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薬剤師国家試験に合格したのは奇跡なのか?

 ここ数日、『 合格しました。有難うございます 』という声を頂く機会が多い。3月27日(火)は、薬剤師国家試験の合格発表の日。薬剤師国家試験対策予備校ということを生業としているのだから、合格発表の日を過ぎれば、『 有難うございます 』という声を聞くのも、当たり前と言えば当たり前の話。声を発する方も嬉しそうであるが、声を頂くこちらも、もちろん嬉しいことこの上ない。

 塾生さん当人から、その声を頂くのはもちろんのこと、親御さんから、その声、すなわち『 ○○が受かりました。本当に有難うございます 』といった声を頂く機会も多い。やはり、ご両親にとっては、自分の子供が国家試験に受かるかどうかは、大きな心配のタネ。そのタネが芽を出し、晴れて合格という花を咲かせたのだから嬉しさも一入のはず。例え二十代半ばの、社会では立派な大人として通用する子供のことであろうとも、『 本当にウチの子がお世話になって…有難うございました 』と、お礼を言いたくなる気持ちは痛いほど分かる。

 そんな親御さんが、お礼の中で発する言葉に、『 奇跡です 』という言葉がある。不安で不安で、どうしていいのか分からなかった状況から、一気に子供の合格という大成を手に入れたのだから、前述のように嬉しいのは当たり前。その嬉しさの勢い余って『 奇跡です 』といった言葉が出てしまうのも、当たり前と言えば当たり前の話。まさに、親御さんの愛情垣間見える言葉である…と、聞いたこちらとしても、微笑ましく思ってしまう次第なのである。

 そんな嬉しい状況に水を差す訳ではないのだが…私は親御さんには『 ○○さん(or君:以降省略)が合格したのは、全然、奇跡じゃありませんよ 』と伝えている。決して謙遜している訳ではない。心底そう思っている。手っ取り早く言うなら『 ○○さんが合格したのは、何ら不思議なことではありませんよ 』といったところ。親御さんから見れば奇跡であっても、我々から見れば奇跡でも何でもない…別に合格しても不思議ではない、という状況がほとんどなのである(何度も書かせて頂くが、親御さんは嬉しさのあまり、そういう表現、つまり『 奇跡 』という表現を使っているのだということは、十分承知している。その発言自体を否定している訳ではないことは、あらためて断わっておく)。合格されている塾生さんは、ほとんどの場合が『 まあ彼女は受かるだろうな 』とか『 彼が受かっても、別に不思議ではないな 』といった状況で、『 合格しました 』と聞いても〝多大なる嬉しさ〟はあるものの、〝多大なる驚愕〟はまず無い。受かるのは至極当然の話…といった状況。だから『 奇跡である 』といった実感もまず無いのである。

 薬進塾は少人数制であるがゆえ、塾生さん一人ひとりがよく見える。成績や学力はもちろんのこと、『 どれだけ勉強しているか? 』 『 講義を大切にしているか? 』 『 日々の試験を上手く活用しているか? 』 『 生活管理は出来ているか? 』といったことから『 どれほど必死にやっているのか? 』といった事まで、手に取るように見える。そういった〝見えていること〟が積み重なり…『 まあ、彼は合格するだろうな 』『 彼女は受かるだろう 』といった判断がなされていくことになる。よく考えてみれば、合格する人は、誰もが『 受かるのも至極当然の話 』といった状況に身を置いているということである。

 私は長い講師生活の中で、『 勉強しなかった人が受かる 』なんていう事態にめぐり合ったことは一度もない。受かった人は、皆、それ相応に勉強している。ちなみに…よく『 あの人は成績がいいよね… 』などという声を耳にしたりするが…成績がいい人は、成績がいい人なりに勉強している。全く何も勉強せずに、成績がいい人などいるはずがないし、今まで出会ったこともない。それ相応の勉強があったからこそ、その成績なのである。もちろん、私が学習指導で言っているように、勉強には効率というモノがある。確かに成績のいい人は、勉強の効率がいい人がほとんどであるが…その効率とて、それ相応に勉強しているからこそ、身に付いた効率であって、何もしないで身に付いたモノではない。それ相応に勉強して、それ相応の効率のいい勉強を身に付けたからこそ、それ相応の成績を取るようになったのである。まあ、これも考えてみれば至極当然の話である。もちろん…長い講師生活の中で、『 余裕で楽勝! 』などとのんびりゆったり、勉強もしているのかどうか定かではない状態で、緊張感もない試験対策の日々を過ごして合格した…なんていう人も、これまた一人も見たことがないことを付け加えておきたい(それで、残念な結果になった人は星の数ほど見てきたが…)。

 私は、このブログの中で、今まで〝至極当然の話〟という言葉を3回ほど使わせて頂いた。〝至極当然の話〟とは、どういう意味であろうか?〝至極〟とは『 極めて最もな 』という意味がある(大辞林より)。〝当然〟とは『 道理の上から考えて、そうなるのが当たり前であること。誰がどう考えても、最もであること 』とある(大辞林より)。つまり〝至極当然の話〟とは、『 道理の上から考えても、誰がどう考えても、そうなるのが極めて最もで、当たり前のこと 』ということになる。そう、合格して『 奇跡です 』と発せられた塾生さん達も、実は奇跡でもなんでもなく、『 道理の上から考えて、合格するのが最も当たり前である。誰がどう考えても、合格することは極めて最もなことである 』という状況にあったということ。少なくとも、我々講師・職員の目から見た場合は…。

 合格することは奇跡でもなんでもない。合格する人は、合格するべきことを、キチンとやっている。前述の〝成績がいい人は、成績がいい人なりに勉強している〟と同じで〝合格する人は、合格する人なりに勉強をしている〟ということである。乱暴な言い方をすれば、『 あれだけ〝合格すべきこと〟を必死にやって来たんだから、受かるのも当然だろう 』ということ。やるべきことを、キチンとやっている人は合格する。当たり前と言えば当たり前の話である。だから私は、国家試験に合格することは奇跡でも何でもないと思っている。合格している人は、合格すべき当然のことをやって来ているのだから…。

 地上100mのビルの屋上から、200m離れた、やはり地上100mのビルの屋上まで、空中を歩いて渡った…なんていうのが、一般的に言われている奇跡なのかもしれない。確かに大した奇跡であろうし、そうそう起こらない奇跡であろう。もっとも、奇跡というものは、そう簡単に起きるものではないのだが…。それに比べ、結構簡単に起こってしまうのが、日々努力して薬剤師国家試験に受かってしまうという〝奇跡〟の方。こちらの方は…取り立ててどうということもなく、至って普通に起こってしまう〝奇跡〟のようである。まあ、普通に起こってしまうのだからして、とてもではないが〝奇跡〟とは呼べるモノではないのだが…もし、同じく〝奇跡〟と呼ばせて頂くのならば、地上100mを歩いて渡ってしまう奇跡よりも、こちらの奇跡の方、つまり『 合格した塾生さん達の親御さんが使う〝奇跡〟 』の方が、よっぽど人を喜ばせる奇跡であり、そして我々にとっても嬉しい奇跡であることは間違いない。どうせ〝奇跡〟という言葉を使うのならば、こっちの奇跡の方が喜ばしい、そして歓迎…イヤ、大歓迎される奇跡ではないだろうか?私は、そう思っている。

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