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努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。

 井上靖先生のお言葉。井上靖先生は、日本を代表する小説家ですから、その名を知らない人はいないと思います。井上先生の葬儀委員長を、司馬遼太郎先生が務めたことからも、その大人物ぶりが伺えることと思います。そんな井上先生のお言葉が、ブログタイトル。本当にいい言葉だと思います。特に、薬剤師国家試験のための勉強をしている人達にとって、これほど当てはまるものはないと思っています。

 私は幾度となくブログで、不平・不満の危険性を書いてきました。不平・不満ほど身を落とすもの、そして国家試験合格を阻むものはありません。何故ならば、不平・不満は言えばいうほど、行動力が削がれていくことになるからです。不平・不満は、基本的に『 自分は間違っていない 』というスタンスから生まれるもの。『 自分は間違っていない 』というスタンスで物事を捉えているのですが…全てが自分の思い通りに進むかというと、そうでないのが世の常。『 自分は間違っていない。でも、思い通りにいかない 』訳ですから、行動力がそがれるのも御尤もなこと。

 しかし…『 自分は間違っていない 』というスタンスで行動するのは結構ですが、自分が望んだ結果が出ていない以上、そのやり方・考え方は間違っている、と言えるのではないでしょうか?自分が行動した結果が、〝自分の不本意なもの〟を生んだとしたのなら、そのやり方は〝望んだ結末を得るためには間違っていた方法〟ということになります。別に間違えることは悪いことではありませんし、恥ずかしいことでもありません。間違えたと分かった時点で、やり方を変えればいいだけの話です。しかし、自分が間違っていないというスタンスを取ると…自分が望んだものとは違う結果となった場合、人は往々にして、その責任を何か他のものに転嫁することになります。自分が悪いのではない。あの人が悪い、あの環境が悪い、あのやり方が悪い…決して、その責任は自分に転嫁されることはないのです(自分は間違っていない訳ですから)。そして、これこそがまさに不平・不満ではないでしょうか?『 あの人が悪い 』『 あの環境が悪い』『 あのやり方が悪い 』…不平・不満の代表的なお言葉。そう、責任転嫁こそが、不平・不満の本性でもあるのです。

 努力している人は希望を語る…。言いえて妙とは、まさにこのこと。これも、ブログ等で何度も書かせていただきましたが、国家試験合格に向けて、ひたすら勉強している人は不平・不満を口にしません。そんなこと言っている暇もないのです。とにかく合格しなければならない。そのためには、寝る間も惜しんで勉強しなければならない(ちなみに、睡眠時間は決して削ってはいけないと、しっかり指導はしてあります)。不平・不満を言っている暇があるなら勉強。不平・不満を見つけたり探したりするのではなく、何からでも、どんなことからでも有益な何かを見つけ出し、探し出し、掴み取り自分のモノとして吸収していく。これが、合格してきた人たちの姿勢です。そして、その人達は『 受かりたいです 』『 何としてでも合格します 』と、希望を語っていました。声に出さずとも、『 合格するんだ 』という希望があるからこそ、ひたすら努力する。ひたすら勉強する。そういう行動を取っていたのだと思います。努力している人は、声に出して語らずとも、胸の中で希望を語っている…希望を語るからこそ、努力できる。だからこそ、合格を勝ち得ることができた。私は、そう思っています。

 不平・不満は同調したが最後、あっという間に取り込まれて…気が付くと〝不平・不満仲間〟で、ひたすら不平・不満を口にする状況…となってしまいます。これが恐いところ。だって、そうでしょう?不平・不満を口にして、試験対策に身が入りますか?不平・不満を言って、講義や先生から何か得ることができますか?『 私ができないのは、○○が悪いから 』と責任転嫁している人間の学力が、向上すると思いますか?『 私は悪くない 』というスタンスで、物事の成果を上げることができると思いますか?得られるもの、吸収できるものを見つけることができると思いますか?ましてや、同じ『 私は悪くない 』という人間と一緒になって、『 私たちは悪くない。○○が… 』と責任転嫁をしあって、同調して『 ホラ、私と同じ考えの人がいる、やっぱり私は悪くない。○○が… 』と、より一相責任転嫁に拍車がかかっていって…それで、何か得ることがあるでしょうか?よく考えれば、分かりそうなものなのですが…。

 不平・不満の根源とは何でしょう?答は簡単です。『 自分の思い通りでなければイヤ 』これが、不平・不満の根源なのです。何といっても『 自分は間違っていない 』というスタンスでいるのですから、『 自分の思い通りでなければイヤ 』となってしまうのも、致し方ない話。何とも凄い事のように思えますが…。でも、確かに不平・不満の根源は『 自分の思い通りでなければイヤ 』なのです。これが、娯楽やレジャーに来ているのなら、『 まあ、遊びに来ているんだし、楽しむために来ているんだから、思い通りじゃなければイヤ 』というのも分からなくはありません。しかし、娯楽やレジャーをするのではなく、『 国家試験に合格するために、試験対策をしている 』のです。知らないことを理解しなければならないし、たくさんのことを覚えなきゃならないし、苦手な事もやらなければならない。もちろん、そのための努力も必要だし、自ら行動することも必要。色々と我慢を強いられることも、当然あります。そうやって、学力をつけていかなければならないのです。

 なのに…『 努力なんかしたくない 』『 なんで自分で行動しなければならないの? 』『 何でこんなことしなきゃならない訳? 』と不平・不満がでてくる…。『 自分の思い通りでなければイヤ 』なんですから、そういった不平・不満が出てくるのも、まあ致し方ないと言えば、致し方の無い話。知らないことを理解するのはイヤ、苦手な事をやるのはイヤ、努力もイヤだし、自ら行動するのもイヤ。もちろん、我慢することもイヤ…。『 自分は何もせずに、自分にとって100%分かり易い講義で、先生が国家試験に出ることだけをやってくれて、それがスイスイ頭に入ってきて、学力がどんどん伸びていって、国家試験にも楽に合格 』なんていう〝自分の思い通りの状況〟を期待しているのかもしれませんが…そんな状況が、本当にあると思いますか?『 白馬に乗った王子様が、私を迎えに来てくれて、お姫様になって大きなお城に住む 』こちらの方が、よっぽど現実味があると思いますが…。

 なるほど…確かに井上先生の言う通り『 怠ける人は不満を語る 』ですね。知らないことを理解するのはイヤ、苦手な事をやるのはイヤ、努力も自ら行動するのも我慢するのもイヤなんて、怠け者以外の何物でもないですから…。『 自分は何もせずに、自分にとって100%分かり易い講義で、先生が国家試験に出ることだけをやってくれて、それがスイスイ頭に入ってきて、学力がどんどん伸びていって、国家試験にも楽に合格 』なんていうのは、まさに怠け者の考え方。怠け者だから、不平・不満を語る。その通りです。

 不平・不満を口にしたところで何も変わりませんよ。変わらないどころか、どんどん落ちていく一方です。だったら、『 自分は間違っていない 』なんていうスタンスを捨てて、行動してみたらいかがでしょうか?そんなスタンスにしがみついていたところで、なにも良いことはありませんよ。良いことがないどころか、『 自分の思い通りでなければイヤ 』といった〝不平・不満の根源〟が、湧いてくることになるのですから。その結果、前述のように落ちていく一方になってしまうのですから…。第一…不平・不満を口にしたところで、不愉快になることはあっても、楽しくなることはありません。不平・不満仲間と〝不平・不満合戦〟を続けたところで、楽しくご機嫌になることはなく、どんどんつまらなく荒廃的になるだけです。でも、希望を語れば…希望を胸に持てば、嬉しく楽しくなることは間違いありません。それを仲間同士で語り合えるなら、尚更ではないでしょうか?そういえば…合格していった人たちは、確かに疲れてはいましたが、皆、笑顔でしたね。

 大変な時だからこそ、希望を胸に、ひたすら努力して、そしてご機嫌になる。大変だからこそ、責任転嫁して、何かあるごとに不平・不満を口にして、不機嫌になっていく。同じ試験対策を行うなら、どちらがいいのか?それは、その人次第だと思いますが…少なくとも前者の方が、合格する可能性が圧倒的に高くなることは、間違いないと思います。

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2018年9月30日 | コメントは受け付けていません。 |

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成績が上がらない人は ルールを守らない人。

 ルールを守らない学生さんが、増えている気がする。そして、そういった学生さんに限って、学力が芳しくない場合が多い。ついでに、成績も今一つ上がらないという場合が多かったりする。『 ルールを守らないことと、成績なんか関係あるの? 』と思った人もいるかもしれないが…実は、大いに関係ある。私の経験からも言えるし、理論的にも言える事である。

 まず、経験で言わせていただくなら…薬剤師国家試験予備校の学生さんをン十年見てきているが、ハッキリ言って、ルールを守らない学生さんの成績は芳しくない。例え芳しくない成績であっても、伸ばせばいいのだが…その成績も、伸びが今一つである場合がほとんど。手っ取り早く言わせていただくならば、受験生としてはよろしくはない状況…そういうことである。これに関しては、まず例外はなかったように思える。『 成績はいいんだけど…アイツはルールを守らないんだよなぁ… 』という学生さんは、一人も覚えていない。成績がいい学生さんはルールを守っている人が多い訳だから、そういう例外的な学生さんがいれば、必ず覚えているはずであるが、全くと言っていいほど覚えていない。『 チョット言動に問題があるなぁ 』という学生さんで、成績が良好な学生さんは何人もいた。しかし、言動に問題はあれど、ルールはそこそこ守っていたのである。つまりやるべきことはやり、守ることは守っていたということ。

 ルールというのは、何故あるのだろうか?簡潔に言ってしまえば、『 そのルールが無ければ、迷惑を被ってしまう人がいる 』からである。誰かが理不尽に困ってしまう状況になる。その困ってしまう状況が起こらないためにルールを設けている。人は一人で生きている訳ではない。社会という〝人の集まり〟の中で生きている。無人島で一人で生きていく分には、ルールなどいらないだろう。自分一人で好き勝手にやっていればいいのだから。しかし、こと社会で生きていくとなると話は別である。人との関わりがある以上『 自分一人で好き勝手に… 』という訳にいかないことは、これ然り。

 人というのは、皆、考え方や視点、立場が異なる生き物である。まあ、昨今は考え方も視点も、さして変わらない、つまらない人間ばかりになってきているようだが…閑話休題。私は『 人間というのは、誰しも自分にしか通用しない理論を持っているものだ 』とよく言うが、まさにこれであろう。人それぞれが、自分にしか通用しない理論を持って行動しているのだ。それ故、ぶつかってしまうことがあるのも、当然だろう。そのぶつかりによる被害を食い止める、または最小限にするためにルールというのが設けられている。ある意味『 相手も尊重するし、自分も尊重するためのもの。これがルールというもの 』そう考えることができると思う。

 従って、ルールを守らないということは、『 他人を尊重せずに、自分一人で好き勝手にやっている 』ということになる。他人とは『 自分以外の人(デジタル大辞泉より)』のことである。ルールを守らない人が予備校生の場合。当然、この『 自分以外の人 』の中には、講師も入ることになるのだが…。我々、薬剤師国家試験予備校の講師は、学生さんに合格するだけの学力を与えるために講義をし、指導をしている。もちろん、プロである以上、それ相応の指導技術は身につけているし、自分が行う講義に関する勉強も日夜続けている。まあ、昨今はそんなことお構いなしとばかりに、何もしていらっしゃらない〝講師とは呼べない講師〟が横行しているようではあるが…。閑話休題。真っ当な講師なら、それ相応の講義に関する知識を持ち、それ相応の指導力を持って、学生さんと接しているということになる。ルールを守らない学生さんは、意識してやっているかどうかはさておき、そういった講師の知識・指導力を尊重せずに、好き勝手にやっている…と言うこともできる。そして実際、ルールを守らない学生さん達は、その通りなのである。指導技術や講義に関する知識も身につけている講師を尊重せずに、自分で好き勝手にやっている。これでは、学力など上がるはずもないことは、言わずもがな。

 ルールには『 きまり 』という意味がある(デジタル大辞泉より)。我々講師陣が、学生さん達に言う『 こうして下さい 』『 これは、やっておいて下さい 』『 これは覚えておいて下さい 』も、ある意味〝きまり〟と言えば〝きまり〟であるからして、ルールと言えよう。しかし…ルールを守らない学生さんは、往々にして、こちらのルールも守らない。これでは、成績など上がるはずもない。何度も言わせていただくが、我々講師陣が、『 合格するために必要 』と判断したからこそ、『 こうして下さい 』『 これは、やっておいて下さい 』『 これは覚えておいて下さい 』と指導しているのである。その指導に従わないのなら…合格するために必要なモノが、欠けてしまうということになる。これでは〝受験生としてはよろしくはない状況〟となってしまうのも、致し方の無いことと言わざるを得ない。

 ルールを守らない人は、『 ルールがある。破ってやろう 』と意識して、ルールを守っていない訳ではない。では、何故守らないのだろうか?答は簡単。自分を優先しているからである。前述したように、人は自分にしか通用しない理論を持っている。その理論、絶対と優先してしまえば、ルールなど途端に意味を成さなくなってしまう。自分の理論と合わないものを排除する訳だから、当然、ルール無用となってしまうからである。そして、この行動が、講義や講師に対しても出てしまう。つまり…『 自分の思い通りの講義でないから… 』『 自分の気に入らない講師だから… 』と講義を放棄してしまうということ。自分の思い通りでなければイヤ。自分のやり方でなければイヤ。自分の思った通りの講師でなければ受け入れない。だから、講義も放棄するし、講師も放棄する。ルールを守らない人間は、結局はこういった行動をとってしまうことになる。そして、実際私が見てきた〝ルールを守らない学生さん〟は、そういう行動をとった人達ばかりであった。何度も言わせていただくが、これでは成績など上がる由もない。

 昨今は、ルールというモノをうるさいと思っている学生さんも増えてきている。そのルールが、とてつもなく遵守するのに難しいものであるなら話は別である。しかし、予備校の中でのルールなど、たかが知れている。ハッキリ言うが、小学生でも順守できるような内容である。『 カサはカサ立てに置きましょう 』『 空いている机に私物を置いて独占しないように 』といった具合である。これ位のルールなのに『 うるさいなぁ 』と不平不満を漏らす学生さんは少なくない。何が難しいことなのかと思うのだが…。そして、そのルールを守らなければ、誰かが不快な思いをしてしまうのだが…それが分からないようである。そして…やはり、そういった学生さんに限って、成績が芳しくないことも事実である。

 以前〝〝薬剤師として働くことが出来ない人〟が増えてきている。〟というブログでも、ルールを守らないことについて書かせてもらったことがある。昨今、職場のルールを守れずに、せっかく薬剤師の免許を取ったのに、薬剤師として勤めることができない人が増えてきている…といった内容である。人が集う所には、必ずルールがある。そのルールを守れないということは、『 人の集う所にはいられない 』ということである。それは薬剤師が働く所でも、例外ではない。つまり、結論としては…ルールを守れない人間は、学力も芳しくなければ、成績の伸びも今一つ。そして、念願の薬剤師になれたとしても、薬剤師として働くことができない…そういうことになる。全くもって、いいことなど一つもないのだから、やはりルールは守った方がいいと思う。さして、難しいルールではないのだから…。

 

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2018年9月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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ご機嫌は、自分でなるもの、選ぶもの。

 ご機嫌でいきましょう!『 こいつは、何のっけからハイなんだ? 』と思われた方もいらっしゃるかもしれません。でも、ご機嫌でいることの方が、いいじゃないですか?不機嫌とご機嫌なら、やっぱりご機嫌の方がいい。そうは思いませんか?

 ご機嫌と不機嫌。どっちが多いですか?ほとんどの人が、不機嫌の方が多いのではないでしょうか?ある本で読んだのですが、人間というのは8割方否定的に考えるそうです。まあ、否定的に考えるということは、不機嫌になってしまうということ。否定的に考えて、ご機嫌になる人など、まずいませんから…。ということは、何か事が起きた場合、8割方の人が不機嫌になってしまうということ。

 ここでチョット考えてみませんか?今『 何か事が起きた場合 』と書かせていただきましたが、はたしてそれが原因なのでしょうか?つまり、自分が不機嫌なのは周りが原因だからということ…。『 そりゃあそうでしょう。アイツがいるから… 』とか『 だって、こんな環境じゃ機嫌よくしろっていったって… 』という方は多いのではないでしょうか?つまり、自分が不機嫌なのは周りが原因…。でも、果たしてそうなのでしょうか?

 『 人間というのは8割方否定的に考える 』と書かせていただきましたが…。ということは、自ら否定的に考えたからこそ、不機嫌になってしまった。つまり、自分で機嫌が悪くなるように持っていった、ということにはなりませんかね?そう、自ら機嫌が悪くなる方を選んでいるということ。こうなると、周りや他人は関係無いとは言えませんか?つまり、自分の機嫌が悪いのは、自分のせい。自分でわざわざ、機嫌が悪くなる方を選んでいるということ…。何という愚かなことを…というよりも、なんか勿体なくありませんかね?『 選ぶ 』ということは、裏を返せば『 選ばない 』ことも出来るということです。ついでに言うならば、『 ご機嫌になる方も選べる 』ということになります。どうせ選ぶなら、ご機嫌な方がいいではありませんか?そう、ご機嫌は選べるのです。

 そうです、ご機嫌は選べるのです。自分で『 ご機嫌だ! 』と思えば、ご機嫌なんですから。『 否定的に考えるから不機嫌になる 』のなら、肯定的に明るくポジティブに楽しく考えればいいだけの話です。『 そんなの無理 』っていうのなら…じゃあ、そんな不機嫌になることは考えなければいいのです。よく考えてみて下さい。他人の言動がどうであれ、あなたには全く関係ないのでは?周りの雰囲気がどうであれ、あなたには全く関係ないのでは?そんなことに振り回されて、つまらなくなるよりも、そんな事には少々鈍感になって『 私はご機嫌 』を選んでみては如何でしょうか?鈍感になりすぎて、『 忘れてしまう 』っていうのも一つの手ですよ。否定的なことや面白くないことをずっと抱えていても、ご機嫌にはなりません。だったら忘れてしまえばいいのです。ある意味、『 考えない 』の極致ですね。そう、ご機嫌になれないつまらない原因なんか、忘れてしまえばいいのです。そして、一人楽しくウキウキとご機嫌でいればいいのです。

 周りから『 何だこいつは? 』と思われようとも『 空気読めないやつだな… 』と思われても関係ないじゃないですか?自分がご機嫌ならばそれでいいのです。自分の人生ですから。今を生きているこの時も、自分の人生、生きているんです。ご機嫌でいる方が、いいに決まっているじゃないですか!周りも、他人も関係ありません。いま、この自分の人生が楽しければいいのです。だから、ご機嫌を選べばいいのです。周りの雰囲気に流されたり、他人の影響など受ける必要はないのです。自分で楽しく、ご機嫌を選んで、ご機嫌に生きればいいのです。以前、ブログで書かせていただいた、みやぞん氏のお言葉。『 自分の機嫌は自分で取る 』まさにこれですよね。周りがどうであれ、自分の機嫌は自分で取る。そして、自分はご機嫌でいる。機嫌の悪い人が側にいようとも、関係ありません。その影響を受ける必要は全くないのです。『 機嫌悪いんだな 』で終わりです。人の機嫌は、自分の機嫌とは無関係なのです。その人の機嫌は、その人自身に取ってもらいましょう。

 ご機嫌になる方を取って下さい。ご機嫌じゃなくなる方を取っちゃダメですよ。『 またアイツは… 』『 あの人が… 』なんて思わないこと。わざわざ、ご機嫌じゃなくなる方を選んでも仕方ありません。他人が何をしようが、他人の勝手。影響を受ける必要はないのです。『 何かやっているなぁ…』で済ませてしまえばいいのです。相手の言動に、自分を揺らがす力を与えてはなりません。あなたが受け止めてしまうから、相手の言動に力を与えてしまうのです。あなたが受け止めなければ、相手の言動は何の力も持ちません。例えば…道を歩いている時、小さい子供から『 バ~カ 』と言われたとします。あなたは、目をむき出して怒りますか?『 あのガキ、ただじゃおかない! 』と怒り心頭になりますか?普通はなりませんよね。『 まあ、子供の言うことだから… 』とか『 しょうがないガキだなぁ 』で、苦笑いするくらいがいい所ではないでしょうか?そう、本気で取り合わない。子供の言うことなんだからと、受け止めない。これと同じ。受け止めなければ、何の影響もないのです。

 相手の言動も、周りの雰囲気も、受け止めないなら、何の影響もないのです。人から何か言われようとも、どう思われようとも、これと同じこと。小さい子供からバカと言われても、バカと思われようとも気にしないですよね?コレと同じです。こちらが受け止めさえしなければ、何の効力も発揮しないどころか、ものの30秒もすれば、すっかり忘れてしまいますよ。もちろん、ず~っと『 あのガキ~ 』と思っていれば、ず~っと機嫌の悪い状況を維持することは出来ます。まあ、あんまり楽しい状況ではないと思いますが…もちろん、ご機嫌でないことは確か。一応断っておきますが…ず~っと不機嫌でいたところで、現状の何が変わる訳ではありません。全くもって、時間とエネルギーのムダ…ということになります。また悪いことに、機嫌の悪さは増幅されてしまいます。機嫌の悪さ1が2になり、3、4、5…という具合に増えていってしまうのです。こうなったら、負のスパイラル。更なる時間とエネルギーの浪費を招くことになってしまいます。

 大体…周りの雰囲気や他人のせいで、ご機嫌じゃなくなるのって、損だと思いませんか?自分の人生楽しく生きた方が、いいに決まっているじゃないですか?自分のせいならまだしも、周りの雰囲気や他人のせいで、ご機嫌を奪われるなんて、もったいないですよ。せっかく自分次第で、いつでもご機嫌になれるのに…。周りや他人のせいで、ご機嫌を放棄してしまうなんていうのは、美味しい料理が目の前にあるのに、食べることを放棄してしまっているようなものじゃないですかね?折角、目の前に美しい景色が広がっているのに、わざわざゴミ箱を眺めているようなものじゃないですかね?周りがどうであれ、他人がどうであれ、自分は美味しいものを取る、美しい景色を取る。そして、ご機嫌を取る。これで、いいんじゃないでしょうかね?

 自分がご機嫌ならばいいのです。周りがどうであろうと、他人がどうであろうと、あなたは影響を受ける必要はないのです。『 ご機嫌である 』方を取ればいいのです。自分さえご機嫌でいれば、周りがどうであれ、他人がどうであれ、関係ありません。不機嫌が増幅されるなら、ご機嫌だって増幅されます。どうせ増幅されるのなら、やっぱりご機嫌の方が増幅した方がいいに決まっているじゃないですか!周りや他人に振り回されず、不機嫌の原因は考えずに忘れてしまい、いつもご機嫌の方を取っていく。すると、どんどんご機嫌が増幅されていく…。こっちの方が、断然いいとは思いませんか?自分の人生ですから、周りに振り回されずに、ご機嫌な方を取って、ご機嫌に生きていく。これが、上手な生き方なのだと思うのです。

 

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2018年9月17日 | コメントは受け付けていません。 |

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『 意味がある 』のか『 意味がない 』のか?

 先日の8月31日。第104回薬剤師国家試験の試験期日が発表されました。平成31年2月23日(土曜日)及び同月24日(日曜日)が試験日ということで、第104回薬剤師国家試験対策も、より一層焦点を合わせて進められていく状況となりました。

 我が薬進塾の国家試験対策も、半年コースの塾生さんが加わり、今までとはチョット違った雰囲気に。一年コースの塾生さん達は、新しい塾生さんが加わったことにより『 もう、試験対策を始めてから3ヵ月も経っているのか! 』といった新たな緊張感が生まれ、半年コースの塾生さんは『 もう3ヵ月も勉強している人達がいる! 』といった緊張があり、ある種いい意味での緊張感がみなぎっている状況。実は、従来からいる塾生さんと新しい塾生さんを一緒にすると、このようないい緊張感が生まれることも確かなのです。双方いずれも引き締まりますので、良い環境であることは間違いありません。

 しかし…時が経てば、残念ながらその良い緊張感が薄れてしまう方もいらっしゃいます。わたしも、国家試験予備校の講師を長く勤めていますが、色々な予備校で、何人もの〝緊張感の薄れてしまった学生さん〟を目にしてきました。まあ、ほとんどが『 慣れ 』によるものなのですが…。慣れとは恐いもので、緊張感を失わせるばかりか、様々な不平・不満も誘発させてしまうものなのです。

 慣れてしまうことにより、よく出る不平・不満が『 あんなの国家試験に出ない 』『 あんなの勉強しても、意味がない 』といった、講義内容に関する独自の判断。つまり『 講義内容が試験対策にとって意味がある・ない 』といったの趣旨の不平・不満のようです。国家試験対策の素人ならまだしも、こちとらン十年も国家試験対策に従事してきたプロ。そのプロが必要と判断して教えている内容ですから、講義で教えていることに意味がないはずがありません。

 第一…意味があるかないか判断されているのは、どこのどなたでしょう?大抵は、その言葉を発する学生さんの場合が多いようですが…辛らつな意見かもしれませんが、では、その学生さんは、どれだけ試験対策に従事してきたのでしょう?もちろん、ココでいう『 試験対策への従事 』とは、単に試験勉強をしたということではなく、その分野を一から、そして基礎から勉強し、さらにそういった〝勉強して色々な事を習得してきたといった背景〟を持つ目で試験問題を見て、『 何を聞いているのか? 』 『 この問題を解くには何が必要なのか? 』 『 どういった観点から、この問題を出題しているのか? 』 『 この問題から、今後、どのようなことを勉強していかなければならないのか? 』等を分析する全ての行動を指しています。教える側の試験対策というものは、こういうものです。

 国家試験の問題を、何年か分だけ目を通しただけの人間が『 意味がある・ない 』を判断するのは、少々…イヤ、とても無謀なことのよう思えます。確かに過去問題の上っ面だけを見て、『 出ている・出ていない 』だけで判断してしまえば、『 意味がある・ない 』といった言葉が出てくるのも、ある意味いたしかたないことかもしれませんが…残念ながら、試験対策、こと薬剤師国家試験対策となると、とてもではありませんが、そんなに簡単なものではありません。もっともっと、本当に奥の深いものなのです。

 どういう訳か、受講した内容に対し『 意味がない 』といっている学生さんに限って、成績が芳しくないのも事実。まあ、ご本人が『 意味がある・ない 』判断するのはご勝手ですが…その前に、少々ご自分の状況を見つめてみてはいかがでしょうか?今ある状況が、ご本人にとって納得いく状況なのか、そうでないのか?そしてそれは、ご本人が『 意味がある・ない 』と判断した結果の状況であるということを、今一度見つめてみる必要があると思うのですが…。そういえば…先々週のブログ〝ちびまる子ちゃんよ、永遠に〟で書かせていただいた、まるちゃんのお母さんのセリフに『 ムダに見える時間も人生には必要らしいよ 』という言葉がありましたね。そこでも書かせていただきましたが…まるちゃんのお母さんが『 ムダに見える 』と言っているのがポイント。『 見える 』のであって『 ムダではない 』ということ。その時はムダに見えても、実はムダではなかった…なんていうことが、多々あるのが現実。まあ、私の知る限り『 これはムダなこと 』『 これはムダではないこと 』とやっている人間に限って、芳しくない結果を招いているというか、今一つパッとしない人生を送っていることの方が多いような…。まあ、〝策士、策に溺れる〟といったところ…ではないですね。『 生兵法は怪我の元 』の方が、まさにピッタリでしょう。策士にも満たない人間が、策士のように『 私の判断は間違っていない 』と、判断して行動しているのですから…。

 ちなみに〝生兵法は怪我の元〟の意味は…

少しばかりの知識や技術は、それに頼ったり自負したりして、かえって大失敗をすることのたとえ。

デジタル大辞泉より。

策士なら、もっとうまい具合に出来るはずですが…。少しばかりの知識や技術では、とてもじゃないけれど策士とは呼べません。これならば、『 意味がない 』といっている学生さんに限って、成績が芳しくないのも納得のいく話。その『 意味がない 』という言葉は、『 少しばかりの知識や技術 』から出た言葉であり、それに頼ったり自負したりしている訳ですから…。

 デジタル大辞泉によりますと、生兵法には『 武術を少しばかり心得てはいるが、いたって未熟なこと 』とあります。ブログでも何度か書かせていただきましたが、私にも武道の師匠がいました(もう、お亡くなりになっていますが…)。習いたての頃…そう、まさに『 武術を少しばかり心得た 』頃。心得たとばかりの立ち居振る舞いをして、えらく怒られたことを覚えています。今から思えば、心得たどころか、『 チョイかじり 』程度の、全く持って素人の域を出ないに等しい状況。そんな、状況なのに知っているような言動をとることにより、思わぬ怪我をしてしまうことになりかねない。だからこそ、師匠は厳しい対応をとったのでしょう。分かりもせぬことを、分かっているように振る舞うことが、如何に危ういことなのか。それを、まさに身をもって教えてくれたのだと思います。怪我をする前に…。

 大した知りもしないのに『 意味がある・ない 』と判断する。『 イヤ、私は知っていますよ 』という人。自分の現状を見て、そのセリフを言っていますか?もちろん、そのセリフを口にするほどの現状であればよろしいのですが…前述のように、どうも芳しくない結果であったり、パッとしない人生を送っている人の方が多いような…。私が知る限り、成功者と言われている方々や、満ち足りた人生を送っている方は、あまり『 これは意味がある、これは意味がない 』というジャッジを行っていないような気がします。ジャッジを行うどころか、『 これは意味がある、これは意味がない 』という観点で行動している場合が、少ないというか…そもそも意味・無意味云々ではなく、楽しいから好きだから、そして何事も無駄にはならないという観点で、動いているような気がするのです。そう、なんでも為になる…そういう観点で行動している。だからこそ、何からでも学ぶことが出来るし、どんなことからでも何かを得ることが出来る…。つまり、『 何もかも意味あるもの 』として行動しているからこそ、何からでも意味ある大切なものを得ることが出来る…。『 全てが意味ある 』からこそ、全てから何か意味あるもを、つかみ取ることが出来る。そういった感じがするのです。

 意味がある・ないではなく、自ら意味あるものとして、そこから何かを掴みとることが重要。そう考えれば、全てが意味あることと言えるのではないでしょうか?それが、賢い生き方なのだと思うのです。意味ないと切り捨てるか?意味あることはないかと探しだし、そして得ていくのか?意味がないと生きるのか?賢く生きるのか?それは、その人次第なのではないでしょうか?

 

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2018年9月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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自分のことだけ考える。

 『 自分のことだけ考える 』と書かせていただくと、『 何という、とんでもないことを! 』と、お怒りになる方がいらっしゃるかもしれませんが…。私は、よく学生さんに『 自分のことだけ考えなさい 』と言います。何もこれは『 自分さえ、良ければいい 』と言っている訳ではありませんし、『 自分のために、他人の足を引っ張りなさい 』と言っている訳でもありません。確かに『 自分のことだけ考える 』という言葉自体、あまり良い意味で用いられていないのは確かです。しかし、こと試験対策においては、重要なことだと私は思っています。

 自分が合格しなければなりません。他人は関係ないのです。だから、自分が合格することだけを考える。試験対策というのは、そういうモノではないでしょうか?ここで間違えてほしくないのは…まあ、あえて言うまでもないと思いますが『 自分のことだけ考える=他人を蹴落とす 』ではないということ。どうも、この『 自分のことだけ考える 』という言葉自体…前述のように、悪い意味で用いられるというか、悪い意味として捉えられている場合が圧倒的に多いようです。そういう意味では、少々かわいそうな言葉だと思うのですが…。もちろん、私が言っている『 自分のことだけ考える 』という言葉も、『 他人を蹴落とす 』という意味ではないことは、お分かり頂けることと思います。

 自分が合格することだけを考える。試験対策というのは、そういうモノ。なのに、どうも〝自分のことを考えていない学生さん〟を、よく見かけます。というか、年々増えてきているような気もしなくはありません。自分が合格することを考えた場合…どう考えても、その環境は芳しくないはずなのですが…どうも、その場に身を置いてしまう。例えば…友達が誘うので、勉強せずに行動を共にしてしまう。不平不満、愚痴を垂れ流している中に自分も入って、同じく不平不満、愚痴を口にしてしまう。友達と一緒にいることによる安心感も分からなくはありませんが、自分が合格することを考えた場合…そういった環境に身を置くことは、芳しくない事であることは確かです。他人がどこに行こうと、不平不満や愚痴を口にしていようと、自分には関係ありません。合わせる必要など全くないのです。『 付き合わなければ悪いのかな… 』いえいえ、そういう時こそ、自分のことだけ考えればいいのです。人は人です。同じく自分は自分。人の行為やその行為の真意を考える必要はなく、自分のことだけ考えればいいのです。そう、自分が合格することだけを考えればいいのです。そして、そのためには、そういった場所に身を置くべきなのかどうなのかも、考えなければなりません。

 なかには『 そういう人達に注意して、「そういうことはしない方がいいよ」と指摘してあげるのが… 』という人が、いるやもしれません。しかし…そういった他人の行為を注意して導いてあげるほど、余裕はあるのでしょうか?自分のことだけで手いっぱい…それが本当のところではないでしょうか?確かに、芳しくないことをしている人に注意をして、正しい方向に促してあげることは大切なことです。しかし…それさえも、自分に余裕がある時の行為ではないでしょうか?ましてや相手はいい大人。本人が望んで、選んでそういった行為をしているのです。それに、とやかく言うのもどうでしょう?もちろん、第三者に対し、故意に明らかに迷惑をかけているような行為なら話は別です。しかし、第三者にではなく、自らの勉強そっちのけで何かをしたり、自らの勉強の足を引っ張る様な事をしている場合は、やはり、そのような行動をとっている人の自己責任。そういった行為をしている当事者の問題です。そういうことをやっている人達は、そういうことをやっている人達でやっていればいいのです。自分は自分のことだけを考えていればいい。そうではないでしょうか?

 時折、世話好き(?)な方が、他の学生さんのことを思ってアレコレしてやっている場合もありますが…そういう人に限って、自分のことに関しては手薄状態である場合がほとんど。中には、他の学生さんに何か問題が起きると、その渦中に飛び込んではアレやコレや動いている場合もあるようですが…単に、その問題の中で騒いでいたい〝野次馬根性的おせっかい〟であることも、よくある話。何か問題があると、『 面白いことが起きた 』とばかりに、渦中に飛び込んでは、色々としてやっているよう振る舞っていますが…よは、本人が楽しんでいるだけ。もちろん、楽しんでいる当のご本人は、〝人助け感〟に浸っているようですが…この場合も、本人のことは手薄になっている状況であることは、前述のとおり。人のことなど構っている余裕があるのでしょうかね?これも、『 自分のことだけ考える 』が、できていない例です。

 自分のことだけ考える。これは、『 自分で自分のことだけ考える 』ということになりますが…。自分のことだけ考えることができない人は、そのほとんどが〝人に流されてしまっている人〟であることも事実です。人に流されてしまっているから、誘われるから勉強もせずに行動を共にしてしまったり、自分も加わって不平不満、愚痴を口にしてしまうことになるのです。自分で自分を操縦することができない。自分で自分を操縦できなければ、自分のことだけ考えるなんていうことが、できる訳ありません。何と言っても、自分自身が無いのですから…。自分自身が無いからこそ、周りに流されてしまうのです。

 何かモノを選ぶ時においても、これは言えると思います。何度かブログにも書かせていただいたのですが、昨今は『 自分で選ぶ 』ということをしない学生さん(できない学生さん といった方が適切かもしれません)が、あまりにも多すぎます。選ぶということは『 自分で見聞きして、自分自身で考えて、自分自身で判断して、自分で選ぶ 』という4段階を経由しますが…どこかが抜けている…というか、全てそろっていない人も珍しくありません。予備校1つ選ぶにしても、参考書1つ選ぶにしても『 何故、それを選んだの? 』と聞くと、『 ○○さんが、行くっていうから… 』とか『 ○○さんが、いいって言ったから… 』と、どうも自分抜きで、判断を他人に依存している方が、ほとんどであることには驚かされます。ひどい場合には『 何故、それを選んだの? 』と聞くと、『 …何でだろう? 』と、その理由さえも分かっていないなんていう場合も…。こうなると『 この人の〝自分自身〟は、一体どこへ行ってしまったのやら… 』と、こちらが心配してしまう有様…。前述のように、自分のことだけ考えるといっても、肝心の〝自分自身〟が無いようなら…自分のことなぞ考えることも出来るはずないのは、言わずもがな…。

 薬剤師国家試験対策を行っている方。自分のことだけ考えて下さい。他の人のことを考えている暇などありませんよ。それに…自分の合格のことを第一に考えることは、受験生として当然のことではないでしょうか?受験生のご家族は、その受験生の合格のことだけを考えていますよ。それを思えば、自分のことだけ考えて試験対策を行っていくということが、如何に大切なことか分かるはずです。自分が自分のことを考ていなければ、自分の事だけを考えてくれている家族の人は、どういう思いをするでしょう?

 自分のことだけ考えて、真摯に試験対策に取り組めば、同じように真摯に試験対策に取り組んでいる人達のことが見えてきます。その人達のことも、考えてあげられるようになります。当ホームページの主任講師挨拶2018『 共鳴する試験対策 』で、次のようなことを書かせて頂きました。

 皆、必死に勉強しています。薬剤師国家試験合格に向けて…。『 薬剤師国家試験に合格する 』という思いは、皆、同じなのです。そして、そのために必死になっていることも同じなのです。同じ目的を持つ者が、同じく必死になっている。そう、皆〝自分と同じ人間〟なのです。だからこそ相手、すなわち他の塾生さんも見えてくるのです。 ~中略~ 自分と同じだから、相手の事が見えてくる。自分と同じ相手だからこそ、相手の事を分かってあげることが出来る。

 そう、自分のことだけをしっかりと考えていれば、『 自分さえよければいい 』という状況になることもなければ、『 自分のために、他人の足を引っ張る 』ようなことも『 他人を蹴落とす 』ようなことも、しないのです。相手のことも見えてくるのですから…。その結果、相手のことも考えて行動できるようになるのです。こういったことからも、『 自分のことだけ考える 』が悪いことではないことが、分かって頂けることと思います。

 試験対策、自分のことだけ考えてください。他の人は関係ないのです。他の人のことに構っている暇などないはずです。まずは自分大事で行動して下さい。そうすれば、他の人の事も見えてくるはずですから…。そして何よりも…まずは、自分が合格しなければなりません。他人は関係ありません。自分にとって益にならないと思えば、離れることも重要なことです。自分にとって害となるのならば、なおさら離れて一人になることも大切です。試験対策は、友達と仲良くするためにある訳ではありません。友達から嫌われないために、ある訳でもありません。合格するためにあるのです。そこの所をしっかりと認識して、自分のことだけ考えて、試験対策に取り組んでほしい。そう、思っている次第なのです。

 

 

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2018年9月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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