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食い物が小さくなっている。

2022/05/17

 値上げブームである。『 ブームが続いている 』といった表現の方が、いいのかもしれない。思えば、消費税が上がった時。2019年10月1日から、消費税(及び地方消費税)の税率が8%から10%へ引き上げられたのだが…この時から、現在の値上げブームが始まった気がしなくもない。〝値上げ〟と言ってしまえば、一過性のような感があるが、今回の〝値上げ〟は、今だ続いている。続いているから〝ブーム〟。もちろん、この今も続いているブームには、一連のコロナ騒動や戦争の勃発も、大きく絡んでいることは言うまでもない。

 先日、立ち食いそばを食べたのだが…カウンターに座り、天玉そばを堪能していると、横の壁に張り紙がしてある。値上げのお知らせ…。そばが20円、天ぷらが10円、定食が20円〜30円値上げになるとのこと。ちなみに私が堪能している時点で、すでに値上げは決行されていた。『 かけそば 300円→320円 』と書かれているのを見て、なんとも物悲しいというか、現実の厳しさを突き付けられたような気がした。『 天ぷら各種 10円値上げ 』と書いてあるのを見た時などは、前回のブログ〝天玉ソバ 危機一髪!〟の内容が頭をよぎったほどである。『 っていうことは…天玉ソバは…単純計算で30円値上げかい! 』。こりゃあ確かに危機一髪だわ!

 しかし…確かに、以前と比べると値段は上がっているが、天玉そばを十分に堪能し、満足できたことも確かである。美味しくて、気分も上々。そう、値段が多少高くとも、満足できるものが食べられたなら、人は幸せになるのである。値上げをして、以前よりは高くなったかもしれないが、満足したことに関しては、以前と何ら変わりない。そう、食べて満足できれば、人は文句を言わないものであるからして、『 食べた後に満足できれば、万事OK 』といったところだろう。

 以前、『 日本で二番目にマズイラーメン屋 』と謳っている店に入ったことがある。テレビ等で取り上げられたとこもあり、私が行った時には人が並んでいたのだが…。ちなみに私は、並んでまで食べるということをしない人間である。どんなに美味しいと言われているラーメン屋でも、人が並んでいるようでは食べない…というか、並ぶことをしない。私は美味いラーメン屋をいくつか知っているが、共通点が一つある。それは、『 どこも、並ばずに食べることができるお店である 』ということ。中には、行列を作っているお店もあるが、常時という訳ではなく、すんなり食べることができる場合もある(むしろ、こちらの場合の方が多い)。『 行列ができる 』ということと『 美味しい 』ということは、決してイコールではないのだ。だから、並んでまでして食べる必要はないと思っている。まあ中には、味は横に置いておいて、並ぶことが食べることのステイタスのように考えている人もいるようだが…。私は、そういう人間ではない。

 閑話休題。その〝日本で二番目にマズイラーメン屋〟で、ラーメンを食べたのだが…マズかった。マズかったのだが、怒りはしなかったし、機嫌も悪くならなかった。むしろ、満足した感があったことも事実である。何故ならば、店の人があえて『 マズいですよ 』と言っているのだから。そして、こちらも『 まずいもの 』と認識して食べているのだから。マズいと言っているモノを食べてマズかった。だから、怒ることもなく納得したのである。人間とは不思議なものである。『 マズいですよ 』と言われて食べて、マズくても怒らないのである。『 美味しいですよ 』と言われて、マズかったら怒るのである。つまり、美味い・マズいが、怒りの引き金になるわけではないということ。美味いと言われてマズかったという〝裏切り〟が、人を怒りに誘うのである。

 以前、居酒屋に行った時のこと。『 ここも値上がりブームに便乗しているのだろうか… 』と、半信半疑でメニューを見たところ…ブームに乗っかっていない。オオッ!流行に乗っていないとは、なんという粋な店だ!世の流行り廃れに右往左往する輩など、所詮はその程度の輩。世の流行りなど、どこ吹く風で、自分自身を貫く方が、よっぽどアイデンティティ重き、素晴らしい存在なのだ!やるじゃないか!と喜びながらも、『 では… 』といつものメニューを頼んだ。で、楽しみにしながら待っていたところ…出てきた料理を見た、その瞬間。目が点になるとは、まさにこのこと。この表現が、一番ピッタリである。煮込みの入れ物が、二回り小さくなっている。言っておくが〝一回り〟ではない。〝二回り〟である。〝どんぶり〟から〝お椀〟へと変貌を遂げたといってもいいだろう。その変貌ぶりは、蛹から蝶になるのに等しいものがある。この場合は、成長したのではなく、退化しているので蝶から蛹になったといった方が適切であろうか?どう見ても、内容量が減っているのは一目瞭然である。流行に流されず、値上げを敢行しない粋な店ではなかったのか?どこで折れてしまった?どこで、アイデンティティを失ったしまった?大切な、大切なものを失ってしまったのだぞ、お前は…と、目を点にしながら、心の中でそう連呼する私であった…。この〝二回りの小ささに遂げた変貌〟に比べれば、牛モツから豚モツへと遂げた変貌など、書くに足らないほど小さなことである。

 もつ煮込みだけではなかった…。厚さ5cm、直径15cmほどの〝ごぼうのかき揚げ〟は、厚さ1cm未満、直径7cmほどの〝ごぼうの薄焼き煎べい様かき揚げ〟へと変貌を遂げてしまった。〝ごぼうのかき揚げ〟は、皿からはみ出す2つであったが、〝ごぼうの薄焼き煎べい様かき揚げ〟は、しっかりと上品に皿に収まり、それでもまだまだ皿に余白を残せるほどの3枚になっていた…。もちろん、値段は変わらずである。

 食い物が小さくなっている。スナック菓子ではこれが顕著である。箱の大きさ、袋の大きさ、そして値段はそのままであるが…中身の量が減っている。空隙率が、異常にでかくなっているのである。これは、如何したものであろうか?『 値上げブームなのだから仕方がない。値段がそのままなら、内容量を減らすしかないだろう 』といってしまえば、それまでである。しかし…こと食い物の話であるからして、そんな単純なものではないと思う。誰だって、モノを食う時はうれしいはずである。喜んで食べようとするはずである。なのに、開けてみた時…『 えっ?これだけ… 』と出鼻をくじかれたらどうであろうか?あなたがバッターとして打席に立った時。マウンドに立っている、ヒョロヒョロの小学生が、大谷翔平選手も真っ青のキレキレのスプリットを決めてきたらどう思うだろうか?目が点になり『 見た目と違うことやるなよ… 』と思うのではないだろうか?まさにそれであろう。大きな袋、大きな箱のお菓子を開けた時、その空隙率の大きさに、目が点になり『 見た目と違う内容量はいかんだろう… 』そう、思うのではないだろうか?

 値段は上がったが、内容量は同じ。値段は同じだが、内容量が少ない。果たして、どちらがいいのだろうか?これは、なかなか難しい問題である。何と言ってもアイデンティティが絡んでいるのだから…。『 値段が多少高くとも、満足できるものが食べられたなら、人は幸せになる 』と前述させていただいた。『 誰だって、モノを食う時はうれしいはずである 』とも書かせていただいた。そして、『 〝裏切り〟が、人を怒りに誘うのである 』とも書かせていただいた。ということは…やはり、満足感や幸福感を得るという意味でも、そして『 違うじゃないか 』という裏切りを感じさせない意味でも、『 値段は上がったが、内容量は同じ 』の方に、軍配が上がるのではないだろうか?食べた後の満足感は、食べる前のガッカリ感を凌駕する。私は、そう思うのである。

 

 

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