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自分の機嫌は自分で取る。

 ご存じ、みやぞん氏のお言葉。みやぞん氏に関しては、改めてここで説明する必要はないでしょう。あらぽん氏と漫才コンビ〝ANZEN漫才〟を組んでいる芸人。体力的にも芸術的にも、多才なお方。そのくせ、そんな凄いことを鼻にかけることもなく、いつも人には優しく接している。そして、やはりニコニコ、嫌な顔せず前向きに物事に取り組む姿勢が共感を呼んでいるお方。

 その、みやぞん氏が番組中で言ったのが、ブログタイトルのお言葉。私は、リアルタイムでその番組を見ていたのですが、この言葉を聞いたときは、『 さすが! 』と思わず声をもらしてしまいました。誰かに機嫌を取ってもらうのではなく、自分の機嫌は自分で取る。〝機嫌〟という言葉を聞くと、つい『 機嫌を取る 』と出てきてしまうように、『 誰かに対して機嫌を取る 』とか『 誰かに機嫌を取ってもらう 』とか、どうも『 誰かに 』という言葉が付いてしまうもの。誰かあっての言葉であり、自分一人だけでは、チョット成り立たないように思ってしまう…そういうイメージの言葉ではないでしょうか?

 しかし、実際は誰がいなくとも、自分一人でも十分成り立つ言葉なのです。〝機嫌〟には『 表情や態度にあらわれる気分のよしあし。快・不快などの感情 』という意味があるそうです(デジタル大辞泉より)。〝気分の良し悪し〟や〝感情〟な訳ですから、確かに第三者が必ず絡むものかと言えば、そうではないということになります。

 さらに…機嫌には『 気分がよいさま。愉快なさま 』という意味合いもあるのですが…こちらの方は一般的に『 ご機嫌 』といった具合に使われている場合が多いようです。普段我々が使っている〝機嫌〟は、どちらかというと、こちらの方ではないでしょうか?すなわち『 気分がいい状態 』を指している場合が多いということ。もちろん、みやぞん氏の言っている〝機嫌〟もこちらの方。で、こちらの方の〝機嫌〟も…気分が良いといった状況も、一人の時も十分ありえますし、愉快であることも、これ然りで、やはり第三者が必ず絡むかというと、そうではないことがお分かりいただけることと思います。なるほど…第三者が絡むことなく、ご機嫌、すなわち気分がいい状態になれるのなら、確かに『 自分の機嫌は自分でとることが出来る 』ということになります。第三者に左右されないことはもちろんのこと、環境や今置かれている状況にも、左右されないことも十分可能。確かに、第三者や環境・状況といった外的要因がどうであれ、ご機嫌な場合は多々ありますし、外的要因がどうであれ、みやぞん氏のように、いつもニコニコご機嫌な方もいらっしゃる訳ですから。

 自分一人で、ご機嫌になれる。人は、自分で自分の機嫌を取ることが出来る。しかし、普段、私たちは機嫌というモノには第三者が絡むものだと思いこみ、自分で自分の機嫌を取ることなど考えようともしません。いつでも自分で自分の機嫌を取ってご機嫌になれるのに、第三者や環境・状況といった〝外的要因〟に、『 ご機嫌になること 』を依存してしまう。逆に言うならば…外的要因が機嫌を取ってくれないから機嫌が良くならない。つまり、外的要因が原因で機嫌が悪くなってしまう…ということになります。自分で自分の機嫌を取れるのに取らない。外的要因が機嫌を取ってくれることを期待する。外的要因が機嫌を取ってくれず、期待通りにいかないから、機嫌が悪くなってしまう。機嫌が悪いのは自分のせいではなく、外的要因が機嫌を取ってくれないことが原因…。ん~、チョットおかしな話だとは思いませんか?

 外的要因で、自分が不機嫌になったり、面白くなくなったりする…これって、もったいないことだとは思いませんか?外的要因のせいで、自分がつまらなくなってしまうなんて、つまらないことだとは思いませんか?周りがどうであれ、周りで何が起これども、自分は自分でご機嫌な方がいいではないですか?周りの人間からどう思われようと、自分は自分で楽しいし、ご機嫌。こんな状況がベストではないでしょうかね?『 なんで、こいつは笑っていられるんだ? 』とか『 こっちは、あんたが面白くないのに、そんなの知る由も無しかよ! 』『 何が楽しいのか知らないけど、いつも機嫌いいなコイツ 』とか思われても関係ないのです。自分だけが楽しければいいのです。もちろん周りに迷惑をかけて、自分だけが楽しいような状況はよろしくありませんが、そういう場合でなければ、自分がご機嫌な方がいいに決まっています。残念ながら、周りの人のご機嫌までは面倒見切れませんから、自分だけはご機嫌に。みやぞん氏は、ブログタイトルの言葉の後に、こう続けています。

自分の機嫌は自分で取る。人に取ってもらおうとしない

人に取ってもらおうとしない。周りに何かしてもらうことを期待しない。何故ならば、自分でできるから。自分一人で、十分ご機嫌になることが出来るから…。

 以前読んだ本に、こういうことが書いてありました(書籍名と著者を忘れてしまって申し訳ありません)。

機嫌が悪い人は〝機嫌が悪いを選んでいるのだから、あなたには関係ない。

機嫌が悪い人のそばにいると、憂鬱な気分になってしまうのは、よくある話。しかし、これもよく考えてみれば、外的要因によって憂鬱になっている、ということではありませんか?周りの人がどうであれ、自分で自分の機嫌を取れば、ご機嫌になれるのです。確かに、機嫌の悪い人がそばいると、憂鬱な気分になってしまうのも分からなくはありません。しかし良く考えてみれば、機嫌が悪い人というのは、その人自身が『 機嫌が悪いこと 』を選んでいるのですから、こちらには関係がないと言えば、関係のない話ではないでしょうか?人が何を選択しようと、自由ですから…。『 機嫌が悪いとこっちまで…。だから機嫌よくしなさい! 』なんていう具合に言ってしまう人もいるようですが、よく考えてみれば、それっておこがましいことではないでしょうか?だって、機嫌のいい人に『 機嫌いいのを止めなさい! 』って言えます?ご機嫌な人に『 機嫌いいのやめろ! 』というのと、機嫌悪い人に『 機嫌よくしろ! 』っていうのは、ある意味同じことじゃないですかね?どちらも、本人がそれを選んでいる訳ですから、第三者が『 それを選択するな! 』とは言えないはずなのです。好きにさせておけば、いいではないですか?『 でも、機嫌の悪い人がそばにいると… 』って、ホラ。自分の機嫌を外的要因のせいにしてしまっている。自分のご機嫌は外的要因には左右されません。自分の機嫌は自分で取る…自分で取ることが出来るのですから。『 機嫌の悪い人がそばにいると、私も憂鬱になるから、機嫌よくなりなさい! 』なんて、やはりおこがましい意見だとは思いませんか?自分で、機嫌よくなることが出来るのに…。

 『 機嫌がいい 』のと『 機嫌が悪い 』、どちらを選びますか?どちらも選べるのですよ、外的要因に左右されることなく…。どうせ選ぶなら、ご機嫌な方を選んだ方がいいとは思いませんか?そっちの方が楽しいですから…。前述のように、みやぞん氏は体力的にも芸術的にも、多彩な才能を見せてくれています。一見、我々がへこたれてしまいそうな事も、ニコニコと成し遂げてしまいます。何故、そんなことが出来るのでしょうか?もちろん、類まれなる感性と才能を持っていることも、その理由の一つであると思います。しかし、やはり自分の機嫌を自分で取る。人に取ってもらおうとしないで、自分で自分の機嫌を取って、いつもご機嫌でニコニコしている。これが、素晴らしき成果を成し遂げている、最大の理由なのではないでしょうか?私はそう思っています。

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