孤独な鳥は高く飛ぶ ~ 試験対策のあり方 ~:中編
2020/03/31
孤独な鳥は高く高く飛ぶ。
孤独な鳥は仲間を求めない。同類に煩わされない。
孤独な鳥は嘴を天空に向ける。
孤独な鳥は決まった色を持たない。
孤独な鳥は静かに歌う
前回のブログの続き。今回、後編で閉めにしようかと思ったのだが…前回のブログで『 以前、何度かあったように前編・後編で仕上げる予定が長くなってしまい、前編・中編・後編の三部構成になってしまうことがないよう、注意したいと思っている次第である 』と書かせていただいたのだが…やはり三部構成になってしまうようで、何ともお恥ずかしい話である。三部構成に恥じないような、ブログ内容にしたいと思っている次第である。
孤独な鳥は嘴(くちばし)を天空に向ける。目指す高き目標に、一心不乱に目を向ける。ちなみに『 成功の秘訣は目的の一定不変にある 』といったのは、英国の作家、医者のサミュエル・スマイルズ。
以前、ブログで書かせていただいたが…昨今の学生さんは、『 合格する 』以外のことを優先する場合が多い。昔の学生さんは、何が何でも合格する。それ以外のことはすべて放棄し、受かることだけを考えて勉強していた。『 受かるためなら苦労は厭わない(いとわない)』というスタンス。ところが昨今は、『 苦労するのはイヤ。楽をしたい 』というパターンが多い。決して『 受かりたくない 』という訳ではない。受かりはしたい。でも、苦労するのはイヤ。そこで『 受かる 』と『 苦労したくない 』を天秤にかけることになるのだが…『 苦労したくない 』方を選ぶ学生さんが圧倒的に多い。他にも『 アレもしたい 』だとか『 コレはこうだからイヤだ 』とか、合格云々ではない部分にウエイトを置き、要は『 自分の思い通りにしたい 』といった言動ばかりなのだが…果たして、その嘴はどこを向いているのだろう?今回の国家試験で合格していった塾生さん達は、皆、天空の一点だけを見つめ、よそ見をしない塾生さん達であった。少々大げさな物言いかもしれないが、勉強しているその姿には、近づけない雰囲気が醸しでていた。一心不乱に、ただ合格することだけを見つめる。己が目指す高い高い天空をまっすぐ目指して、ひたすら羽ばたいていた。今回に限らず、合格して言った学生さん達は、皆、そうであった。あれもしたい、これもしたい…。あれはイヤ、これはイヤ…。そう囀る(さえずる)学生さん達の嘴は、果たしてどこを向いているのだろう?
私が学習指導を始めて、早ン十年。自分の予備校の学生さんはもとより、薬局さん等の研修や企業説明会等でも、マンツーマンで色々な学生さんを相手に、学習指導を行ってきた。やはり、メインは自分の予備校の学生さん達がメインになるのだが…。そんな学生さん達を相手に学習指導をしていて、一番困ってしまうのが、何度指導しても自分のやり方を変えない学生さん。そのやり方が正しいのなら、こちらも変えろとは指導はしないのだが、仮にも予備校に来ているということは、〝そのやり方〟が正しくなかったということ。当ホームページの至る所で書かせていただいているし、口癖のように普段から発しているのが『 やり方が同じなら結果も同じ。違う結果が欲しいなら、違うやり方をしなければならない 』といった内容。この内容を交え指導するのだが…どうしてもやり方を変えない。それも誤ったやり方である。これには、ほとほと困ってしまう。こちとら、指導して合格させるのが仕事。そのためには〝合格できる方法〟を指導しなければならない。なのに、〝合格できない方法〟をつかんで離さない。これは、指導する側としては一大事である。そこで、ほとほと困ってしまう…となってしまう。
試験対策において、何気に重要なのが臨機応変である。その場その場で、状況に見合ったやり方をしていかなければならない。試験対策とは、恒常的に同じやり方にしがみついているものではないのだ。それが間違ったやり方であるなら、尚更…イヤ、抜本的に変えなければならない。前述のように、同じやり方をしている限り結果は同じだからである。しかし、やり方を変えない学生さんは多い。何故だろうか?もちろん、『 正しいやり方が分からない 』という場合もあるのだが…多くの場合『 楽をして受かりたい 』という気持ちが根底に存在しているようである。
『 そのやり方じゃ… 』と指導すると『 でも、○○さんはこのやり方で受かりました 』という返答が圧倒的に多い。単刀直入に言ってしまうが、単に『 受かった人と同じやり方をすれば受かるだろう 』という安易な考えなのである。そこには『 アレコレやるのは面倒だし、やる内容も少なくはない。一々調べるのも厄介だし、計画立てて長い期間勉強するのも億劫…。自分のやり方考えたり、見つけたりするのも面倒くさいし…まあ、このやり方で受かったというのだから、これでやっておけば受かるのだろう 』という、苦労したくない、楽をして受かりたいという姿勢が見え隠れしている。楽をして受かりたいのは誰もが同じである。苦労も出来るだけしないに越したことはない(実は、ここで効率のいい勉強というのが出てくるのだが…)。しかし、それ相応の苦労は致し方ない部分があるということも事実である。それを放棄してしまうとなると…目的達成からは大きく逸脱してしまうことになってしまう。ちなみに…受かった人と同じことをやれば合格できるという程、試験対策というものは甘いものではない。それが薬剤師国家試験対策であれば、なお更である。
先ほど、『 試験対策とは、恒常的に同じやり方にしがみついているものではない 』と書かせていただいたが…もちろん、試験対策のやり方に関して、その根底にあるものは変わらない。その根底にあるものから枝が伸びていき、その枝は状況によって、また様々な方へと枝分かれして伸びていくことになる。これが、臨機応変に色々なやり方をしていくということ。根底は、決して変わるものではない。そして、その根底にあるものこそ〝正しいやり方〟なのである。残念ながら〝正しいやり方〟は、往々にして楽なやり方ではない場合が多く、それ相応の苦労が伴うものである。しかし、初めに正しいやり方をマスターしなければならない。そうでなければ、そこから枝葉を伸ばしていくことができないからである。正しいやり方をベースに、臨機応変に対応して、その状況に見合った〝新しいやり方〟という枝を伸ばしていく。これが、本来あるべき試験対策のあり方なのである。
自分自身が成長すれば、やり方は変わってくることになる。成長するとは、『 以前の自分とは異なる自分となる 』ということ。当然、以前の自分がやり易かったやり方も合わなくなってくる。そこで、現在の自分にやりやすい、効率のいい勉強方法へとシフトしていくことになる(これが臨機応変という事である)。…そう、勉強のやり方も成長するのである。まさに枝が伸びていくのと同じである。その時その時に〝見合ったやり方〟をやっていかなければならない。もちろん、〝見合ったやり方〟をしなければならない要因は、自分の成長だけとは限らない。試験の時期が迫っているのに5月、6月と同じ方法で勉強…などという人はまずいないだろう。試験が近づくにつれ、試験対策の状況だって変わってくることになる。状況が変わっているのだから、当然、やり方だって変えていかなければならない。これも臨機応変である。もちろん、根底にある〝正しいやり方〟が、ぶれることなく…。
誤った試験対策にしがみついている限り、鳥の色は変わらない。イヤ、その根底が間違っているのだから、『 変えることができない 』といった方がいいだろう。だから、いくら指導しようとも、何度結果が同じであろうも、色を変えることができずに、同じ色を持ち続けるのである。しかし…試験対策では臨機応変に、来るべき時に今ある色を捨て、新たなる色にシフトしていかなければならない。それが自分自身の成長であり、勉強のやり方の成長だからである。孤独な鳥は決まった色を持たない。そういう事ではないだろうか…。
冒頭で書かせていただいたように、前編・後編に分けて書かせていただこうと思ったブログであったが、結局は前編・中編・後編の三部作になってしまった次第。おまけに、今回の中編も、かなりの長文となってしまった。次回、いよいよ後編なのだが、果たしてどれほどの長さになってしまうのであろうか…。そんな不安を抱きつつも、後編に向けて筆を走らせようと思っている次第である。
次回、ブログに 乞うご期待をば!
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孤独な鳥は高く飛ぶ ~ 試験対策のあり方 ~:前編
2020/03/24
孤独な鳥は高く高く飛ぶ。
孤独な鳥は仲間を求めない。同類に煩わされない。
孤独な鳥は嘴を天空に向ける。
孤独な鳥は決まった色を持たない。
孤独な鳥は静かに歌う。
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16世紀スペインの詩人、サン・ファン・デ・ラ・クルスの書いた『 孤独な鳥の五つの条件 』。日本では、昭和の大女優である大原麗子さんが、衣裳部屋に貼って毎日眺めていたことでも有名。
この『 孤独な鳥の五つの条件 』。〝試験対策において あるべき姿勢〟そのものが書かれているといっても、決して過言ではない。私は何度か、ホームページ内で『 試験対策において重要なのは、学習姿勢である 』ということを書かせていただいた。皆、試験対策というと、すぐに『 参考書が… 』『 過去問題を… 』『 苦手な○○を… 』と、『 勉強を行うこと 』だけに走ってしまうが、そうではない。試験対策を始める、学習を始めるというのならば、まず、その姿勢をしっかりと認識して、実践していくことが重要である。
今や知らない人はいないイチロー選手。以前、小学生がイチロー選手に『 どうやったら野球が上手になりますか? 』と質問したことがあった。イチロー選手は『 バットやグローブなどの道具を大切にすることだよ 』と答えたのだが、これなどはまさに〝野球がうまくなるための姿勢〟と言えるだろう。一見、道具を大切にすることと、野球がうまくなるという技術的なことは、直接関係ないことのように思える。しかし、道具を大切にするといった姿勢があるからこそ、そこから色々なことが派生し、そして野球の技術が向上するという結果を得ることができるのである。人は、すぐに直接関係する部分のみに目を向ける。そして、直接的な関係が見えなければ、『 そんなの何が関係あるんだよ 』と嘲笑する。しかし、そんな簡単なものではない。表面だけ見ても、見えないものがある。イヤ、むしろ表面しか見ないからこそ、その本質が見えないものである。サン・テグジュペリの『 星の王子さま』の名言である『 一番大切なことは、目に見えない 』。まさにこれである。練習も大事、バッティングのフォームも大事、他にも技術や力を身につけるための大事なことが色々とあるのだが…まずは〝そういったことに取り組むための姿勢〟が大事であるということ。その中に、『 バットやグローブなどの道具を大切にすること 』が存在するのである。そして同じように…試験対策にも〝試験対策に取り組む姿勢〟〝学習に取り組む姿勢〟というものがある。その姿勢が出来ているかどうかで、合格が左右されるといっても決して過言ではない。道具を大切にすることが、野球の上達につながるように、試験対策や学習に取り組む姿勢が、合格につながるのである。実際、105回の国家試験において『 合格しました 』と連絡をくれた塾生さん達は、皆、その姿勢が出来ていた。もちろん、先日の試験だけではなく、合格していった学生さん達は、まず間違いなくその姿勢が出来ている学生さん達であった。そして…その試験対策や学習に取り組む姿勢のあり方が、前述の『 孤独な鳥の五つの条件 』の中に織り込まれているのである。
〝孤独〟とは、『 一人 』という意味である。私はよく『 試験対策は一人で行うものである。試験の時は、誰もが一人。自分一人で解かなければならない。だから一人になれる強さ、個の強さを持ちなさい 』と、学習指導で話している。そう、試験対策とは、本来一人で行うものであり、試験も一人で行わなければならない孤独なものである。これに気が付いている人間が、どれくらいいるのだろうか?
『 孤独な鳥は仲間を求めない。同類に煩わされない 』まさに、これであろう(このブログでいう〝同類〟とは、同じ試験対策を行っている者という意味での同類)。『 一緒に勉強しましょう 』なんて仲間を求めたりしない。これが試験対策のあるべき姿勢である。私はン十年と講師をしているが…一人で学校に来て、一人で講義を受けて、一人でご飯を食べて、一人で復習して、一人で帰る。そういった学生さんを何人も見てきたが…まず合格している。イヤ、全員合格しているといっても、決して過言ではないだろう。何をしに来ているか分かっているのである。遊びに来ている訳ではない。友達を作りに来ている訳でもない。合格するために、勉強しに来ているのである。だから、それ以外のことにウエイトを置かない。もちろん、無視している訳でもなければ、無視されている訳でもない。必要なことがあれば周りの人達とも話すし、話しかけられれば、当然、応えたりする。ただ、それ以上でもないし、それ以下でもないということ。あくまでも、合格するための試験対策にウエイトを置き、それ以外のことは(常識的な範疇で)希薄であるということ。合格するための試験対策にウエイトを置いているのだから、予備校生としてのあるべき姿を貫いていると言えよう。だから、合格するのである。今回『 合格しました 』と連絡してくれた塾生さん達は、皆、一人で勉強していた姿が思い浮かぶ塾生さんであった。
試験対策を行っていて、何が厄介かというと…流言飛語、いわゆるデマである。これに翻弄される学生さんは少なくない。ブログ等でも何度も書かせていただいているし、実際、何度も学習指導等で注意するよう呼び掛けている。『 今年はコレが出るらしい 』『 あそこでは○○をしている… 』『 ここのやり方は… 』『 ○月までに過去問は△回はやらないと… 』等、様々な流言飛語が毎年のように飛び交っている。とにかく、その流言飛語に惑わされないこと。それを口酸っぱく指導している。流言飛語に惑わされて、試験を棒に振った人など何人いることか。流言飛語には、今まで積み重ねてきた学習成果を、木っ端みじんにするだけの破壊力がある。だからこそ、注意が必要なのである。
厄介なことに、この流言飛語は人によって媒介される。余計な二束三文ネタを探し出して来ては、周りに吹聴する輩がいるから厄介この上ない。こちらとしては、そんなネタを探す暇があるのなら、何か一つでもいいから覚えてもらいたいものなのだが…。中には、自分のいい様に人を動かすためにデマを吹聴する輩もいる。『 ○○だからやめておいた方がいい。絶対このやり方の方が… 』と、自分のやり方に引き込むためにデマを吹聴するのだが…何のことはない。自分一人で行う自信がないというか、自分一人だけだと不安だからと、仲間に引きずり込もうとしているだけである。自分の憂さ晴らし(不安晴らしか?)のために、口を開けば〝不平・不満という服を着せた不安〟を垂れ流している輩もいる。その不安を聞いてもらって、一時的な逃避を試みようとしているのだが、こんなことで逃げ切れるわけなどない。第一、聞かされている方はたまったものではない。引きずり込まれない、煩わされないこと重要である。
『 煩わされない 』とは『 心を悩まされない 』という意味である。このような輩に煩わされてはいけない。『 孤独な鳥の五つの条件 』の中に『 同類に煩わされない 』と書いてあるではないか。孤独な鳥は同類に煩わされない。己が一番いいと思う道を進む。己が信じているものを貫く。だから孤独なのである。仲間を求めなければ、同類に煩わされることもない。だからこそ、流言飛語などに惑わされず、合格を掴み取ることができるのである。余計なものに振り回されずに、一人黙々と信ずることをこなしていく。そして、高く高く飛ぶのである。
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今回のブログは、長くなりそうだったので、前編・後編に分けて書かせていただこうと思ったのだが…私の悪い癖で前編だけでも、かなりの長文となってしまった。以前、何度かあったように前編・後編で仕上げる予定が長くなってしまい、前編・中編・後編の三部構成になってしまうことがないよう、注意したいと思っている次第である。
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2020年3月24日 | コメントは受け付けていません。 |
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手前にある原因
2020/03/19
いざ、事が起こった場合。人は、その〝事〟にだけ目を向けて原因を推察しようとする。しかし、その起こった〝事〟の周辺に原因があるというよりも、〝事〟が起きる前、もっと手前の所に原因が隠れていたりすることはよくある話である。
電化製品の不具合等で、お客様センターに寄せられる相談で、何気に多いのが『 動かない 』という相談だそうである。そして、その原因が『 コンセントが入っていなかった(電源が入っていなかった) 』という場合が多々あるそうである。コンセントがいつの間にか抜けていた、初めから差し込むのを忘れていた…コンセントは差し込んではいるものの、スイッチを入れていなかった(電源が入っていなかった)…『 そんな原因で… 』なんて思ってしまいそうだが、決して少なくはないとのこと。相談している方は『 このボタンを押しているんだけど… 』『 レバーをひねっているんですが… 』『 説明書に書いてある通りに… 』等、色々と策を講じて、あれやこれやと試しているそうであるが…動かない。そこで、相談センターにとなるのだが…コンセントが入っていない(または電源が入っていない)のだから、何をやっても動くはずがない。中には、説明書を無視して自分勝手にいじりまわしては、『 動かない 』と電話してくる人や、説明書には目もくれず、自分の思い込みで電化製品をいじくりまわしては、『 どうなっているの? 』と電話してくる人もいるそうで、中々対応は大変とのことである。
勉強において学習指導をしていると、これと似たような感じの学生さんは少なくない。あれやこれや勉強しているようだが、成績が芳しくない。マンツーマンでの学習指導で、どのような勉強をしているのかと聞くと…。『 とにかく過去問をバンバン解いています 』『 参考書の○○(芳しくない科目)の部分の問題を解いています 』『 ◇◇(国家試験参考書)を覚えています 』等といった答えが返ってくる。その度に、苦笑いしてしまうのだが…。こういった行為は、前述の電化製品が動かない場合の『 このボタンを押しているんだけど… 』『 レバーをひねっているんですが… 』『 説明書に書いてある通りに… 』といった行為とさして変わらない。何故なら、成績が今一つ芳しくないのは、もっと手前に原因があるからである。
学習指導をしていると言うと『 ○○(芳しくない科目)の勉強方法を教えてください 』と来る学生さんは少なくない。確かに科目による勉強方法というものも無くはない。しかし、それはある意味〝勉強という技能〟の〝応用的な部分〟である。応用的な部分であるから、おいそれとできるようになるものではない。『 では、ずっと できないままなのですか? 』という声が聞こえなくもないが…。もっと基本的な部分、つまり基本となる勉強のやり方さえ、しっかりと行っていれば、各科目の勉強法といった〝応用的な部分〟の勉強法は身に付くということ。そして、〝応用的な部分の勉強法〟は一人ひとり違うものであるということも、付け加えておきたい。基本的な勉強を、しっかりと続けてやっていくからこそ、その科目の自分なりの効率のいい勉強方法が見えてくるのである。一本の太い川が、進んでいくうちに、何本もの支流に分かれていくのと同じである。体操の選手が、体操の基本を習得した後に、それぞれの種目に特化していくのと同じである。まずは、基本的な部分を習得することから始めなければならない。これは勉強も同じである。
前述した学生さん達の成績が、今一つ芳しくないのは、もっと手前に原因があるからである。その『 手前にある原因 』こそ、『 基本的な勉強方法の未習得 』に他ならない。基本的な勉強が出来ない(もしくはそのやり方が分からない)のに、あれやこれややったところで、効力など発揮されるはずなどない。
先ほど、『 とにかく過去問をバンバン解いています 』『 参考書の○○(芳しくない科目)の部分の問題を解いています 』『 ◇◇(国家試験参考書)を覚えています 』こういった行為は、電化製品の不具合における『 このボタンを押しているんだけど… 』『 レバーをひねっているんですが… 』『 説明書に書いてある通りに… 』といった行為とさして変わらない…と書かせていただいたが…正確に言うならば、こういった行為は、先ほどの電化製品の例で言わせていただくならば、『 説明書を無視して自分勝手にいじりまわしている 』行為と同じである。勉強というもののやり方から大きく逸脱している、根本的なやり方として間違っているやり方だからである。逸脱している、誤っているのだから、当然、成績など上がるはずもない。これなども、『 基本的な勉強方法の未習得 』の一つと言えよう。基本的な勉強方法を習得していないからこそ、誤った行動(やっている本人は勉強のつもりであろうが…)に走るのだから…。まさに、コンセントが抜けているのに、アレやコレやいじりまわしているのと同じ行動と言えるだろう。そして、それは『 操作云々ではなく、コンセントが入っていない・電源が入っていないという、操作云々以前が原因である 』ことと同じように、『 過去問を解く、参考書の問題云々ではなく、基本的な勉強方法の未習得という、勉強を行う手前に原因がある 』ということである。
成績が芳しくない学生さんの中には、講義中に講義そっちのけで過去問を解いていたりする人もいるが…これなんかは、前述の『 説明書には目もくれず、自分の思い込みで電化製品をいじくりまわしている 』というのと、同じ行為といえよう。これも原因は、〝勉強を行う手前〟にあるといえる。いずれの場合も、本人は一生懸命やっているつもりかもしれないが、いかんせんコンセントが入っていない(電源が入っていない)のだから、どうしたところで動くはずはない。
成績が芳しくない。学力が向上しない、と悩んでいる人は多いことと思う。実際、学習指導等で研修や外部講演に入ったり、無料体験講座等でもそういった相談を受けることは多い。そして、そういった相談の大部分が、勉強を行う手前に原因がある場合がほとんどである。やはり、成績が芳しくない、学力が向上しない場合は、今目の前にある勉強のやり方ではなく、そのもっと手前にある〝勉強の取り組み方〟をもう一度見直してみる必要があると言えるだろう。過去問だ、参考書だ言う前に、勉強の取り組み方はどうなんだろう?それを、今一度見直してみるべきである。見よう見まねで人の操作を真似していたり、単なる思い込みでいじりまわしたところで、コンセントが入っていなければ何も動かないのだから。家電が動かない場合にコンセントや電源が入っているか確かめるように、成績が芳しくないのなら、今いじっているボタンやレバーを動かすのではなく、その大元を確認する、見直すことが大事…イヤ必要なのである。そして、それが出来てからこそ、初めて試験対策に取り掛かることができるようになるのである。
学生さんから聞いた話であるが…以前いた所で『 ○○が苦手なんですが… 』『 □□ができないんですが、どうしたら… 』と相談に行ったら…『 じゃあ、この問題をやって 』と問題集の問題をやることを指示されたとのこと。全くもって理解できない行為である。指示された問題を解けば、苦手なものが得意になるのだろうか?その問題を解けば、できないものができるようになるのだろうか?はっきり言わせていただくが、そんな問題解いたところで苦手なものが得意になる訳はないし、その問題を解いたところで、できないものができるようになるはずなどない。そのずっと手前に、原因があるからである。大体…問題を解けば、苦手なものが得意になったり、問題を解けば、できないものができるようになるのなら、誰も苦労はしない。第一、そんなことは誰もが考えることであり、相談に行く前に学生さん自身も試しているはずである。それで、結果が出ないからこそ相談に来ているのである。とりあえず、問題をやらせておけばいい…非常に安易で、それでいてオールマイティーに使える、いい逃げ口上であるが…これなんかは、『 指導するもっと手前に原因がある 』と言えるだろう。どうやら、手前に原因があるのは、学生さんだけではないようである。
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2020年3月19日 | コメントは受け付けていません。 |
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11年の真実 ~ 山椒は小粒でも ぴりり と辛い ~
2020/03/07
おかげさまで薬進塾は、2020年4月に11年目を迎えることになります。これも単に皆様の暖かいご支援、ご愛顧の賜物と心から感謝いたします。
『 大手予備校のやり方で結果が出せないから、薬剤師になれないというのは、おかしいのではないだろうか?違うやり方でやれば合格できる人もいる。そういう予備校が必要ではないか? 』『 しっかりとケアをするために、やはり少人数でやっていくのがいいはず。だったら、少人数制の薬剤師国家試験対策をやろう 』『 やはり、全員を合格させるのが、予備校の本来の在り方ではないか? 』『 やたら「 覚えろ 」ではなく、基礎からしっかり理解させることが大切ではないか? 』そういった思いから始めた薬進塾も、早11年目。月並みな意見ではありますが、本当にあっという間の11年でした。
既存の予備校では合格できなかった人を合格させる。そのためには、既存の予備校とは違ったやり方をしなければなりません。講義や講義スタイル、学生さんに対するフォローはもちろんのこと、予備校としてのシステム自体も、既存のものとは変えていかなければなりません。幸いにして、私は薬進塾を含め5つの薬剤師国家試験予備校に勤務していた経歴があります。これ以外にも、非常勤講師として教鞭をふるった薬剤師国家試験予備校も、2つほどあります。さらに、薬剤師以外の資格試験対策に携わったこともいくつかあり、当然ながら、そこで教鞭をふるった経験もあります。そういった経験を基に、薬進塾は立ち上げられました。やはり影響が大きかったのは、薬剤師国家試験対策以外も数多く手掛けていた、医療系資格予備校での勤務でした。薬剤師国家試験に携わって十数年の経験がある私でさえも、他の医療系資格試験対策を目の当たりにして、『 こんなやり方があるのか… 』と驚愕することばかり。今思えば、なかなか大変な日々でしたが、得られるものは大きかったように思います。
そこの予備校の上司が、よくこんなことを言っていました。『 医師国家試験や歯科医師国家試験は、現場の内容が問われている。だから、どこの予備校でも現場で活躍している先生方に来てもらって、講義をしている。「 昨日まで学生でした、今日から講師です 」では務まらない。薬剤師国家試験も、そうなるんじゃないのかな 』と…。言い得て妙とはまさにこのこと。実際、薬剤師国家試験は、そうなってきているのですから…。しかし、これを聞いた時分は、まだ〝そうなってはいない頃〟。ですが『 なるほど…医療系の国家試験全般が、そのように動いているのなら、薬剤師国家試験もそうなるのではないだろうか…では、そういった国家試験対策を行えば… 』と閃いたことが、昨日のことのように思い出されます。
そして、既存の薬剤師国家試験予備校にはなかったやり方、すなわち以前在籍していた医療系資格予備校のやり方をベースにし、『 一人ひとりをしっかりと指導できる少人数制 』『 科目を縦割りにして教えるのではなく、関連性のある内容を繋げて講義していく講義スタイル 』『 現場の内容にウエイトを置いた講義 』『 熟練した講師が教える講義 』『 勉強のやり方から指導していく試験対策 』の5つを主軸に、薬進塾を立ち上げることになったのです。
こう書くと、ずいぶんカッコいいように聞こえますが…実際、いざ始めてみると、苦労の連続でした。昨年の〝主任講師あいさつ〟でも書かせていただきましたが、立ち上げから数年は、塾生もなかなか集まらず辛い時期を過ごしました。時は、薬学が4年制から6年制になった時分。そんな向かい風もあり、とにかく塾生集めに関しては、辛酸をなめる思いでした。しかし、それがあったからこそ、今、塾生さんが来てくれることに対し『 とても、ありがたいことだ 』と、心の底から思えるようになったのも事実です。単刀直入に言わせていただくのなら、『 今、目の前にいる塾生さんのおかげで、薬進塾はやっていけるんだ 』と、ただただ感謝している次第なのです。だからこそ、『 しっかりと合格へと導いてあげなければならない 』、そう思っていることも事実です。そして、このように思うことも、苦しい時代を経験してきたからだと、身にしみて感じているのです。
薬進塾が大変だったのは、塾生さん集めだけではありません。これも昨年の〝主任講師あいさつ〟で書かせていただいたのですが…『 出る杭は打たれる 』の言葉通り、誹謗中傷や嫌がらせを受けることも、しょっちゅうでした。既存のやり方と違うやり方をやっていることが目障りなのでしょうか、根も葉もない噂を流されるなんていうことも、しょっちゅう。大学の講義中に、薬進塾と私の個人名を出し、10分以上にわたり非難した予備校講師もいたそうです(大学から依頼されている講義中に、そういうことを言うというのも、どうかと思うのですが…)。おかげで、全く無名だった薬進塾でしたが、その話を聞き『 薬進塾?なんだそれ? 』と調べてくれた結果…薬進塾に入塾してくれた塾生さんが数名おり、まさに怪我の功名でしたが…(笑)。
既存のやり方とは異なるシステムでやっているからでしょうか…既存のシステムで運営している所からは『 あんなやり方でできるはずがない 』と吹聴されたことも、日常茶飯事。私から言わせれば…『 他の医療系資格予備校は、ほとんどがこういったやり方なのに、何故、それを否定されるのだろうか?というよりも…何故、既存のやり方から脱却しようとしないのだろう?どうして、どこも型にはまったように、同じような既存のやり方しかやらないのだろうか? 』と、不思議に思ったものでした。前述したように、なかなか大変な日々ではありましたが、こういった広い視野で試験対策を見ることが出きるようになったのも、医療系資格予備校の色々なやり方を見てきた成果だと、自負している次第です。
『 あんな小さい所は、すぐに無くなる 』『 小さい所だから、良い先生はいない 』『 試験の変更があるけれど、小さい所には情報が入らない 』といった、全くのデマを流されることも多々あります。私は不思議でたまらないのですが…どうして『 小さい 』ということで、ここまで言われるのでしょう?というよりも、規模の大きい・小さいと、良い先生がいる・いないは、別の話ではないでしょうか?規模が小さいという事と、情報が入らないという事が、どうしてイコールになるのでしょうか?全く持って偏見というか、言いがかりとしか思えないのですが…。『 小さいから反撃できないだろう 』『 小さい所だから、何をやってもいいんだ 』というのなら、それこそイジメやパワハラと全く変わりないと言っても、いいのではないでしょうか?
そして、これは同業者に限った話ではありません。問い合わせと称した電話で、小バカにしたような対応をされたことも、何度もあります。面談と称してやって来て、大きい予備校と比べては、上から目線でせせら笑っている…なんていうことも、何度もありました。小さいという事だけで、小ばかにされる…世の中のイジメやパワハラと言ったものの根源を、見たような気がしないでもありません。
何度も言わせていただきますが、予備校の規模が小さいという事と良い先生がいないという事、情報が入らないという事は、全く別の話です。実際、薬進塾には素晴らしい講師がたくさん…イヤ、全員が素晴らしい講師であると私は、自負しています。講義の腕も塾生さんへの思いも、どこにも負けない。薬進塾が一番である。心からそう思っています。『 合格者の声 』のページにもたくさん掲載されているように、その思いは塾生さんも同じだと思います。『 小さいから… 』『 名前を聞いたことが無いから… 』といった難癖をつけるようなやり方で、良い講師を非難するというのは、如何なものなのだろうかと、正直憤りを禁じ得ません。
情報等に関しても、全く同じ思いです。薬進塾も試験対策の予備校である以上、試験に関する情報はそれなりに網を張っては、入手しています。ましてや、この情報開示社会。特に国家試験情報ともなれば、間違いなく開示されるのは、当たり前の話です。それを、どうして『 小さいから… 』という理由で、その情報を入手することができない…となるのでしょうか?これも、難癖をつけるに等しい行為だと思います。実際、大きく出題基準等が変更となった97回薬剤師国家試験(薬学6年制最初の345題の国家試験)試験対策においても、しっかりと情報を入手し、何の支障もなく試験対策を行い、しっかりと成果を上げています。合格者インタビューにも掲載されていますが、240題の国家試験を5回受験して合格に至らなかった旧4年制課程のD大学既卒生を、6回目の受験となる97回薬剤師国家試験(薬学6年制最初の345題の国家試験)で、一回で合格させています。これは見紛うこと無き事実なのです。もちろん、このほかにも合格した人は何人もいます。どんなに『 あそこは小さいから情報が入らない。だから新傾向の試験には対応できない 』と難癖をつけた所で、しっかりと対応して合格者を出している。これは、事実なのです。
そして、薬進塾が立ち上げの理由として掲げた『 大手予備校のやり方で結果が出せない人も、違うやり方でやれば合格できる人もいる 』という思いも、そういった塾生さん達を何人も合格させることで、達成できているという事も事実です。薬進塾に来る塾生さんのほとんどが、他の予備校に通ってはいたものの、結果を出せなかった人です。そういった塾生さん達が薬進塾に来て、薬進塾のやり方で学力をつけ、そして合格していっています。沢山のブランクのある塾生さんや、他の予備校で結果を出せなかった塾生さん達を合格させることができたことは、薬進塾にとって嬉しい限りです。そして、そういった塾生さん達を合格させてきたことも、間違いのない事実なのです。
そう、事実はひっくり返すことはできません。どんなに誹謗中傷を受けた所で、事実を覆すことはできません。そして、一番の事実は…薬進塾が10年間やって来て、今年11年目を迎えるという事。これは、見紛うこと無き事実です。『 あんなやり方でできるはずがない 』と言われても10年やって来て、『 あんな小さい所は、すぐに無くなる 』と言われても11年目を迎えることができ、『 小さい所だから、良い先生はいない 』と言われてもいい先生方がいて、『 試験の変更があるけれど、小さい所には情報が入らない 』と言われても、新しい試験にしっかりと対応し、そして沢山の塾生さん達を合格へと導いている。これは、全て事実なのです。どんなに小バカにしようとも、『 11年目を迎える 』という真実を、覆すことはできない。そう思っています。
むしろ小さい所が、薬進塾のいい所だと思っています。小さいからこそ、大きな所にはできないことを。そう、薬進塾が立ち上げの時に掲げた『 既存の予備校とは違ったやり方をする 』が、ここでも活きてくるのです。大きい小さいではなく、塾生さん達を合格させるために、最良のことをする。小さいからこそ、小さい所にしかできない方法で、少人数の塾生さん達にできる限りのケアをしてあげる。そして、合格へと導いてあげる。これこそが、薬進塾のあるべき姿だと思っています。
『 山椒は小粒でもぴりりと辛い 』という諺があります。意味は…
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からだは小さくても、気性や才能が鋭くすぐれていて、侮れないことのたとえ
(大辞林)。
からだは小さいけれど、意志が強く、鋭い気性や優れた才能があり、非常に優秀で侮る(あなどる)ことのできない人のたとえ(諺・慣用句の百科事典)。
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といったもの。そう、薬進塾は『 山椒は小粒でもぴりりと辛い 』のです。例え小さくとも、気性や才能が鋭く優れていて、意志が強いのです。侮れませんよ。2020年で11年目を迎えることになる薬進塾ですが、誹謗中傷や難癖・言いがかり、偏見に屈することなく…いや、そんなものに目をくれている暇もありません。何せ、〝毎年40人全員合格〟を達成しなければならないのですから!『 そんなことできる訳ないだろう 』と、これまた難癖をつける人がいるかもしれませんが…私は今までの講師人生の中で、合格率100%を2回達成した経験を持っています。もちろん、『 出席率○%以上の人 』などといった条件付きではありません。出席率、成績にかかわらず、そのクラスの全員を合格させたという、正真正銘の合格率100%です。それを2回達成しているのです。そう、これも見紛うこと無き事実なのです。事実として、合格率100%を2回経験している。だからこそ、『 できる 』と確信しているのです。やったことが無い人にとっては、絵空事の『 そんなことできるはずがない 』でしょうが、やったことのある私にとっては、『 既にやったこと 』であり事実なのです。2度あることは3度ある。だからこそ、またそれをやろうと掲げているのです。どうです?ぴりりと辛いとは思いませんか(笑)?
薬進塾は今年で11年目を迎えます。これは、まぎれもない真実です。そして、この11年目を迎えることができたのは、本当にたくさんの人達からの支えがあったからだということも事実です。当塾で教鞭をふるっていただいている講師陣はもちろん、いつもご厚意をいただいている大学の先生方。薬局さんや企業の方々。薬進塾運営にご協力いただいている税理士事務所の方や、社会保険労務士事務所の方、弁護士事務所の方。ホームページ作成に協力していただいている方や、薬進塾の宣伝等に協力していただいている会社の方や、コピーの保守管理をしてくれる会社の方。それ以外の薬進塾運営に関わってくれる、多くの会社の方。そして何よりも、薬進塾に来てくれた塾生さん達。そういった方々の支えがあったからこそ、薬進塾は11年目を迎えることができたのです。本当に、ありがたいことですし、ありがたいことだと思っています。そんな人たちに支えながら、薬進塾をやっている私は、本当に幸せ者だと思っています。
10年と言えば一昔。そう考えるならば…11年目ということは、新たなる1年目を迎えるということになります。新たなる1年を迎える訳ですが…かのウォルトディズニーは、こう言っています『 ディズニーランドはいつまでも未完成である。現状維持では後退するばかりである 』と…。そう、10年の実績を持つ薬進塾も、まだまだ未完成なのです。だからこそ、11年目という言葉に踊らされず、色々と新しいこと、良きことを創意工夫し、やっていきたいと思っています。現状維持では後退するばかりなのですから。山椒は小粒でもぴりりと辛い。この言葉を胸に、新たなる一年を革新的・創造的に進んでいこう。そして、多くの学生さん達を、合格へと導いていこう。今年一年も、そしてこれからも、ぴりりと辛い薬進塾で進んでいこう。そう思っている次第です。これからも、末長くご愛顧賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
※ 今回のブログは『 塾長あいさつ2020 』を掲載させていただきます。
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2020年3月7日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!
考える力、翻弄されない力
2020/03/01
諸説紛々あるが、『 考える 』という行為は、人間だけに見られる行為だそうである。動物の色々な映像を見ていると、『 どうも考えているなぁ 』と見受けられる行為・行動も多々あることから、どうやら人間だけの行為ではなさそうである。まあ、『 人間は(動物の中でも)とりわけ考えるという行為を行っている 』と言ったところだろう。
私が学習指導の時に、口癖のように言っているのが『 分からなかったら、考えればいい 』といった文言。問題というのは、考えて解くものであるからして、考えなければ問題の解法には至らない。問題を読んで『 ? 』となり、考えて答えを導き出す。これが試験というモノであり、試験というモノ自体の根源と言っても過言ではないと思う。しかし、どうも昨今はこの根源が揺らいできているような気がする。ただし、揺らいでいると感じるのは〝試験自体の根源〟ではない。試験を受ける人間側にある〝試験というモノ自体の根源〟が揺らいできているよう思えるのである。早い話、試験というモノを『 考えて解く 』という人が少なくなったという事。
問題を見て、覚えているものがすぐに解答として、頭の中に浮かぶ。そういった解き方もなくはない。俗に言う〝暗記系〟の問題の解法などはこれに当たる。『 そういった解き方もなくはない 』と書かせていただいたからには、当然、『 そうではない解き方 』もあるということ。それが前述した『 考えて解く 』というものであり、試験の根源たるものである。しかし、昨今の学生さんたちは、『覚えているものがすぐに解答として、頭の中に浮かぶ 』ことが、解き方の全てであると捉えているようである。この解き方が全てである以上、『 考えて解く 』というものは、解き方の中には存在しないということになる。〝試験というモノ自体の根源〟である解き方が存在しないのだから、〝試験というモノ自体の根源〟が揺らいできている、と言えるのではないだろうか?
昨今は、考えない学生さんが多い。『 考えることが嫌い 』と口にする学生さんも、決して少なくはない。受験生(それも国家試験の受験生)としての発言としては、如何なものかと思ってしまうのだが…。試験対策というものと〝考える〟という行為は、切っても切り離せないものである。考えることが嫌いというのなら、試験対策というもの自体に支障をきたすことは間違いない。
注意してもらいたいのは、『 考えることが嫌い=試験対策に向いていない 』と言っている訳ではないということ。例え嫌いであっても、やらなければいけない。だから、嫌いでもやる。これが、対策というもの。これは、日常生活においても言えることである。嫌いだけれども、やらなければならない…何ていうことは、日常茶飯事のこと。だから、別に嫌いであっても『 考える 』という行為さえしてくれれば、試験対策において、特に支障をきたすことはない。
問題なのは『 考えるのが面倒くさい 』ということを言う学生さんである。これには困ってしまう。試験というモノ自体の根源である『 考える 』という行為が面倒くさいというのだから、困ってしまうと言うしか他ないだろう。考えなければならない試験なのに、考えることが面倒くさい…これは、なかなか厄介である。おまけに、『 考えなさい 』というと、『 え~っ面倒くさい 』という学生さんが少なくないところが、尚更困ってしまうところ。面倒くさくても、考えてもらわなければならないのだが…何せ、試験の根源とはそういうモノなのだから。
計算問題が苦手という学生さんは、このタイプ、つまり考えるのが面倒くさいというタイプの方が多い。まあ『 36×14 』という具合に数式が書いてあり、それを計算するくらいなら、考えるという行為もそれほどではないが、残念ながら薬剤師国家試験に出る計算問題は、文章題である。文章を読んで、そこからどの公式を用いるのか、場合によってはその公式にも1つ2つ手を加えて式を作り、さらにそこに数値を代入して計算していかなければならない。これまた場合によっては、その数値からさらに計算が必要となる場合も多々あり、やはり『 考える 』こと抜きに、対応することはまず不可能と言っていい状況にある。そこで、考えることが面倒くさいとなると…『 計算問題、捨てた… 』なんていう、合格を目指すには非常事態…ということになってしまう。
考えることをしなければ、非常事態に陥ってしまうのは、何も試験対策に限ったことだけではない。考えるという事は、判断するという事でもある。自分で判断する。これができなければ、周りに翻弄されることになる。つまり、考えるという事をしなければ、周りに翻弄されるということ。そして、これはかなり危険な事でもある。悲しいかな、世の中には自分の都合のいいように人を動かす人間、つまり他人を翻弄させて自分の利を得ようとする人間が少なくはない。流言飛語(デマ)を実(まこと)しやかに流して、自分のいいように事を運ぶ。そういう人間にとって、考えない人間は、いいカモである。流言飛語を〝情報〟という〝まやかしの言葉〟に置き換えて、さも事実であるかのようにバラまく。チョット考えれば分かりそうなのだが…考えない人間にとっては〝情報〟という〝まやかしの言葉〟で彩られた流言飛語(デマ)は、麻薬のような効力を発揮する。気が付いた時には…どっぷりとその麻薬に浸かってしまって、抜け出せない中毒者となってしまっている。そう、一番損をするのは翻弄されたその人自身なのである。そして、それで利を得た流言飛語(デマ)を流した当人は…そんな中毒者など、もう用が無いと言わんばかりに見捨てることになる。中には、利を得ることが目的ではなく、単に流言飛語(デマ)を流し、それに翻弄されている人間を見ては、ほくそ笑んでいる人間もいたりする。自分の流した流言飛語(デマ)で、翻弄されている人間を見ては喜んでいる。人間としては、かなり低俗な部類に入るが、悲しいかなそういった輩が存在することも確かである。利を得る人間に、いいように利用される。翻弄されている姿を笑われている。考えない人間が、常に隣り合わせに持っている危険と言えよう。実際、新型肺炎に揺れているこの時期、一体いくつの流言飛語(デマ)が流されたことか。そして、その裏には、それで利を得た人間、それを見ては ほくそ笑んでいる人間が何人いることか…。
国家試験も終わり、様々な状況の人がいることと思う。しかし…どんな状況であれ、その人それぞれを翻弄させるための流言飛語(デマ)を用意しては、自分の利を得ようとする輩がいることも事実である。なんとも怖い話であるが…実はそんなに怖い話でもない。考える。それが一番の対策だからである。前述したように、考えるという事をしなければ、周りに翻弄される。流言飛語(デマ)に翻弄されないためには、考えればいいだけの話である。『 人間は(動物の中でも)とりわけ考えるという行為を行っている 』訳であるのだから、そんなに難しい話ではないはずである。真っ当に考えれば判断できることなど沢山ある。自ら判断して行動すれば、流言飛語(デマ)に翻弄されることなどないはずである。
やはり自分自身で考えて行動することが大切である。そうしなければ翻弄されてしまうのだから…。自分自身で考えて行動するということは、一人で行動するということも意味する。人間、全く同じ考えで、その後の行動も全く同じなどということは、まずあり得ないからである。もし、そうなってしまっているのならば…妥協している部分がある、それすなわち翻弄されてしまっていることを意味している。自分で考え、その考えに基づき自分で行動する。昨今は、考えるのが面倒くさいという学生さんが多いと書かせていただいたが…自分の人生におけることである。面倒くさいでは、済まされる問題ではない。情報と信じているものも、もしかすると〝情報〟という〝まやかしの言葉〟に置き換えられた、誰かが利を得るための流言飛語かもしれない。情報と信じ込ませ、動いている人を見ては、ほくそ笑んでいる人がいるやもしれない。国家試験が終わったこの時期。試験結果がどうであれ、皆、精神的にはかなり弱っている状態にある。そんな弱っている状態に付け込んで、流言飛語をまき散らす輩も少なくはない。それを、しっかりと肝に銘じ、自分自身でしっかりと考え行動し、流言飛語という毒牙から身を守ってほしい。何やら仰々しい表現になってしまったが…前述したように、そんなに難しいことではない。普通に考えればいいだけである。例え相手がもっともらしく話してきたところで…一歩離れて、全体的な視野から普通に考えて判断すればいいだけの話である。もし考えても分からなければ…自分自身で行動して、自分の目で見て、自分の耳で聞いて確かめ、そこから考えて判断すればいい。くれぐれも雰囲気に流されず、視界を狭くせず、一部の意見にとらわれることなく、しっかりと考えて行動してもらいたい。そう願っている次第である。
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2020年3月1日 | コメントは受け付けていません。 |
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