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比べることは不幸の始まり。

2022/04/20

 英語で『 疑う 』は『 doubt 』といいます。諸説ありますが…語源は『 2つ 』を表す単語から来ているとのこと。2つあるので…『 どちらかな…こっちは違うんじゃないのかな… 』と疑いが生じることになります。なるほど。『 疑う 』は、『 2つ 』からきているということにも納得。実は、この内容は以前書かせていただいたブログ〝比較することの愚かさ。〟にも書かせていただいたのですが…今回のブログも、比較することに関する内容です。

 比べることから不幸は始まる。一体、どういうことでしょう?では、ラーメンを食べている時のことを例にして、説明してみましょう。ラーメンを食べている。美味しい。『 美味しいラーメンだなぁ 』と美味しさを堪能し、至福の時を味わっている。美味しいものを美味しいと食べている時は、誰しも幸せな状況にあることは言わずもがな。しかし…この時、隣の人を見ると、隣の人もこれまた美味しそうにラーメンを食べている。もし、この時…『 自分のラーメンより、この人の食べているラーメンの方が美味しいのではないか? 』と思ってしまったら、どうなるでしょう?この人が食べているラーメンは、自分の食べているラーメンより美味しい…。もちろん、根拠は何もありません。なのに、そう思った瞬間から、自分の食べているラーメンの美味しさは、半減してしまうのではないでしょうか?いや、半減どころではないかもしれません。自分のラーメンは、この人のラーメンより美味しくないかもしれない…。一旦、こういう疑問が生じてしまうと、なかなか元には戻せないのが人間というモノ。さらに、そこから厄介なのが『 そういえば… 』と自分のラーメンよりも、隣の人のラーメンの方がおいしい理由を探し出そうとする。向こうの方が熱々のような気がする…。麺も向こうの方がシャキッとしているように見える…。そういえば、隣の方からいい香りがするが、コイツが食べているラーメンの香りじゃないか?もちろん、根拠なんか何一つありません。しかし、こうなったら妄想を抑えることができなくなります。次から次へと〝自分のラーメンよりも隣の人のラーメンが美味しい理由〟を探し出そうとすることに。もちろん、こんな状況ではラーメンの味なんか堪能できるわけありません。せっかく、美味しいラーメンを食べているのに、それどころではない。食べているんだか、食べていないんだか、そんなことも分からない状況に…。とにかく、隣の人のラーメンの美味しさが気になってしょうがない。イヤ、正確にいうのならば〝自分のラーメンより美味しい、隣の人のラーメンの美味しさ〟が気になってしょうがない。食べ終わった後でさえも…『 隣の人のラーメン美味しそうだったな… 』といった状況。自分が食べたラーメンのことなど、すっかり頭の中から無くなっている。イヤ、ラーメンを食べたこと自体、頭の中から消え失せているやもしれません。そして『 あの人のラーメンの方が、なんで自分のラーメンより美味しいんだ! 』と少々憤りを覚えたりすることも…。せっかく、美味しいラーメンを食べて幸せになり、さらには食後も『 美味しかったなぁ 』と至福の時を味わうことができたのに…。美味しいラーメンを食べていたのに、それを味わえなくなったしまった。それどころか、最後には少々憤りを感じるという不愉快な、つまり不幸が生じてしまう結果になってしまった…。

 何が不幸の始まりかといえば…『 隣の人のラーメンと比較した 』こと。これが、全ての始まりです。せっかく、美味しいラーメンを食べていて幸せなひと時を過ごしていたのに、隣の人と『 比べたこと 』が始まりとなって、〝疑い〟が生じてしまった。そう、〝比べる〟ということは疑いを生じる源になってしまうということ。まさに、ブログ冒頭の〝doubt〟疑うの語源が2つということからも、それが伺えることと思います。

 試験対策を行っている環境では、どうしても他の学生さんとの比較という行為が生じやすい状況にあります。薬進塾のトイレには、『 試験に合格したいなら・・・ 』という、次の有名な言葉が貼ってあります。

 

試験に合格したいなら、自分と他の学生と比較してはいけません。

この態度は不安と緊張、あるいは油断を引き起こします。

自分の内部にある力だけに注目しなさい。

 

まさにこの通りだと私は思っています。そして『 不安 』『 緊張 』『 油断 』も、試験対策の場においては、不幸な状況であることは言うまでもありません。

 これも私が口酸っぱく学生さんにいることですが…自分の点数は自分だけのものです。他の人の点数は全く関係ありません。こういうことを言うと、必ず『 自分の点数が他の人と比べてどれくらいなのか、知ることは大事だろ! 』という輩がいるのですが…では、何故、大事なのですかね?こう聞くと、ほとんどの人が答えられないのが現状です。だって、意味ありませんから、他の人と点数比べたって…。たしかに、目安になるという意味では、平均点はある程度参考にはなるとは思います。ですから、平均点で十分。『 あの人よりも点数が低くて悔しい。そうやって悔しさをバネにして頑張らないと… 』という、お決まりの精神論者も毎回いるのですが…。これも何度かブログ等で書かせていただきましたが、試験対策というものは、週刊○○の熱血マンガではありません。気合い、熱血、根性で何とかなるものではないし、何とかするものでもないのです。週刊○○の熱血マンガでは、敵を倒さねばなりませんが、試験対策は敵を倒すものではありませんので、ご注意をば…。

 他の学生さんと成績や点数を比べてみても、仕方がありませんよ。どうせ比べるなら、自分自身と比べた方がいいと思いますよ。『 自分は今回◯点だと思った。でも□点だった… 』という具合に…。試験対策においては、自分の点数に注目することが、何よりも重要なことなのです。実は、これは私が行っている学習指導の初歩的な一部分なのですが…。前述の有名な言葉にも『 自分の内部にある力だけに注目しなさい 』と書いてありますが…私が言っている『 自分の点数に注目する 』という内容こそが、この『 自分の内部にある力だけに注目しなさい 』ということなのです(学習指導では、これを基に詳しく指導していきますが…)。そうやって、自分の点数を自覚させるところから、学習指導は始まるのです。そして、自分の点数を自分自身でどうとらえるのか?これが、試験対策の始まりでもあるのです。そこに他人の点数はありません。関係ないのです。自分の点数は自分だけのモノ。そして、その点数を自分なりにどう受け止めるかが重要なことであり、その受け止め方から『 では、どうやって勉強を進めていくのか? 』と試行錯誤していくことこそが、試験対策の王道でもあるのです。『 自分の点数を自分自身でどうとらえるのか? 』が試験対策の王道の第一歩なのですから、人の点数と比べてアレコレやることは、ある意味、邪道ということになります。人の成績や点数を気にしてばかりいる人は、前述した有名な言葉の通り、やたら不安になっていたり、緊張していたりする場合が多いようですが…。邪道なことをやっているわけですから、安心感を得ることはできませんし、落ち着くこともありませんから、不安になるのも至極当然の話。そう、幸せな気持ちになることができなく、不幸な気分になってしまっているわけです。他人と比べることは不幸の始まり。このことが、お分かりいただけましたでしょうか?

 

 

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