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事実だったら何を言ってもいいのか?

 以前読んだ、あるお医者さんの本の中で、私は未だに忘れられない話があります。その本(光文社さんが1988年に発刊されている本です)を書かれたのは、能中賢二先生というお医者さん。ラジオなんかにも出ていた有名なお医者さんだったそうで、とても面倒見が良く、評判のいいお医者さんだったそうです(このブログを書くにあたり、調べさせていただいたのですが、残念なことに既に他界されているとのことでした)。私が忘れられない話というのは…。

 能中先生、ある日70歳後半の女性から電話相談を受けたそうです。内容は…その女性、10年ほど前に手術を受け人工骨頭が体に入っているとのこと。その手術後、主治医のA先生は「これで30年は大丈夫」と言っていたそうで、その女性も安心して生活してきたそうです。ところが(能中先生に)電話をかける前の日、近所のB先生に「人工骨は10年が限度。そろそろ取り替えなくてはいけません」といった内容の話をされたとのこと。その女性、ショックで夜も眠られなかったそうで、能中先生の所に電話をかけてきたということでした。そのことについて、本の中で能中先生はこんなことを書いています。「確かに人工骨頭は10年くらいしか持たない例が多い。女性の70歳後半という年齢を考えた場合、新しいものと取り替える手術と、このまま取り替えずにいることを考えた場合、取り替える手術をすることが、どれほどこの女性に必要なものだろう?とくにB医師の80歳になろうとしている女性に対する発言は、適切なものであったと言えるだろうか?少なくとも私は、この女性の話を聞いてB医師のことを腹立たしく思った。せっかく、女性は平穏な生活を送っていたのに、このような発言をするというのは、あまりにも人間的でないように思えてならないのである」と。

 「医学的には、確かにその通りかもしれない。しかし、手術をすることが正しい選択といえるかどうかは疑問である。少なくとも、その疑問に対して熟考する前に、女性に事を告げたという行為に関しては、一考の余地があるのではないだろうか?」能中先生は、こう指摘されているのだと思います。今回の件は、医学的な見解ですから「本当のことを伝えるのが良いか・悪いか」は中々一重に判断出来ない部分があると思います。しかし、日常生活の中には、ここまでとはいかなくとも〝事実を伝えることの良し悪し〟というものが多々存在していることは事実です。そしてその事実も、真偽のほどが定かでない〝事実〟であったりする場合が多々あったりもするのです。

 私は以前から気になっていることがあります。それは「本当のことなんだから言ってもいいだろ」という考え方。よく「本当のことなんだから言ってもいいだろう」とか「事実なんだから言っても問題ないでしょ」という人がいますが…私はそういう人たちに言いたいのです(もちろん面と向かって言ったこともありますが…)。「あなたのその考え方は間違っている」と。事実だったら何を言ってもいいのでしょうか?本当の事だったら何を言っても許されるのでしょうか?人と人との関わりとは、そんな杓子定規ではいかないものだと思います。「言う」という行為には、人と人の関わりが常に存在しています。人と人との関わりがある以上、関わる人のことを配慮するということは、大切なことなのではないでしょうか?能中先生がおっしゃっていることも、そういった内容であると私は思っています。

 世の中には「本当のことを言って何が悪いんだよ」と強気に出る人も、悲しいかないることは確かです。でも、それを言うことによって傷つく人や悲しむ人がいる場合、それを言うことは許されることなのでしょうか?あえて、人を当惑させてまでも言うべき事実とは何でしょう?もちろん、人を当惑させてまでも言うべき事実があることは確かです。ただ、前述のような「本当のことを言って何が悪いんだよ」と強気に出る人のいう〝事実〟というものは、私的には〝眉唾物の事実〟である場合が圧倒的に多いのです。確かに、その人はそのことを〝事実〟として認識したかもしれません。しかし、何かに対して自分がどう思っても、自分がどう感じても、それはその人が思ったり感じたりしたというだけであって〝絶対的な事実〟ではないのです。あくまでもその事実は、その人が捕らえただけの〝相対的な事実〟でしかないのです。〝その人だけの相対的な事実〟な訳ですから、口から出すとなるとやはり他の人のことを考えるのが、人を尊重するということなのではないでしょうか?そこのところを取り違えると…どうも最近、そういった配慮が少ない人が多くなったような気がします。「私が…」「自分的には…」と絶対的にズンズン前には出てくるのだけれども、他の人への配慮が今一つ足りないという人間が…。

 先の件に関して能中先生は次のように書かれています。

 医師と患者の間に不可欠なのは、患者の医師に対する信頼感であり、安心感である。患者の精神的不安感から開放された生活を送らせてやるのも医者の務めではないか。患者は表面上だけではなく心も治してほしいはずだ。

能中先生。残念ながら、私はお会いしたことはありませんが…あなたは素晴らしいお医者さんです。

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