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失敗の中には可能性が含まれています。

 ご存知、イチロー選手のお言葉。

 イチロー選手に関しましては、ここで改めて説明するまでもないと思いますが…日本の野球界において数々の偉業を成し遂げ、その身を大リーグへと進めることに。もちろん、大リーグでも数々の偉業を成し遂げ、現在はシアトル・マリナーズ会長付特別補佐という位置づけ。MLBシーズン最多安打記録保持者、プロ野球における通算安打世界記録保持者、最多試合出場記録保持者という、とんでもない偉業を成し遂げているお方であることは、言わずもがな。

 そんな偉業を達成されているお方なので、我々凡人からすると『 もの凄い才能をもっているから、順風満帆に、進んできたのだろうな 』なんて思ってしまいがち。もちろん、失敗なんていう言葉とは、トンと無縁のお方…などと思ってしまいがちなのですが…。そんなイチロー選手が発したのが、ブログタイトルのお言葉。チョットびっくり…と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 発明王の名をもつ、言わずと知れたトーマス・エジソン。米国の発明家・起業家であり、生涯に1,300もの発明を行ったお方。諸説紛々ありますが、現在の日常生活では〝当たり前と思われるモノ〟を色々と発明されているのです。そのトーマス・エジソンのお言葉に、次のようなものがあります。

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 失敗したわけではない。
 それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。

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 私は失敗したことがない。
 ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

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 エジソンは、失敗したことが無いと言っています。『 1万通りの、うまく行かない方法を見つけた 』とも、言っています。『 失敗ではなく、勉強したのだと言いたまえ 』と促してもいます。この二つの言葉は、『 失敗とはダメだったことではなく、その中には成功のカギが隠されている 』ということを、暗黙のうちに示唆していると思います。その失敗の中に隠された〝成功のカギ〟こそ、イチロー選手の言っている『 (失敗の中には)可能性が含まれています 』なのではないでしょうか?

 私は、失敗という言葉は、ほとんど使いません。まあ、失敗と思うことも少ないのですが…。確かに、狙っていた事象とは違う結果になることはありますが、あえて『 失敗した… 』と感じることはありませんし、途方に暮れるなんていうことは、ほとんどと言っていいほどありません。『 このやり方じゃあダメなのかぁ… 』とか『 このやり方じゃあ、違う結果になったか…じゃあ、次はどうすれば狙った結果になるのかな… 』と考えます。別に〝ポジティブシンキング〟と意識している訳でもありません。私にとっては、恐れ多くもエジソンのように『 うまく行かない方法を見つけた 』に過ぎないといった感じ…よりも、もっと軽く『 経過点の一つで、それほど大したことでもない 』位な感じ。まあハッキリ言ってしまえば、失敗というモノを意識していないというか、失敗と思っていないというか…もっと手っ取り早く言うならば、『 失敗って何?自分とは無関係 』位に思っている…というか意識もしていないのです。意識もしていないから、失敗という言葉を使うことも、それが頭に浮かぶことも、まずないのです。それよりも『 では、次の一手はどうするのか? 』そちらの方に、意識はすぐにシフトしてしまいます。ですから、あまり失敗と捉えたり、失敗だったと意識することはありません。前述のように、そもそも失敗というモノを意識するというか、その存在を感じることもほとんどないのです。失敗という言葉も、全くと言っていいほど使いません。それよりも…次の一手はどうするのか…?

 そんな心持のせいか、失敗という言葉を使う人とは、あまり交流を持たないようにもしています。人がやった結果を指しては『 失敗でしたね 』なんていう輩がいますが、こういう輩にはなるべく関わらないようにしています。『 失敗でしたね 』という発言者から見た場合はそうであっても、そんな一言では片づけられないくらいの大きなものがその背景には隠されているからです。それを、ちっぽけな自分の観点だけから判断して、どや顔で『 失敗でしたね 』なんて語る輩には、まずロクな人間がいません。そんな輩とは関わらない、とにかく距離をおくようにするのがベスト。大体…偉そうに『 失敗でしたね 』なんて語っていますが…『 あなたの観点から見ての失敗であって、他の観点から見た場合はどうなのですか? 』と言いたくなりますね。『 偉そうに言っているけれども、物事全体が見えているのですか? 』といったところ。そういった輩は、俯瞰で物事を見ることはせず、重箱の隅でもつつくかが如く、狭い視野で判断して『 失敗でしたね 』なんて偉そうに言ってくるのがほとんどで、まず何の役にも立たない輩が多いのは確か。実際、そういった輩は『 では次の一手は? 』と聞いてみても…まず手が無かったり、あったとしても非常に程度の低い手である場合が、ほとんど。偉そうに言ってはいるのだけれど…浅はかな案だったり、ロクな手立てが考えられない…批評すれども手立てはなし…使えない人間とは、そういうモノです。そういう人間と付き合って、何か得られるものがあると思いますか?

 だから私は、ネガティブなことを言う人間とは、なるべく距離を置くようにしているのです。第一、そういう人間といても、つまらないですし…。できるだけ、近寄らないのが一番。何の得にもなりません。大体、そんなネガティブな言葉を耳にしていたら、こっちも引きずり込まれてネガティブになってしまったり、どこからかネガティブな事象を呼んできてしまいそうです。『 失敗でしたね 』なんていう人間よりも『 思ったよりもうまくいきましたね 』とか『 次は上手く行きそいうですよ 』『 得られるものはありましたよね 』なんて具合に言う人の方が、一緒にいても明るく楽しいとは思いませんか?思っていた通りにいかなったことを直視するにしても、『 なんか違う方法を考えた方がよさそうですね 』なんていう言い回しの方が、次の一手を考えている、前進に貢献してくれ、活路を見いだせそうな言葉だとは思いませんか?そう、前進。まだまだ進める。どうやって進もうか?なんか楽しいと思いませんか?『 じゃあ、次の一手はどう打とうか? 』なんて考えて試行錯誤する。あれやこれや考えては、どこかそれを楽しんでいる。そう、ネガティブな言葉には、前進が無いのです。そこでストップ。まさに打ち止めの終止符。そこで終わってしまうのですから、面白くもありません。進めなかったら、面白いもへったくれもないでしょう?そんな面白くない状況のところに、上から目線的にドヤ顔でそれを言われた日には…。そういった人間とは、お付き合いはご遠慮願いたい…そう思ってしまうのが、まあ当たり前と言えば当たり前の話ではないでしょうか?

 実はブログタイトルの、イチロー選手のお言葉には続きがあります。

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失敗の中には可能性が含まれています。これも、野球を続ける面白さなんです。

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そう、イチロー選手もやはり、『 じゃあ、次の一手はどう打とうか? 』なんて、あれやこれや考えては、それを楽しんでいるのではないでしょうか?思い通りの結果にならなかったら、『 じゃあ、次はどうしようか? 』と自らあれこれ考えては、試行錯誤する。これが、面白いのだ…そういっているのではないでしょうか?やはり、数々の偉業を成したお方だけはあります。思い通りの結果にならなかった時も、前進することを阻んでしまうようなネガティブな言葉を使わず、次の一手の試行錯誤を楽しんでしまう。だからこそ、数々の困難を乗り越えて、偉業を成し遂げることが出来たのでしょう。エジソンの『 それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ 』といった言葉の中にも、それを見出すことは出来ます。〝誤り〟という言葉はネガティブですが…『 そうではない。勉強したのだ 』と言えば、何とも次の一手が楽しくなってしまう言葉だとは思いませんか?『 次の一手の勉強をした。だから、次の一手はいいものになる 』と示唆しているのですから…。

 同じ事象であっても、受け止め方や言葉の使い方で、こうも捉え方が変わってしまうのです。それどころか…終止符を打つのか?それとも次の一手の参考にするのか?そういった、その後の行動をも変えてしまうことになるのです。皆さんはどちらがいいですか?『 失敗でしたね 』なんてネガティブな言葉を使って終止符を打ち、その後、何もできずに悶々としているのと、『 なんか違う方法を考えて、乗り切るには… 』と言う言葉を使い、前進の活路を楽しく見出していく。まあ、あえて『 どちらが… 』なんてと聞くまでもないと思いますが…。

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私たちは 失敗はしない。勉強しているだけだ。

アン・ウィルソン・シェイフ (精神科医・作家)

 

 

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