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努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。

 井上靖先生のお言葉。井上靖先生は、日本を代表する小説家ですから、その名を知らない人はいないと思います。井上先生の葬儀委員長を、司馬遼太郎先生が務めたことからも、その大人物ぶりが伺えることと思います。そんな井上先生のお言葉が、ブログタイトル。本当にいい言葉だと思います。特に、薬剤師国家試験のための勉強をしている人達にとって、これほど当てはまるものはないと思っています。

 私は幾度となくブログで、不平・不満の危険性を書いてきました。不平・不満ほど身を落とすもの、そして国家試験合格を阻むものはありません。何故ならば、不平・不満は言えばいうほど、行動力が削がれていくことになるからです。不平・不満は、基本的に『 自分は間違っていない 』というスタンスから生まれるもの。『 自分は間違っていない 』というスタンスで物事を捉えているのですが…全てが自分の思い通りに進むかというと、そうでないのが世の常。『 自分は間違っていない。でも、思い通りにいかない 』訳ですから、行動力がそがれるのも御尤もなこと。

 しかし…『 自分は間違っていない 』というスタンスで行動するのは結構ですが、自分が望んだ結果が出ていない以上、そのやり方・考え方は間違っている、と言えるのではないでしょうか?自分が行動した結果が、〝自分の不本意なもの〟を生んだとしたのなら、そのやり方は〝望んだ結末を得るためには間違っていた方法〟ということになります。別に間違えることは悪いことではありませんし、恥ずかしいことでもありません。間違えたと分かった時点で、やり方を変えればいいだけの話です。しかし、自分が間違っていないというスタンスを取ると…自分が望んだものとは違う結果となった場合、人は往々にして、その責任を何か他のものに転嫁することになります。自分が悪いのではない。あの人が悪い、あの環境が悪い、あのやり方が悪い…決して、その責任は自分に転嫁されることはないのです(自分は間違っていない訳ですから)。そして、これこそがまさに不平・不満ではないでしょうか?『 あの人が悪い 』『 あの環境が悪い』『 あのやり方が悪い 』…不平・不満の代表的なお言葉。そう、責任転嫁こそが、不平・不満の本性でもあるのです。

 努力している人は希望を語る…。言いえて妙とは、まさにこのこと。これも、ブログ等で何度も書かせていただきましたが、国家試験合格に向けて、ひたすら勉強している人は不平・不満を口にしません。そんなこと言っている暇もないのです。とにかく合格しなければならない。そのためには、寝る間も惜しんで勉強しなければならない(ちなみに、睡眠時間は決して削ってはいけないと、しっかり指導はしてあります)。不平・不満を言っている暇があるなら勉強。不平・不満を見つけたり探したりするのではなく、何からでも、どんなことからでも有益な何かを見つけ出し、探し出し、掴み取り自分のモノとして吸収していく。これが、合格してきた人たちの姿勢です。そして、その人達は『 受かりたいです 』『 何としてでも合格します 』と、希望を語っていました。声に出さずとも、『 合格するんだ 』という希望があるからこそ、ひたすら努力する。ひたすら勉強する。そういう行動を取っていたのだと思います。努力している人は、声に出して語らずとも、胸の中で希望を語っている…希望を語るからこそ、努力できる。だからこそ、合格を勝ち得ることができた。私は、そう思っています。

 不平・不満は同調したが最後、あっという間に取り込まれて…気が付くと〝不平・不満仲間〟で、ひたすら不平・不満を口にする状況…となってしまいます。これが恐いところ。だって、そうでしょう?不平・不満を口にして、試験対策に身が入りますか?不平・不満を言って、講義や先生から何か得ることができますか?『 私ができないのは、○○が悪いから 』と責任転嫁している人間の学力が、向上すると思いますか?『 私は悪くない 』というスタンスで、物事の成果を上げることができると思いますか?得られるもの、吸収できるものを見つけることができると思いますか?ましてや、同じ『 私は悪くない 』という人間と一緒になって、『 私たちは悪くない。○○が… 』と責任転嫁をしあって、同調して『 ホラ、私と同じ考えの人がいる、やっぱり私は悪くない。○○が… 』と、より一相責任転嫁に拍車がかかっていって…それで、何か得ることがあるでしょうか?よく考えれば、分かりそうなものなのですが…。

 不平・不満の根源とは何でしょう?答は簡単です。『 自分の思い通りでなければイヤ 』これが、不平・不満の根源なのです。何といっても『 自分は間違っていない 』というスタンスでいるのですから、『 自分の思い通りでなければイヤ 』となってしまうのも、致し方ない話。何とも凄い事のように思えますが…。でも、確かに不平・不満の根源は『 自分の思い通りでなければイヤ 』なのです。これが、娯楽やレジャーに来ているのなら、『 まあ、遊びに来ているんだし、楽しむために来ているんだから、思い通りじゃなければイヤ 』というのも分からなくはありません。しかし、娯楽やレジャーをするのではなく、『 国家試験に合格するために、試験対策をしている 』のです。知らないことを理解しなければならないし、たくさんのことを覚えなきゃならないし、苦手な事もやらなければならない。もちろん、そのための努力も必要だし、自ら行動することも必要。色々と我慢を強いられることも、当然あります。そうやって、学力をつけていかなければならないのです。

 なのに…『 努力なんかしたくない 』『 なんで自分で行動しなければならないの? 』『 何でこんなことしなきゃならない訳? 』と不平・不満がでてくる…。『 自分の思い通りでなければイヤ 』なんですから、そういった不平・不満が出てくるのも、まあ致し方ないと言えば、致し方の無い話。知らないことを理解するのはイヤ、苦手な事をやるのはイヤ、努力もイヤだし、自ら行動するのもイヤ。もちろん、我慢することもイヤ…。『 自分は何もせずに、自分にとって100%分かり易い講義で、先生が国家試験に出ることだけをやってくれて、それがスイスイ頭に入ってきて、学力がどんどん伸びていって、国家試験にも楽に合格 』なんていう〝自分の思い通りの状況〟を期待しているのかもしれませんが…そんな状況が、本当にあると思いますか?『 白馬に乗った王子様が、私を迎えに来てくれて、お姫様になって大きなお城に住む 』こちらの方が、よっぽど現実味があると思いますが…。

 なるほど…確かに井上先生の言う通り『 怠ける人は不満を語る 』ですね。知らないことを理解するのはイヤ、苦手な事をやるのはイヤ、努力も自ら行動するのも我慢するのもイヤなんて、怠け者以外の何物でもないですから…。『 自分は何もせずに、自分にとって100%分かり易い講義で、先生が国家試験に出ることだけをやってくれて、それがスイスイ頭に入ってきて、学力がどんどん伸びていって、国家試験にも楽に合格 』なんていうのは、まさに怠け者の考え方。怠け者だから、不平・不満を語る。その通りです。

 不平・不満を口にしたところで何も変わりませんよ。変わらないどころか、どんどん落ちていく一方です。だったら、『 自分は間違っていない 』なんていうスタンスを捨てて、行動してみたらいかがでしょうか?そんなスタンスにしがみついていたところで、なにも良いことはありませんよ。良いことがないどころか、『 自分の思い通りでなければイヤ 』といった〝不平・不満の根源〟が、湧いてくることになるのですから。その結果、前述のように落ちていく一方になってしまうのですから…。第一…不平・不満を口にしたところで、不愉快になることはあっても、楽しくなることはありません。不平・不満仲間と〝不平・不満合戦〟を続けたところで、楽しくご機嫌になることはなく、どんどんつまらなく荒廃的になるだけです。でも、希望を語れば…希望を胸に持てば、嬉しく楽しくなることは間違いありません。それを仲間同士で語り合えるなら、尚更ではないでしょうか?そういえば…合格していった人たちは、確かに疲れてはいましたが、皆、笑顔でしたね。

 大変な時だからこそ、希望を胸に、ひたすら努力して、そしてご機嫌になる。大変だからこそ、責任転嫁して、何かあるごとに不平・不満を口にして、不機嫌になっていく。同じ試験対策を行うなら、どちらがいいのか?それは、その人次第だと思いますが…少なくとも前者の方が、合格する可能性が圧倒的に高くなることは、間違いないと思います。

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