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不安だからこそ持つ希望

 この時期になると多くなる相談が『 不安です 』といった内容。ご存じのように、我が薬進塾は常に塾生さんの相談や面談を受け付けている状況。だから、『 相談したいことが… 』『 復習が… 』といった相談は日常茶飯事のこと。もちろん、こちらもすぐに応対する次第。そんな日常茶飯事のことが、この時期になると一気に増え始めるのが現状。まあ、理由も分からなくは無い。

 薬進塾では、個別の学習指導と行う皆の前で行う公的な学習指導(まあ、塾生さん全員を対象として行う学習指導)の二つがある。公的な方の学習指導で、この時期、よく塾生さんに言うのが『 今の時期が、皆、一番不安になる時期だから 』ということ。今の時期が一番不安な時期…。これには理由が二つある。まず1つは、一通り模擬試験等が終わったということ。当然、模擬試験の結果が出ている訳であるが…今一つ成績が芳しくない。思ったより伸びていない。これが不安材料の一つ。もう一つは…季節である。気が付くと年末。今年もあとわずか。年が明けると…2ヶ月ちょっとしかない。えっ!?あと2ヶ月ちょっとしかないのに、この成績…。どっと詰め寄る不安…。そこで、相談や面談を申し込むことになる。

 まず、初めに言わせていただきたいのは…というか、相談に来た塾生さん全員に言うのだが、今の時期は誰もが不安。不安でない人などまずいない。逆を言うなら、不安であることが当たり前。もし、この時期不安でないという人がいるならば…よっぽどの天才か、試験対策をいい加減にやっている人間かのどちらかである。真っ当な人間は、皆、不安であるのが当たり前。時折、〝試験対策をいい加減にやっている人間〟にお目にかかることがあり、当然ながら厳しく指導するのだが…のれんに腕押しというか、本人はどこ吹く風といった感じ。肝が据わっているのか、はたまた状況が分かっていないのか定かではないが…ある意味、羨ましい気もしないではない。全くもって不安ではないのだから…。

 閑話休題。当然ながら『 今の時期は誰もが不安。不安でない人などまずいないよ。不安であることが当たり前なんだから 』と話したところで、『 ああ、そうなんですね 』と納得して、朗らかな笑顔で帰ってくれる塾生さんなど、まずいない。『 でも… 』と、色々な不安要因を話してくる。一つ聞いてはアドバイスをし、一つ聞いては指導をし、一つ聞いては励まして…という具合に応対することで、塾生さんも次第に落ち着いて来ることに。そう、不安というものは、聞いてもらえるだけでも、かなり落ち着くものなのである。聞いて、不安を分かってあげ、それ相応の応対や指導をするだけでも、かなり不安は和らぐことになる。塾生さんの顔が朗らかになることからも、それは伺えるのだが…こういう時『 やはり少人数でやっていて良かったなぁ 』としみじみ思う。40人の少人数制であっても、一人ひとり応対していくのは、それ相応に至難の業であるからして、これがもっと多い人数となると…あまり考えたくもないことに…。

 私の愛読書に書いてあることなのだが…不安というのは、自分自身が作りだしたものであり、その正体は現実では無いもの。確かに、その通りである。『 ○○だったらどうしよう 』という不安の、『 ○○ 』は、まだ現実には存在していないものである。早い話、自分で勝手に無いものを作り出しては、それに怯えているといった状況である。自分の心を脅かすものであるからして、決して良いものではない。むしろ悪いものである。チョットした不安なら、予防という意味で役に立ちもしようが、自分の心を脅かす不安など益にはならないのだからして、悪いものと断言しても間違いは無い。ということは…『 不安に怯えてしまう 』とは、現実には存在しない悪いものを作りだしているということになる。そう、〝悪〟を作りだしているということ。

 〝悪〟を作りだしている。こう聞くと、何かとんでもないことをしているようだが…でも実際とんでもないことをしているのではないだろうか?不安に怯えるということは、無きものを作りだしては、自分をいじめているということになるのだ。他人をいじめることは悪い事であるが、自分をいじめることだって悪い事であろう。何人であれ、何人をも、いじめてはいけないのだ。不安に怯えるということは、自分をいじめているということ。自分であろうが誰であろうが、いじめることは悪いこと。だから、不安に怯えるということは、自ら悪を作りだしては、自分をいじめるという、悪いことをしていることになる。神様が見ていたら、さぞかし、怒ることだろう。

 でも、誰だって不安になってしまう。人間である以上、それはやむを得ないことなのかもしれない。しかし、それが悪い事であるとするならば、どうすればいいのだろうか?答えは、思いの他簡単。良い事もすればいいのである。では、不安をという悪に対抗する、良い事とは?逆をやればいいだけである。人が喜ぶことをするのと同じように、自分が喜ぶことをすればいい。不安に怯えるということは、無きものを作りだしては、自分をいじめているということ。その逆だから…希望を待ち望み、自分を喜ばせるということ。確かに希望も、今目の前には無い。しかし、それを作りだすことで、自分は楽しく、喜ばしい気持ちになってくる。他人を喜ばせることは良い事であるが、自分を喜ばせることだって良い事であり、善である。どうせ『 無いものを作りだす 』のなら、良いことを作りだした方がいいに決まっている。不安だからこそ持つ希望、不安という悪を作りだしてしまうからこそ、希望という善を作りだせばいい。中和されることもさることながら…やはり、どうせ作り出しそれに捕らわれるなら、楽しくなることや喜ばしいことの方がいいのではないだろうか?

 希望を持つ。月並みな言葉かもしれないが、前述のように考えれば、とても大事なことのように思える。何と言っても、善を作ることなのだから。私は名言・格言が好きであるが、思いのほか、希望という言葉を含んでいる名言・格言は多い。やはり、希望というのは、偉人達が選ぶほど有益な言葉であり、そして力強い味方になるものなのだろう。かくいう私も、希望を持つことにより乗り越えたことは、一度や二度ではない。不安で不安で、身動きが取れなくなってしまった時。そういう時に『 希望を持て 』といわれても、難しいことは重々承知している。しかし…それでも無理やりにでも希望をもつしかない。かくいう私も、無理やりにでも希望を思い続けているうちに…ほんのわずかだが不安が軽減されたことがある。1の軽減が、2の軽減になり、3の軽減、4の軽減となっていき…かなりの不安が軽減されたことも、やはり一度や二度ではない。すると、どういう訳か希望通りに事が進むようになっていったことも事実である。偶然だろうか?イヤ、偶然とは思えない。そう実感している。やはり、偉人達が『 希望を持て 』という類の言葉を多く残しているのだから、何らかの効果効能はあるのだろう。イヤ有るはずである。私はそう思っている。

 不安だからこそ持つ希望。不安な時だからこそ、あえて意識して希望を持たなければならないのである。『 そんなの無理 』という人もいるかもしれない。しかし…そうしなければ、現実には存在しない〝不安〟という悪いものを作りだしてしまうことになる。そして、自分をいじめるという、悪い行為をしてしまうことになる。悪いことをしてはいけないのは、言わずもがな。自分だからと言って、いじめていいとは限らない。

 無理にでも希望を持とうではないか?初めは無理やりかもしれないし、そううまくはいかなかもしれない。しかし…希望を思い続けているうちに、ほんのわずかだが不安が軽減されるはずである。その時こそがチャンス。雪だるま式に不安が軽減されることになるのだから。薬剤師国家試験に臨む人は、誰しも今が不安な時である。だからこそ、希望を持ち続けて、少しでもその不安を軽減してもらいたいと思う。第一…どうせ無きものを作りだすのなら、怯えてしまうことよりも、楽しくなるようなことを作りだした方が、良いではないか?私は、そう思っている。

 

希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就しない。

ヘレン・ケラー(米国の教育家、社会福祉活動家、著作家)

 

 

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