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国家試験対策を簡単に捉えている人が多すぎる。

2019/04/19

 昨今、よく思うのがブログタイトルの言葉。もちろん、シビアに捉えている方も大勢いるのだが、それと同じ位、簡単に捉えている人も多いような気がする。国家試験対策予備校での講師を勤めて、早ン十年。講師を始めた時の国家試験は200題であったが…。以前ブログでも書かせていただいたことがあるのだが、どうも、その頃の学生さんの方が、国家試験対策に真剣に取り組んでいたよう思える。単純に題数だけ比較しても、345題の今と比べれば、その問題数は58%弱。内容に関しても、決して複雑なモノでは無かった。今の国家試験と比べれば、なんとも〝シンプルな国家試験〟とも言えるが…その当時の受験生にとっては必死なモノで、これは今も昔も変わらない。やはり国家試験を受験する人間にとって、題数がどうであろうと、難易度がどうであろうと、必死であることには変わらないはず…なのだが、どうもそうではない人が昨今は多いような…。

 ぶっちゃけ、言わせていただくならば、昨今の学生さんと接していると『 イヤイヤ、国家試験対策はそんなに簡単なものではないのですよ 』と心の中で思ってしまうことが多い。ン十年前の〝シンプルな国家試験〟の対策に取り組んでいた学生さん達でさえシビアに、そして真摯に試験対策に取り組んでいたのだ。イヤ、昔の学生さんの方がよっぽど焦燥感を持ちながら、だからこそ真摯に試験対策に取り組んでいたような気がする。ところが…試験対策にもっともっとシビアに真摯に取り組まねばならない、昨今の学生さんはといえば…以前の学生さんよりも、考え方が少々甘いような気がするのは否めない。

 必死さが薄いような気がする、正直な話…。『 こんなもんでしょ 』『 これやっておけば受かるでしょ 』といった人が多いような…。もっとひどい人になると『 受かる方法ないんですか? 』『 どうやったら、絶対合格できますかね? 』なんていうことを平気で言ってくる。ハッキリ言わせていただくが、そんな方法があるのならこっちが知りたい…。イヤ、無い訳ではない。時間をかけて基礎から理解していき、自らの力として知識を身に付けていく。もちろん身に付けるということは、自分のモノになっている訳だから、自在に使いこなせるようでなければならない。そのための訓練も、当然、必要である。さらに、分からないことは質問等で解消していかなければならない。問題を解いては、自分の学力を客観的に見直していき、その学力の穴を埋めていくことは言わずもがな。これが、受かる方法である。『 そんなことですか? 』ええ、そんなことです。何故ならば、これが真っ当な試験対策であり、合格するための最善策なのだから。しかし…これを面倒くさがるというか、やりたくないのが昨今の学生さんのように思える。『 時間なんかかけたくない。すぐに合格できる方法を… 』『 基礎から理解するなんて面倒くさいから、もっと簡単な方法を… 』『 自分のモノになるための訓練なんて面倒くさい 』『 質問なんかしたくない 』『 自分の学力を見直すとか、そんなことやりたくない 』といった感じ…。ウ~ン…どうしたものだろうか?正直、困ってしまう。その意見を全部納得するような方法は…試験対策ではないからである。試験対策に〝試験対策でないモノ〟を求められても、困ってしまう以外、他ない。だって、そんな方法ないのだから…。

 『 最近の若い者は… 』という言葉は、吐きたくないのだが…こと試験対策においては、どうしてもその言葉が出てしまう。何故なら、試験対策である以上、それを指導しているこちらサイドも合格してもらわなければ困るし、そのためには真っ当な試験対策をしてもらわなければならないからである。そして、そのためには前述のように試験対策をシビアに、そして真摯にとらえる姿勢が必要であり、それ相応に必死になってもらわなければならないからである。悠長に構えている余裕など、正直ないと言ってもいい。脅かすわけではないが、それほどの国家試験になってきていることは事実である。前述のように、ン十年前の〝シンプル〟と言えるような国家試験の対策に取り組んでいた学生さん達でさえ、真摯にそして必死に試験対策に取り組んでいたのだ。その2倍近い題数と、そしてその数倍の難易度の試験対策に取り組むのである。それ相応の覚悟と取り組み方が必要になるのは言うまでもない。

 簡単に捉えているな…と感じるのは、受け身の学生さんが多いことも一因である。自ら動こうとしない。何か与えてくれるのを待っている。与えてくれなければ、何もしない。『 試験対策に取り組む 』というよりは『 受かるための何かを与えてくれるのを待っている 』という感が強い。『 えっ?受かるためのモノを与えてくれるのではないのですか? 』という方が、いらっしゃるかもしれないが…確かに〝合格するために必要な知識〟は与えるし、それをどう身に付けるか、どう駆使するかの方法も教える。しかし、その後はやはり自分で行動していかなければならない。ピアノの先生は、ピアノを教えてくれる。では、教えてもらった通りにやっていれば、ピアニストになれるのだろうか?そうでないことは、お分かり頂けることと思う。ピアノの先生は、ピアノに関する全てのことを教えてくれるだろう。もちろん、ピアニストになるために必要な事も全て教えてくれるだろう。『 じゃあ、その通りやっていればピアニストになれるんですね? 』と尋ねたら何と答えるだろうか?どう答えるかは、各自の判断にお任せするが…。前述の

 時間をかけて基礎から理解していき、自らの力として知識を身に付けていく。もちろん身に付けるということは、自分のモノになっている訳だから、自在に使いこなせるようでなければならない。そのための訓練も、当然、必要である。さらに、分からないことは質問等で解消していかなければならない。問題を解いては、自分の学力を客観的に見直していき、その学力の穴を埋めていくことは言わずもがな。

といった内容に近いことを答えることは、間違いないよう思えるが…。

 何か与えてくれるのを待っている。与えてくれるまでは何もしない。そして、与えられれば、それだけやっていれば合格へたどり着ける。そういった考え方が、ブログタイトルの『 国家試験対策を簡単に捉えている人が多すぎる 』といった発言にたどりつくことになる。もちろん、試験対策をシビアに捉え、真摯に試験対策に取り組んでいる方は大勢いる。そんな人でさえ、残念な結果になってしまう場合もあるのだ。だからこそ、より一層シビアに、そして真摯に試験対策に取り組まなければならないのである。

 私はよく、次のようなことを学習指導で話している。

国家試験は満点を取らなければならない試験ではない。

しかし、1点でも多く取らなければならない。

何故ならば、国家試験合格の秘訣は1点でも多く取ることだからである。

『 こんなもんでしょ 』『 これやっておけば受かるでしょ 』といった考え方では、その1点を取ることは難しいであろう。そう、合格への架け橋となる1点を…。

 『 そろそろ、国家試験対策に取り組もうかな… 』と考える人も多くなる時期である。中には、既に取り組んでいる人も少なくはないはずである。いずれにしても、国家試験対策に取り組む方は、試験対策をシビアに捉え、そして真摯にその対策に取り組んでもらいたいと思う。初めよければ終わりよし。初めの一歩の心構えが肝心なのだから…。

 

運は 我能(よ)く勤め応ずる所に在り、怠るべからず。

念流兵法 心得

 

 

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