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分からないことは悪いことじゃない!

 ①:以前私が勤めていた予備校での話。とある大学に行くことになったのだが、その大学は駅からバスを利用しなければならない。同僚の講師に、そのバス乗り場がどこにあるのかを尋ねたところ…「駅を出て、まっすぐ歩いて右に折れたところにありますよ」との返答。それじゃあ良く分からない旨伝えたところ「分かりますよ、まっすぐ行って右ですから」と同じような返答が。駅から道が一本しか伸びていなく、交差する道も他に無い所なんだろうと思い、当日行ってみると…確かに駅から道は一本伸びているのだが、交差する道がいくつかある。まっすぐ行って右ということなので、1本目の道を右に曲がったのだが、どうもバス乗り場と思しき所は無い。やむを得ず一旦戻り、駅の人に聞いたところ…まっすぐ歩いて2本目の道を右に曲がるとの事。おまけに曲がってからも、それなりの距離があるとの事で、実際行ってみると駅員さんの言うとおりであった。

②:大富豪もしくは大貧民と呼ばれているトランプのゲームがある。私はこのゲームが出来ない。正直な話、もうこのゲームを知ろうという気もないし、やりたいとも思わない。私は、このゲームのやり方をかつて何人もの人間に聞いてきた。しかし、帰ってくる答は、判で押したように同じ答。「2が一番強いんですよ。あと、やっているの見ていたら分かります」…そんなんで果たして分かるのだろうか?まあ言うのだから…と見ているのだが、さっぱり分からない。そんな体験を数十回も、それこそ判で押したように何度も繰り返された日には、堪ったものではない。という訳で、私は金輪際、大富豪もしくは大貧民と呼ばれているゲームには関わらないようにしている。

 私は、人から物を教えてもらうことが好きではない。出来る限り自分で調べ、教えてもらうことがないようにしている。「講師という仕事をしているのに、とんでもないヤツだ!人にモノを教える仕事をしているならば、人から教わるということも大切なことではないか!」と目くじら立てて怒る人もいるかもしれないが…怒るのは、ちょっと待ってほしい。教わるのが嫌いといっているのではない。好きではないといっているのだ。以前ブログにも似たようなことを書かせていただいたが、「好きではない」=「嫌い」ではない。別に、人にモノを教えてもらうことを嫌い、拒否しているという訳ではないのだ。その証拠に①の話では、駅員さんに道を教えてもらっているではないか?

 では、前述の「私は、人から物を教えてもらうことが好きではない」といった発言は、どういう意味なのか?ザックリと言わせてもらおう。実は、モノを教えるときに①、②のような教え方をする人間が何気に多いのである。そういう人間にモノを教えてもらう羽目になった場合…何とも言えない嫌な思いをしてしまう結果となるのだ。私にとって「物を教えてもらう」という行為は、「心地よいor嫌な思い」のいずれかとなってしまう、相当にリスキーな行為なのだ。万が一〝嫌な思いをする方の人間〟に当ってしまった場合…相当な付加を背負ってしまうことになる…。これが私の「人からモノを教えてもらう」ということに対する正直な意見であり、「好きではない」という表現の根拠なのだ。

 でも、どうなのだろう?皆、初めは分からないのが当たり前なのではないか?そして、それを教えてもらうという行為も、至極当たり前の行為ではないか?何故それが〝リスキーな行為〟になってしまうのだろう?さらに、実際に私が感じたことなのだが…実は①、②の件に関して、教える方に一つの特徴がある。それは「教えている方が、さも自分が偉いかのような、上から目線で接する」ことである。人にものを教えるというだけで、何故もそんなに優位に立ったような態度を取れるのだろうかと、私は常々疑問に思っている。何といっても私が聞いていることは、単に〝バス乗り場への道順〟と〝ゲームのやり方〟でしかないのだ。なのに、それこそドヤ顔で、しかも前述のような「教えているんだか、教えていないんだか分からない教え方」で、何故にそんなに誇らしげに語れるのだろうかと思ってしまうのである。そして、そういった人間からは「私はそれで分かった。だから、分からないあなたが悪い。分かった私は優秀なのだ」といった、嫌悪すべき雰囲気がたっぷりと滲み出しているのが感じられるのだ。

 分からないことは悪いことなのだろうか?断言できるが、それは100%間違いである。分からないことは悪いことではない。初めてのことは分からないのが当たり前だし、分かったところで、時間の経過とともに分からなくなってしまうことも多々あるのだ(だから勉強という行為が必要なのだから)。いずれにしても、それらは当たり前のことであり、悪いことではないのだ。それが何故に「分からないこと=悪いこと」となってしまうのだろうか?ここでハッキリといわせてもらいたい。分からないことは悪いことではない。人にモノを聞くことも、なんらやましいことではない。むしろ、前述のような「私は分かった。だから、分からないあなたが悪い。分かった私は優秀なのだ」という思いこそ、諸悪の根源であり〝嫌悪すべき悪いこと〟ではないのかと、私は思っているのである。

 

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