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じっくりと考えていたい。

 小学生のころ、やたらクイズ番組を見ていた時期がある。あの頃はクイズ番組全盛期だったのだろうか?何気に毎日のようにクイズ番組があったような気がする。どれも欠かさずみていたものだ。面白いもので、ずっと色々なクイズ番組を見ているうちに、結構バッティングする問題があることにも気がついた。大人でも首をひねるような問題で、答を聞いた時にはその内容が分かりもしないのに「そんなモノがあるんだ」などと思ったものだ。で、それが他のクイズ番組で出てきたりするもので、当然、こちらは答を分かっているので、それを口にすると…周りの大人たちは不信の目で見ているのだが、はたしてそれが正解であったりするものだから、よく驚かれたものだ。今でもよく覚えている問題が「地球の地殻とマントルとの境界面を何というか?」といった問題。答は「モホロビチッチ不連続面」。そして、これが違うクイズ番組でも出題されたのだが…。私は問題を聞くや否や「モホロビチッチ不連続面」と答えた。いざ答を聞いてみると…正解。大人たちは大騒ぎして「何で知っているんだ」的に騒いでいたが、何のことはない。以前クイズ番組で見て答を知っていた。ただ、それだけである。

 私はクイズが嫌いではない。イヤ、どちらかというと好きな方である。しかし、好きであるとは公言したくないし、人からクイズ好きと思われるのも嫌いだ。人からクイズを出されることなんか大嫌いなのである。正確に言うのなら「人からクイズを出されることが大嫌い」。それが結果として「人からクイズ好きと思われるのが嫌い」であり「クイズ好きであると公言したくない」ことへとつながっていく。人からクイズ好きと思われたり、クイズ好きであると公言すると、とたんにクイズを出してくる輩がいる。これがイヤなのだ。では、何故「人からクイズを出されることが大嫌い」なのか?

 私は、じっくりと考えるのが好きである。分からないことを、分からないままとして〝保留〟にしておきたいのだ。そして、事あるごとに思い出しては「何だろうなぁ」と考えるのが好きなのである。確かに、答は知りたい(だから考えているのだ)。しかし、早急に知ろうとは思わないし、知りたくもない。自分で考えて答を出したいのだ。別に時間がかかることなぞ問題ではない。試験問題ではないのだ。ゆっくり、じっくり考えればいい。ゆっくり、じっくり考えれば、あの手この手で色々な方法で問題を考えることができる。それが好きなのだ。自分で考えたクイズの答が正答であり、さらに一般的な解法とされているやり方と異なる解法で答を導きだしていた時なぞ、言葉にできない嬉しさがあったりする。そんな時が、まさに至福の時なのだ。

 しかし…私の周りにはそうさせてはくれない人が多い。イヤ、私の周りではなく、世間にはそういう人が多いのかもしれない。クイズを出してきては「何だと思う?」「答は?」と矢継ぎ早に聞いてくる人が圧倒的多数。大体、クイズを出されて、ものの数秒で答えてしまったのなら、そのクイズはクイズとしての存在価値が無いのではないだろうか?話は横道に逸れてしまったが…クイズを出されても、まあ一般的なものならばおいそれとは答は出ない。で、こちらが考えていると…「で、答は?」とか「何だと思う?」とか「早く、早く」などと急き立ててくる。何故、そんなに早く答えなければならないのだろう?見ると出題者は、ウキウキした目でこちらを見ている?う~ん…何を期待しているのだろう?私が正答を出すことを、そんなに心待ちにしているのだろうか?いいや、どうやらそうではないらしい…。何故なら彼らの〝ウキウキした目〟の顔つきが、今で言う〝どや顔〟になっているからだ。クイズを出して、何故〝どや顔〟ができるのだろう?考えるに答は一つ。「私は答えを知っているのよ。あなたは知らないでしょ?ほら考えて!悩んでいるけど、私は答えを知っているのよ」といった優越感に浸っているからではないか?そう、人にクイズを出す人間の99.9%が、この〝知っていることに対しての優越感〟を味わいたいがために出題しているようなのだ。だから、私は「人からクイズを出されることが大嫌い」なのだ。出題者の自己満足、知っていることに対する優越感への浸り…その材料にされているだけであり、その時の出題者の顔といったら…まあ、人間の心の卑しさがにじみ出ている、そんな〝どや顔〟になっているのだ。見ていて気持ちのいいものでは…イヤ、身の毛もよだつほどの顔なのだ。そんな顔を見る不愉快さゆえに「人からクイズを出されることが大嫌い」となってしまったのである。

 知っているということは、何か人より偉いことなのだろうか?知っているということは、何か人より優位に立てることなのだろうか?私はそんなことはないと思う。人間知っていることもあれば、知らないこともあって当然なのだ。知らないことを恥じるべきでもなければ、知っていることでいい気になることもないのだ。そんな下らない見栄というか、一時しのぎの自己満足に浸るのは勝手だが、こちらがゆっくりと考えて得ることができる、あの至福の時・・・その至福の時を得るチャンスだけは、潰してほしくないのである。私はじっくりと考えていたい。ただ、それだけなのだから・・・。

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