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人は、思っているほど愚かではありませんよ。

 早いもので、2010年5月から始まった当ブログ〝薬進する日々〟も、7年と半年を超えることに。塾生さんはもちろんのこと、卒業生たちからも『 毎週ブログ見ていますよ 』という言葉を頂くことがあり、嬉しい限り。企業を訪問した際にも『 ウチの誰それが、ブログをよく読んでいるそうです 』という言葉を頂いたり、大学を訪問した際には先生方から『 ブログ、面白いね 』という言葉なぞ頂いたりで、嬉しさも一入。

 確かに『 読んでいる 』『 楽しみにしている 』『 面白い 』という言葉を頂けることは、嬉しいことであるが…。その分大変なのが、毎週ブログを書き続けるということ。まあ、幸か不幸か文章を書くのは苦手ではない方。それどころか、筆が進み過ぎて(キーボードの打ち込みが進み過ぎてか?)短くするのに一苦労する有様。お気づきの方もいらっしゃると思うが、最近は徐々に徐々に、しかしながら確実にブログが長くなって来ている始末。

 まあ、書き始めてしまえば、こっちのモノとばかりに筆は進むのだが、問題はその前。つまり〝ネタ〟。実は、何気に書きたいネタは沢山ある方で、毎回毎回『 何を書こうか? 』と苦悩する状況とは、あまりなっていない状況で。しかしながら、やはりネタがないという場合が無い訳でもなく、そんな時はアレやコレやと頭を絞っては、ネタを絞り出している次第。おこがましいと言われてしまうかもしれないが、やはり、こちら側としても楽しんでもらえるような、役に立ってもらえるうような内容を書きたいと心がけている。ただのネタではなく『 これは面白いだろう 』 『 こういうことは知っておいた方がいいかも 』 『 こんなことがあったけど、私の見解はこうである 』という具合に、『 読者の方に、何らかのモノを投げかけることが出来るような内容を… 』、ということを心がけている。だからこそ、ブログに関して評判のいい言葉が耳に入ると、嬉しいこと一入…となるのである。

 そうやって書いているブログであるが…時おり、『 薬剤師国家試験予備校のブログなんだから、薬に関することを書いていった方がいいんじゃない? 』 『 やっぱり、薬剤師国家試験に関して書いた方が、みんな見てくれるからさぁ… 』などと、分かっているように偉そうに〝したり顔〟で『 助言してやっている 』的態度で話してくる人間がいるのだが…。はあ? 薬剤師国家試験予備校のブログなんだから、薬に関することを書いた方がいいだぁ? そんなこと、5000兆人いたら、5000兆人全員が考えるわ!薬剤師国家試験のことに関して書いた方が、みんな見てくれるだぁ? そんなことミジンコでも思いつくわ!…と、少々言葉が汚くなってしまって申し訳ないのだが、そういう〝勿体ない御意見〟を賜る度に、心の底からそう思ってしまうのだ。こちとら、単なる思い付きでブログを構成している訳ではない。前述のように、『 楽しんでもらうことを書く 』等の目的もさることながら、それ相応に考えて、ある種、戦略をもってブログをというモノに取り組んでいる。そんな〝5000兆人全員が考えること〟や〝ミジンコでも思いつくこと〟など、わざわざ御意見頂かなくとも、とっくに考えて…イヤ、あまりに低レベルすぎてそんなことスルーしていた次第で…。『 薬剤師国家試験予備校のブログなんだから、薬に関することを… 』…考えも戦略も何もない…っていうか、人に偉そうに御意見する前に、考えないかなぁ…。『 普通、考えたらこうするだろうに、何でそうしないのだろう? 』って…。自分の考えが、誰もが考え付く安っぽい考えだと、どうして気がつかないのだろう?それとも、こちらのことを、そんなことすら考え付かない〝うつけ者〟だと思っているのだろうか?自分の考えは誰も思いつきもしない優れた考えで、こちらは〝そんなことさえも考えられない大うつけ〟とでも思っているのだろうか?イヤ、そう思っているのだろう。だからこそ、したり顔で『 薬剤師国家試験予備校のブログなんだから… 』などと、忠告めいた安っぽい内容を、御意見してくれるのだろう。そうでなければ、そんな誰が考えても一発で分かるような〝5000兆人レベル〟の安っぽい考えを、したり顔で言ってくるわけがない。こちらは、そんなことも思いつかない人間…。ある意味、人を馬鹿にしているんじゃないだろうか?そう心から思ってしまうのだ。

 人の御意見はありがたく頂戴して…などとは言うが、その御意見がどのようにして出てきたかによって、〝身になる忠告〟になるか〝頓珍漢な忠告〟になるかが決まるのではないだろうか?どうも、前述のような〝頓珍漢な忠告〟を述べてくる人は、どこか人を小馬鹿にしているというか、見下している傾向があるように思える。または、大した意見もないのにプライドが先行して『 何か言ってやろう 』的な言動をする人間であったりする場合もある。知りもしないのに、あたかも知っているかの如く振る舞おうとするがために〝頓珍漢な忠告〟となってしまっている場合もある。強いて言わせていただくならば、発現している人の〝自己満足の御意見〟でしかないということ。こちらもバカではない。その御意見が、とても的外れな〝頓珍漢な忠告〟であること位、すぐにお見通しである。そりゃあそうであろう。私のブログの場合で言わせていただくならば、少なくとも7年以上も、毎週、頭をひねっては書き続けているのだ。何の考えもなく、ただ思い付きを書いている訳ではない。それ相応の結果を出している立場からの御意見ならまだしも、それこそ『 何か言ってやろう 』的な思い付きで、ご意見されたのではたまったものではないし、思い付きだからこそ〝頓珍漢な忠告〟になってしまうことなど、手に取るように分かってしまうのだ。こういうことを言うとと『 人の意見はありがたく頂戴するものだ 』などという人がいるかもしれないが、何と言ってもそのご意見は、自己満足な〝頓珍漢な忠告〟であるからして、とてもではないけれど、ご参考にはならない代物。それさえも『 ありがたく頂戴せよ 』というのは、いささか無理な相談である。

 人は思っているほど愚かではない。自分の考えとは異なるかもしれないが、人はそれ相応に考えて事を行っている。人にご意見する前に、その人自身をよく見つめることが大事ではないだろうか?そして、『 何故、その意見を発しようとしているのか? 』と、自分自身を見つめることも、やはり大事なことではないだろうか?単なる思いつきや、自己満足から出るだけの御意見は、結局は自分自身の愚かさを露呈してしまうことになるのだから…。

知る者は言わず、言う者は知らず。

老子

 

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