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何故、こんなことを知っているのに、こんなことを知らないの?

2019/08/20

 私のモットーの一つに『 講師は、学生さんに教える際に「 こんなことも分からないの? 」と言ってはいけない 』というものがある。『  こんなことも分からない 』から、学びに来ているのである。そういった人たちに教えるのが講師の仕事であるからして、そこを叱責するかのような発言を講師がするということは、矛盾していると思う。それが予備校とあれば、なお更である。さらに…『 分からないこと 』は決して悪いことではない。分からないから聞いて、分かるようにする。ただ、それだけのことである。そこに、良いも悪いもないはずである。だからこそ、私は『 講師は、学生さんに教える際に「 こんなことも分からないの? 」と言ってはいけない 』ということをモットーにしているのである。

 そんな私であるが、『 こんなことも知らないの? 』と思ってしまうことが多々ある。『 先ほどのモットーとは違うではないか! 』とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれないが…その考えは尚早というもの。少々話を聞いて(読んでか?)もらいたい。学生さんと接していると、『 こんなことを知っているのか! 』と驚かされる学生さんがいたりする。専門的な内容…それも少々高度な内容を話したりする。使っている単語も中々難しいモノなのに、流暢に述べていたりする。『 これは、相当分かっているな… 』などと驚いてしまうのだが…。そんな学生さんが質問に来たりするので、アレコレ教えていると…そんな学生さんだから、質問に関しても専門用語を流暢に交えながら、質問してくる。もちろん、どんなに分かっている学生さんであれ、やはり質問に対しては、基礎からしっかりと理解させながら応答していかなければならない。そこで、『 ○○って何だったっけ? 』なんていう基礎的な部分から教え始めるのだが…。返ってくる答えが、チンプンカンプンの全くの的を得ていない答…。的を得ていないどころか、場合によっては全く答えられない場合もあったりする。言っておくが、私がしている『 ○○って何だったっけ? 』という質問は、基礎的な質問である。決して難しい質問ではない(質問形式から見ても、難しいものではないことはお分かりいただけることと思う)。なのに…答えられない。答えられても、全く的外れのチンプンカンプンな答え…。

 気を付けてもらいたいのは、『 基礎的内容が分かっていないことに対し云々かんぬん 』とか『 基礎的な質問に答えられないことが云々かんぬん 』と言いたい訳ではない。そういった学生さんなど、ごまんと対応して来たし、前述のようにそういった学生さんに教えるのが講師の役目であるからして、基礎的な質問に対し的外れな解答をしようと、答えられなかろうと、ビックリすることもなければ、当然非難するつもりもない。何度も言うが、そういう人を相手にするのが私の仕事であるからして、どんどんと来てもらいたいものである。

 私が言いたいのは、高度な内容を話し、専門用語も流暢に交えながら、その質問内容に関して語っているのに、その質問の基礎的内容が全くと言っていいほど分かっていないということ。つまり、意味も分からずに高度な内容を語り、意味も分からず専門用語を使っているということである。分かり易く言うのなら…微分積分をこなすのに、九九が出来ない…そういったところだろう。『 えっ!?こんな(高度な)こと知っているのに、こんな(基礎的な)ことも知らないの? 』となってしまうのが、お分かりいただけるだろうか?微分積分をこなすのに、九九が出来ないといった状況なのだ。『 こんな(基礎的な)ことが分かっていないのに、何故こんな(高度な)ことが分かっているの? 』となるのも、至極当然の話ではないだろうか?だから書かせていただいたのだ。『 こんなことも知らないの? 』と思ってしまうことが多々あると…。そう、私が使う『 こんなことも知らないの? 』は、『 高度な内容を話すのに、何でその内容の基礎的な部分が分かっていないの? 』という意味での『 こんなことも知らないの? 』なのである。決して、基礎的な部分が分かっていないことを、嘲笑している訳ではないことを、ご理解いただきたい。

 しかし、何故こんなことが起きるのだろうか?普通、高度な内容というモノは、基礎的な部分から積み上げていき、身に付くものである。基礎ができて、応用…というのは、全ての習得過程に当てはまる、基本的流れである。その基本的流れを無視しているようなことが、なぜ起きるのだろう?実は、高度な内容を知っており、かつ専門用語を流ちょうに話すが、基礎的な部分が分かっていないという学生さんには、一つの特徴がある。それは、そういった学生さんが話している高度な内容や用いている専門用語は、全て国家試験に既出のものであるということ。つまり、国家試験に出た内容は覚えているし、その用語も使いこなせるということである。しかし其の実、その基礎的内容はさっぱり理解していないということ。これなら、何故前述のような『 基礎を知らないのに、高度な内容を知っている 』といった矛盾が起きるかも頷けなくはない。早い話、国家試験の過去問題を覚えている。過去問題の解説を覚えてしまっている。覚えているのだから、高度な内容も話せるし、流暢に専門用語を扱うこともできよう。しかし…『 何故? 』と基礎から理解しないで身に付けてしまっているので、基礎的な部分はサッパリ…という事になってしまっているのである。〝砂上の楼閣〟とは、まさにこのこと。残念なことに、昨今はこのような学生さんが増えてきているのが事実である。

 〝解く〟とは『  筋道をたどって解答を出す 』ことである(デジタル大辞泉より)。筋道をたどるとあるように、『 何故? 』といった部分から考えていき、解答を出さなければならない。意味も分からずに高度な内容を知ったところで、意味も分からず専門用語を使ったところで、決して道筋をたどることはできない。知っている内容が直接問われれば、解答を出すことはできるだろうが、ちょっと視点を変えられたら、対応はほとんど不可能だろう。何故なら、意味を分かっていないのだから…。道筋など見いだせる訳もない。

 昨今の国家試験は、考えて解答を導き出すことが顕著に求められている。そのためには、基礎的な部分を身に付け、その上で国家試験の過去問題を理解していくというやり方で、〝活きた学力〟を身に付けていかなければならない。でなければ昨今の、そしてこれからの国家試験への対応は難しいものとなるだろう。過去問の勉強は確かに大切である。しかし、その扱い方を間違えると、とんでもない方向へと進んでしまうことも然りである。およそ何であれ、やり方というモノ、使い方というモノがあるということ。それを誤ると、良からぬ方に進んでしまうということ。その結果生まれた、前述のような〝歪な学力〟では、国家試験には対応できないこと。それを、しっかりと認識して、国家試験対策にあたってもらいたい。そう思っている次第である。

 

 

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