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一人になれる力 ~ 後 編 ~

 一人になるということは大切なことである。『 一人になる 』ということは『 自分と一緒にいる 』ということである。そう、自分と一緒にいること。これが『 一人になる 』ということである。しかし、どういう訳か昨今、一人になるということができない人が多くなってききているようだ。一人になることができない…それは『 自分と一緒にいることができない 』ということである。自分と一緒にいることが出来ないという人は、いったい何と一緒にいるのだろう?

 その〝何〟かこそがスマートフォンであったり、他人であったりするのだろうか?それはそれで、何かの役に立ってくれるようなアドバイスを、与えてくれる存在ではあるかもしれない。しかし、どんなにいいアドバイスをもらったところで、判断するのは自分自身である。一人になれない人は、その判断さえもスマートフォンやネットが与えてくれる情報、他人からの情報に依存しているのではないか?実際、自らの判断を抜きに、そういった情報に振り回されてしまう人間が多くなってきていることを実感することが多い。

 昨今の学生さんを見ていて思うのだが…自ら判断できない学生さんが多くなってきている。これも、恐らくそういった事情であろう。つまり〝依存症〟すなわち〝判断依存症〟であり、スマートフォンからの情報や、他人からの情報のみでしか判断することできない人間となっているようだ。実はこれが何気に困ってしまう問題を引き起こす。何故なら…自らが判断した場合。その判断結果が、自らが思うものと不応層であったとしても誰を恨む必要もない。判断したのは自分だからだ。自分が判断し、芳しくない状況に陥ってしまった。致し方のないことである。そして、そこからどうやって動こうかと次を思案する。往々にして、自らが判断せず、他の何かによって(それはスマートフォンやネットが与えてくれる情報や、他人からの情報であったりするのだが)のみ判断した場合、その結果が不応層なものとなると、自らが被害者であるかのように振る舞う輩が多いのだ。早い話『 (こんな結果になってしまったが)私は悪くない。○○(情報提供元)が悪いんだ 』というふうに処理してしまう場合が多いのである。『 私が悪いのではなく、情報源が悪いのだ 』と…。当然、そこからどうやって動こうかと次を思案することもなく…また、自分に都合のいい新たな情報を模索することとなる。すなわち、自らで解決しようという意志もないのである。まあ、意志とは『 物事をなしとげようとする積極的なこころざし(三省堂・大辞林より) 』であり、積極的とは『 自分から進んで事をすること 』である。一人になることができない、つまり自分と一緒になることができない以上、自分から進んでことをすることなどできなくて当然であろう。

 残念ながら、試験対策というのは基本一人で行うものである。しかし…困ったことに、前述のように一人で行動できなくなっている学生さんは増えてきている。一人で行動できないということは、主体性(自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度や性質:三省堂・大辞林より)が無くなってきているということでもある。自ら判断し、自らが決め、自ら行動することが出来なくなってきている。その結果が、前述のような『 情報に依存してしまう行動 』であろう。そして、結果が自分の思っていたものと違うと、自分を見つめ直すこともなく(自分自身がないのだから見つめ直すことなど、当然、できるはずもないのだが…)、情報のせいにするという、困った行動へと走ってしまうことになる。これは、『 何が自分にとってマイナスとなっているのか? 』のフィードバックが、出来なくなってしまっている状況であることを意味しているが…試験対策にとっては致命的である。

 更に厄介なのが…自ら判断し、自らが決め、自ら行動することが出来なく、情報に依存してしまうようになると…さして、考えないで行動してしまうことになってしまう。およそ試験において、考えないで行動する、つまり考えないで解答してしまうということが、もっての外の行為であることは言うまでもない。しかし、何気にこの行動が横行していることには閉口させられる思いである。『 何故、この答えを選んだのか? 』と聞くと『 …なんとなく 』と答える人が多いことに驚かされるのだが…これこそが、『 何も考えないで解答している 』ことの、いい例であろう。

 考えないということは、誰かが何かしてくれるのを待っているということである。自分で工夫できないから、何かに依存しようとする。人にやってもらおうとする。問題が生じるたびに、自分は動かず、自分の良いように事が運ぶように、自分の望んだ結果になるように、人に動いてもらい、望んだ結果を出させてもらう。つまり『 誰か 』がいなければ何もできない。これが、一人になることができない弊害であり、試験対策においては致命的な弊害となってしまうのだ。

 一人になってみては、どうだろうか?何も『 仲間を作るな 』とか『 皆から嫌われろ 』と言っているのではない。何もせず、自分と会話する時間、自分と一緒にいる時間を持ってみたらどうかと言っているのだ。自分といること、すなわち『 一人になる 』ということを、やってみてはいかがだろうかと言っているのである。それを行うことにより、新しい発見とそれに付随する素晴らしいものを、手に入れることができるはずだから…。少なくとも、一人になることに怯えながらスマートフォンに操作され、自らの判断ではない情報に翻弄され、その結果生じた不応層な結果に不平不満を漏らすよりも、もっともっと素晴らしい結果が出るし、素晴らしいものを手に入れることができるのだから…と私は思っている。

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