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一生懸命やっている人を笑うな!

2021/11/22

 必死でやっている人。一生懸命やっている人。何とかしようと努力している人。現状を変えようと、がむしゃらにやっている人。私は、こういう人が好きです。自分にもこういう経験は何度もあります。何とかしなければならないと、必死になる。必死になるしかない。そうやって、もがいて乗り切ってきたことなど、何度もあります。それがあったからこそ、今があるのだと思っています。そうやって得たものは、決して自分を裏切らない。そして、自分というものを構築する一部として、一生活き続けるということも、知っています。

 だからという訳でもありませんが、私は必死になっている人間が大好きです。とにかく何とかしなければならないと、四の五の言わずに、がむしゃらにやっている人。講師歴ン十年の私ですが、こういった学生さんをたくさんたくさん見てきました。以前は、こういった学生さんばかりだったのですが、悲しいかな、最近はその数が減っているような気がしなくもありません。

 逆に増えてきているのが、〝(試験対策等で)必死になっている人を小バカにしたような態度を取る人〟。このことに関しては、ブログ〝転んだ人を笑うな。彼らは歩こうとしたのだ。〟にも書かせていただいたのですが…。どうも最近の世の中は、必死になっている人を笑うような傾向が見受けられるますが、これは薬学生にも言えるような気がします。何事も冷めた目で見て、冷めた対応をする。今の世の中、それがカッコいいと捉えられている節があるような気がしなくもありません。そのような〝冷めた人〟から見れば、必死にやっている人は、どこか泥臭く、不器用で愚図なように見えるのでしょうか?そして、どこか嘲笑しているような、そんな雰囲気さえも感じ取られるような気がします。

 必死になって、何がいけないんでしょうか?がむしゃらにやって、何が悪いんでしょうか?別に、誰に迷惑かけている訳でもないのです。なのに、どうしてあざけ笑うような態度を取るのでしょうか?私には不思議でなりません。誰だって、事がすんなり運べば、こんないいことはありません。しかし、そうならないことだって往々にしてあります。その時、どうするのか?前述したように、そんな時こそ人は四の五の言わずに、がむしゃらにやるしかないのです。誰だって、事がすんなり運ばないようにやっている訳ではありません。すんなりと運ぶようにとやっているのです。しかし、そうならなかったからこそ苦労しているのです。必死にやるしかないのです。それの、どこがいけないのでしょうか?少なくとも小ばかにされたり、何人かに指さされ、嘲笑されるようなことではないと思いますが…。

 シャープにスマートにと、冷めた目で必死になっている人を見下すような人達には、どうも共通点があるようです。まあ、あくまでも私の経験だけの判断ですが…。それは、そういった人たちは、物事に取り組むときに、一生懸命にならないということ。もっとハッキリ言ってしまえば『 コイツ、今まで生きてきて、必死になったり、一生懸命になって何かを成し遂げたことがあるんだろうか? 』と思えるような人間ばかりということ。

 まあ、必死にやるっていうことを、どこか泥臭く、不器用で愚図なように思っているわけですから、自分がそのような状況になりたくないのは当たり前の話。当然、そうなるリスクのあることには手を付けないということになります。そりゃあ、必死になったり、一生懸命になって何かを成し遂げるようなことには、手を出さないでしょうね。

 私から見れば、かわいそうな人だと思いますよ、そういった人達は…。そりゃあ、誰だってすんなり事が運ぶのがいいに決まっていますよ。でも、そうならなかったから必死に、がむしゃらに、一生懸命やって、事を成そうとしているのです。それがカッコ悪いからと、リスクもとらずに無難に生きる…イヤ、出来る範囲にとどまって何もしない。

 必死に、がむしゃらに、一生懸命やって得たものは、決して自分を裏切らない。そして、自分というものを構築する一部として、一生、自分の中で活き続けるんですけどね。それを得る機会をみすみす捨てるような行為は、もったいないと思いますし、生きていた楽しいのかなとも思ってしまいます。まあ、生き方は人それぞれですから、あえてそこの所は言及しませんが…。しかし、これだけはハッキリ言わせていただきたいと思います。そういった冷めた人たちは、必死に、がむしゃらに、一生懸命やっている人を笑う権利はない。そう断言させていただきたいと思っている所存なのです。

 

 

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2021年11月22日 | コメントは受け付けていません。 |

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難しいことやろうとする前に、簡単なことできなきゃダメでしょ。

2021/11/15

 その簡単な事というのが基礎であることは言うまでもない。まず、基礎をやろうとしなければダメ。その基礎とて、5回、6回やればいいというのではなく、身につくまでやって初めてクリアである。『 5回やったから、もうOK 』なんていうのが話にもならないことは言わずもがな。誰だって『 何回かやったからOKではなく、身につくまでやって、身について初めてOKでしょ 』と言うのは間違いない。では、何故、国家試験対策ではこれが言えないのだろうか?

 有名なギタリストがギターを弾いているのを見て、『 カッコイイ!あの曲を弾きたい 』と、ギター初心者またはそれに近い人間が、その曲をいきなり弾こうとするだろうか?マスコミで取り上げられたスポーツ選手を見て、『 スゴイ!私もやろう 』と、未経験に近い人間が、そのスポーツ選手と同じ技を試みようとするだろうか?藤井聡太棋士を見て、『 自分もタイトルを取ろう 』と、駒の動かし方もほとんど分からぬ人間が、対局しようとするだろうか?

 どれもが、皆、こう言うだろう。『 まずは基本的なことをやって、基本を身に付ける。そして、徐々に腕をあげていってでしょ。いきなりは無理だよ 』と…。なのに、何故、国家試験対策ではこうしないのだろうか?ギターもほとんど引けないような人間が、そのスポーツも満足にできない人間が、コマの動かし方もままならない人間が、プロのそれを見て同じことをやろうとした時、人はなんて言うだろう?『 どうして同じことをやろうと思う…イヤ、どうして同じことをしようとするの?無理でしょ、いきなりは… 』と、誰もが言うのではないだろうか?

 基礎ができていない人間が、いきなり国家試験問題を解こうとするということも、全くもって同じ内容である。また、そういう無謀な試験対策をやっている人間に限って、『 自分は基礎ができていないんで… 』などと口にするから、全くもって理解できない。基礎ができていないという自覚があるのなら、基礎を身につければいいだけの話である。それ相応の時間をかけて、やるべき基礎を勉強して身につければいいだけの話である。ギター初心者がギターを弾くことができるように、スポーツ初心者がそのスポーツができるように、将棋を上手くなりたい人間がうまく指せるように、基礎からしっかりとやっていく。これ以外に、道はないと思うのだが…。

 以前、ブログでも少々書かせていただいたのだが…。ジャイアント馬場を知らない人は、まずいないだろう。もしかすると、若い人には知らない人がいるかもしれない。しかし、名前くらいは耳にしたことがあるだろう。以前より私は、『 総理大臣は知らなくても、ジャイアント馬場を知らない人はいない 』と口にしていた。それほどの知名人である。全日本プロレス創設者であり、日本プロレス界の一時代を築いた昭和を代表する、まさに伝説のプロレスラー。そのジャイアント馬場氏の言葉に、次のようなものがある。

 

基本である1、2、3をきちんと練習しないで、いきなり4とか5をやるな。

 

今の薬学生に聞かせたい言葉だが…。これは、来日する外国人レスラーが、攻撃は強いが防戦になると一気にもろくなる傾向をみて、ジャイアント馬場氏が発した言葉だそうである。『 そういう風になるべきではない 』という意味合いでの言葉らしいどのような勝負事であっても、攻防一体というものは要である。それができなければ、プロレスにおける向上はないということ。攻撃はできるが、防御がもろいようでは、話にならない。基本を練習しないが故、攻防一体が出来ないなど、とんでもないことだ。そう言っているのだろう。

 プロレスでは、基本を練習しなければ、攻防一体が成せず、その向上はありえない。では、薬剤師国家試験において、『 基礎をやらない 』ということは、如何なことなのだろうか?ここまでブログを読んでくださった方には、あえてそれを説明するまでもないと思う。いきなり4とか5をやっても、それは意味はない。基本である1、2、3をきちんと練習してこそ、4とか5がしっかりとできることになり、そして4、5がより有意義なものとなるのだ。難しいことやろうとする前に、まず簡単なことができなければならない。そして、その簡単なことができるようになるためには、まず基礎をしっかりと習得し、それを身につけるところから始めなければならない。書いている私もそうだが、おそらく読んでいる方々も『 当たり前だろ 』と思われている方が多いと思われるのだが…その当たり前のことが成されていないのが、昨今の薬剤師国家試験対策の現状なのである。少々、悲しい話ではあるのだが…。

 

 

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2021年11月15日 | コメントは受け付けていません。 |

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試験対策 『 便利 』と『 不便 』 後編

2021/11/07

【 不便 】

都合が悪いこと。また、そのさま。(デジタル大辞泉より)

 

 便利とは違い、ずいぶんザックリとした内容のように思えるが…。『 都合が悪い 』というには、当然、頭に『 何かをする場合に 』とつくことになるだろう。つまり、ある目的を成し遂げようとした場合。その目的を成し遂げるのに都合が悪いこと。これが、不便ということである。

 昨今は、何か分からないことがあると、すぐにネットで調べる学生さんが多い。ネットで調べるといっても、スマホですぐに…といったところだろう。まあ、便利と言えば便利なのだろうが…。

 専門的な内容を、文献で調べる場合。調べる内容に関する単語を、索引等で調べることになるが…索引を開くだけで、色々な単語が目に入ってくることになる。もちろん、目にする単語は、全て専門用語。私の経験から言わせていただくなら、たとえ単語だけといえど、専門用語を知っておくことは、後々、色々な所で重宝することになる。そして、目的の内容が書かれてあるページを開くことになるが…開いたページの全てが目に飛び込んでくることになる。そのページには〝調べた内容に付随する知識〟が、意味のある文章として、色々と綴られている。図や表だって載っている場合がある。調べようとした内容以外の知識も記載されている。つまり、その内容に関する知識はもちろん、それに付随した知識、図や表なんかも目の前に現れることになる。これが間違いなく知識を肥えさせてくれることになるのは、言うまでもない。もちろん、文献で調べれば調べるほど、知識は肥えていくことになる。

 確かに、スマホでサッと調べた方が便利かもしれない。先ほど、不便という言葉の意味は『 (何かをする場合に)都合が悪い 』と、頭に『 何かをする場合に 』とつくことになる…と書かせていただいた。ただ単に『 単語の内容のみを調べる 』目的なら、スマホでサッと調べられるのは便利である。文献で調べる場合は、索引を開いて、単語を見つけ、単語が書いてあるページを開いて、ページの中から目的とする内容を見出して…と、それ相応の手間暇がかかってしまう。しかし、文献で調べる場合は、単語を一つ調べるごとに、知識が身に付いていくことになる。知識がサッと得られる方法。時間はかかるが、それ以外の知識も身に付く方法。さて、どちらが『 便利 』と言えるだろうか?

 便利か不便かは、何にウエイトを置くかで決まる。ある場合には不便であっても、違う場合には便利であるなんていうことは、よくある話。同じやり方であっても、人の観点によって便利・不便は変わるものである。調べること以外にも、一見不便と見えても、実は便利というものはたくさんある。逆に、便利と見えても、長い目で見た場合は、あながち便利であるとは言い難いものもある。さて、試験対策においては如何であろうか?

 『人の観点によって便利・不便は変わる』と書かせていただいたが…では、その観点が『 合格する 』ということだった場合、どうであろうか?スマホで調べることもそうであるが、昨今の学生さんたちは、すぐに効果が得られるものに飛びつく傾向がある。過去問をそのまま覚えるなんていうのは、まさにコレだろう。すぐに効果が得られるから便利…というよりかは『 すぐに効果が得られるから楽 』という観点で、そういった事に飛びつくのだろう。そう、学生さんは〝楽〟というものを、〝便利〟として飛びついているのである。

 前回のブログで、『 楽(らく) 』と『 便利 』は違うと書かせていただいた。『 楽(らく) 』ではあるけれど、『 便利 』とは言えないものは、いくつもあると…。試験対策においても、これは同じである。『 楽(らく) 』ではあるけれど、『 便利 』とは言えないものはたくさんある。一見、こちらが楽だから便利、こちらが不便と見えても、長い目で見た場合、それが逆転することなど往々にしてある。合格するという目標においても、便利と思えたものが、実は長い目で見た場合は、不便であったりすることがあるということ。

 楽なものを便利とみることは誰もがすること。しかし、これはTPO(時と所と場合)によって変わるということを、しっかりと認識しておくことが大事である。世の中には、『 楽ではないけれども、便利ということもある 』ということ。一見、『 楽ではない、不便だ 』と『 楽≠不便 』と捉えてしまいがちだが、そうではない場合が往々にしてあるということ。

 試験対策においては、時間がかかってしまうため、一見、あまり楽とは言えないようなやり方もある。しかし〝合格する〟という観点で見た場合、その方法は、確実に学力を育んでいく方法だったりもする。さて、試験対策においては、どちらが便利で、どちらが不便であろうか?それはその人の考え方次第ではあるが…その考え方が、国家試験合格を左右するものになるのなら…しっかりと考えるべきではないだろうか?私は、そう思っている。

 

 

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2021年11月7日 | コメントは受け付けていません。 |

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試験対策 『 便利 』と『 不便 』 前編

2021/11/02

【 便利 】

  目的を果たすのに都合のよいこと。

  あることをするのに重宝で、役に立つこと。また、そのさま。(デジタル大辞泉より)

 便利とは何だろう?デジタル大辞泉で調べてみたところ、上記のような内容である。一般的に便利といえば、『 都合のよいこと 』『 重宝で、役に立つこと 』だけを思い浮かべるのだが…。あながちそれも間違いではない。しかし、上記の内容からすると、それだけでは半分正解といったところ。何故なら、いずれも頭に、『 目的を果たす 』『 あることをする 』という言葉が付いているからである。つまり『 便利 』という内容には、『 ある目的を遂行する上で 』という条件が、付与されているということ。目的を遂行する上で都合が良かったり、目的を成し遂げるために重宝で、役に立つ。これが〝便利〟という言葉の意味する所である。

 逆を言うならば、目的があってこその便利・不便ということになる。ということで、話題をいきなり国家試験対策に移らせていただきたいのだが…国家試験対策の目的とは何だろう?まあ、あらためて聞くまでもないと思うのだが…薬剤師国家試験合格。これが、国家試験対策の目的である。つまり国家試験対策における〝便利〟とは『 国家試験合格を果たすのに都合のよいこと 』『 国家試験を合格するのに重宝で、役に立つこと 』ということになる。

 『 楽(らく) 』と『 便利 』は違う。『 楽(らく) 』ではあるけれど、『 便利 』とは言えないものは、いくつもある。楽ではあるが便利ではない。一体どういう事であろうか?色々な考え方があるとは思うのだが、一番は『 目的遂行 』という部分にあるのではないだろうか?『 目的遂行に便利 』という言葉はさして違和感はないが、『 目的遂行に楽 』というのはあまり耳にしないだろう。何故ならば…『 楽 』というのは、それ自体が目的だからである。『 楽をする 』ことが目的であるからにして、他の目的、例えば『 国家試験合格 』等といった別の目的のためにかける労力や意志力は、『 楽をする 』ことによって減ってしまうことになる。場合によっては、皆無になってしまうことさえある。すなわち、試験対策をやっているとは言えない状況になってしまうことも、あるということ。

 昨今の学生さん達の国家試験対策の取り組み方を見ていると、どうも、この『 楽(らく) 』と『 便利 』を取り違えているような感がある。『 国家試験に合格するために便利 』よりも『 国家試験対策を楽にする 』。こちらの方にウエイトがかけられている場合が、多くなってきているということ。

 あえて、難解で過大な労力を要することをする必要はない。どのような対策であっても、効率というのは重要だからである。しかし、どのような対策であっても、それ相応の苦労が伴うことも事実である。『 無駄な苦労 』は必要ないが、『 それ相応の苦労 』が付きまとうのは、当然ということ。その『 それ相応の苦労 』がイヤだからと、楽なものを選んでしまうと…前述したように、試験対策の本質がぶれてしまうことになる。

 しかし、楽な方に走る学生さんは少なくはない。以前、『 いつから薬剤師国家試験は、こんなにも簡単なものになってしまったのだろう? 』というブログを書かせていただいたが(ちなみに前、中、後編の三部作と長編である)…その中で、昨今の学生さん達が如何に薬剤師国家試験を『 簡単なモノ 』として捉えているかを書かせていただいた。昨今の学生さん達が、薬剤師国家試験を簡単に捉えているという根拠の一つが、楽をするということにある。『 苦労しないで、楽に受かりたい 』と楽なモノに飛びつく。合格できるかどうかはさておき、楽なやり方…とてもではないが、試験対策とは呼べた代物ではないような方法へと飛びついてしまう。『 これで○○さんは合格できた 』という、薄っぺらい怪しいレッテルが無造作に張り付けられている方法のようではあるが…まったく意味のなさないレッテルである。しかし、その真偽不明の怪しいレッテルを信じる人は多い。何故か?『 苦労しないで、楽に受かりたい 』からである。こちらとしては『 そんな方法で受かるほど、国家試験は甘くはないよ 』と言いたいのだが…これが、前述の〝いつから薬剤師国家試験は、こんなにも簡単なものになってしまったのだろう?〟というブログの趣旨である。

 『 楽である 』ということと、『 便利である 』ということは違う。『 では、楽をせず、不便なままでいいのですか? 』という声が聞こえてきそうだが…ここに『 便利 』と『 不便 』のあいまいさがある。つまり、一見不便に見えても、実はそれが便利であったりする場合があるということ。では、それは如何なることか?それは、次回のブログにて書かせていただきたいと思う。

 

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2021年11月2日 | コメントは受け付けていません。 |

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