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先生は偉いのか?

* 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。

       また、自分が教えを受けている人。師匠。

* 教師・師匠・医師・代議士など学識のある人や指導的立場にある人を

       敬っていう語。

* 自分より先に生まれた人。年長者。

                                                                                   大辞泉より

  まあ上記の条件に当てはまる人間を、一般に先生と呼んでいるということになります。私も先生と呼ばれる人間ですが、上記条件でいうならば「学問を教える人」に分類される先生ということになるのでしょう。しかし、改めて見ますと…職種というか、人の種類というか、何気に先生と呼ばれる人のなんと多いことか!まあ、私が先生と呼んでいる人にも、多種多彩な人がいますからね。大学の先生はもちろんのこと、習い事の師匠のことも先生と呼んでいるし、薬進塾で教鞭をふるっている講師陣のことも先生と呼んでいます。薬進塾担当の会計士さんや社会保険労務士の方も先生と呼んでいます。私のことを色々とご指導して下さる方のことも先生と呼んでいるし、病院に行ってももちろん先生はいらっしゃいます。先生である私の周りにも沢山先生がいるのです。そう考えると「何気に自分の置かれている状況は、先生尽くしの状況になっているのでは?」と思わず考えてしまうことに。中には先生と呼びたいのですが「いいよ。名前で呼んでよ」なんていう、謙虚な方もいらっしゃいます。そういう方も含めるとなると、本当に自分の周りには沢山の先生がいるなぁ…なんて改めて思ってしまうのです。

 ウチの講師陣はもちろんのこと、私が懇意にさせていただいている先生方にはいないのですが…どうも世の中には、「自分は偉い」という雰囲気を醸し出しているというか…まあ、ハッキリ言わせていただくならば、〝偉そうにしている先生〟が結構いるような気がするのです。実際、そういう先生には何度か…イヤ結構お目にかかっていますね(笑)。もちろん、本当に素晴らしい、思わず尊敬してしまうような先生も、沢山沢山いらっしゃるのですが…「何故もこんなに偉そうなんだろう?」と不思議に思ってしまう先生が、いらっしゃることも確かなのです。別にこちらが何か失礼なことをしたわけではありません。それどころか、初対面なのにそういう接し方をされることも少なくはないのです。う~ん、不思議だ。ただ、どうも社会の中には「無条件で先生は偉い」という風潮があるようで。だからこそ、偉そうに振舞っているのでしょうか…?でも、そうなんでしょうか?先生とは、無条件で偉い存在なのでしょうか?

 私も長いこと講師という仕事、つまり先生をやっていますが…確かに〝偉そうな講師〟といえる人物にも何度かお目にかかったことがあります。そんな講師が、講師室で学生を怒っている状況に出くわすと…「なにも、そこまで言わなくてもいいだろ」と、聴いているこっちまでが、いたたまれない状況に。そんな気持ちは私だけではないようで、講師室全体にピキッと張りつめた空気が。そういう状況になると、人というのはなるべく音を出そうとしないもので。結果、余計講師室は静まり返ることになり、余計にその講師の聴くに堪えない怒声が響くことに…。まあ、そんな環境で仕事をするのが耐えられなくなったからこそ、薬進塾設立に至った訳なのですが…。もちろん、我が薬進塾はそういった講師はご遠慮願っていますので、気さくな先生方ばかり。空気が張り詰めるなんていう状況とは、無縁の講師室&教室となっていますのでご安心をば。

 前述にありますように、先生という言葉は「敬っていう語」です。私は、自分が先生と呼ぶ人間に対して、敬いの心は常に忘れないようにしています。本当にお世話になっているし、接していると人間的にも本当に素晴らしい人だと思うことがよくあるのです。では、その方達が偉いのかといえば…それ相応の地位にはありますし、世間に通用する立派な肩書だって持っています。偉いのかと言われれば、そりゃあ偉い人達です。しかし、私は自分が先生と呼ぶ人間に対して、あまり〝偉い〟という感覚は持っていないのです。「先生を偉いと思っていないのか!けしからん奴だ!」などと早合点してもらっては困ります。「偉いという感覚は持っていない」からといって卑下しているわけではありません。前述にあるように、私は自分が先生と呼ぶ人間に対しては、間違いなく尊敬の念を抱いていますから。ただ、私の偏見かもしれないのですが、それを〝偉い〟という言葉に置き換えてしまうと、とっても安っぽくなってしまうような気がするのです。ですから、自分が先生と呼ぶ人間に対して〝偉い〟という言葉は、あえて使いたくないのです。〝偉い〟の一言では表せないほどの、奥深き〝敬い〟があるからなのです。

 そして「自分が先生と呼ぶ人間に対して、あまり〝偉い〟という感覚は持っていない」大きな理由の一つに…私が先生と呼び、敬いの気持ちを忘れない先生たちは「偉そうじゃない、偉そうにしていない」のです。これが、一番大きいんですよね。私が先生と呼ぶ人達に対し、偉いという感覚を持たない理由は。全然、偉そうじゃない。むしろ非常にざっくばらんに接してくれます。私は恵まれているのか、そういう先生ばかり周りにいてくれるのです。一緒にお酒を飲んだりすると「飲んでるか?」なんて、笑いながらお酒をついでくれたりします。酒の席でのバカ話に、みんなと笑いながら一緒に楽しくやったりします。そういう先生と、偉そうな態度を取ったり、学生さんに対し高飛車な態度で接している人達が、同じ〝先生〟という言葉でくくられることに、非常に疑問を感じるのです。私が先生と呼ぶ人間は、偉いのに偉そうじゃありませんから。…なるほど、これですかね。〝偉い〟と〝偉そう〟。

 先生とは、敬って言われる言葉。敬われなければ、どんなに先生という言葉を用いられようとも、先生には値しないということになります。偉い人は自然と敬われます。偉そうな人は敬われることはありません。敬われなければ先生とは呼べない人ということになります。だからこそ、偉そうに振舞うのではないでしょうか?「偉くないからこそ、偉そうに振る舞う」この一言に尽きるのではないでしょうか?とにもかくにも、昨今の世の中を見ていると、とてもじゃないが先生と呼べない〝先生〟が増えてきているような気がするのは、私だけでしょうか?。〝偉そうな人間〟ではなく〝偉いと敬われる人間〟…そういう人が、自分が先生と呼べる存在として周りにいてくれるとういうことは、私は幸せ者なんだなとつくづく感じる今日この頃なのです。

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