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だから、未来は分からない。

2020/09/30

 こんなご時世だからでしょうか、昨今はネガティブな情報が氾濫しているようです。世はまさに、情報化時代。目から耳から、いろいろな情報が飛び込んでくる時代です。目に情報を届ける、そして耳に情報を届ける手段も、一昔前とは比べ物にならないくらい増えているのも事実。よって、一昔前とは比べ物にならないくらい、我々は情報というモノを浴びているということになります。

 そういった情報の多くが、ネガティブなことであることも、悲しいかな事実です。聞いていて不安になることはあれど、幸せな気持ちになれるものはほとんどない。そんな不安になる情報ばかりが氾濫しているような気が…イヤ、確実に氾濫しているようです。

 人というのは往々にして、不安材料の方に目を向ける傾向があります。早い話、不安なものの方を優先的に捉えてしまうという事。しかし、これは致し方ないことであるのも事実です。人間は、そうやって不安なものをとらえ、それを解消することで危険を回避して、生きながらえてきた生き物だからです。

 逆を言えば…ネガティブな情報、すなわち人を不安にさせる情報は、人の気を引くということになります。これが、昨今の世にあふれている〝不安ビジネス〟。ネガティブな情報を与え、人を不安にさせることにより、利を得ようとする。悲しいかな人を不安にさせることで、利を得ている企業、人物が多いのは確かです。自らが利を得るために、不安材料をばらまき、人を不安にさせ、自分の都合のいいように誘導する。多かれ少なかれ、それで利を得る。何とも阿漕なやり方のような気がしますが…悲しいかな、前述のようにそういった企業・人物が存在することは確かです。

 不安材料と一口に言っても、いくつか種類がありますが…何気に多いのが『 これから 』のこと、すなわち未来に関する内容。以前、私が受けた某講習会でこんなことを耳にしました。『 人というのは、過去にあるのが後悔。未来にあるのが不安。それらに捕らわれているから、現在(今)が見えない 』。私も、よく使わせてもらっている話です。人というのは、それ位、未来に不安を感じてしまう生き物なのです。

 ただでさえ、不安を感じやすい未来。それに付け込んでか、やたら未来に関する不安材料が、ばらまかれている気がしなくもありません。材料をばらまけば…人は未来に不安を感じやすいのですから、あとは勝手に各々が不安を増幅させてくれる…。そういった仕組みなのでしょう。『 これからは○○になる 』とさえ告げれば、その○○を10倍にも、20倍にもしてくれる。告げた方は、前述のように、それで何らかの利を得ようとしている訳ですから、こんなに都合のいいことはないでしょう。今回のコロナ騒動に関しても、このことがしっかりと当てはまっていると思います。

 バブルがはじけたとき。阪神・淡路大震災が起こったとき。東日本大震災が起こったとき。どれほどの経済に関する専門家が、『 これで日本は… 』『 今後、日本は… 』といった感じで、悲観めいた情報を、もっともらしく口にしたでしょうか?早い話、『 日本は立ち行かなくなる 』と言っていた訳です。中には『 こうなる 』的にシミレーション(もちろん悲惨な方のシミレーションですが…)していた方も、いらっしゃいましたが…現在日本は、それはまあ色々とありますが、少なくとも、その方達が予見したような状況になっていないのは確かです。あのころ、口角泡を飛ばし、この国の悲惨な未来をもっともらしく話していた方は、今どうしているんでしょうか?その時、何らかの利を得たので、『 もういいや 』とでも思っているのかもしれませんが…。私は『 人というのは自らの口から出したことには責任を持つべきである 』そう思うのですが…。ちなみに『 そうならなかったから、よかったじゃないか 』と言うのは、あまりにも無責任だと思います。

 残念ながら、未来は予測できません。何が起こるかなんて誰にもわかりはしないのです。その証拠に…一年前に、今のこの日本の状況を予想できた人がいるでしょうか?イヤ一年前とは言わず、年が明けて令和二年になった時。10か月後の日本が、そして世界がこうなっていることを、だれが予見できたでしょうか?そう、誰も分からなかったはずです。

 我々は今を生きています。だから、『 今から考えた、延長線上の未来 』を予測するだけが精一杯です。その予測とて、色々な選択肢が枝分かれしていくわけですから、たどり着く先は無数といってもいいでしょう。すなわち『 今から考えた未来は分からない、あてにはならない 』と言った方がいいのです。

 誰もがご存知、手塚治虫先生の鉄腕アトム。彼は21世紀に誕生したロボットですが…。諸説ありますが、21世紀は2000年から始まりとされています。つまり我々は、今、21世紀を生きているわけです。アトムがいる世界は21世紀ですが…作品の中で、アトムが電話をするシーンがあります。その電話は黒電話、つまり固定電話。さらに受話器がコイル状のコードで、電話機本体とつながっているもの。さらにダイヤル式で、相手に電話をかける際には、そのダイヤルを回すタイプ。こう説明しても、もしかすると『 何、それ?電話なの? 』なんていう人もいることでしょう。昔の電話は、皆それだったのです。残念ながら、アトムが始まった1950年代に電話を考えた時、電話というものが、今のような形になることは、予想だにできなかったのでしょう。一人ひとりが電話を持ち、さらにコードレスで受話器と本体が一体化し、ダイヤル無しで相手に電話をかけることができる。もちろん、カメラが付いていたり、文章まで送ることができるなんていうことは、夢にも思わなかったはずです。『 1950年代という今 』で考えた未来の電話は、大きな受話器がコードでつながっている、黒いダイヤル式の電話だったのです(ちなみに…お分かりいただけることと思いますが、決して手塚治虫先生や鉄腕アトムを揶揄している訳ではありません)。未来の電話さえも、誰も予想できない。そう、未来は分からないのです。

 中には『 (人が予想した未来の中には)当たったモノもあるだろう 』という人がいるかもしれません。確かに、広範囲で色々なことを言えば、何か一つくらいは、かすりもするでしょう。しかし、そういうのは、当たったと言うのでしょうかね?

 以前、『未来は見えない、お楽しみ。』というタイトルで、ブログを書かせていただいたことがありますが…そこで〝ケセラセラ〟という曲のことを書かせていただきました。この曲の歌詞の中にあるのが『 未来は見えない、お楽しみ 』というフレーズ。先ほど、『 未来にあるのは不安 』と書かせていただきましたが…。未来は誰にも分かりません。ということは…不安以外の要素もあるという事。つまり、良いことが起きるか、悪いことが起きるか、さらにはそのどちらも起こらないこともあるという事。だったら、良いことが起きると思っていた方が、よっぽど楽しく生きられるのではないでしょうか?誰だって、不安に怯えて過ごすなんて、嫌なことだと思います。どちらに転ぶか分からないなら、考えてい楽しい方を選択した方が、よくありませんかね?だって、そっちの方が日々楽しく生きられるのですから。未来は見えない、お楽しみ…『 こんな風に良くなるだろうな 』『 こんなことが起きたらいいな 』と生きていった方が、楽しいと思うのです。『 悪いことが起きたらどうするんだ! 』なんて言う人が、いるやもしれませんが…それと同じくらい、良いことが起きることだってあるはずです。確率的にはフィフティーフィフティーです。イヤ、楽しいことを考えて生きていた方が、良いことが起きる確率は上がると思いますよ。『 笑う門には福来る 』って言いますから。

 若干ではありますが…巷に飛び交う情報の中には、ポジティブなものもあります。どうせキャッチするなら、そういう嬉しくなる、楽しくなる情報をキャッチした方が、いいのではないでしょうか?『 そんなこと言って、もしもの場合、大変なことになったらどうする! 』なんて言う人が、いるやもしれませんが…では、もしもの大変な場合を憂えていれば、それは解決されるのでしょうかね?どんなに憂えていても、そのネガティブな未来は解決されないと思うのですが…。どんなに不安を感じたところで、不安が解消される訳ではありませんし、その不安は未来のものであるのだからして、実際、そうなるかどうかも分かりはしないのです。なのに、起こるかどうかも分からぬ未来の不安にしがみつき、それを憂えて過ごす日々…。私的には、起こるか起こらないか分からぬ不安に憂えてばかりいる人とは、チョットお付き合いしたくないというか、関わりたくないというか…。どうせ関わるなら、楽しく日々を送っている人と関わりたいと思うのですが…皆さんはどうですかね?

 ケセラセラ、なるようになる、未来は見えない、お楽しみ…。そう未来は見えないのです。見えないから〝お楽しみ〟なのです。見えないからこそ『 楽しいこと・嬉しいことを期待して、それが来るのを〝お楽しみ〟』なのです。胡散臭いネガティブな情報に振り回されて、つまらなく生き、未来を悲観しながら不安に苛まれるか?ポジティブな情報をつかみ取って、楽しく生き、喜ばしい未来を期待して生きるか?どちらを選ぶかは、その人次第だと思います。まあ、楽しいほうがいいとは思いますけどね。

 

 

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2020年9月30日 | コメントは受け付けていません。 |

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就寝時間と起床時間と試験対策。

2020/09/18

 皆さんしっかり寝ていますか?睡眠は人が生きていくうえで、非常に重要なことであるのは言わずもがな。もちろん、試験対策にとっても非常に重要なこと。非常に重要なこと…なのに、結構、疎かになっている人が多いのも事実です。

 私が学習指導をするときには、必ず伝えていることがいくつかあります。その中でもしっかりと伝えているのが、睡眠に関して。就寝時間、起床時間、睡眠時間に関しては、それなりに時間をかけ、しっかりと指導しています。試験対策の日々の中で、何気に重要なのが睡眠に関する事項。予備校はたくさんあれど、睡眠に関して指導しているところは、あまり…イヤ、皆無といってもよろしいのではないでしょうか?

 先ほど、睡眠に関してという事で『 就寝時間、起床時間、睡眠時間に関しては、しっかりと指導しています 』と書かせていただきましたが、この3つがいわゆる睡眠というものの核をなす、3大要素ということになると思います。それを、疎かにするということは…。試験対策において重要なのが、睡眠ですから、それを疎かにするという事は、試験対策そのものを疎かにしていると言っても、決して過言ではありません。それくらい、睡眠に関することは、試験対策にとっては重要な事なのです。しかし、試験対策ということで、睡眠に目を向ける人がいないことも事実です。

 例えば〝就寝時間〟に関してですが…。皆さんは、何時に寝ていますか?ここで、もし『 何時に寝るかなんて決まっていませんよ 』という人がいるのなら、まずは就寝時間を決めること。これが重要です。正直な話、何時に寝るかどうか決めなければ、試験対策は出来ないと言ってもいいでしょう。『 就寝時間なんか決めていないですけど、試験対策はやっていますよ! 』という方。では、お聞きしますが…毎日、決まった時間勉強していますか?勉強する日があったり、無かったりしていませんか?昨日は4時間勉強して、今日は2時間…なんていう具合に、勉強する時間が日によって変動していませんか?もしそうならば、それは就寝時間を決めていない事の弊害といってもいいでしょう(ここら辺から、詳しく学習指導をすることになのですが…)。『 やったり、やらなかったり 』といったムラのある勉強は、何気に試験対策の足を引っ張ることになります。そう、ムラのある勉強は、学力向上の足を引っ張る、効率の悪い勉強方法なのです。もちろん、この『 やったり、やらなかったり 』には、『 4時間やったり、2時間しかやらなかったり 』という、時間的な〝やったり、やらなかったり〟も含まれます。これも、同じように効率の悪い勉強方法です。いずれにしても、試験対策の足を引っ張ることになるのは言うまでもありません。

 さらに言わせていただくならば…就寝時間を決めること以外にも、『 何時に寝るのか? 』も、非常に重要な事。私は学習指導で、就寝時間(いわゆる床に就く時間)も指導しています。何故ならば、就寝時間も試験対策にとって、多大なる影響を与えることだからです。就寝時間を『 ただ、寝る時間でしょ? 』と考えていると…少々、試験対策に難儀することになりますよ。

 〝起床時間〟にかんしても重要です。これも、何気に決まっていないというか、決めていない人が多いのも事実。『 学校(予備校)に通っているから、ちゃんと起きていますよ 』といった声が聞こえてきそうですが…。『 何時に起きているかは定かでないが、学校(予備校)に間に合うように家を出ているので、たぶん同じ時間に起きていると思います 』とか『 目覚ましはかけているけど、その通り起きてはいませんね…』というのも、起床時間が決まっているとは言えません。結局は、その時の雰囲気だとか思い付き(?)で睡眠を終え、布団の中から出てくるという事になりますから、起床時間が決まっているとは言えません。そして、こういった人たちに特徴的なのが、『 いつもギリギリに(講義に)来る 』ということ。私も講師稼業を長くやっていますが、こういったタイプ、すなわち起床時間が不定のため、ギリギリに来るという人は少なくありません。そして、こういったタイプの人は、そのうち1分遅刻するようになり、1分が2分、2分が5分、5分が10分というように、どんどん時間が押していくことになるのも事実です。初めから遅刻を常習にしようと思う学生さんなど、いるはずもありません(まあ、若干いなくもありませんが…)。遅刻しようとは思っていないが、いつのまにか遅刻するようになっている。そして、『 いつの間にか… 』だから本人に悪気がないことも厄介なのです。ギリギリから1分の遅刻、2分の遅刻、5分、10分…となっているのですから、本人にとっては、『少し遅れている』程度にしか感じられていないようです。しかし、遅刻は遅刻。そして、こういった遅刻も、ボクシングのボディーブローのように、徐々に徐々に効いてくるようになるのです。もちろん、『 効いてくる 』といっても、『 国家試験対策のダメージとなって効いてくる 』という『 効いてくる 』ですが…。そして、このボディーブローを発している源こそが、実は起床時間が決まっていない、つまり〝起床時間のあいまいさ〟から始まっているのです。

 〝第103回 薬剤師国家試験 合格者 体験記!〟の中で、合格したI君(C大学卒)に関して、次のようなことを書かせていただきました。

 I君に関して特に覚えているのが、毎日決まった時間に薬進塾に来ていたということ。講師・職員は、I君が『 おはようございます 』とやってくると『 おっ!そんな時間か… 』と思う位、毎日同じ時間に来ていました。つまりI君は…〝毎日同じ時間にウチを出ている〟→〝毎日同じ時間に起きている〟→〝毎日同じ時間に寝ている〟  ということになります。~中略~ちなみに、遅刻は0でした。

I君の合格には、起床時間と就寝時間が決まっていることが、大きな要因であることは間違いないと思います。実際、I君が『 薬進塾では最初に勉強方法や、生活管理の重要性などを教えてもらいました。通いはじめてからは、毎日同じ時間に寝て、同じ時間に起き、同じ時間に勉強をするように心がけました。最初は大変でしたが1、2ヶ月くらいで慣れ、少し余裕も生まれ、さらに集中して勉強ができるようになりました 』と合格体験記で書いてあることからも、それが伺えることと思います。やはり、国家試験合格にとって、起床時間と就寝時間を決めることは、重要な要因の一つなのです。

 第106回薬剤師国家試験の日程も決まり、受験しようかと考えている人で、まだ勉強を始めていないという人は、さすがにいないとは思いますが…。勉強は始めているし、勉強の計画も立てている。でも、就寝時間と起床時間は…なんていう人は、思いの他、少なくはないと思います。まずは、寝る時間と起床時間を決めること。これから、試験対策は始まるといってもいいでしょう。もちろん、決めただけではなくI君のように実行していかなければ、意味はありません。『 まだ寝る時間も起床時間も決めていなくて… 』という方。まだまだ間に合いますよ。試験対策のゴングは鳴ったばかり。まだ、1ラウンドといったところでしょうか?ボディーブローも、まだまだ効いていないどころか、一発ももらっていない状況にあると思います。ボディーブローが、有効打とならないうちに、早めに、寝る時間・起床時間を決めた方がいいと思いますよ。

 

 

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2020年9月18日 | コメントは受け付けていません。 |

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やっぱり、袋が無いと困ってしまう。

2020/09/08

 令和2年7月1日より、全国でプラスチック製買物袋、いわゆるレジ袋の有料化が開始された。今までタダでもらっていたものを、『 お金を取りますよ 』となると、少々狼狽えてしまうのも、ごもっともな話。まあ、『 タダでもらっていた 』というよりも、商品購入におけるサービス品というか、『 ウチのお店で商品を購入すると、もれなく入れ物(袋)に入れてお渡ししますよ 』といった感じで捉えていたのだが…。捉え方はどうであれ、7月1日からはそうではなくなり、あらためて料金を支払い、購入するという形になったのは、ご承知のとおりである。

 初めのうちは『 まあ、確かにレジ袋が多すぎるような気がしなくもない。いらなくて済む場合もあるのだから、まあ、それはそれでいいことだろう 』という感じでとらえていたのだが…。イザ、始まってみると、なかなかそういう訳にはいかないことに気がついた。レジ袋が無いと困る場合が多々あるということ。一見、『 大量購入した時に、入れ物が無いと困る。だから、レジ袋が無いと困る 』と考えてしまいそうなのだが…。実はそうではなく、少量の購入、特に商品を単品で購入した場合が困ってしまうのだ。これに同感してくれる読者の方も、少なくないのではないだろうか?

 スーパー等で大量に商品を購入する場合。この場合は、マイバッグを持参して、その中に入れる。こちらもそれを、あらかじめ予期しているので、マイバッグを持参している。レジが終わると、サッカー台(購入した商品を袋詰めする台)に、商品をカゴごと持っていき、マイバックを取り出し、その中に商品を詰める。まあ、さして手間も労力もかからない行為である。私が子供の頃は、母親が〝買い物かご〟と称する手提げかごを買い物の度に持っていき、やはり清算後は、その買い物かごに商品を入れて帰ったものだ。あれと同じ感覚である。そんな感じだから、『 レジ袋が無くても何とかなるかな 』位に思っていたのだが…思わぬ伏兵がいた。商品を単品で買う場合、それもコンビニで購入する場合である。

 私は、ここ十数年来、毎日のように飲んでいるお茶がある。職場に行く前にコンビニで購入し、出勤したらそれを飲む。そんな生活を十数年来送っているのだが…。以前はコンビニで購入した時。店員さんが『 袋に入れますか? 』と聞いてくれたので、『 ああ、お願いします 』ということで、小さめのレジ袋に入れてもらっていた。しかし、最近はそうではない。『 レジ袋(有料ですが)どうしますか? 』と聞いてくる。当たり前である。令和2年7月1日をもってして、レジ袋は有料化されたのだから。以前はサービスでもらっていたモノが有料化。あらためて、お金を払って購入しなければならない。購入するか、否か?まあ、よく考えてみれば、チョット乱暴な言い方にはなるが、わざわざお金を払ってまで購入するモノでもない。第一、職場はすぐそこだ。そういう考え方をすれば、前述したように、今までは少々コンビニ袋が乱用されていた気がしなくもない。そこで、『 結構です 』と購入を断り、お茶を手にすることになるのだが…。ここから先が問題なのである。

 お茶を手にするのだが…そのお茶は手にしたままである。マイバッグを取り出そうにも…コンビニは、あまり広くはない。落ち着いてカバン…私はリュックを使用しているのだが、そのリュックからマイバッグを取り出すためのスペースが、まず無いのである。では、リュックの中に入れるか?リュックの中に入れようも、一旦、リュックを肩から降ろさなければならない。降ろして、前に持ってきてそこから、リュックを開けてお茶を入れるという手はずになるのだが…やはり、これとてそれ相応のスペースが必要になるし、場合によっては他のお客さんに迷惑をかけてしまう場合もある。

 仕方なく、お茶を手に持ったままコンビニを出るのだが…。手に直接商品を持ってコンビニを出るのは、いささか気まずい思いがしなくもない。まあ、ぶっちゃけて言ってしまうのなら、盗んだかのように見えてしまうのではないかということ。レジ袋に入っていれば…レジ袋は店員さんがくれる訳であるから、ある意味、店員さんを通した品物、つまり購入したということが証明されていることになる。しかし、むき出しとなると…そういった証明がない状況と見えてしまう。これは由々しき問題である。『 気にしすぎではないですか? 』と言う方もいるかもしれないが、薬進塾の塾生さんや職員、講師、さらには私の知人・友人にも聞いてみたのだが、やはり皆、同じ思いらしい。つまり『 お金、払ってないと思われるんじゃ… 』と、考えてしまうとのこと。もちろん、しっかりとお金を払って購入しているので、疚しいことは一つもない。しかし、人の思考回路とはそういうモノである。毎日、買い物をするたびに、このような何とも言えない引け目(何度も言うが、疚しいことは何もないし、引け目を感じる必要も全くないのだが…)を、そこはかとなく感じてしまう。正直、これはあまり気分のいいものではない。

 さらに、むき出しの商品を手に持って歩くというのも、今一つ落ち着かないものである。飲みながら歩けば…イヤ、やはり飲みながらであっても、手に持って歩くというものは、どうも落ち着かない(飲みながら歩くことも芳しくはないが…)。生来私は、手にモノをもって行動するのが、好きではない。だからリュックを常用しているのである。そんな私が手にモノを持って歩くとなると、やはり今一つ調子が狂うのは否めない。『 コンビニ袋に入れる場合でも、手に持っているじゃないですか? 』という人もいるかもしれないが…確かに手に持っているという状況は同じかもしれないが、やはり『 持ち方 』が違う。袋に入っている場合は『 持つ 』というよりも『 下げる 』であり、さして持っていることを意識することは少ない。マイバックも同じである。しかし、剥き出しの商品を手に掴んでいるとなれば、話は別である。どうしても〝手にモノを持っている〟感が否めない。生来、手にモノを持って行動することが好きではない私が、毎日朝から手にモノを持って出勤している。これも、あまり調子がいいことではない。

 レジ袋有料化には、様々な理由がある。本ブログは、決してそれを否定するものではない。前述したように、今までは、少々レジ袋を乱用していた気がしなくもない。それ相応の対策も必要ではあろう。しかし、『 今までの生活 』から『 今までとは違う生活 』へと、その様式が変わった場合。人は、何気に混乱するモノである。レジ袋有料化となってから、2カ月あまり。私だけではなく、皆、それ相応に混乱している状況にあると思う。しかし…往々にして人は、混乱している最中から、新しい方向性を見出すものである。きっと、この混乱もしばらくすると、何気に改善されている状況となるのだろう(まあコロナ騒動の混乱で、レジ袋有料化の混乱どころの騒ぎではないのかもしれないが…)。その改善された状況の世界とは、どんな世界なのだろう?レジ袋が有料化されて、新しい方向に進んだ未来とは、どのようなものなのだろう?現時点では、それを窺い知ることはできないが…少なくとも、レジ袋有料化前よりも、良き世界になっていてほしい。そう願っている次第である。

 

 

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