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フェイク?登場!?

 この時期になると、色々なところから〝学習指導〟を依頼されます。呼んでいただけるということは、それはそれは光栄なことですから、二つ返事で今日は南へ明日は北へ…なんていう具合に飛び回っては学習指導をしています。先日、いつものように、ある会場で学習指導を行い、これまたいつものように「何かありましたら質問に来てください」と言って、とりあえず締めくくると…。ある学生さんが「先生…コレ…」とやってきてプリントを差し出す。で、持ってきたプリントを見ると「…?…!」。私が使用している(もちろん私が作成した)学習指導用の資料が…ん?でも、レイアウトや見た目はチョット違うような…でも内容はほとんど同じ…。「どうしたのコレ?」と聞くと…。まあ、聞いたことをそのまま話すと、ある人達の批判となったり、その関係者の人たちにご迷惑がかかる恐れがあるので、詳細は避けますが…。話してくれた内容は大体こんな感じです。ある人が「学習指導をやりますよ」というので聞きに行き、この資料をもらった。で、学習指導なるものを聞いたが、内容はこのプリントを読んでいることがメインだった…とのこと。まあ、私も学習指導なんていうものを始めて、早ン十年。使用する資料もあちらこちらで配布しては、指導をしているもんですから、配布した資料の数は幾千万(まではいかないでしょうかね:笑)…。その「学習指導をやりますよ」といった人は何らかのいきさつで、この資料を手に入れたと思われます(そのいきさつも分かったのですが…)。で「なかなか良いことが書いてある」と思ったかどうかは分かりませんが、ちょっとこいつを使って〝学習指導〟なんていうものをやってみようか…となったのでしょうか?

 基本的に私の学習指導資料は、本質的部分に関してはほとんど変わっていません。もっと分りやすく言いますと、学習指導の資料と一口にいっても、沢山の指導資料があります。そして、その時々により用いる資料自体を変えたり、新たに作成したりしています。しかし、基本的にどの資料もその本質的内容は、作成した時からほとんど変えていないのです。資料はあくまでも〝道しるべ〟的存在であって、私が話す指導内容が〝道〟だからです。だから学習指導で話す内容は、前述のように依頼内容や時期、対象とする人、その他様々な要因で千変万化します。正確に言うならば変化させます。通り一遍のことを話すだけでは〝指導〟ではありません。指導というからには、その時、その場所、その人によって臨機応変に、その内容を変えていかなければならないのです。ですから前述のように、沢山の指導資料が存在することになるのです。これも前述してありますが、資料が沢山存在しようとも、学習指導としての本質的部分は変わりません。主脈は変わりませんが、それを伝授する方法が千変万化するということで、それに伴い資料の方も増えていくことになるのです。資料が沢山あろうとも、私が話す〝指導内容〟が重要であり、そしてそれは私の中にあります。だから、資料が無くても学習指導は出来ます。実際、資料を全く使わずに学習指導をしたことも何度もあります。何やら偉そうに聞こえるかもしれませんが、別に大したことではありません。勉強のやり方を教えることも、講師の立派なお仕事の一つ。講師という仕事をしている以上、出来て当然なのです。実際、うちにいらっしゃる講師陣のほとんどの方が、学習指導が出来るのですから。もちろん、ベテランの講師だからこそ為せる業なのですが…。

 話を戻しますが…そんなわけで、沢山存在する学習指導資料が、さらに大量に配布される訳ですから、手に入れることもさほど難しくはありません。ただ、気になるのは…果たして私が作った資料で正しく指導できるのかな、ということ。この場合の〝正しく〟とは〝私と同じ内容〟というわけではありません。色々な学習指導のやり方があるのですから「私の学習指導だけが正解だ」などというつもりはありませんし、実際そんなことは微塵も思っていません。ただ気になるのは「他人が作成した資料で果たして、ちゃんとした指導が出来るのだろうか」ということ。人が作った資料が使い難いのは、この世界での常です。ですから、その人が学習指導をするというのなら、その人が作成した資料が、その人にとって一番指導しやすい資料になるはずなのです。そう思いつつ、その資料を持ってきてくれた学生さんに、その学習指導の話を聞いてみると…。やはり、前述のように、その内容は資料を読んでいるだけで、チョコっと補足がある程度だったそうです。う~ん、あまり指導と呼べる内容ではないような…。その学生さんいわく「初め先生の資料を見たとき『またコレ?』って思ったんですけど…今日の先生のは役に立ちました」とのことで、感謝感激でした。まあ、一応、その資料の本家本元ですからね(笑)。

 この仕事をしていて何が一番うれしいかというと「先生のおかげで分かりました」とか「勉強の役に立ちました」と言われることなんですよね。ましてやそれが、自分の作成した資料での講義・講演ですから嬉しさも一入。講義や講演だって〝自分で作成したもの〟ですからね!私が作成した資料が、今日もどこかで、誰かの役に立っているのなら、それはそれで嬉しいことなんですけど…もし役にも立たず軽んじられる結果となっているのなら…たとえ私が指導していなくとも、作成した本人としては悲しい限りです…。

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