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亥年の守護神は、金運の金毘羅様!

 薬剤師に関わる仕事をしていると、どうしても『 薬 』という文字に敏感になってしまいます。私は、個人的に神社仏閣が好きで、休日に探訪なんかすることもしばしば。そんな、神社仏閣の中にも〝薬〟という字が付くものがあったり、その神社仏閣にゆかりのあるものの中に、やはり〝薬〟という字を持つものがあったりするのですが…見つけると、何となく嬉しい気持ちになるのです。実は、神社仏閣やその縁のものには、何気に〝薬〟という字が入っている場合が、少なくないのです。

 代表的なのは、やはり薬師如来でしょう。そのものズバリ、〝薬〟という字が入っていますね。薬師如来は、その名の通り医薬を司る仏様。衆生の病気を治し安楽を与えるとされるため、左手に薬壷を持っているそうです。新薬師寺(こちらは、お寺の名前に〝薬〟という字が入っていますね)の公式ホームページによると、薬師如来は菩薩として修業していた時…ちなみに、最高のさとりをひらいた仏様が〝如来〟。その〝如来(=仏様)〟になるために努力しているのが〝菩薩〟となります。で、薬師如来が、まだ菩薩として修業していた時のこと。体から光を出して世界を照らすこと、人々の不満を満たすこと、病気を治すこと、正しい道に導くこと、災難を除くことなど、十二の願い事を立てたそうです。薬師如来像は、右手は恐れを取り去る印相(手の指で様々な形を作り、仏や菩薩の内証を標示するもの)となっています。正確には〝施無畏印〟というそうで『 「 恐れなくてよい 」と相手を励ますサイン 』とのこと。左手には薬壺を持っているのですが…ここが、ダイレクトに〝薬〟と繋がっている部分ですね。もちろん、前述の願い事にある『 人々の不満を満たす 』『 病気を治す 』『 正しい道に導く 』『 災難を除く 』などということも、ある意味、医療に通ずるものであることは確か。『 人々の(体調不良による)不満を満たす 』『 病気を治す 』『 (健康という)正しい道に導く 』『 (疾病や怪我という)災難を除く 』訳ですから、まさに医療人の考え方、目的にピッタリ当てはまると言っても、決して過言ではないと思います。

 そんな薬師如来には、脇侍(本尊の両脇または周囲に控え、その補佐をするもの)として日光菩薩、月光菩薩がつき従っています。すごいですね。日光、月光がお供ですから!そして…有名ですが、この日光菩薩、月光菩薩の他に、十二神将とよばれる守護神を周囲に配しています(薬師如来像の周囲に作られることも多いそうです)。もちろん、役割は薬師如来とその信者を守ること。守るわけですから、当然、武装姿。十二神将は全て鎧を身に付け、武器を手にしています。ここで…十二という数を聞いて、『 十二支 』を連想された方も多いのではないでしょうか?実際、十二神将は十二の方角(旧暦では方位にも十二支が使われていた)を守っていることから、干支の守護神としても信仰されています。

 来年の干支は亥(イノシシ)。この干支の守護神は、宮毘羅(くびら)大将(干支と十二神将の割り当ては諸説あります)。十二神将の中でも筆頭にあげられている神将です。インドにあるガンジス河のワニがモデルとされ、水運の神様とのこと。『 宮毘羅 』の字は『 金毘羅 』に当てられることもあります。そう、我々日本人には親しみ深い『 金毘羅(こんぴら)様 』。実は、宮毘羅大将は一般に、金毘羅様として親しまれているのです。日本では大物主神(日本神話に登場する神。日本書紀の中では大国主神の別名とするものもある)の垂迹(すいじやく:仏・菩薩が民衆を救うため、仮の姿をとって現れること)として金毘羅大権現と呼ばれ、海上の守護神として広く民間に信仰されています。金毘羅様が、十二神将の宮毘羅大将で、薬師如来のボディガード…。何とも、すごい発見をしたような…。

 金毘羅様には、農業守護、商売繁盛、金運の御利益があるそうです。何ともよろしい話ではありませんか。めでたいこと、この上ない!

 2018年を表す一文字は『 災 』でした。その文字が表すように、自然災害が猛威を振るった年でもあります。農業にも多大なる被害が出たことは、記憶に新しいと思います。来年の干支である〝亥〟の守護神である宮毘羅大将こと金毘羅様は、農業守護の御利益がある神様。農家の方、来年の農作物は金毘羅様の守護により、大豊作間違いありませんよ!希望を持って下さい!そして、我々も…来年は野菜高騰に悩むこともなく、美味しい野菜が食べられるのです。こんな喜ばしいことはない!

 2018年は、自然災害によって景気も悪化しました。確かに、景気のいい話はあまり耳に入ってこないのが現実…。しかし、それもあと少しのこと。来年の干支である亥の守護神である金毘羅様は、商売繁盛の御利益がある神様。商売繁盛の神様が干支の守護神な訳ですから、来年は景気回復間違いなしですよ!どんな商売も、繁盛、繁盛の一年!景気がいいったらありゃあしない!当然、そんな景気のいい影響は、我々の懐も暖かくさせてくれるはずです!

 そりゃあ、我々の懐も暖かくなりますよ。だって金毘羅様は、金運の神様でもあるのですから!2018年は色々と大変だった方も御安心ください!2019年は間違いなく金運上昇!懐も暖かくなるどころか、ドドッと金運が押し寄せて、裕福に豊かになれること間違いなしですよ、来年は!すごい目出たい年ではないですか、2019年は!豊作だわ、美味しい野菜がたっぷり食べられるわ、景気は良いわ、お金がどんどん入って来て、裕福に豊かになれるわ…こんな目出たい年など、そうあるモノではありませんよ!

 薬剤師国家試験受験を控えている皆さんの2019年…懐が温かくなる、金運上昇の年。何故、薬剤師国家試験を受験する人の懐が温かくなるのでしょう。答えは簡単。薬剤師として働くことになるからです。そう、亥の年は、守護神が金運の神様である金毘羅様。こりゃあ、合格して薬剤師として働いて、懐が温かくなるよという暗示ですよ、間違いなく!ちなみに、全国の金毘羅様を祭っている神社を調べてみると、何気に合格祈願の御利益がある所が多いのです。こりゃあ、しめたものですね!来年は、合格の御利益もある金毘羅様が守護神の亥年。願ったり叶ったりではないですか!良い年になること間違いなしですよ、きっと。きっと間違いなく、誰もがいい年になる。私はそう信じています。

 今年を表す一文字は『 災 』というチョット悲しい一文字でした。色々な『 災 』を被って、悲しみにくれた人、大変だった人、途方にくれた人も、たくさんいたことと思います。でも、大丈夫。そんな『 災 』という一文字の今年も、そろそろお終いです。悲しみも、大変だったことも、途方にくれたことも、もうお終い…そして来年は、目出たい目出度い金毘羅様が守護神の亥年。『 災 』なんていう一文字を吹っ飛ばすほどの幸運が、十倍にも百倍にもなって御利益として降り注ぐこと間違いなしです。何度も言いますが、来年はいい年になること間違いなしです!来るのが楽しみじゃあないですか?『 もういくつ寝ると… 』という具合に、来年が来るのを楽しみに待ちましょうではありませんか?くどいようですが、絶対に来年はいい年ですから!

 薬進塾も例年通り、ベテラン講師陣が腕をふるい、塾生さん達も必死に試験対策に取り組み、活気溢れる一年でした。少人数ということもあり、講師・職員と塾生さん達との距離も近く、それでいて真剣に試験対策に臨むことが出来た一年だと思います。

 2018年も残すところ、あとわずかとなりました。皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。本年は格別のご愛顧を賜り、誠に有難く厚く御礼申し上げます。来年も誠心誠意努力して参りますので、より一層のご支援を賜りますよう、薬進塾一同心よりお願い申し上げます。

では、皆さま、よいお年を!

 

 

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2018年12月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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不安だからこそ持つ希望

 この時期になると多くなる相談が『 不安です 』といった内容。ご存じのように、我が薬進塾は常に塾生さんの相談や面談を受け付けている状況。だから、『 相談したいことが… 』『 復習が… 』といった相談は日常茶飯事のこと。もちろん、こちらもすぐに応対する次第。そんな日常茶飯事のことが、この時期になると一気に増え始めるのが現状。まあ、理由も分からなくは無い。

 薬進塾では、個別の学習指導と行う皆の前で行う公的な学習指導(まあ、塾生さん全員を対象として行う学習指導)の二つがある。公的な方の学習指導で、この時期、よく塾生さんに言うのが『 今の時期が、皆、一番不安になる時期だから 』ということ。今の時期が一番不安な時期…。これには理由が二つある。まず1つは、一通り模擬試験等が終わったということ。当然、模擬試験の結果が出ている訳であるが…今一つ成績が芳しくない。思ったより伸びていない。これが不安材料の一つ。もう一つは…季節である。気が付くと年末。今年もあとわずか。年が明けると…2ヶ月ちょっとしかない。えっ!?あと2ヶ月ちょっとしかないのに、この成績…。どっと詰め寄る不安…。そこで、相談や面談を申し込むことになる。

 まず、初めに言わせていただきたいのは…というか、相談に来た塾生さん全員に言うのだが、今の時期は誰もが不安。不安でない人などまずいない。逆を言うなら、不安であることが当たり前。もし、この時期不安でないという人がいるならば…よっぽどの天才か、試験対策をいい加減にやっている人間かのどちらかである。真っ当な人間は、皆、不安であるのが当たり前。時折、〝試験対策をいい加減にやっている人間〟にお目にかかることがあり、当然ながら厳しく指導するのだが…のれんに腕押しというか、本人はどこ吹く風といった感じ。肝が据わっているのか、はたまた状況が分かっていないのか定かではないが…ある意味、羨ましい気もしないではない。全くもって不安ではないのだから…。

 閑話休題。当然ながら『 今の時期は誰もが不安。不安でない人などまずいないよ。不安であることが当たり前なんだから 』と話したところで、『 ああ、そうなんですね 』と納得して、朗らかな笑顔で帰ってくれる塾生さんなど、まずいない。『 でも… 』と、色々な不安要因を話してくる。一つ聞いてはアドバイスをし、一つ聞いては指導をし、一つ聞いては励まして…という具合に応対することで、塾生さんも次第に落ち着いて来ることに。そう、不安というものは、聞いてもらえるだけでも、かなり落ち着くものなのである。聞いて、不安を分かってあげ、それ相応の応対や指導をするだけでも、かなり不安は和らぐことになる。塾生さんの顔が朗らかになることからも、それは伺えるのだが…こういう時『 やはり少人数でやっていて良かったなぁ 』としみじみ思う。40人の少人数制であっても、一人ひとり応対していくのは、それ相応に至難の業であるからして、これがもっと多い人数となると…あまり考えたくもないことに…。

 私の愛読書に書いてあることなのだが…不安というのは、自分自身が作りだしたものであり、その正体は現実では無いもの。確かに、その通りである。『 ○○だったらどうしよう 』という不安の、『 ○○ 』は、まだ現実には存在していないものである。早い話、自分で勝手に無いものを作り出しては、それに怯えているといった状況である。自分の心を脅かすものであるからして、決して良いものではない。むしろ悪いものである。チョットした不安なら、予防という意味で役に立ちもしようが、自分の心を脅かす不安など益にはならないのだからして、悪いものと断言しても間違いは無い。ということは…『 不安に怯えてしまう 』とは、現実には存在しない悪いものを作りだしているということになる。そう、〝悪〟を作りだしているということ。

 〝悪〟を作りだしている。こう聞くと、何かとんでもないことをしているようだが…でも実際とんでもないことをしているのではないだろうか?不安に怯えるということは、無きものを作りだしては、自分をいじめているということになるのだ。他人をいじめることは悪い事であるが、自分をいじめることだって悪い事であろう。何人であれ、何人をも、いじめてはいけないのだ。不安に怯えるということは、自分をいじめているということ。自分であろうが誰であろうが、いじめることは悪いこと。だから、不安に怯えるということは、自ら悪を作りだしては、自分をいじめるという、悪いことをしていることになる。神様が見ていたら、さぞかし、怒ることだろう。

 でも、誰だって不安になってしまう。人間である以上、それはやむを得ないことなのかもしれない。しかし、それが悪い事であるとするならば、どうすればいいのだろうか?答えは、思いの他簡単。良い事もすればいいのである。では、不安をという悪に対抗する、良い事とは?逆をやればいいだけである。人が喜ぶことをするのと同じように、自分が喜ぶことをすればいい。不安に怯えるということは、無きものを作りだしては、自分をいじめているということ。その逆だから…希望を待ち望み、自分を喜ばせるということ。確かに希望も、今目の前には無い。しかし、それを作りだすことで、自分は楽しく、喜ばしい気持ちになってくる。他人を喜ばせることは良い事であるが、自分を喜ばせることだって良い事であり、善である。どうせ『 無いものを作りだす 』のなら、良いことを作りだした方がいいに決まっている。不安だからこそ持つ希望、不安という悪を作りだしてしまうからこそ、希望という善を作りだせばいい。中和されることもさることながら…やはり、どうせ作り出しそれに捕らわれるなら、楽しくなることや喜ばしいことの方がいいのではないだろうか?

 希望を持つ。月並みな言葉かもしれないが、前述のように考えれば、とても大事なことのように思える。何と言っても、善を作ることなのだから。私は名言・格言が好きであるが、思いのほか、希望という言葉を含んでいる名言・格言は多い。やはり、希望というのは、偉人達が選ぶほど有益な言葉であり、そして力強い味方になるものなのだろう。かくいう私も、希望を持つことにより乗り越えたことは、一度や二度ではない。不安で不安で、身動きが取れなくなってしまった時。そういう時に『 希望を持て 』といわれても、難しいことは重々承知している。しかし…それでも無理やりにでも希望をもつしかない。かくいう私も、無理やりにでも希望を思い続けているうちに…ほんのわずかだが不安が軽減されたことがある。1の軽減が、2の軽減になり、3の軽減、4の軽減となっていき…かなりの不安が軽減されたことも、やはり一度や二度ではない。すると、どういう訳か希望通りに事が進むようになっていったことも事実である。偶然だろうか?イヤ、偶然とは思えない。そう実感している。やはり、偉人達が『 希望を持て 』という類の言葉を多く残しているのだから、何らかの効果効能はあるのだろう。イヤ有るはずである。私はそう思っている。

 不安だからこそ持つ希望。不安な時だからこそ、あえて意識して希望を持たなければならないのである。『 そんなの無理 』という人もいるかもしれない。しかし…そうしなければ、現実には存在しない〝不安〟という悪いものを作りだしてしまうことになる。そして、自分をいじめるという、悪い行為をしてしまうことになる。悪いことをしてはいけないのは、言わずもがな。自分だからと言って、いじめていいとは限らない。

 無理にでも希望を持とうではないか?初めは無理やりかもしれないし、そううまくはいかなかもしれない。しかし…希望を思い続けているうちに、ほんのわずかだが不安が軽減されるはずである。その時こそがチャンス。雪だるま式に不安が軽減されることになるのだから。薬剤師国家試験に臨む人は、誰しも今が不安な時である。だからこそ、希望を持ち続けて、少しでもその不安を軽減してもらいたいと思う。第一…どうせ無きものを作りだすのなら、怯えてしまうことよりも、楽しくなるようなことを作りだした方が、良いではないか?私は、そう思っている。

 

希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就しない。

ヘレン・ケラー(米国の教育家、社会福祉活動家、著作家)

 

 

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2018年12月19日 | コメントは受け付けていません。 |

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学力の穴

 〝○○の穴〟という言葉はよく聞く。私が子供の頃大好きだった、タイガーマスクに出てきたのは〝虎の穴〟。パスタとピザが美味しいのが〝壁の穴〟。映画で面白かったのが〝マルコヴィッチの穴〟。という具合に〝○○の穴〟という言葉は、よく耳にする

 例に出させていただいた〝○○の穴〟は、ワクワクしたり、美味しかったり、面白かったりする〝穴〟であるが、〝学力の穴〟となるとそうはいかない。ましてや受験生ともなれば、とてもではないが楽観的にはなれない穴である。そして、試験対策においては、とても重要な穴であることも間違いない。『 この穴をどうするか? 』によって、今後の試験対策の方向性はおろか、学力の伸びまで影響を受けることになるからである。

 私が学習指導でよく口にするのが『 穴があったら埋めなさい。埋めないと、またその穴に落っこちることになるから 』といった内容。学力の穴を見つけたら、埋めなければならない。埋めなければ…まあ、穴があいている状況なのだから、当然、その穴にまた落ちてしまう可能性がある。

 では、そんな危険な穴。一体どうやって見つけるのか?穴に落ちてみるのが一番である。では、『 学力の穴に落ちる 』とは、どういうことであろうか?まあ、色々とあるのだが、一番手っ取り早いのが『 問題で正答を得られないこと 』。早い話、間違えた問題が、その人の学力の穴。だからそこを埋めればいいのである。『 なんだ、そんなこと 』と思った人。では、お聞きしたいのだが…間違えた問題に対し、しっかりとした穴埋めをしていると言えるのだろうか?

 これもよく言うのだが…試験というのは、受けっ放しが一番悪い。試験を受けて『 平均より上でラッキー 』だとか『 あんまりよくないな 』『 全然できなかった 』で終わらせてしまう人がいるが…これでは、試験を受けた意味は全くと言っていいほどない。穴埋めをしていないからである。これではゲームと変わらない。ゲームセンターに入り、ゲームをやって『 あ~、もうチョットだったのに 』とか『 難しいなぁ 』というのと変わらないということ。そこには穴を探す行為もなければ、穴を埋めるなどという行為もはない。あるのは『 ゲームをやった 』そして『 その結果が出た 』ということでしかない。試験を受けたのに、『 平均より上でラッキー 』『 全然できなかった 』で試験を終わらせてしまうことと、どこに違いがあるのだろうか?

 問題を『 間違えた 』ということは、その知識に関して未熟である、または間違えて覚えているという事である。もちろん、『 解けなかった 』というのも、未熟であったり間違えて覚えているいい例である。せっかく未熟なところを見つけたり、間違えている所を見つけたのだから、それ相応の対応をしなければならない。それが穴埋めである。穴は埋めなければ、また落ちる。

 ちなみに、未熟なところを見つけたり、間違えている所を見つけた…と書かせていただいたが…。試験を受けて『 合格ラインを越えた! 』だとか『 あんまりよくないな 』で終わらせてしまうのは、穴を埋める・埋めないの問題どころか、穴を見つけようともしていない行為である。『 未熟なところを見つけた 』『 間違えている所を見つけた 』というのが『 穴を見つけた 』ということ。『 合格ラインを越えた! 』だとか『 あんまりよくないな 』で終わらせてしまえば…未熟な所がどこなのか、間違えている所がどこなのかも分からない。すなわち、穴がどこなのかも分からないのだから、穴を見つけたことにはならないのも、穴を見つけようとしない行為であることも、当たり前と言えば当たり前の話。

 私が何度も口酸っぱくして言うことに、『 試験は穴を見つけるために行うものであり、いい点数を取り、安心感を得るために行うモノではない 』というのがある。もちろん、当塾のどの講師もこの考え方に賛同してくれている。本番は国家試験である。それ以外の試験は、練習試合でしかない。何故、練習試合をするのか?本番のために、自らの情報を得るためであり、やはり〝穴〟を見つけるためである。非常に厳しい言い方をさせていただくならば、どんなに練習試合でいい点数を取ったからといって、では、本番でいい点数が取れるかというと必ずしもそうではない。だからこそ、足元をすくわれないよう、地に足をつけて、浮かれることなく試験対策に励まなければならない。そう、試験対策に終わりは無いのだ。『 これ位でOK 』などというモノは、試験対策には存在しない。試験が終わるまで、切磋琢磨するのが、本来の試験対策のあり方である。模擬試験での点数に浮かれて、本番で残念な結果になった人を、私は何人も見てきている。先ほど、穴を見つけるには、穴に落ちてみるのが一番いいと書かせていただいたが…本番で穴に落ちてしまうのは、何とも遺憾な話である。

 模擬試験での点数に浮かれて…この人達は〝穴〟を見つけなかった人たち…イヤ、〝穴〟を見つけようとしなかった人たちである。点数だけに捕らわれ、さらにそれで満足してしまえば〝穴〟など見つけられるはずもない。穴を見つけるための模擬試験で、穴を見つけないということは、やはり本質を失っていると言えるのではないだろうか?

 穴を見つけて、穴を埋める。穴を埋めなければ、またその穴に落ちてしまう。穴を見つけることが重要。穴を見過ごさないことが重要。そして見つけた穴は、しっかりと埋める。この繰り返しが、穴の無いしっかりとした道を作るのである。模擬試験を例にあげたが…模擬試験だけではない。普段のテストから、講義内の質疑応答、過去問の勉強においても、必ずや穴は見つかるはずである。その穴を、如何に見つけ対処していくかが、試験対策の要である。そして…決して穴を見つける作業を怠らないよう、重々気をつけてもらいたい。そう思っている所存である。

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2018年12月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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ダイエットと国家試験

我慢:感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。

〔大辞林より〕

 昨今の学生さんは、我慢ができない人が多いよう思う。『 国家試験対策で、何を我慢する必要があるのか? 』と思う人もいるかと思うが…。かくいう私も『 隣の人がうるさい 』だの『 嫌がらせに近いことをされている 』などといった相談には、『 試験対策に来ているのだから、何も我慢する必要はない 』と、それ相応の応対をさせてもらっている。しかし、ここで私が言っている『 我慢する必要はない 』は、試験対策の支障になったり、勉強を続けていく上で障害となることに対して『 我慢する必要はない 』と言っているのであって、『 何でもかんでも我慢する必要はない 』と言っている訳ではない。

 試験対策を行っていく上では、当然ながら我慢しなければならないことが、いくつもある。試験対策を行うには、当然、勉強に費やすための時間というモノが必要になる。残念ながら、誰にとっても1日は24時間。何かをするためには、何かをするための時間というモノを、この24時間の中から捻出しなければならない。試験対策を行っていない時なら自由に使えた時間も、そこから削って勉強の時間を捻出しなければならないことになる。当然、『 アレもやりたい、コレもやりたい 』等と言っている場合でないことは、言わずもがな。『 やりたいことをやること 』を、少々我慢しなければならなくなる。

 試験対策自体においても、我慢しなければならないことは沢山ある。自分が苦手な科目も…我慢して勉強しなければならない。難しいことや分からないことも、勉強しなければならない。覚えなければならないことも、たくさんある。教える人も、自分お望み通りのタイプではないかもしれない(もちろん、いい加減な教え方をしているのならば、我慢する必要はないのだが…)。講義の延長もある。やらなければいけない課題もある。試験結果も今一つ思い通りにならない、etc…。まあ、試験対策というモノを行っていれば、当たり前のように遭遇する話。私はン十年、薬剤師国家試験に関わってきているが、こんなことは日常茶飯事…というか、試験対策を行う上で当たり前のように出てくる事象である。何故ならば…何でもかんでも、自分の思い通りに事が進むはずなどないからである。試験に限らず、対策とはそういうものである。自分の思い通りに事が進まないからこそ、我慢が必要になる。

 しかし、昨今の学生さんは『 何でもかんでも自分の思い通りに事が運ぶ 』と思って…いや『 何でもかんでも自分の思い通りに事が運ばなければイヤ 』という人が圧倒的に多いようである。あまり大きな声では言えないのだが…以前いた学生さんなどは、皆の前で大きな声で、『 私は単位が危なくなると、ママに電話させて… 』なんていうことを平然と言ってのけていた。恥ずかしさも、疚しさもないのだろう。何といっても、皆の前で堂々と言うのだから…。

 何でもかんでも思い通りでなければイヤ。思い通りに進まなければイヤ。そこに我慢はあるのだろうか?正直、私は今の学生さんが羨ましいと思うことが多々ある。私も大学で非常勤講師をしているが、学生さんからのアンケートや意見が普通にとられ、評価の一環として手元に届く。『 あなたの講義は、学生さんから見て… 』といった内容であるが…そのようなアンケート調査を行っている大学は少なくないようだ。はっきり言わせていただくが…薬学の貢献者たる偉大なる先生方への批判のようになってしまうのだが、決して批判ではないことをご理解いただきたい。私が大学生の頃など、正直、分かる講義の方が少なかったのが事実である。何やら偉い先生だそうだが、講義を聞いていてもサッパリ分からない…そんな講義ばかりだったような気がしないでもない。ちなみに…これは、色々な大学の先生方に同じ話をして、『 先生の頃はどうでした? 』と聞いたところ…やはり、今は大学で教える身分となられた先生方も私の意見に同意してくれたので、間違いないようだ。そう、昔の大学の講義は、学生にとっては難解なものである場合が、ほとんどだったのである。

 では、そのような分からない講義に関して、不平不満を連ねたか?そんなことできるはずもない。相手は、講義を受け持っている先生だ。不平不満を言う前に…というか、前述のように大学の講義とは、そのようなものだというのが当たり前であった。同時に『 分からない俺って、学力が無いんだな 』とか『 自分の学力が無いから聞いていても分からないんだ 』と、自分に対してフィードバックしていた。まかり間違っても『 分からない講義をしている先生がよくない 』などと思うことなどなかった。分からないけど、講義にはでなければならない。イヤ、分からないからこそ講義に出て、黒板に書いたことや先生が話したことをノートに書き留めておかなければならない。何といっても、試験をクリアしなければならないからだ。今と違って、試験範囲など教えてくれることもなかった。講義でやったことすべてが試験範囲。何が出るかなんか分かるはずもない。とにかく全範囲を必死に覚えていた。お分かり頂けたことと思うが…受講から試験対策に至るまで、我慢の連続である。でも仕方がない。単位を取らなければならないのだから…。

 国家試験対策でも同じである。合格して、免許を取らなければならないのだ。そのためには我慢しなければならないことなぞ、正直、山のようにある。アレもやりたい、コレもやりたい、ついでに国家試験にも合格したい…というのは、正直な話、ムシが良すぎるといったところ。確かに、そういうやり方で国家試験に合格していった人もいなくはないが…そういった人は綿密な長期計画を立て、じっくりと試験対策に取りかかっていた人である。長期計画であるからして、やはり我慢ずべきことも長期我慢というのも致し方ない話。しかし、一気に我慢するのと違い、我慢の度合いも軽いものであることも事実である。

 試験対策での我慢は、ある意味、ダイエットの我慢に似ているかもしれない。食べたいモノを少々我慢する。食べる量もチョット控える。やりたくはないけれど、少々運動もしなければならない。そういった、チョットした我慢なのである。大きな我慢ではないはずである。イヤ、逆に大きな我慢をしてしまうことの方が、後々大きな支障をきたすことになる場合が多い。ダイエットも『 何も食べない 』『 ○○しか食べない 』『 水しか飲まない 』などという、無理な我慢をしてしまえば、健康を損ねてしまうことになる。試験対策においても『 寝ないでやる(睡眠時間を削る) 』『 何百題もの問題を一気にひたすら解き続ける 』『 食べている暇がもったいないから、キチンとした食事をしない 』などといった、無理難題な我慢をしていると…やはり後ほど大変なことになってしまう。

 ご存じのように、ダイエットをするためには、アレも食べたい、コレも食べたい…ということを我慢しなければならない。そこからダイエットが始まる。そして、無理なく続けて目的を達成しなければならない。それと同じように、試験対策もアレをしたい、コレもしたい…ということを我慢しなければならない。そして、やはりそこから試験対策が始まるのである。そして…やはり同じように、無理なく続けて目的を達成することが重要である。ダイエットも試験対策も同じである。無理のない我慢をしながら、時間をかけて目的を達成させるのだから…。

 試験対策も佳境に入ってきた、今日この頃。中には〝無理なダイエット〟のような勉強をしている人もいるかもしれない。無理は必ずたたる。そこの所を、しっかりと押さえていてもらいたいと思う。そして…我慢というものが必要であることも、しっかりと押さえてもらいたい。我慢しすぎるのも良くないが、かといって我慢しないことも間違っている。ダイエットも試験対策も、それ相応の我慢が必要なのである。無理をせず、そしてアレもコレもするのではなく、程良い我慢を心がけながら、しっかりと試験対策を行っていってもらいたい。そして、合格を勝ち得てもらいたい。そう願っている次第である。

 

 

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2018年12月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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