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人の邪魔をする者は、同時に己の道をも阻む。

 世の中には人の邪魔をする人間がいます。人が何か事をなそうとする時、その行動を阻むようなことをする。それが、邪魔をする人間です。

 邪魔と一言に行っても、色々な邪魔があります。直接、相手に嫌がらせをする、嫌なことを言うのはもちろんですが…。相手の持っているモノを損壊する(このモノの中には、プライドだとか、信用だとか眼に見えないモノも当然あります)。相手の評判を落とすような、流言飛語(まあ、デマ・悪口の類ですね)を流す、第三者にウソの情報を伝える。相手の足を引っ張る。陰口を叩く。こういった類のことも、やっている本人が意識しているかどうかはさておき、立派に相手の邪魔をしていることになります。そう、流言飛語を流す、第三者にウソの情報を伝える、陰口を叩くといったことも、十分に人の邪魔をしていることになるのです。相手の行動に支障をきたす行為、もしくは相手の行動に支障をきたすことを想定して行う行為な訳ですから、立派に〝人の邪魔をする〟ことになるのです。

 邪魔をすることの根本は何でしょうか?色々とありますが、一番の根幹には『 自分の思い通りにしよう 』といった利己主義があることは間違いありません。自分の思い通りにしよう。思い通りにならないなら、相手の邪魔をしよう。そして思い通りにしてやろう。思い通りに出来なくても、思い通りにならない〝好まざるもの〟に打撃を与えて憂さを晴らそう。これが、邪魔をすることの原理だと思います。そして、そこには『 自分さえ良ければ 』という考え方が存在しています。利己主義とは何でしょうか?デジタル大辞泉によると『 社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方 』とあります。まさに『 自分さえ良ければ 』という考え方であることが、お分かりいただけることと思います。

 本来、人は自分の目的を考えて行動し、その目的を遂行すればいいのです。そうすれば、自ずと『 人は人、自分は自分 』といった考え方やスタンスを身に付けることが出来るはずです。そして、『 自分の目的や行動は、自分の思い通りにできるものである 』ということも、いつか理解することが出来るようになります。そう、自分の人生は、自分の思い通りに出来るのです。しかし、他人は自分の思い通りにはなりません。〝なる場合〟もありますが、〝ならない場合〟もあります。何故ならば…『 人は人 』だからです。人はその人の目的を考えて行動しているのであって、他の誰かの目的で行動している訳ではないからです。当然、そこには他の人との隔たりが生じる場合がほとんどです。しかし、それでいいのです。前述のように、本来、人は自分の目的を考えて行動するのですから…。『 人は人 』なのです。

 ところが『 人は人 』よりも『 自分さえ良ければ 』という利己的な考え方が優先されれば、自分の思い通りにならない人に対し、どうにも納得のいかない感情が芽生えることになります。『 その人の言動が、自分の思っているものと違う結果を生み出している。それに納得がいかない 』…自分の思っているものと比べて違う結果になっている…。ここに〝比較〟というものが現れることになります。往々にして、自分と誰かを比較した時。その言動が自分にとって都合の良くない、不利益になるようなものの場合、ことさら強く〝納得のいかない感情〟が芽生えることになります。しかし…全てのことにおいて、自分が納得のいく状況になることなど、ありえないのが世の常。ましてや相手は〝自分ではない人〟。自分の納得のいくように行動してくれることなど、そうある訳ではありません。しかし、そこに『 人は人、自分は自分 』といった考え方さえあれば、そういった納得のいかない感情も十分抑えることが出来るはずです。もし、『 人は人、自分は自分 』といった考え方が無ければ…『 他人の迷惑を考えず、わがまま勝手に振る舞うやり方 』、すなわち邪魔をするといった行動をとることになってしまいます。

 邪魔をするということは、誰かと比較した場合の『 私の方が… 』といった自惚れや、『 (人が)うまくいっているのが面白くない 』といった〝偏った自己愛〟を、第一に考え行動するということなのです。そこには〝比較〟と〝自分第一〟といった要因が含まれることになります。『 人は人、自分は自分 』と考えれば、人と比較することは無意味だということは分かるはずです。もちろん、『 自分第一、人も第一 』といった考え方にもなるはずです。つまり、〝邪魔をする〟という行為は、これらを否定するうえで成り立っているということになります。『 人は人、自分は自分 』と考えることが出来ず、常に人と比較しては、自分が優れていなければ納得が出来ないといった心境でいる。そして、納得がいかないものに対し、憂さを晴らすような対応をする。自分が何か事を成そうとしたとき、そんな心境・対応で、上手くいくのでしょうか?そして…そういった心境・対応とは、あまりにも人に振り回され、自分というものを見失っている行動ではないでしょうか?自分を見失っている人が、自分の道を進むことが出来るのでしょうか?

 前述のように、自分自身は自分の思い通りに出来ますが、他人は自分の思い通りにならないのが常です。なのに、それが納得がいかないというのならば、〝自分以外のすべての人間が納得のいかない人間〟ということになってしまいます。その度に邪魔をする…。邪魔をするという行為は『 常に人と比較しては、自分が優れていなければ納得が出来ない 』という考え方がゆえに、起こる行為なのです。そして、その行為、つまり邪魔をするという行為により自分だけを納得させるということは、さらなる『 常に人と比較しては、自分が優れていなければ納得が出来ない 』といった心境を増長させる行為なのです。そのスパイラルは、邪魔をすればするほど激しいものになっていきます。そして、その度に自分で自分の道を進めなくしてしまう…そう自らの道を自ら阻むことになってしまうのです。まさに『 人を呪わば穴二つ 』といったところでしょう。

 昨今、自分というものが希薄な人が多くなっているような気がします。自分というものがあまり無く、周りに左右され易い。自分を貫き通せず、自分で考えず、自分で行動せず、周りに流されてしまう。それだけでも、チョット困ったことなのですが…そういう人が、周りとの比較を始めた時、そして〝偏った自己愛〟を主張し始めた時、〝邪魔をするという行為〟が芽吹いてくる危険性があります。そして、前述のように、それはその人自身をも蝕んでいくことになります。だからこそ、常に『 人は人、自分は自分 』と考えることが重要だと思います。そのためには周りに流されず、自分自身をしっかり持つということも、当然、必要になってきます。そして『 人の邪魔をする者は、同時に己の道をも阻む 』ということも、しっかりと心に焼き付けておくことも、大切なことだと思います。何と言っても、人を呪わば穴二つ…ですから…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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