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泥中の蓮:環境に左右されない強い心

泥中の蓮

汚れた環境の中にいても、それに染まらず清く正しく生きるさまのたとえ

(故事ことわざ辞典より)。

 この時期、私が学習指導でよく話すことが、『 流言飛語や人の言うことに惑わされないように 』ということ。流言飛語とは、ご存じのように『 世の中で言いふらされる確証のないうわさ話(大辞林) 』のことで、早い話、デマ。この時期から、本格的に暗躍し始めることになる。薬剤師国家試験で暗躍する流言飛語には ①国家試験自体に関する流言飛語、②試験対策に対する流言飛語 の2種類があるが…どちらも気をつけねばならないことは言わずもがな。

 この時期に入ると、試験対策も佳境に入ってくる。ましてや、模擬試験を受けたばかりという人も少なくは無いと思う。そこはかとない不安感が、滲みだしてくる時期であり、受験生たちは非常に〝揺らぎ易い状況〟となっている。そんな所へ…『 今度の国家試験は○○である 』などという、嘘か真か分からない情報(まあ100%といっていいほど嘘の情報)が耳に入ると…やはり、なびいてしまうのも致し方ない話。

 しかし、なびいてしまうのが〝100%といっていいほど嘘の情報〟であるとしたら、芳しくない話である。まあ、当たり障りのない情報(=さして役に立たない情報)が入ってくることもあるが…『 試験対策の軌道修正をしなければ 』というほどの情報ではないことは、確かである。軌道修正ずべきではない情報のために、軌道修正してしまうことも、やはり試験対策にとっては芳しくない事であることは言わずもがな。

 この時期、よく出てくるのが『 今年の国家試験は難しいor易しい 』といった内容。私はこれを耳にする度に『 だから何? 』と言ってしまう。第一、国家試験の難易度など漏れるはずもない。イヤ、例え漏れたところで、では、それが学生さんにとって、果たして難しいのか、優しいのかといったら…それは、誰も知る由が無い話である。出題委員の先生達が『 易しい問題に… 』としたところで、それが学生さん達にとって、易しいのか、難しいのかは正直未知数な話。誰の主観での〝易しい〟〝難しい〟なのか?そこの所に大いに疑問を感じるのは拭えない。それに…例え〝易しい〟〝難しい〟といったアバウトな情報であっても、国家試験の情報である限り、そう易々と漏れるものではない。

 先ほど〝今年の国家試験は難しいor易しいといった内容を耳にする度に『 だから何? 』と言ってしまう〟と書かせていただいたが…。『 今年の国家試験は難しい 』だったら、どうするのだろう?一生懸命勉強するのだろうか?では、『 今年の国家試験は易しい 』だったら、どうするのだろう?勉強の手を緩めるのだろうか?難しかったら一生懸命勉強するけれど、易しいと分かったら勉強の手を緩める。どこかおかしくは無いだろうか?相対評価とは言えど、225点以上取っていれば、まず合格と考えていい試験である。それでも、やはり1点でも多く取らなければならない。1点でも多く取ること。これが合格の秘訣だからである。なのに、難易度によって試験対策のやり方を変えるなど言語道断。国家試験にしても卒業試験にしても、『 簡単だろう 』『 こんなもんだろう 』とタカをくくっていた人間が、足元をすくわれた例などゴマンと知っている。

 もちろん、『 今年は難しいから… 』と手綱を緩めることが無いよう、注意することは悪いことではないが…あまりに『 難しい 』に捕らわれる過ぎると…不安が先行してしまい、あまり良い状況にならないこともよくある話。やはり、難しいとか、易しいとかに振り回される国家試験対策は、芳しくないものであるといえる。

 もちろん、『 今年の国家試験には○○が出る 』といった巷談(こうだん)も、実しやかに流れてくるのもこの季節。前述のように、国家試験の情報が漏れるなどということは、あり得ないのが現状。なのに、もっともらしく、アレが出る、コレが出るだのが飛び交う状況になっていたりする。まさに流言飛語の極みと言えよう。これも毎回言うのだが…試験対策は博打ではない。『 コレが出そう 』『 アレが怪しい 』といった、当てモノをしている訳でもない。毎回思うのだが…試験対策の本質とは、『 どんな問題が出ても対応出来るだけの学力をつける 』ことではないだろうか?まあ、やるだけのことをやった後、最後にチョット見直してみる時に…位なら分からなくもないが、『 コレが出そう 』『 アレが怪しい 』といった胡散臭い情報を当てにしている試験対策となると…まあ、本来このようなやり方は試験対策とは呼べる代物ではないのだが…。

 何度もブログ等で書かせて頂いたり、学習指導等で話させていただいているのだが…そういった情報に左右されないことが重要である。およそ試験対策において、自分のスタンスを維持するということは、非常に大切な事である。しっかりとした『 試験対策における自分のスタンス 』を持たないと、怪しい情報や、他人の勉強状況、眉唾ものの勉強方法等、そういったものに振り回されることになる。人は人、自分は自分。周りに流されない。周りがどうであれ、自分のスタンスを崩さずに、地に足のついたしっかりとした勉強をしていくことが大切。これは、ある意味試験対策の基本中の基本でもある。

 ブログタイトルの〝泥中の蓮〟。『 汚れた環境の中にいても、それに染まらず清く正しく生きるさまのたとえ 』である。チョット、趣旨がずれるのかもしれないが…『 外部に影響されず、自分なりのスタンス・やり方を通す 』という意味にも取れるのではないだろうか?どんな状況に置かれても、周りに影響されない。これが試験対策においては、とても重要であることは前述してきた通りである。そして…汚れた環境の中にいても、それに染まらず清く正しく生きる蓮が、そんな環境の中でもキレイな花を咲かせるように、外部に影響されず、自分なりのスタンス・やり方を通せば…合格という花を咲かせることができる。〝泥中の蓮〟には、そういった意味もあるのではないか?そう思っている次第なのです。

 

 

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