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「和室なんですけど…幽霊が出るんですよ…」そんな所に泊れと言われても…。

 世の中には霊というモノを信じる人と信じない人がいます。私は信じる人です。だからといって「信じなさい」と無理強いする気は毛頭ありません。信じない人を否定することもしません。「信じない人なんだな」、そう思うだけです。でも私が知る限り、信じない人は、信じる人を否定します。「そんなものいるはずがない」といった考え方を押しつけようとします。中には信じる人の人格そのものを否定する人さえいます。人それぞれ何を信じるか・信じないかは、その人の自由だと思います。しかし、何故か信じない人は、信じる人を否定する行動に出ます。霊の存在を信じている私が、信じない人を否定しないのに、何故信じない人は、私のその考えを否定しようとするのでしょう?そんな行為は、アンフェアだと思うのです。

 先日、2日間に渡りある仕事をしていたのですが、初日の仕事が思いのほか長引くこととなってしまいました。2日目は仕事の開始時間が早く、このままでは十分な睡眠時間も取れずに、仕事に臨まなければならないような状況。私の先輩が「宿泊することは出来ないのか?」と、その仕事の担当者に話したところ、上と掛け合ってくれたらしく、宿泊OKという返事をもらいました。で、私の仕事のチームで宿泊する人を調べたところ、先輩2人と私の計3人が宿泊希望ということで、その旨担当者に伝えました。しばらくすると、私の後輩がホテルの予約の件に関して、担当者の方から言付かってやってきたのですが…後輩の口から出たのが「3つ部屋が取れたそうです。ツインが2つと和室が一つなんですけど…和室の方、幽霊が出るらしいです…」という言葉。私の仕事チームの人間は、それを聞いて大爆笑。まあ、先輩二人にそのような部屋に泊らせる訳にはいきませんから、必然的に私がそこに泊らなければならないのですが…。皆はそれが面白いらしく、やいのやいのと囃したてる状況。困惑した私は、その担当者の所に行き、事の真相を確かめることにしました。「和室に(幽霊が)出るという話しですが…」と聞くなり、担当者の方、顔をしかめながら「そうみたいなんですよ…」とのこと。「ホテル側が言ったのかな?随分非常識なホテルもあったもんだ…というか泊ってもいいですよとしておきながら、そういう部屋をあてがうというのは、どういうことなんだろ?」と思いつつも「じゃあ、泊るのはやめて帰ります」と言った途端…周りにいた仕事関係者たちが大爆笑。「(霊出るから)泊らないで帰るんだ」と、これまた騒ぎ立てる始末。担当者の方は、申し訳なさそうに「そういうのダメな方ですか…」と聞いてきたので「そっちの感が強い方なので…」と伝えたところ「ああ、じゃあやめた方がいいですよ」とのこと。まあ、その後も紆余曲折あったのですが、結局その日は泊らずに帰ることとなりました。

 私は、霊というモノを、ズバリ直接視たことはありません。世に言う心霊体験的なモノも、衝撃的に体験したこともありません。しかし、ちらっと視たり、心霊体験と言えるかどうかといった軽い体験をしたことは何度もあります。「幽霊を視たことがないなら、その和室に泊ってもいいんじゃない?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが…私が宿泊をやめたのは、幽霊が出て怖いのが嫌だからではないのです(もちろん、幽霊を視て怖いのも十分嫌ですけど)。そういう体験をした後、調子が悪くなるのが嫌なのです。頭が痛くなったり、だるくなったり、小さな事故が続いたり、あまりいい目に合わなかったり…そんなことを経験するのが嫌だったのです。霊の存在なんか信じない人達は「そんなの気のせいだ」というかもしれません。しかし、今までそういうことが起きてきたのは事実なのです。前述の「そっちの感が強い方なので…」の意味は、「そういう体験をした後、調子が悪くなる」ということなのです。

 私の知人の中には、いわゆる霊感があるといわれている人が沢山います。幽霊というモノをズバリ見たり、心霊体験といわれているものを、何度も経験している人も沢山います(もちろん薬剤師の中にも、医療関係者の中にもそういう人は沢山います)。そして、それに関して嫌な思いをしたり、余計な気遣いをしたり、私と同じように調子を崩してしまう人も少なくないのです。そういう人達と話をしていて、彼らがよく言うのが「この苦しみを分かってくれない人が多い」ということ。つまり、霊の存在を信じない人達に、どんなに視たことや体験したこと、そして調子が悪くなることを伝えても、頭から否定されてしまうのです。「そんなの気のせいだ」「科学的にありえないと」一笑に付されてしまう。そして、それが彼らの苦悩の一つになっているそうなのです。現在、大ヒットしているホラーコミックエッセイ〝視えるんです〟を執筆されている伊藤三巳華さん。彼女も〝視える人〟とのことで、そんな彼女が体験したことが面白おかしく描かれているのが、この〝視えるんです〟という作品。その中で伊藤三巳華さんは「霊が視えるなんて言うと、引かれるのが当然と長年の経験で思っていた」と語っています。作品の中で、言葉として直接は表現されていませんが、〝視える人〟であることによる苦悩が、何気に描かれています。やはり「分かってくれない人達からの対応による苦悩」というのがあるのでしょう。

 今回、このブログを書くかどうか、大変悩みました。仮にも学校として科学的・医学的知識を教える場のブログとして、霊のことなど(ましてやそれを信じているなど)書くことは、それ相応のリスクを背負うことになると思ったからです。前述のように、世の中には霊云々の話を、頭ごなしで否定する人が大勢いるのです。「薬剤師国家試験対策予備校ともあろうものが、そんなものを信じる内容を書くなど、もってのほか!」という人がいても、全然おかしくはないからです。では、何故書こうと思ったのか?それは、このブログを読んでくれる人の中にも、同じような悩みを持っている人や同じように苦悩をしている人が、いるかもしれないと思ったからです。そんな「誰もこの苦しみを分かってくれない」と悩んでいる人が、このブログを読むことによって「他にもそうやって悩んでいる人がいるんだ」と、少しでもその悩みから開放されたらいいなと思ったのです。

 前述のように、私は霊の存在を信じない人を否定することはしません。だから、霊の存在を信じない人も、信じる人を否定する行為は止めて欲しいと思います。それで、悩んでいる人もいるのですから…。以前『「食べ物の好き嫌いがある」=「悪いこと」なのか?』というブログを書いたときに、「嫌いなモノがある人のことも、分かってあげることが大切」ということを書いたことがあります。〝霊を信じる・信じない〟〝視える・視えない〟〝体験がある・ない〟に関しても、同じことが言えるのではないかと、私は思うのです。ちなみに、同僚講師に前述の宿泊の話をしたところ…「私はそういうのを視たことないし、そういうのも分かんないんですけど…その部屋に泊まれと言われたら、遠慮しますと断りますけどね…」正直な意見だと思います。

 

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