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逃げる口実。

2019/05/27

 口実:言い逃れや言いがかりの材料。また、その言葉(デジタル大辞泉より)

 私が、よく口にする言葉が『 やらなくていい理由は、いくらでも見つけられる 』という言葉。まあ、学習指導の時に話す言葉であることから『 勉強をしなくていい理由は、いくらでも見つけることが出来る 』といった具合に使う場合が多い。

 人は理由を見つけると、その理由に従う傾向がある。『 AはBである 』という理由を見つけたならば、『 Bなんだから、Cでもいいということにもなるな。だったらA=Cということにもなるな 』という具合である。

 自ら行動したいのだが、今一つフットワークが軽やかとはいかない。そんな時に後押ししてくれるのが、〝(行動)理由〟ということになるのだが…。もちろん、理由を見つけて、それを基に行動することは悪いことではない。むしろ、人として当然の行動である。何もかも、理由もなく行動する人間など、まずいないと言っても過言ではない。もちろん、状況によっては、理由なく行動する場合もある。しかし、往々にしてそういった場合の行動は、さして重大ではない場合が多かったりする。しかし、そんな些細なことでも、チョットした理由さえあれば、それが背中を押してくれることもよくある話。あいまいな時、チョットした迷いがある時でさえ、ほんの些細な事でもいいから理由があれば、人はそれに背中を押されて行動するのである。

 背中を押されて行動することも、決して悪いことではない。何かをしようとした時。チョットした躊躇い(ためらい)があるせいで、今一つ足取りが重い。そんな時、ほんの些細なことで背中を押されて行動したなんていうことも、これまた誰にでも経験あることではないだろうか?『 どうしようか迷っていたけど…友人からの話を聞いて決めました 』『 悩んでいたんですが、ネット等で調べてみて、やってみようと思いました 』なんていう経験を持つ人は少なくはないと思う。

 良いほうに進めば、〝(後押しする)理由〟も悪いことではない。しかし、〝(後押しする)理由〟には、時として『 人を芳しくない方向へと後押ししてしまう理由 』もある。これも、私がよく話すことであるが…人は誰しも〝自分にしか通用しない理論〟というモノを持っている。その理論ゆえ、人は個性的な行動や思考を取ることになる。しかし、時としてそれは『 自分だけにしか通用せず、第三者や社会の中では通用しない理論 』であったりすることも事実である。犯罪と呼ばれる行動には、往々にしてこの〝自分にしか通用しない理論〟が主脈にある場合が多い。人は一人で生きている訳ではない。どんなに自らの理論でしっかりとした理由を見出したところで、それが第三者に負担をかけるものであったり、社会性から激しく逸脱したものであっては、それは理由としては受け入れてはもらえない。犯罪者には犯罪者の理由があろうが、その理由が第三者や社会に受け入れられるものでなければ、〝理由〟ではなく〝いい訳・言い逃れ〟や〝逃げ口上〟となってしまう。

 『 勉強をしなくていい理由は、いくらでも見つけることが出来る 』と前述させていただいたが…これも〝(勉強しなくていい)理由〟というよりは〝いい訳・言い逃れ〟や〝逃げ口上〟でしかない。やらなくていい理由(すなわち、いい訳・言い逃れや逃げ口上)など、無数に見つけることが出来る。成績の芳しくない学生さんと面接している時。この『 勉強しなくていい理由(=いい訳・言い逃れや逃げ口上) 』を述べる学生さんは多い。まあ、上げればきりがないので割愛させていただくが…そんな〝いい訳〟や〝逃げ口上〟を聞くたびに、私が言うことも、いつも同じである。『 やらなくていい理由ではなく、やらなければならない理由を見つけなさい 』。

 最近は、『 試験対策を途中で諦める理由 』を探し出してきては、水戸黄門の印籠よろしく振りかざす方も少なくはないのだが…やはり『 諦める理由ではなく、続けなければならない理由を見つけなさい 』と話すことになる。

 合格したい。だけど、試験まで持ちこたえられるだろうか?講義の習得、日々の勉強、合格への不安…そういったモノが重くのしかかってくる。しかし、それは仕方がないことである。試験対策の日々とは、多かれ少なかれ、そういったものを抱えて過ごす日々だからである。もちろん、『 重く抱えるか? 』『 軽く抱えるか? 』は、その人の姿勢次第ではあるが…。実際、同じ状況であろうと、軽く抱えて乗り切ってきた学生さんなど、山のように見てきているのだから…。『 負い方一つで重荷も軽い 』と言ったのは、18世紀イギリスの劇作家、小説家であるヘンリー・フィールディングであるが、まさにこの通りである。しかし、その負い方を間違えて、重く抱えた場合。人は、その重さに耐えきれず、場合によっては荷を投げ捨て、逃げ出そうとする。しかし、ただ逃げ出すのは憚れる。そう、逃げ出すことが芳しくない行動であることは誰もが分かっている。そこで、『 逃げてもいい理由 』を探すことになる。中には一つの事を長く続けることが出来ずに、放り出してしまうというタイプの人もいるのだが…。そういった、放り出してしまうタイプの人でさえ、『 放り出してもいい理由 』を探そうとする。

 逃げ出していい理由(これも、いい訳・言い逃れや逃げ口上でしかないが…)など、それこそ無数に見出すことができる。かく言う私も、星の数ほど聞かされてきた。そう、逃げ出していい理由など星の数ほどあるのだ(まあ、いい訳・言い逃れや逃げ口上でしかないのだが…)。そして、そういう人間に限って、その理由を周りのせいや人のせい、環境のせいにしたりする。『 私は悪くない。あの人が… 』『 自分のせいではない。周りが… 』といった、まさに〝いい訳・言い逃れ〟や〝逃げ口上〟を、ダイレクトに口にするのである。

 〝いい訳・言い逃れ〟や〝逃げ口上〟など、無数に作り出すことが出来る。まあ、逃げ出すかどうかは、最終的には本人次第であるが…。しかし、『 やろう! 』と決意したのに、志半ばで『 大変だから 』『 自信が無いから 』『 思っていたモノと違うから 』といった逃げ口上で、それから離脱するというのは如何なものであろうか?こと試験対策においては、誰もが大変であることは覚悟しているはずであるし、試験対策の日々において、常に自信満々などといった人など、そういるものではないことも事実である。何もかも自分の思った通りに物事が運ぶことなど、まずあるはずがない。その度に、離脱したり、放り出してしまえば、 物事など何にも進まなくなってしまう。それを分かっているからこそ、逃げてもいい理由や放り出してもいい理由を見つけては、自分を正当化しようとしているのだろうが…何度も言わせていただくが、それは理由ではなく〝いい訳・言い逃れ〟や〝逃げ口上〟でしかない。どうせ理由を見つけるのなら、〝続ける理由〟〝やらなければならない理由〟〝逃げ出さない理由〟の方を率先して見つけて、試験対策に切磋琢磨されてみては如何だろうか?そちらの方が、よっぽど試験対策にとって有益な行為であるし、今後の人生においても十分に役立つ行動だと思うのだが…。

 

 

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