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何にだって文句はつけられます!

  ヨーロッパの寓話の一つ。湖畔にすむ小動物たちが「この中で誰が一番強いのか」について話し合ったのですが、一向に「誰が強いのか?」の決着がつかない。そこで、その審判を神様に委ねることに。すると、神様はその動物たちを砂漠へと追いやりました。砂漠には当然水がありません。多くの動物たちが「こんなところでは暮らせません」と神様に泣きつきました。しかし、カメだけは神様にこういったそうです。「日光が降り注ぐ中で甲羅干しができる。私は運がいい。神様に感謝します」と。次に神様は、動物たちを雪国へと追いやりました。すると、動物たちは神様に向かって「こんな場所にいると凍え死んでしまいます。どうか、元の場所にお戻しください」と泣きついたそうです。しかし、この時もカメだけは違いました。「私は運がいい。これで冬眠することができる。ゆっくり身体を休ませることができる。神様ありがとうございます」と神様に感謝の言葉を述べたのです。その結果、神様は「カメこそが一番強い動物だ」という審判をくだし、褒美として長寿をプレゼントしたそうです。

  文句は何にでもつけることができます。前述の寓話でいうならば、砂漠へ行ったのなら砂漠への文句、雪国へと行ったなら雪国への文句。その時その場所その状況で、文句などいくらでもつけることができるのです。そもそも、文句とは何でしょう?大辞林によると「不満・不賛成などの言い分。苦情。不服」とあります。つまり「文句を言う」という行為は「不平・不満を言う行為」ということになります。何にでも文句を言うことが出来る。つまり、何事においても不平・不満を言うことができる、不平不満を見つけてきては、それを口にすることができるということになります。そう、不平不満を自分でわざわざ探し出してきては、それについてあれやこれや言う…これが、文句を言うという行為なのです。

  文句の多い人がよくいますが、前述のことからすると…そういう人はわざわざ不平不満を探し出してきている、ということになります。う~ん…そんなことをして楽しいんでしょうかね?だって、わざわざ自分の気に入らないことを、見つけ出してくるのですよ?そんなものわざわざ見つけ出してきて、それに関してあれこれ苦言を呈するなんて、決して楽しい行為ではないと思うのです。例えば、皆さんは花見に行ったらどうします?まあ、花見ですから桜を見ては、楽しい気分になるのだと思いますが…それを、花見に行って、花見会場のゴミ箱だけを見ていたらどうなります?せっかく花見に来たのに花を見ず、花見会場のゴミ箱だけをずっと見つづけては「汚い」だの「臭い」だの「なんで、こんなものがあるの」など、文句ばかり言っている人がいたらどうします?「せっかく、綺麗に桜が咲いているのに、なんでそちらを見ないの?わざわざ汚いものを探し出してきては、それだけを見つめて文句を言っている…。そんなことして、どうするの?」と、その人に言うのではないでしょうか?

  文句ばかり言っている人は、わざわざ面白くないもの・気にいらないものを探し出してきては、それについてとやかく言っているだけなのです。綺麗なものがあるけれど、そんなものは見もしないで、汚い部分だけを見つけ出してはとやかく言っている。精神的に非常によろしくないと思うのですが…。だって、そうじゃありませんか?何にでも文句はつけることは出来るのです。見つけようと思えば、どんなものにも汚い部分というか、ネガティブな部分は存在するのです。わざわざ、それを見つけ出してくるんですよ?あえて「汚いものがないか?」と探しているんですよ?気分良くなる訳がないじゃありませんか。そういえば、文句ばかり言っている人はいつも不機嫌な人が多いような…。そりゃあ、そうでしょう。あえて自ら気分が悪くなるようなものを探し出してきているのですから。美しい花が咲いていても、それに見向きもせずゴミ箱を見て不平・不満ばかりを言っている。あんまり楽しい生き方じゃないと思うのですが…。だからこそ、いつも不機嫌になってしまうのでしょうが…。

  当ブログでもよく書いてきましたが、どうせ生きるなら楽しく生きた方が、ご機嫌に生きた方がいいと思います。イヤ、良いに決まっています!そのためには、文句なんか言わずに過ごした方がいいのです。「文句を言う」ということは「楽しくないことを探す」ということですから。楽しくないことばかり探していても、ご機嫌になれるはずがありません。楽しくないことばかり探していたら、自分の周りは楽しくないことばかりになってしまいます。楽しくない状況にその身を置いて、はたしてその人は幸せなのでしょうか?いや、幸せであるはずがありません。どうせ探すなら、ご機嫌になるもの、楽しくなるものを探してみたらどうでしょうかね?ゴミ箱ではなく、咲いている桜を探してみる方が楽しいと思います。「でも咲いている桜が無かったら…」そういう時は、別の楽しいこと、美しいことを探してみたらいいんですよ。どんなものにも汚い部分、ネガティブな部分が存在するのと同じように、どんなものにも美しい部分、ポジティブな部分も存在するのですから!どうせ目をやるのならば、そっちの方に目をやった方が楽しいんじゃないでしょうか?美しい部分、楽しい部分を探し出すようにしていれば、自ずと口から出てくる言葉も、ご機嫌な言葉になるのではないでしょうか?そうすれば、ご機嫌な言葉を発している自分もご機嫌になれるし、回りの人たちもご機嫌になれるし、こんな良いことはないと思うのです。よく言われている言葉ですが「不平・不満は不幸を呼ぶ」という言葉。私は、この言葉通りだと思っています。

 

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