、新しいものを手に入れるなら、それは致し方ないこと。一歩踏み出して、新しいものを掴み取るかどうかは、その人次第ですよ。

不安3:分からないことばかり…。

 勉強していなければ、分からないことばかりは当たり前の話。正しい勉強をしていなくても、やはり分からないことばかりになってしまいます。だからこそ勉強したり、講義を受けて〝分かること〟を増やしていかなければならないのですが…。そもそも〝分かる〟とは『 理解する 』こと。つまり、理解していなければ、『 分からない 』となってしまいます。『 これが大事 』『 これは覚えておいてください 』というだけの講義や勉強では、理解など伴うはずがありません。結果、分からないことばかり…となってしまいます。今の学生さんは、ともすれば暗記、暗記の勉強になってしまいがちですが…。『 これが大事です 』『 これは覚えておいてください 』の講義では、そうなってしまうのも致し方ない話。やはり、〝基礎から理解すること〟が〝分からないことばかり〟を解消する、一番いい手立てなのです。『 覚える前に理解する 』これが重要であることを認識しておいてください。

不安4:どんどん追い越されてしまう。

 同級生が…友達が…といった具合に、知っている人がどんどん合格していってしまう。または、自分の成績が伸びずに引き離されてしまう。そんな不安を持っている人も少なくありません。真っ当な勉強をしていても、成績の伸びには個人差があります。やっただけすぐに伸びる人もいれば、それ相応の時間がかかってしまう人もいます。学力のバックグラウンド等の要因がありますので、それは致し方ないこと。ですから成績の伸び等を、人と比較しても仕方が無いのです。まあ、下手な指導に限って、他人と比較させたりしますが…。人と比較するのではなく、その人がどういう状況にあるのかを見極めながら、指導というものをしていかなければならないのです。そして、それが我々講師陣の仕事なのですが…。あまり人と比較せずに『 今、自分はどういった状況にあるのか? 』を把握しながら、試験対策を進めていくことが重要なのです。人と比較すると、どうしても焦りが生じてしまいます。それによって、アレもコレもと手を出し、全部が中途半端に…なんていうのも、試験対策の失敗例では良くある話なので、気をつけなければいけません。


 如何でしたでしょうか?完全に不安を取り除くには、やはり一人ひとりの状況を把握して…となりますので、こういった〝一方的に読む〟ブログといった形式で、完全解消というのは少々難しいのですが…。それでも、少しは不安が和らいで頂けたらと思い、筆を取らせていただきました。前述したように、不安とは元々自らが作りだした妄想ですから、その根源さえ分かってしまえば『 なぁ~んだ 』というパターンも少なくはありません。そして、その根源さえ掴めれば、その対処も見えてきたりするものなのです。

 1回のブログで全部の不安をという訳にはいきませんでしたので、次回、Part2にて残りの不安の根源をば解き明かして、その対処法も指南させていただきたいと思います。こうご期待をば!

 

 

タグ

2019年8月2日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

このページの先頭へ