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学力の穴

 〝○○の穴〟という言葉はよく聞く。私が子供の頃大好きだった、タイガーマスクに出てきたのは〝虎の穴〟。パスタとピザが美味しいのが〝壁の穴〟。映画で面白かったのが〝マルコヴィッチの穴〟。という具合に〝○○の穴〟という言葉は、よく耳にする

 例に出させていただいた〝○○の穴〟は、ワクワクしたり、美味しかったり、面白かったりする〝穴〟であるが、〝学力の穴〟となるとそうはいかない。ましてや受験生ともなれば、とてもではないが楽観的にはなれない穴である。そして、試験対策においては、とても重要な穴であることも間違いない。『 この穴をどうするか? 』によって、今後の試験対策の方向性はおろか、学力の伸びまで影響を受けることになるからである。

 私が学習指導でよく口にするのが『 穴があったら埋めなさい。埋めないと、またその穴に落っこちることになるから 』といった内容。学力の穴を見つけたら、埋めなければならない。埋めなければ…まあ、穴があいている状況なのだから、当然、その穴にまた落ちてしまう可能性がある。

 では、そんな危険な穴。一体どうやって見つけるのか?穴に落ちてみるのが一番である。では、『 学力の穴に落ちる 』とは、どういうことであろうか?まあ、色々とあるのだが、一番手っ取り早いのが『 問題で正答を得られないこと 』。早い話、間違えた問題が、その人の学力の穴。だからそこを埋めればいいのである。『 なんだ、そんなこと 』と思った人。では、お聞きしたいのだが…間違えた問題に対し、しっかりとした穴埋めをしていると言えるのだろうか?

 これもよく言うのだが…試験というのは、受けっ放しが一番悪い。試験を受けて『 平均より上でラッキー 』だとか『 あんまりよくないな 』『 全然できなかった 』で終わらせてしまう人がいるが…これでは、試験を受けた意味は全くと言っていいほどない。穴埋めをしていないからである。これではゲームと変わらない。ゲームセンターに入り、ゲームをやって『 あ~、もうチョットだったのに 』とか『 難しいなぁ 』というのと変わらないということ。そこには穴を探す行為もなければ、穴を埋めるなどという行為もはない。あるのは『 ゲームをやった 』そして『 その結果が出た 』ということでしかない。試験を受けたのに、『 平均より上でラッキー 』『 全然できなかった 』で試験を終わらせてしまうことと、どこに違いがあるのだろうか?

 問題を『 間違えた 』ということは、その知識に関して未熟である、または間違えて覚えているという事である。もちろん、『 解けなかった 』というのも、未熟であったり間違えて覚えているいい例である。せっかく未熟なところを見つけたり、間違えている所を見つけたのだから、それ相応の対応をしなければならない。それが穴埋めである。穴は埋めなければ、また落ちる。

 ちなみに、未熟なところを見つけたり、間違えている所を見つけた…と書かせていただいたが…。試験を受けて『 合格ラインを越えた! 』だとか『 あんまりよくないな 』で終わらせてしまうのは、穴を埋める・埋めないの問題どころか、穴を見つけようともしていない行為である。『 未熟なところを見つけた 』『 間違えている所を見つけた 』というのが『 穴を見つけた 』ということ。『 合格ラインを越えた! 』だとか『 あんまりよくないな 』で終わらせてしまえば…未熟な所がどこなのか、間違えている所がどこなのかも分からない。すなわち、穴がどこなのかも分からないのだから、穴を見つけたことにはならないのも、穴を見つけようとしない行為であることも、当たり前と言えば当たり前の話。

 私が何度も口酸っぱくして言うことに、『 試験は穴を見つけるために行うものであり、いい点数を取り、安心感を得るために行うモノではない 』というのがある。もちろん、当塾のどの講師もこの考え方に賛同してくれている。本番は国家試験である。それ以外の試験は、練習試合でしかない。何故、練習試合をするのか?本番のために、自らの情報を得るためであり、やはり〝穴〟を見つけるためである。非常に厳しい言い方をさせていただくならば、どんなに練習試合でいい点数を取ったからといって、では、本番でいい点数が取れるかというと必ずしもそうではない。だからこそ、足元をすくわれないよう、地に足をつけて、浮かれることなく試験対策に励まなければならない。そう、試験対策に終わりは無いのだ。『 これ位でOK 』などというモノは、試験対策には存在しない。試験が終わるまで、切磋琢磨するのが、本来の試験対策のあり方である。模擬試験での点数に浮かれて、本番で残念な結果になった人を、私は何人も見てきている。先ほど、穴を見つけるには、穴に落ちてみるのが一番いいと書かせていただいたが…本番で穴に落ちてしまうのは、何とも遺憾な話である。

 模擬試験での点数に浮かれて…この人達は〝穴〟を見つけなかった人たち…イヤ、〝穴〟を見つけようとしなかった人たちである。点数だけに捕らわれ、さらにそれで満足してしまえば〝穴〟など見つけられるはずもない。穴を見つけるための模擬試験で、穴を見つけないということは、やはり本質を失っていると言えるのではないだろうか?

 穴を見つけて、穴を埋める。穴を埋めなければ、またその穴に落ちてしまう。穴を見つけることが重要。穴を見過ごさないことが重要。そして見つけた穴は、しっかりと埋める。この繰り返しが、穴の無いしっかりとした道を作るのである。模擬試験を例にあげたが…模擬試験だけではない。普段のテストから、講義内の質疑応答、過去問の勉強においても、必ずや穴は見つかるはずである。その穴を、如何に見つけ対処していくかが、試験対策の要である。そして…決して穴を見つける作業を怠らないよう、重々気をつけてもらいたい。そう思っている所存である。

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2018年12月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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ダイエットと国家試験

我慢:感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。

〔大辞林より〕

 昨今の学生さんは、我慢ができない人が多いよう思う。『 国家試験対策で、何を我慢する必要があるのか? 』と思う人もいるかと思うが…。かくいう私も『 隣の人がうるさい 』だの『 嫌がらせに近いことをされている 』などといった相談には、『 試験対策に来ているのだから、何も我慢する必要はない 』と、それ相応の応対をさせてもらっている。しかし、ここで私が言っている『 我慢する必要はない 』は、試験対策の支障になったり、勉強を続けていく上で障害となることに対して『 我慢する必要はない 』と言っているのであって、『 何でもかんでも我慢する必要はない 』と言っている訳ではない。

 試験対策を行っていく上では、当然ながら我慢しなければならないことが、いくつもある。試験対策を行うには、当然、勉強に費やすための時間というモノが必要になる。残念ながら、誰にとっても1日は24時間。何かをするためには、何かをするための時間というモノを、この24時間の中から捻出しなければならない。試験対策を行っていない時なら自由に使えた時間も、そこから削って勉強の時間を捻出しなければならないことになる。当然、『 アレもやりたい、コレもやりたい 』等と言っている場合でないことは、言わずもがな。『 やりたいことをやること 』を、少々我慢しなければならなくなる。

 試験対策自体においても、我慢しなければならないことは沢山ある。自分が苦手な科目も…我慢して勉強しなければならない。難しいことや分からないことも、勉強しなければならない。覚えなければならないことも、たくさんある。教える人も、自分お望み通りのタイプではないかもしれない(もちろん、いい加減な教え方をしているのならば、我慢する必要はないのだが…)。講義の延長もある。やらなければいけない課題もある。試験結果も今一つ思い通りにならない、etc…。まあ、試験対策というモノを行っていれば、当たり前のように遭遇する話。私はン十年、薬剤師国家試験に関わってきているが、こんなことは日常茶飯事…というか、試験対策を行う上で当たり前のように出てくる事象である。何故ならば…何でもかんでも、自分の思い通りに事が進むはずなどないからである。試験に限らず、対策とはそういうものである。自分の思い通りに事が進まないからこそ、我慢が必要になる。

 しかし、昨今の学生さんは『 何でもかんでも自分の思い通りに事が運ぶ 』と思って…いや『 何でもかんでも自分の思い通りに事が運ばなければイヤ 』という人が圧倒的に多いようである。あまり大きな声では言えないのだが…以前いた学生さんなどは、皆の前で大きな声で、『 私は単位が危なくなると、ママに電話させて… 』なんていうことを平然と言ってのけていた。恥ずかしさも、疚しさもないのだろう。何といっても、皆の前で堂々と言うのだから…。

 何でもかんでも思い通りでなければイヤ。思い通りに進まなければイヤ。そこに我慢はあるのだろうか?正直、私は今の学生さんが羨ましいと思うことが多々ある。私も大学で非常勤講師をしているが、学生さんからのアンケートや意見が普通にとられ、評価の一環として手元に届く。『 あなたの講義は、学生さんから見て… 』といった内容であるが…そのようなアンケート調査を行っている大学は少なくないようだ。はっきり言わせていただくが…薬学の貢献者たる偉大なる先生方への批判のようになってしまうのだが、決して批判ではないことをご理解いただきたい。私が大学生の頃など、正直、分かる講義の方が少なかったのが事実である。何やら偉い先生だそうだが、講義を聞いていてもサッパリ分からない…そんな講義ばかりだったような気がしないでもない。ちなみに…これは、色々な大学の先生方に同じ話をして、『 先生の頃はどうでした? 』と聞いたところ…やはり、今は大学で教える身分となられた先生方も私の意見に同意してくれたので、間違いないようだ。そう、昔の大学の講義は、学生にとっては難解なものである場合が、ほとんどだったのである。

 では、そのような分からない講義に関して、不平不満を連ねたか?そんなことできるはずもない。相手は、講義を受け持っている先生だ。不平不満を言う前に…というか、前述のように大学の講義とは、そのようなものだというのが当たり前であった。同時に『 分からない俺って、学力が無いんだな 』とか『 自分の学力が無いから聞いていても分からないんだ 』と、自分に対してフィードバックしていた。まかり間違っても『 分からない講義をしている先生がよくない 』などと思うことなどなかった。分からないけど、講義にはでなければならない。イヤ、分からないからこそ講義に出て、黒板に書いたことや先生が話したことをノートに書き留めておかなければならない。何といっても、試験をクリアしなければならないからだ。今と違って、試験範囲など教えてくれることもなかった。講義でやったことすべてが試験範囲。何が出るかなんか分かるはずもない。とにかく全範囲を必死に覚えていた。お分かり頂けたことと思うが…受講から試験対策に至るまで、我慢の連続である。でも仕方がない。単位を取らなければならないのだから…。

 国家試験対策でも同じである。合格して、免許を取らなければならないのだ。そのためには我慢しなければならないことなぞ、正直、山のようにある。アレもやりたい、コレもやりたい、ついでに国家試験にも合格したい…というのは、正直な話、ムシが良すぎるといったところ。確かに、そういうやり方で国家試験に合格していった人もいなくはないが…そういった人は綿密な長期計画を立て、じっくりと試験対策に取りかかっていた人である。長期計画であるからして、やはり我慢ずべきことも長期我慢というのも致し方ない話。しかし、一気に我慢するのと違い、我慢の度合いも軽いものであることも事実である。

 試験対策での我慢は、ある意味、ダイエットの我慢に似ているかもしれない。食べたいモノを少々我慢する。食べる量もチョット控える。やりたくはないけれど、少々運動もしなければならない。そういった、チョットした我慢なのである。大きな我慢ではないはずである。イヤ、逆に大きな我慢をしてしまうことの方が、後々大きな支障をきたすことになる場合が多い。ダイエットも『 何も食べない 』『 ○○しか食べない 』『 水しか飲まない 』などという、無理な我慢をしてしまえば、健康を損ねてしまうことになる。試験対策においても『 寝ないでやる(睡眠時間を削る) 』『 何百題もの問題を一気にひたすら解き続ける 』『 食べている暇がもったいないから、キチンとした食事をしない 』などといった、無理難題な我慢をしていると…やはり後ほど大変なことになってしまう。

 ご存じのように、ダイエットをするためには、アレも食べたい、コレも食べたい…ということを我慢しなければならない。そこからダイエットが始まる。そして、無理なく続けて目的を達成しなければならない。それと同じように、試験対策もアレをしたい、コレもしたい…ということを我慢しなければならない。そして、やはりそこから試験対策が始まるのである。そして…やはり同じように、無理なく続けて目的を達成することが重要である。ダイエットも試験対策も同じである。無理のない我慢をしながら、時間をかけて目的を達成させるのだから…。

 試験対策も佳境に入ってきた、今日この頃。中には〝無理なダイエット〟のような勉強をしている人もいるかもしれない。無理は必ずたたる。そこの所を、しっかりと押さえていてもらいたいと思う。そして…我慢というものが必要であることも、しっかりと押さえてもらいたい。我慢しすぎるのも良くないが、かといって我慢しないことも間違っている。ダイエットも試験対策も、それ相応の我慢が必要なのである。無理をせず、そしてアレもコレもするのではなく、程良い我慢を心がけながら、しっかりと試験対策を行っていってもらいたい。そして、合格を勝ち得てもらいたい。そう願っている次第である。

 

 

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2018年12月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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