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考える前に、『 分からない 』というのは止めてください:後編。

2019/06/09

 先週のブログの続き。

 前回のブログでは、質問すると即座に『 分かりません 』という学生さんが多いということ。そして、それは、考えることをしない人が増えていることが原因であるようだ、と書かせていただいた。

 前編で書かせていただいたように、昨今の学生さん達は『 考えることが嫌い 』『 考えるのが面倒くさい 』といった人が多いようである。考えるのが嫌いだから、考えることをしない。しかし、『 考えるのが嫌いだから、考えない 』では、試験対策は成り立たない。試験対策どころか、試験合格という目標達成においても、大いに支障をきたすことになる。果たして、昨今の学生さん達は〝考える〟という行為を、どれほどの事と思っているのだろう?社会の中で生きていくにはもちろんのこと、こと試験対策においては非常に重要…というか試験対策の本質ともいえる行為である。それを『 面倒くさい 』だの『 嫌い 』というのは、これ如何に?

 逆に聞きたいのだが…考えるという行為抜きに、試験対策を行えると思っているのだろうか?同じく、考えるという行為抜きに、国家試験受験を乗り切ることが出来ると思っているのだろうか?おそらく…思っているのだろう。前編でも少々書かせていただいたが、昨今の学生さんは『 勉強=覚えること 』『 試験対策=覚えること 』そして『 試験を解く=覚えたことを、そのまま当てはめること 』と捉えている人が圧倒的に多い。確かに、覚えなければならないこともある。そして、それを『 知っているか?知らないか? 』で、そのまま問われることもある。しかし、あくまでも『 こともある 』であって、それが全てではない。覚えた内容から、考えて答えを導き出す。覚えた内容を使いこなして、答えを導き出す。これが試験というモノである。

 強いて言うのならば、掛け算のテストのようなものであろう。2×2や8×7は、九九で覚えている。確かにこれは覚えておかなければ、計算問題などで得きるはずもない。そして、この覚えた九九を使いこなすことによって、148×4や26×18などといった計算が出来るのである。掛け算のテストでは、2×2や8×7が直接問われることもあるだろう。しかし、148×4や26×18といった九九を駆使した計算が問われることの方が圧倒的に多いはずである。

 『 勉強=覚えること 』と思っている人は…『 148×4…こんなの見たこと無いし、知らない。だから、出来ない 』なんていう具合に結論を出していることになる。実際、このようなタイプの学生さんは少なくない。知らないから解けない…。そこで解法を放棄して、安易にカンで解くという流れになるパターンが多いのも事実である。問題を解くという事は、『 知らない、見たことがない。では、そこからどうするか? 』が始まりである。前述のように『 知っているから 』で解ける問題もなくはない。しかし、やはり〝知らない、見たことがない問題〟の方が多いのは事実である。まあ当たり前と言えば当たり前であろう。試験の内容どれもが、知っている、見たことがあるでは、それこそ大問題である。試験を作成する方とて、『 全部が知っている、見たことがある内容だと試験にならない 』なんていうことは百も承知。そもそも、試験というものは『 与えられた知識が、自分のモノとなっていますか?自分のモノとなっているのなら、それ相応に使いこなせるはずですよね?では、その〝使いこなせる力〟がどれほどあるのか、見せていただきましょう 』といったとを観点に、作成されているものである。〝使いこなせる力〟…先に進めなくなった時、どうやったら、先に進むことが出来るだろうか?と考え、持っているものや状況から判断して、先に進むことをどう導いていくか…。そう、先に進むために考えるのである。考えなければ先には進めない。考えなければ…試験は永遠にできないという事になる。

 講義中に時間を与え、問題をやらせることが多々あるが…問題を解かない学生さんがいたりする。皆、悪戦苦闘している中、やけに平静というか、しれっと何もしていないのだが…。時間が来て、こちらが解答解説を始めると…黒板に書いた内容を必死に書き込んでいる。以前の学生さんでは、考えられない行動なのだが…。これなんかも、考えるのがイヤから派生した行動であろう。自ら必死に解くのではなく、講師の解答・解説を書いて覚える。まあ、本人としては『 四苦八苦しなくとも、解法は与えてもらえる。だったら、正しい解法と正答を書いて、納得して覚えればいい。わざわざ自分で考えたり悩んだりするよりも、効率がいい。自分でやって間違えるのもイヤだし… 』といった趣旨なのだろうが…。

 『 効率がいい 』と書かせていただいたが…自分でやらずに、講師が書いた解答・解説を書き写し、それを見て覚えるやり方が、本当に効率のいいやり方なのだろうか?答は否である。それは、ある意味最も効率の悪いやり方であり、さらに辛辣に言わせていただくなら、試験対策としては全く持って意味を成さない行為と言えよう。

 自ら考え、手を動かすからこそ、知識は自分のものとなる。そしてそれは、〝考えるという行為〟の練習でもある。初めはできなくとも、何度もやっているうちにできるようになる。これは、全てにおいて当てはまることである。『 考えられない 』『 考えるのが苦手 』という人も、何度も考えているうちに、『 考え方が上手になる 』のである。自分で考えずに、人に考えてもらっていれば、考える力など付くはずもなければ、上手くなることもない。何事も習得するためには、それ相応の〝自らの手間暇〟が必要なのである。

 学生さんからの多い相談に『 覚えたのに、忘れてしまうんです 』といった内容がある。忘れてしまうのは誰にもあること。では、覚えたことを忘れないためには、どうすればいいのか?私も学習指導で、よく指導する内容である。『 如何に忘れないか? 』の方法は、いくつかある。『 それを教えてください 』という方も少なくはないだろう。しかし、その前に…『 あなたは質問や問題に対し、考えていますか? 』と言いたい。『 考えることを放棄して、即座に「分かりません」と答えてはいませんか? 』と…。もし、そうだとするなら、確かに覚えたこともすぐに忘れてしまうだろう。知識というのは、頭に入れただけでは自分のモノにはならないからである。それを使いこなしてこそ、自分の一部になるのだ。自分の一部になる。これこそが、〝身に付いている〟と言える状況である。身に付いているからこそ、自分の一部だからこそチョットやそっとじゃ忘れない。そう、考えるという行為には、知識を定着させるという素晴らしい効果もあるのだ。考えるからこそ忘れない。忘れないためにも考える。考えるという行為は、単に答を得るためだけの行為ではないのだ。入れた知識をしっかりと定着させる。これも考えるという行為が生み出す、効能の一つなのである。そういった観点からしても、考えるという行為が、如何に受験生にとっては欠くことが出来ない行為であるか?お分かりいただけることと思う。

 考えるという行為が、如何に受験生にとって欠くことが出来ない行為なのか。それが分かっていれば、『 考えることが嫌い 』『 考えるのが面倒くさい 』等とは、口が裂けても言えないはずである。そして…考える前に、『 分からない 』と言うことも、決してできないはずである。分からないことは悪いことではない。もちろん『 分からない 』と口にする事も決して悪いことではない。しかし、『 分からない 』という言葉がどういう状況で、口から発せられたのか?それによって、『 分からない 』という言葉は、千差万別の意味を持つことになる。受験生にとっては欠くことが出来ない〝考える〟という行為を放棄して出てきた言葉なのか?考えに考え抜いた結果、発せられた言葉なのか?『 分からない 』という言葉を口にするとき、次の国家試験の合格を目標にしているのなら、後者の方の『 分からない 』という言葉を発してもらいたい。そう、思っている次第である。

 

 

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