イメージ画像

「食べ物の好き嫌いがある」=「悪いこと」 なのか?

皆さんは好き嫌いがありますか?私は子供の頃は好き嫌いが激しく、食べられないモノの方が圧倒的に多かったです。好き嫌いの激しい方なら分かっていただけると思いますが、好き嫌いのある人間にとって何が恐怖かというと給食。私が子供の頃は「食べ物を残すことは悪である」という考え方が絶対とされていましたので、無理にでも食べなければなりませんでした。今ではチョット「?」という話ですが、そういう時代があったことは確かです。私は八宝菜が大嫌いでした。何故嫌いかというと、おもむろにシイタケが入っていたからです。さらにおもむろにシイタケの味がしていたからです。それ故、シイタケ嫌いの私にとっては、ハードルが高い食べ物であったのです。

子供の頃も、そして今も思うのだが、給食センターのおばちゃん(もしかすると、おじちゃんかもしれないが)も、もう少し味付けに関して考慮してもらいたいと思う。「シイタケ美味しいでしょ?」とおばちゃんが反論してくるのは目に見えているが「お前はな!」と反論したい。今もシイタケは好きではないが、食べられるようにはなっている。時には串焼きにしたものを食べることもある(まあ、そんなに好きというわけではないが)。「子供の頃は嫌いだったけど、今は食べられる」という経験を持つ人は多いのではないか?当たり前である。味覚も感覚の一つなのだ。感覚とは成長するものである。使えば使うほど、その感覚は研ぎ澄まされていくのだ。味覚だってそうだ。色々なモノを食べていくうちに、研ぎ澄まされ、色々な味が分かってくるようになるのだ。その時、食べられないからといって、無理にその味を分からせようとしなくても、成長とともに、そしてその他の味を経験していくうちに、その味が分かってくるようになる場合も往々にしてあるのだ。子供はまだ幼いから、味覚という感覚も、十分に発達していない。ならば大人にしか分からない、大人にしか堪能できない味というものがあるのではないか?私はしめ鯖が大好きだが、「しめ鯖大好物~」なんて子供がいるだろうか?私は40年近く生きてきて、さらに交友範囲も広い方だが、そんな子供には、ついぞ会ったことがない。いたらいたで、おそらく歴戦の豪傑も汗ばむような豪快な子供だろう。フグ通の人に言わせれば「1、2回食べただけで、フグの味が分かるようになるなんて甘い!」とのことだそうだ。これなんかは、味覚の成長を裏付けているいい発言だと思う。子供には分からない味というものは確かに存在するのだ。それを無理やり食べさせるというのは、どういうものだろう?

子供の時には分からない味があるのだから、何も無理やり食べさせることはないと思う。こういうことを言うと、すぐに「食べるものもなく苦しんでいる人もいるんだぞ」と、もっともらしく語る輩がいるが…趣旨の取り換えも甚だしいこと、この上ない。飢餓に苦しんでいる人がいることと、嫌いな食べ物があることには何の関係性もない。確かに食べ物を粗末にすることは良くないことである。もし、食べ物を粗末にしている場面があったなら、前述の言葉はものすごい意義のある言葉になる。食べたくても食べられない人がいるのに、粗末にするなんぞ大罪といってもいい所業である。しかし「嫌い」=「粗末にする」ではないのではないか?無理やり食べさせるという行為の方が、よっぽど食べ物を粗末にしているような気がするのは、私だけであろうか?大体、無理やり食べさせるということに、何の意義があるのだろうか?確かに、それで食べられるようになった人もいる。では成功率100%かというと、決してそうではないのだ。むしろ、無理やり食べさせられたことがトラウマになって、いまだにダメという人を見かけることが多いような気がする。小児科のお医者さんや、栄養士さんも「無理して食べさせられているうちに『これは無理して食べる嫌いな食べ物』という概念が定着してしまう可能性がある」と指摘している。

そのせいだろうか、最近は嫌いなモノを無理やり食べさせるという風習は少なくなったそうである。給食は味付けを非常に考慮し(給食センターのおばちゃんには頭が下がる思いである)、「1口でもいいから食べましょう」と先生が指導してくれたり、なるべく量を少なくしてくれたりするそうである。同僚講師曰く「嫌いなモノがある人のことも、分かってあげることが大切なんじゃないですかね」。さすがである。そういう人もいるんだと分かってあげることが、相手にとっても、そして自分にとっても大切なことなのである。そして、そこから考えていけばいいのである。その成果が、前述のような給食の味付けの考慮や、「1口でもいいから食べましょう」という指導だったりするのではないか?頭ごなしに好き嫌いを否定する人は、こういった対処を面倒臭がっているだけに過ぎないのではないか?人の気持ちを分かってあげることが出来ないから、「お前は間違っている」と無理やり食べさせようとしているだけではないのか?人の気持ちを分かってあげる、その人にとって一番いい方法を考えてあげる…そういうことの方が、好き嫌いをなくそうと、無理やり食べさせることよりも、ずっとずっと大切なことだと思うのだが…。

前述のように、子供の頃は食べられなくとも、大人になってから食べることができるようになることも往々にしてあるのだ。なにも無理やり食べさせなくともいいと思う。私は子供の頃、カキが全く食べられなかった。今でも生ガキはダメだが、カキフライは好物といっていい。寿司も子供の頃はほとんど食べられなかったし、ブリ大根なんかも食べることが出来なかった。今はカキフライも寿司もブリ大根も大好物である。これらを食べている時は至福の時であり、幸せをまざまざと感じることが出来る(私の幸せは簡単だ:笑)。もし、これらを子供のころに無理やり食べさせられていとしたら、どうなっていたのだろうか?どうなっていたかは定かではないが…少なくとも、今これらを食した際に過ごすことが出来る〝至福の時〟を得ることが出来なかったのではないか…そう、しみじみ思う次第である。

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

ブログ 薬進する日々!!の新着記事

このページの先頭へ