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嫌われても良いんですよ!っていうか、自分自身を持っていれば、嫌われることもあります。

2019/06/25

 まあ、嫌われてもいいんですよと言われて、『 はいそうですか 』という人は、あまりいないと思いますが…。しかし、以前ブログでも書かせていただきましたが、嫌われてしまうということは、ある意味し方のないことなのです。一人ひとりが違うように、考え方やモノの見方も一人ひとり違います。100人いれば、100通りの見解があるということ。まあ、昨今は〝自分というモノ〟を持たない人間が増えていますから、似通った人間ばかりになってきてはいますが…。そういった人たちは、自分というモノが無いゆえ、周りの情報、特にネット等の情報にいい様に振り回されてしまう傾向があります。そして、いいように振り回された人が、また情報を拡散して、その情報に振り回されてしまった人が…といった〝情報負のスパイラル〟が蔓延していることも事実です。

 閑話休題。まあ、自分と違っている人を認めることも重要で、『 ああ、自分とは違うんだな… 』と思ってしまえば、それで事はおしまいなのですが…。どうも世の中には『 私が正しい! 』とばかりに我を張り、違う見解を否定…とまではいかなくとも小バカにする、そして違う見解の人を鼻で笑うような輩がいることは確かです。そして、その延長線上に『 嫌う 』という行為が現れることになります。自分と違うモノを認められない。『 私が正しい! 』とばかりに我を張るがために、違うモノに『 小賢しい(こざかしい) 』『 間違っている 』とレッテルを張ってしまう。自分と違うから、間違っているから、否定してもいい。これが『 嫌う 』という行為の源にあると思います。

 誰も聖人君子ではありませんから、『 自分の見解と違うから嫌い 』という位なら、まあ致し方ないことなのかな…と思わなくもないのですが、厄介なのは、結構こういった輩は『 如何に、自分が正しいのか? 』を力説する傾向にあるということ。そして周りに『 如何に(嫌っている)相手が悪いのか? 』を吹聴し、広めていくということ。これが厄介極まりない。さらに、力説しているうちに、自らヒートアップして余計に〝嫌い〟に拍車がかかってしまうといったパターンが多いようです。こちらも完全なる負のスパイラル。こうなったら、手を付けられません。『 嫌われてしまった。何とかしなければ… 』なんて具合に、嫌っている相手に何かを施そうとすれば…余計、火に油を注ぐこととなりますので、ご用心をば。

 人は一人ひとり違うモノ。そして、中には自分の見解とは異なる見解を小バカにしたり、否定したりする人間もいるという事。そしてその延長線上に〝嫌う〟という一つの結果がある。『 人は一人ひとり違うモノ 』これがあり、さらに『 自分の見解とは異なる見解を小バカにしたり、否定したりする人 』があり、結果として『 〝嫌う〟という結果 』が生まれてしまう訳ですから、ある意味、『 嫌われてしまうということ 』も致し方無いことではないでしょうか?ところが、人というのは『 嫌われた自分が悪い 』と考えてしまいがちです。確かにそういう場合もあります。しかし、同じくらい『 嫌った方に原因がある 』という場合もあるのです。そして、今まで書いてきたように『 (嫌った当人が)一人で勝手に〝嫌い〟を導いている 』場合も往々にしてあるのです。自分で勝手に〝嫌い〟を導いている訳ですから、嫌われる対象になった人には、案外、その責任は無かったりするのです。だから言っているのです。『 嫌われてもいいんですよ 』って…。別に、原因が無くても嫌われることはあるのですから…。

 『 でも嫌われるのはイヤだ 』という人も、少なくありません。嫌われることが、マイナスになると考えてしまうパターンです。その結果、『 嫌われないようにしよう 』といった言動をとることになります。前述したように、人は十人十色ですから、人とは違った見解を取るのは、ある種当然のことですが、それが嫌われる引き金になってしまう場合がある。では、嫌われないようにするには…そう、十人十色を捨てる。なわち自分自身の〝色〟を出さないということになります。どんなに個性がないと言われる人でも、個性0ではありません。それ相応に〝色〟は持っています。人というのは、ある意味、存在が〝色〟なのです。その〝色〟を出さないということは、『 自分自身またはその存在を出さない 』ということになります。無理に自分を抑える。言いたいことを言わず、自分の色を消し、周りの色に同調する…。確かに『 私が正しい! 』とばかりに我を張る人と同調してしまえば、そういった輩から嫌われることは少なくなるかもしれません。しかし…それは『 嫌われるようにしていない 』だけであり、『 嫌われていない 』訳ではありません。第一、先ほど『 人というのは、ある意味、存在が〝色〟なのです 』と書かせていただきましたが…そうなると『 自分の色を消す 』ということは、『 自分の存在を自らが消す 』という事になります。まあ、『 存在を消す 』という事は『 存在していない 』という訳ですから、嫌われるもへったくれもないのでしょうが…自分の存在を消してしまうなど、悲しいことだと思いませんか?たかだか、違うモノを認められずに『 私が正しい! 』とばかりに我を張るような人に嫌われないために…。自分の存在を軽んずるまでの相手でしょうかね?自分と違う見解を認められない輩んんていうのは…。

 ちょっと独りよがりのずる賢い人になると、『 嫌われるのは損だ…波風立ずに上手くやった方が、何事も自分に都合よく事が運べる…皆に合わせて良い人ぶっていれば… 』なんていう人もいるのですが…。まあ、『 嫌われないようにしよう 』の進化形ですかね(笑)。こう見えても、交友範囲は広いほうなのですが…私が知る限り、嫌われないよう良い人ぶって、都合よく事を運ぼうと画策して、上手くいった人はいないよう思えます。そうでしょうね。『 自分の都合よく事を運ぼう 』ということは、裏を返せば『 都合よく事を運ぶのに支障のある人が邪魔 』ということになってしまいますから。邪魔な結果どういう行動に出るかというと…『 あの人は嫌い 』という具合になってしまうのですが…。これじゃあ前述の、違うモノを認められずに『 私が正しい! 』とばかりに我を張るような人と、さして変わりはありません。結局は、『 自分にとって邪魔な人は嫌い。自分にとって、都合のいい人には嫌われないようにする 』という、色眼鏡をかけたご都合主義人間になってしまうことになります。こういう人も、何気に自分の正当性、そして支障となる人の不当性を周りの人に吹聴することになります。『 自分は如何に悪くないか?被害者であるか? 』を、まことしやかに、ばら撒くことになるのです。まことしやか…『 いかにも本当らしく見せるさま(デジタル大辞泉より) 』つまり、〝本当の事ではないこと〟をばら撒いているのです、保身のために…。嫌われると損だから、皆から嫌われないようにした結果、嫌いな人が出てきたので、その嫌いな人を保身のために悪く言う…。何ともおかしな話だとは思いませんか?

 今まで書いてきたことから『 誰からも嫌われないようにする 』ということは、不可能なことだとお分かりいただけましたでしょうか?自分自身を持っていれば、上記のような厄介な連中から嫌われることもあるのです。たとえ、こちらが何もしていなくとも…。上記のような厄介な連中は、ある意味『 嫌う相手を探している 』ようなものですから、その目から逃れることなど難しいと言わざるを得ません。だからと言って、別に逃げ隠れする必要なんかありませんよ。自分らしく、自由に堂々とやっていればいいのです。そんな目を気にして、びくびく生きていくなんて、窮屈だとは思いませんか?第一、何をやったところで嫌ってくる連中なんですから…。『 でも周りに、あること無いこと吹聴されると… 』なんて気にする必要はありません。そんな輩の吹聴なんかを、まともに取り上げる人間なんていませんから。もしいたとしても、結局はその程度の人間です。その程度の人間からどう思われようが、別にいいとは思いませんか?やはり、その程度の人間の目を気にして生きるなんて、つまらないことではありませんか?何をしたって嫌われることもあるし、何もしなくたって誹謗中傷されることもあるのです。だったら、『 自分自身を持っていれば、嫌われることもある 』と自分の色を出して、『 嫌われてもいいや 』と、威風堂々と生きていった方がいいのではないでしょうか?それを分かってくれる人もいる。それを気に入らず嫌ってくる人、周りに色々と吹聴する人もいる。でも、世の中ってそういうものではないでしょうかね?

 

 

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