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『 意味がある 』のか『 意味がない 』のか?

 先日の8月31日。第104回薬剤師国家試験の試験期日が発表されました。平成31年2月23日(土曜日)及び同月24日(日曜日)が試験日ということで、第104回薬剤師国家試験対策も、より一層焦点を合わせて進められていく状況となりました。

 我が薬進塾の国家試験対策も、半年コースの塾生さんが加わり、今までとはチョット違った雰囲気に。一年コースの塾生さん達は、新しい塾生さんが加わったことにより『 もう、試験対策を始めてから3ヵ月も経っているのか! 』といった新たな緊張感が生まれ、半年コースの塾生さんは『 もう3ヵ月も勉強している人達がいる! 』といった緊張があり、ある種いい意味での緊張感がみなぎっている状況。実は、従来からいる塾生さんと新しい塾生さんを一緒にすると、このようないい緊張感が生まれることも確かなのです。双方いずれも引き締まりますので、良い環境であることは間違いありません。

 しかし…時が経てば、残念ながらその良い緊張感が薄れてしまう方もいらっしゃいます。わたしも、国家試験予備校の講師を長く勤めていますが、色々な予備校で、何人もの〝緊張感の薄れてしまった学生さん〟を目にしてきました。まあ、ほとんどが『 慣れ 』によるものなのですが…。慣れとは恐いもので、緊張感を失わせるばかりか、様々な不平・不満も誘発させてしまうものなのです。

 慣れてしまうことにより、よく出る不平・不満が『 あんなの国家試験に出ない 』『 あんなの勉強しても、意味がない 』といった、講義内容に関する独自の判断。つまり『 講義内容が試験対策にとって意味がある・ない 』といったの趣旨の不平・不満のようです。国家試験対策の素人ならまだしも、こちとらン十年も国家試験対策に従事してきたプロ。そのプロが必要と判断して教えている内容ですから、講義で教えていることに意味がないはずがありません。

 第一…意味があるかないか判断されているのは、どこのどなたでしょう?大抵は、その言葉を発する学生さんの場合が多いようですが…辛らつな意見かもしれませんが、では、その学生さんは、どれだけ試験対策に従事してきたのでしょう?もちろん、ココでいう『 試験対策への従事 』とは、単に試験勉強をしたということではなく、その分野を一から、そして基礎から勉強し、さらにそういった〝勉強して色々な事を習得してきたといった背景〟を持つ目で試験問題を見て、『 何を聞いているのか? 』 『 この問題を解くには何が必要なのか? 』 『 どういった観点から、この問題を出題しているのか? 』 『 この問題から、今後、どのようなことを勉強していかなければならないのか? 』等を分析する全ての行動を指しています。教える側の試験対策というものは、こういうものです。

 国家試験の問題を、何年か分だけ目を通しただけの人間が『 意味がある・ない 』を判断するのは、少々…イヤ、とても無謀なことのよう思えます。確かに過去問題の上っ面だけを見て、『 出ている・出ていない 』だけで判断してしまえば、『 意味がある・ない 』といった言葉が出てくるのも、ある意味いたしかたないことかもしれませんが…残念ながら、試験対策、こと薬剤師国家試験対策となると、とてもではありませんが、そんなに簡単なものではありません。もっともっと、本当に奥の深いものなのです。

 どういう訳か、受講した内容に対し『 意味がない 』といっている学生さんに限って、成績が芳しくないのも事実。まあ、ご本人が『 意味がある・ない 』判断するのはご勝手ですが…その前に、少々ご自分の状況を見つめてみてはいかがでしょうか?今ある状況が、ご本人にとって納得いく状況なのか、そうでないのか?そしてそれは、ご本人が『 意味がある・ない 』と判断した結果の状況であるということを、今一度見つめてみる必要があると思うのですが…。そういえば…先々週のブログ〝ちびまる子ちゃんよ、永遠に〟で書かせていただいた、まるちゃんのお母さんのセリフに『 ムダに見える時間も人生には必要らしいよ 』という言葉がありましたね。そこでも書かせていただきましたが…まるちゃんのお母さんが『 ムダに見える 』と言っているのがポイント。『 見える 』のであって『 ムダではない 』ということ。その時はムダに見えても、実はムダではなかった…なんていうことが、多々あるのが現実。まあ、私の知る限り『 これはムダなこと 』『 これはムダではないこと 』とやっている人間に限って、芳しくない結果を招いているというか、今一つパッとしない人生を送っていることの方が多いような…。まあ、〝策士、策に溺れる〟といったところ…ではないですね。『 生兵法は怪我の元 』の方が、まさにピッタリでしょう。策士にも満たない人間が、策士のように『 私の判断は間違っていない 』と、判断して行動しているのですから…。

 ちなみに〝生兵法は怪我の元〟の意味は…

少しばかりの知識や技術は、それに頼ったり自負したりして、かえって大失敗をすることのたとえ。

デジタル大辞泉より。

策士なら、もっとうまい具合に出来るはずですが…。少しばかりの知識や技術では、とてもじゃないけれど策士とは呼べません。これならば、『 意味がない 』といっている学生さんに限って、成績が芳しくないのも納得のいく話。その『 意味がない 』という言葉は、『 少しばかりの知識や技術 』から出た言葉であり、それに頼ったり自負したりしている訳ですから…。

 デジタル大辞泉によりますと、生兵法には『 武術を少しばかり心得てはいるが、いたって未熟なこと 』とあります。ブログでも何度か書かせていただきましたが、私にも武道の師匠がいました(もう、お亡くなりになっていますが…)。習いたての頃…そう、まさに『 武術を少しばかり心得た 』頃。心得たとばかりの立ち居振る舞いをして、えらく怒られたことを覚えています。今から思えば、心得たどころか、『 チョイかじり 』程度の、全く持って素人の域を出ないに等しい状況。そんな、状況なのに知っているような言動をとることにより、思わぬ怪我をしてしまうことになりかねない。だからこそ、師匠は厳しい対応をとったのでしょう。分かりもせぬことを、分かっているように振る舞うことが、如何に危ういことなのか。それを、まさに身をもって教えてくれたのだと思います。怪我をする前に…。

 大した知りもしないのに『 意味がある・ない 』と判断する。『 イヤ、私は知っていますよ 』という人。自分の現状を見て、そのセリフを言っていますか?もちろん、そのセリフを口にするほどの現状であればよろしいのですが…前述のように、どうも芳しくない結果であったり、パッとしない人生を送っている人の方が多いような…。私が知る限り、成功者と言われている方々や、満ち足りた人生を送っている方は、あまり『 これは意味がある、これは意味がない 』というジャッジを行っていないような気がします。ジャッジを行うどころか、『 これは意味がある、これは意味がない 』という観点で行動している場合が、少ないというか…そもそも意味・無意味云々ではなく、楽しいから好きだから、そして何事も無駄にはならないという観点で、動いているような気がするのです。そう、なんでも為になる…そういう観点で行動している。だからこそ、何からでも学ぶことが出来るし、どんなことからでも何かを得ることが出来る…。つまり、『 何もかも意味あるもの 』として行動しているからこそ、何からでも意味ある大切なものを得ることが出来る…。『 全てが意味ある 』からこそ、全てから何か意味あるもを、つかみ取ることが出来る。そういった感じがするのです。

 意味がある・ないではなく、自ら意味あるものとして、そこから何かを掴みとることが重要。そう考えれば、全てが意味あることと言えるのではないでしょうか?それが、賢い生き方なのだと思うのです。意味ないと切り捨てるか?意味あることはないかと探しだし、そして得ていくのか?意味がないと生きるのか?賢く生きるのか?それは、その人次第なのではないでしょうか?

 

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