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使用制限が解除されれば、節電しなくてもいいのか?

 東京/東北電力管内における電力の需給状態が改善されているということから、先日、電力使用制限の適用期間が繰り上げられました。本来は平成23年7月1日から9月22日(この期間の9時から20時まで)までの制限ということでしたが、9月9日で終了することとなった次第で。この電力使用制限、東京電力、東北電力管内の大口需要家の方々を対象として、電気事業法第27条に基づくき発効されましたが、それからというもの、各企業は節電に対してあれやこれやの手を打つことに。確かに使用制限に違反した場合、罰則がかかるのですが、罰則よりも日本の一大事な訳ですから、各企業も本腰を入れない訳にはいきません。日本全国、企業・国民一丸となっての節電戦略となったのはご存じのとおりです。

 電力使用制限の適用が始まってから、駅やスーパーなどで「?」と思うことがよくありました。何かいつもと違うなと考えてみたところ…暗い。いつもなら煌々と電気がつけられている場所から、明るさが4割ほど減少している…そう、電力使用制限によって、照明の使用が控えられていたからです。「な~るほど」と思ったのですが、すぐに「確かに暗いけれど…イヤ暗いというよりは〝明るくない〟だけで、別にそんなに困ることもない。それどころか、今まではこんな〝明るくなくてもいい所〟に照明を使っていたのか。もったいないことをしていたものだ」と思いました。確かに明るくはありません。でも普通に事を運ぶには、さして不便ではないのです。逆に、そんな所にまで照明をつけていたのは〝贅沢〟や〝もったいない〟を通り越して〝無駄〟や〝浪費〟でしかないという思いの方が強かったですね。もちろん、駅やスーパーだけではなく、日中の電車の中でもそれを感じました。私は電車の中で本を読む機会が多いのですが、車内の照明を落とされていても、本を読むのにさして不便は感じませんでした。電車は窓が大きく、その数も多いですから、晴れている日はもちろんのこと、多少曇っていても車内は明るかったですから。運転席は別としても、日中の車内で照明を必要とする方は、あまりいらっしゃらないような気がします。

 ただエアコンが制限されていたのはチョット困りましたね(笑)。そこそこ涼しい場合もあるのですが、車両によってはうだるような暑さの場合もありましたから。駅の中でも、エスカレーターが止またのには、色々と問題があったような…。私自身がとりわけ困った訳ではないのですが…やはりエスカレーターが必要な方もいらっしゃいますからね。ご年配の方はもちろんのこと、身体的状況によってはどうしてもエスカレーターが必要な方がいらっしゃいますから。私は以前〝肉離れ〟を起こしたことがあったのですが…その時は歩くのも一苦労。普通の人の流れにのって歩くことができませんでした(何といっても歩くスピードが極端に遅いのですから)。通勤時間の駅なんぞは大変なもので、もちろん階段を一段一段時間をかけて上がって行くなんていうことはできませんから、エスカレーターを利用していました。今回、節電ということでエスカレーターが使えない状況を目にして「こんなときに肉離れを起こしていたら大変だな」としみじみ感じました。と同時に、通勤ラッシュの中を、ご年配の方が時間をかけて階段を上がって行く姿を見ると、肉離れを起こしている自分とその姿が重なってしまい、何ともいたたまれない気分になりました。やはり、ご年配の方にとっては階段の上り下りはキツイもの。ましてやラッシュ時間帯ともなれば、前から後ろから押し寄せる人波にもまれながらの登り降りですから、大変さも一入だと思います。やはり駅や公共機関でのエスカレーターは必要なものなのではないでしょうか?照明に関しても影響のあまりない所を消した訳で、消灯することにより影響のある所はちゃんと点いていました。エスカレーターにも同じことが言えると思います。たいした段数がない階段ならともかく、今は駅のエスカレーターもかなりの高さですから、必然的にエスカレーター横の階段もかなりの段数になってしまいます。やはり〝必要不可欠なモノ〟なのだと思いますよ、駅のエスカレーターは。確かに節電も大切なことですが、この場合は止めることの弊害の方が大きいような気がするのです。

 そんな物議をかもしだした電力使用制限も、前述のように9月9日で終了。街には煌々とした明るさが戻ったのですが…。どうなんでしょうかね。今回の電力制限で、皆、色々なことが分かったと思います。私も色々なことを得ることが出来ました。その得たモノの中には前述したように「〝明るくなくてもいい所〟に照明をわざわざ使う必要はない。多少暗くても不便ではないし、そういう所に照明を使うことは〝無駄〟や〝浪費〟である」といったことがあります。確かに明るい方が見栄えは良いかもしれません。でも、もともと照明というものは「明るくなければ不便である」所に使うべきものではないでしょうか?そりゃあ、照明でゴージャスに見せたり、高級そうな演出をすることもできます。そういった使い方も確かにあるでしょう。でも、それはある意味〝贅沢な使い方〟なのではないのでしょうか?何もせずとも湯水のごとく湧き出てくるモノならいざ知らず、お金も原料もかかるものですからね電気は。ましてや今回の騒動で、さしたる余裕がないものということも皆分かったはずです。使用制限が解除されたからといって、いきなり贅沢をするということは、いかがなものなのでしょうか?「必要なことに必要なだけ使用する」これは、電気にだけ当てはまることではなく、全てのことにおいて当てはまることだと思います。なにも「切り詰めるだけ切り詰めて、がめつく生活しなさい!」と言っているわけではありません。でも今の日本は、果たして贅沢をするだけの余裕があるのでしょうか?イヤ、余裕がある無いに関わらず、やはり〝無駄〟や〝浪費〟は良くないことだと思います。電力使用制限の適用などという、滅多に経験することが出来ないことを経験したのですから、解除されたからといって全てを忘れて元に戻してしまうのではなく、そこから学びとったことを基に行動したり、新しい方向性を見出していくことが重要なのではないのかと思うのです。

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