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比べるからこそ迷いは生じる。

doubt

疑う、(…を)疑う、(…を)疑わしいと思う、信用しない、疑わしいと思う、なさそうだと思う。

Weblio英和辞典より

疑うという意味の『 doubt 』。語源は『 dou 』からきており、その『 dou 』は『 2つ 』という意味。そう『 2つ 』あるから『 迷ってしまう 』。『 (2つあることで)迷ってしまう 』ということは…単刀直入に言ってしまうと『 どちらかが違う 』ということ。もちろん『 違う 』と一言に言ってもたくさんあるのだが…『 (自分が求めているものとは)違う 』もあれば『 (真実とは)違う 』もあるし、『 (考えていた状況とは)違う 』もある。まあ、そういった種々雑多な違いがあるからこそ、人は『 違っていない方 』、すなわち現時点で自分が正解又は適としている方を選ぶことになる。ところが…正解や適としている方を選べないことなど多々ある。早い話、『 何が正解か分からない 』『 何が適しているのか分からない 』という状況。その判断が付きかねると…『 どちらにしようかな? 』と迷ってしまうことになる。そして…『 どうもこっちは正解じゃなさそうだ 』『 こちらは適していなさそうだ 』疑うことになる。正解と不正解、敵と不適。二つの中から、『 これが疑わしい 』と思考・推測していくことになるのだが…なるほど、確かに『 dou 』つまり『 2つ 』は、『 doubt 』つまり『 疑う 』ということにつながるようだ。

 人は何かと比較してしまう生き物である。まあ、それが役に立つ場合も多々あるのだが、時として混乱を生じてしまう原因となる場合もある。例えば…比較できないものを比較してしまうとき。これなんかは、混乱を生じさせてしまう比較の最たるものであろう。予備校の講師としてン十年、色々な学生さんを見てきたが、何気に比較する学生さんは多い。もちろん、何を比較するのかも色々であるが、私から見て『 何でそんなモノを、そんなことを比較するの? 』と、思わず首をひねってしまうような場合も決して少なくはない。そして…往々にしてそういった学生さんは、その『 ? 』と思ってしまうようなことで比較しては、悩んでいる場合が多いのである。

 『 あの人はあんなにできるのに、私は… 』『 あの人はあんなに点数がいいのに… 』と比較しては悩む学生さんも少なくはないのだが…これなども、首をひねってしまう比較の一つ。『 首をひねるなどとんでもない!受験生が、学力のことで悩んでいるのに、なんだその態度は! 』と一喝されてしまいそうだが…。学力の付き方や成績の伸びは人によって千差万別である。一概に、点数や質問の応答だけでは判断できない場合は多い。だからこそ、普段から学生さんと接しながら、その学生さんに関するいろいろなデータを構築して、学習を指導していかなければならない(これが学習指導である)。ハッキリ言ってしまえば、単に点数だけで比較したところで、その学生さんの学習状況や学力状況は判断できないということ。一概に点数で比較して導けるほど、学習状況や学力状況の判断というものは簡単なものではない。まあ、そこをしっかりと判断していくのが我々講師の仕事であるのだが…正直、学生さんには、その判断はできないのが実情である。

 点数や質問の応答だけで比較したところで、結果が出ないどころか…悩みこんでしまう場合の方が多いはず。それどころか…『 このままでいいのだろうか? 』『 このやり方は違うのではないだろうか? 』と、今やっている勉強のやり方を疑ってしまうとなると…少々厄介なことになってしまう。もちろん、〝いけない勉強のやり方〟というのはある。学力がつかないやり方もあれば、成績が伸びないやり方もある。そういった〝いけない勉強のやり方〟に気が付き、それを正していくことは間違いではない。むしろ有益な行為である。しかし…往々にして、人と比較した場合。たとえ正しいやり方をしていても、『 このやり方は… 』と疑心暗鬼に陥ってしまう場合が多いのも事実なのである。

 実は、真っ当な勉強法というのは、すぐに結果が出ない場合が多い。長く続けることにより、少し少し結果が付いてくる場合が多いのである。実力とは、そうやって身に着いていくものなのである。『 あの人は… 』と皆がうらやむ成績の人も、何もしないで成績がいいわけではない。成績がいい人は成績がいいなりに勉強している。正攻法で時間をかけて勉強してきたからこその成績であり、パッとやってすぐに好成績が得られたわけではない。

 点数や質問の応答だけで比較して、自分のやり方、それも結果を出すのに時間がかかる正攻法のやり方を手放してしまうのは、もったいないどころか、試験対策にとっては非常に危険なことである。人は往々にして安易な方を選択してしまう。すぐに結果を出せると思ってしまう〝安易な方法〟に飛びついてしまうことは、珍しくないことなのだが…その安易な方法では、残念ながらいい結果が出ないのも事実である。だからこそ、日々学習指導を通じて『 正攻法で勉強しているのか? 』をチェックして『 いたずらに比較しないように 』と注意喚起しているのである。『 あそこのやり方は… 』と違う予備校のやり方を口にする人もいるが…これももちろん『 あそこはあそこのやり方、ウチはウチのやり方 』と指導するようにしている。やり方が違う以上、単純に比較しても仕方がないどころか、前述のように、正攻法の試験対策の足を引っ張ってしまうことに、なりかねないからである。

 およそ何事においても『 人は人、自分は自分 』というスタンスをとることは重要である。人は人のやり方。人は人の状況。自分とはすべて異なるのだ。それを比較したところで、〝比較できないものの比較〟になってしまうことは目に見えている。そして、それが混乱を生むことも目に見えていることである。確かに、今の状況を変えるために〝基準となる何か〟を見出し、それと比較して新たなるものを創り出すことは有益なことである。しかし、それだとて〝基準となる何か〟があってこそ成り立つやり方であり、単純に『 成績がいい 』『 点数がいい 』といった、一面から見ただけの結果と比較したところで意味はない。まず初めに自分のスタンスをしっかりと持つこと。そして、時間をある程度かけて、そのスタンスを保つこと。そして、望み通りの結果が出ない場合には、何故なのかと考えてみること。そして、それ相応の指導を受けて、新たなるやり方を試してみること。これが、一番の試験対策なのである。お気づきの方もいらっしゃることと思うが…この〝一番の試験対策〟には『 他人との比較 』は一切入っていない。何故、入っていないのか?それは、当ブログを最後まで読んでいた皆さんなら、お分かりいただけることと思う。

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