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何故、人を不安にさせるの?ラスト

 「何故、人を不安にさせるさの?」ということで、3週ほど書かせてもらっています。先週は〝根拠なき脅かし派〟について書いていたのですが…最後にこう締めくくりました。「では〝根拠なき脅かし派〟の2つのパターンの残り1つは?実はこれがなかなか厄介なのです。本人は全くと言っていいほど悪気がないのですから…」。本人は悪気はないけど、結果的には〝根拠なき脅かし派〟になってしまう…。実は何とも皮肉な話…イヤ悲しい話となってしまうのですが…。「何故、人を不安にさせるの?その1」で、こんなことを書きました。『不安がらせる人…。それは友達であったり~中略~時には家族の方であったりする』と書きましたが…そうなんです。何気に困ってしまうのは、家族の方が〝根拠なき脅かし派〟になってしまうことなんです。

 「お母さんが色々と…」とか「お父さんが電話で…」と、ちょっと不安な顔で困惑気味に相談に来る学生さんは何気に多いのです。時期も時期ですから、何かと家族の方に連絡を取らなければならないことも多くなるのですが…連絡を取る度に「大丈夫なのか?」と聞かれてしまうとのこと。さらに、毎回毎回言われてしまうものだから、それがかなり負担になっているようで。で、「先生どうしましょう?」とやってくることに。毎回書いていますが、ただでさえ不安な時期。そんな中、毎回毎回「大丈夫なの?本当に大丈夫なの?」なんて言われ続けたら、そりゃあ誰だって「本当に大丈夫なんだろうか?」と不安になってしまうのは、至極当たり前の話。ましてや、相手が家族ともなると逆らうこともできず、黙って聞くしかない…となると、当然、ダメージも大きいわけで。真剣な顔で、切々と不安を語る学生さんを見るたびに、何ともやりきれない気持ちになります。

 もちろん、家族の方には〝不安にさせる気〟なんか微塵もありません。ただひたすら心配なだけなんです。ご両親であれ、兄弟姉妹であれ、祖父母であれ、みんなみんな、ただひたすら心配なのです。心配だからこそ、つい言ってしまうのです。「大丈夫なの?本当に大丈夫なの?」と。家族の方は〝大事に思って〟言ってあげているのに、それが伝わらない…。それどころか、真意が真逆に伝わってしまっている。何とも悲しい話です。これを読んでいる方にも「私もそうなんです。家族の言うことで不安に…」という方がいるかもしれません。でも、チョット考え方を変えてみて下さい。前述のように、家族の方は何も不安にさせよう、脅そうと思って声をかけているわけではありません。単に心配してくれているだけなのです。ただ、心配するあまり、心配している当人も心配になってきて、つい「大丈夫なの?」と口にしてしまうのです。ですから、ご家族の人が「大丈夫なの?」と言ってきたならば、それは心配の極致に達してのことなのです。その言葉を聞いて不安になる気持ちは分かりますが、それはチョット横に置いてこう考えてみて下さい。「ああ、こんなにも心配してくれているんだ」と。そしてこうも思って下さい。「私には心配してくれる人がいるんだ」と。世の中には、誰からも心配されない人がいます。悲しいことかもしれないけれど、誰からも心配されない・誰も心配してくれない人というのは確かに存在します。自分のことを心配してくれる人がいるというのは、とてもとても幸せなことなのです。ですから、この幸せを思いっきり堪能して下さい。「私には心配してくれる人がいる、私は幸せなんだ」と。そして、こう答えてあげて下さい「大丈夫!」と。

 中には「『私には心配してくれる人がいる、私は幸せなんだ』なんて、とてもじゃないけど、そんな気持ちになんかなれない!」という人もいるかもしれません。でも、ちょっと考えてみて下さい。ご家族の人は心配して「大丈夫?」と聞いてくるのは、まぎれもない事実です。その事実を知っているのに、何故、違う受け止め方、つまり不安になる受け止め方をするのでしょう?受け止め方は自由です。「心配してくれるんだ」と受け取るのも自由、「不安にさせているんだ」と受け取るのも自由だし、それ以外の色々な捉え方が出来るのです。その捉え方は自由であり、自分の考え方次第でいかようにも捉えることができます。自分の考え方次第でいかようにも捉える事が出来るなら、自分のいいように、自分の楽しいように捉えた方が楽しいじゃないですか?どう捉えようが自分の自由ですからね。別に誰に迷惑かける訳でもありませんから(笑)。

 そうなんです。実は「不安になる」で一番重要なことはこれなんです。どんなに不安になるようなことを投げつけられても、そんなものは受け取らなければいいだけなのです。人は「不安にさせられる」のではないのです。自ら「不安になる」のです。「不安になることを自ら選択してしまっている」だけなのです。「何故、人を不安にさせるの」で一番言いたいポイントはこれなんですよ。「不安は自らが選択してしまっている」ということなんです。「人を不安にさせる」ことへの対処法は〝人を不安にさせる人間〟なぞにかまわず〝人を不安にさせる言動〟に翻弄されず、自分自身が「不安を選ばなければいい」だけなのです。「でも、周りの人が云々でなく、不安になってしまうんです」という方は…。

 〝何故、人を不安にさせるの?シリーズ〟の初めに『この時期になると、何気に多くなるのが「不安なんです」とやってくる人たち』と書きましたが…実は「どうしたら不安じゃなくなるんでしょう」といったことを相談に来る人も大勢います。そのたびに私はこう言います。「不安をなくす方法はないよ」と。「そんな冷たい…」と思う方もいらっしゃるかもしれません。イヤ、いかにもといった感じで、御座なり(おざなり)なことを言うことはできますよ。でも嫌いなんですよね、そういうのは。なんか、そこら辺に転がっていて誰でも知っているような、ごもっともで大そうなご意見を、心も込めずに偉そうにしゃべくって、相手を煙に巻くのが嫌なんですよ。そんなもの指導とは呼べませんから。第一、そんなことでなくなる位の不安なんか、相談してくる当人が大して不安に思っていない、いい証拠です。私は不安であることが悪いことだとは思っていません。誰だって不安になるし、それに伴い緊張もします。もちろん不安にも色々あります。解消できる不安もあれば、解消できない不安もあります。特に試験や勝負に赴く不安は、100%解消できるものではないのです。あのシアトルマリナーズで大活躍のイチロー選手だって「いつも、恐怖と不安と重圧を、抱えています。楽しいだけでは、プロの世界にいられない」と言っています。彼は勝負の世界に生きる人です。その数多の勝負の中で、数々の偉業を成し遂げたイチロー選手だって、不安を抱えているのです。だから国家試験という大勝負を目前に控えた皆さんが、不安にならない訳がないのです。不安になって当たり前。誰もが不安で、不安になるのが当たり前なのです。それが当り前である以上、不安をなくすことなぞ、できはしません。それとも、安っぽいセリフを並べて、ごもっともなご意見でも言ってみましょうか(笑)?「不安をなくすことができない」以上、「安っぽいご意見で煙に巻く」という低俗な方法を使うという、これまた低俗な輩も多くいるのです。でも皆さんは、今までにそんな安っぽい、何の役にも立たない、心のこもっていない大そうなご意見を、イヤというほど聞かされてきたのではないですか?それにうんざりしているなら、しっかりと捉えて下さい。誰もが不安なのだと。不安であることが当たり前なのだと。

 不安であることは何にも悪いことではありません。私は良く学生さんにこう言います。「不安になることと、問題が解けないことは別なことです。〝不安だから解けない人〟と〝不安でも解く人〟がいるだけ」と(こういうこと書くと、すぐに前述の〝低俗な輩〟に〝大そうなご意見〟として、乱用されちゃって〝安っぽい意見〟に蹴落とされてしまうんですよね:悲…)。不安になるのは当たり前で、皆がそうである以上、完全解消方法なんかありません。でも考えてみて下さい。誰もが火事は不安ですよね?「火事になったら不安だから消火器を購入した」というのは賢い行動です。しかし、「火事になったらどうしようと不安で何もできない」のは愚かな行動じゃあありませんか?どうせとるなら賢い行動の方が良い。不安に感じたなら…何でもいいから1つ事を行って下さい。目の前にある覚えることを覚える。目の前にある分からないことを調べる。今、目の前にある、やるべきことをやる。これが、不安に対抗する、賢い選択なのです。それで不安はなくなるのか?前述のように、不安を100%解消することはできません。でも前に進むことはできます。不安でもいいから前に進むのです。不安だからと前に進まないことは愚かなことです。だから前に進むのです。不安でもいいから前に進む。これが、この時期の乗り越え方でもあり、不安を抑える一番の方法でもあるのです。「不安を100%無くすこと」はできません。でも「不安を抑えること」はできます。不安だからと前に進まないのではなく、少しでもいいから前に進む。周りから投げかけられた言動を受け止めて不安になるのではなく、その不安になる言動を受け止めずに、前向きに自分のいいように捉える。これが、今の時期の一番いい過ごし方だと思います。

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