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辛い過去から去ぬ年

 毎年、この時期、誰もが発する言葉である『 早いもので、今年ももう終わり 』。確かに時代は変わろうとも、誰もが使える言葉であることは間違いない。第一…人それぞれあろうが、一年があっという間というのは、現実のこと。つい口にしてしまう言葉であるのも頷ける。

 今年も色々あった…というのも、これまた、この時期お約束の言葉。いいニュースもあり、悪いニュースもあり…というのも、ある意味お約束と言えばお約束の話。

 来年は戌年(いぬ年)である。一説には、人間に一番忠実な動物は犬と言われている。そんな犬を色々と調べてみると…。犬は、人間と暮らし始めた最も古い動物とも言われており、当然、ペットとしての歴史も最も長い動物とされている。その歴史は1万5千年以上前まで遡るとのことであるから、相当長い間、人間と共に暮らしてきた動物ということになる。縄文時代の遺跡からも、ペットとして飼われていたと思われる犬の骨が出土しているそうであるから、日本でも古くからペットとしての地位を確立していたようだ。

 『 ペットを飼っている 』と言われると『 犬? 』と第一に出てくる動物名であるからして、現在、日本でのペットとしての犬の地位は、完全に確立されたものになっていることは間違いないだろう。ペットとして飼われている動物としてのランキングでは、3位以内には確実に入っているようである。このランキングに関しては『 犬が一位だ 』『 イヤ、猫が一位だ 』と諸説あるようだが、まあランキング的に3位以内は確実ではないだろうか。

 昔からペットとしての地位を確立しているせいか、犬に関しての悪い話はあまり耳にしない。おとぎ話の中でも、犬は良い動物として扱われている場合が圧倒的に多い。代表的なのは『 裏の畑でポチが鳴く… 』でおなじみ〝花咲かじいさん〟のポチであろう。拾われて大切に育てられたポチが、ある日『 ここ掘れワンワン 』と鳴きながら畑の土を掘り始める。そこを、お爺さんが掘ったところ、大判・小判がザックザクである。言っておくが、大判・小判である。Goldである。一枚二枚でも相当である。それが一枚二枚ではない。ザックザクである。非常に優秀というか、恩を大切にするというか、夢のような素晴らしい犬であることは間違いない。

 飼い主に恩返しをする犬もいれば、鬼退治に助太刀してくれる犬もいる。弘法大師を道案内する犬もいれば、その身を挺して人身御供を喰う化け物と戦い、退治してくれた犬もいる。戦で攻め込まれ難儀している時に『 敵方の大将の首を取ってこい 』との命に従い、その首を取って来た犬もいる。飼い主が先立ったことを知らず、ずっと帰りを待ち続け、最後には銅像にまでなった犬もいる。南極に取り残されながらも、1年間もの間、昭和基地で、人間を待ち続けた犬もいる。その活躍は日本だけではない。大聖堂で飾られているルーベンスの絵を前にして、飼い主と共に天国へと旅立っていった、日本では相当名だたる涙腺崩壊犬もいる。自分を助けてくれた飼い主を、盗賊から助け、さらにはその盗賊を捕まえた義犬もいる。こうやって挙げてみると、人間でもおいそれとは出来ないことを、勇敢にやってのけている。そして…非常に義理堅く、恩に報いていることも、十分伺い知ることが出来る。なんとも、素晴らしい動物ではないか?見習わなければ…と思ってしまうのは、私だけではないだろう。

 〝去ぬ〟と書いて〝いぬ〟と読む。〝去ぬ〟には『 行ってしまう、去る(大辞林より) 』『 時が過ぎ去る(デジタル大辞泉より) 』という意味がある。そういえば、以前年末のブログで、申年(さる年)にちなんで『 悪いことは去る 』と書かせて頂いたことがあった。そう、申年は『 悪いことは去る 』。そして、次の酉年に関しては『 幸せを取りにいく 』と、やはり酉年にちなんで書かせて頂いた。ご存じのように、十二支の並びは 申→酉→戌 『 去る 』→『 取り 』→『 去ぬ 』 という順番である。つまり、来年は『 悪い過去から去ぬ 』、つまり『 悪いことは、どこかへ行ってしまう 』『 嫌な時が過ぎる 』年ということになる。前述のように、悪いニュースもあった一年であるが、その嫌なニュースも『 どこかへ行ってしまう 』。そんな、一年になるのではないか?

 申年で悪いことが去る、酉年で良いことを取り、そして戌年で嫌なことが去ぬ…なんとも縁起のいい三年間ではないか!イヤイヤ、来年のことを言うと鬼が笑うと言うが、再来年のことを言わせて頂ければ、再来年は亥年の『 いー年=良い年 』である。こんな縁起のいい並びは、そうあるモノではない(まあ、何年かおきには必ず来るのではあるが…)。そんな縁起のいい4年間の中で生きているのだから、来年は幸運な年となることは間違いないはずである。

 

 薬進塾も例年通り、ベテラン講師陣が腕をふるい、塾生たちも必死に試験対策に取り組み、教室には活気が溢れる一年でした。少人数ということもあり、講師・職員と塾生さん達との距離も近く、塾内にはいつも笑顔があふれ、和気あいあいと、それでいて真剣に試験対策に臨むことが出来た一年だと思います。

 2017年も残すところ、あとわずかとなりました。皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。本年は格別のご愛顧を賜り、誠に有難く厚く御礼申し上げます。来年も誠心誠意努力して参りますので、より一層のご支援を賜りますよう、薬進塾一同心よりお願い申し上げます。

 

では、皆さま、よいお年を!

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2017年12月28日 | コメントは受け付けていません。 |

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祖母の思い出 クリスマスブーツ

 当ブログご愛読の方にはお馴染みであるが、薬進塾のある浅草橋は季節用ディスプレイ用品の問屋街。もちろん店頭販売もしているので、店内所狭しとディスプレイ用品が飾られている。その季節季節に見合ったディスプレイ用品が店から溢れんばかりに並べられている。薬進塾に来る途中、そんなディスプレイが目に入る度に『 もう、そんな季節になったのか… 』としみじみ思ってしまう。ある意味、季節を感じさせられる街である。

 時はクリスマスシーズン。もちろん、クリスマス用ディスプレイが、浅草橋を占領していると言っても、決して過言ではない状況。そんな浅草橋の季節用ディスプレイ用品店でも、一番賑わっていると言っても過言ではないのが、当ホームページでも紹介させて頂いているシモジマさん。駅から近いという立地の他、個人で利用できるようなディスプレイも多く扱っているせいか、この時期はかなりの御盛況。そんなシモジマさん。他のディスプレイ用品店とは違い、食品も扱っている(まあシモジマさんは、ディスプレイ用品もさることながら、文房具から日用雑貨、食品から飲み物まで、扱っている商品層がかなり厚いのだが…)。そんなシモジマさんには、当然のことながら〝クリスマスブーツ〟も売っている。

 クリスマスブーツをご存じない方はいらっしゃらないと思うが、念のため…。ブーツを模した容器の中に、お菓子を詰めて販売されている商品である。まあ一般的には、色々な種類のお菓子が詰まっている場合が多い。ちなみに、このクリスマスブーツ。日本発祥で独自のものとのこと(2013年12月24日NEWSポストセブンより)。クルスマスツリーにぶら下げられている靴下やブーツを見て、それを大きくしてお菓子を入れたらどうだろう…と着想したのが始まりだそうで、外国の人には必ず驚かれるとのこと(2013年12月24日NEWSポストセブンより)。私が子供の頃は、クリスマスツリーを模した紙箱に色々なお菓子が入っているタイプのモノも売られていたが、私の知人(スーパーの製菓コーナーに勤務していた人)によると、それも〝クリスマスブーツ〟と呼ぶそうである。まあ、お菓子を扱うことを生業としている人にとっては、いちいち区別するのも大変であろうからして、御尤もな意見。もっとも昨今は、ブーツとは全く関係ない容器にお菓子が詰まっていても、〝クリスマスブーツ〟と呼んでいるようである。つまり、『 クリスマス時期に、お菓子が詰まったモノ 』は全てクリスマスブーツ扱いとなるようである。もちろん、私の子供の頃とは打って変わって、内容も豊富、バリエーションも豊富な〝クリスマスブーツ〟があることは言わずもがな。

 小学生のころ。私が祖母の家(従兄弟一家と同居)に泊りがけで遊びに行った時の事。確か月曜日であったと思うが…当然、従妹たちは学校(中学生だったと思う)。私は小学校の行事の関係で休みであったので、泊まりがけで遊びに来ていた。その日が帰る日ということもあり、迎えに来る父を待ちながら、祖母とのんびり過ごしていた。そんな私に、祖母が買ってきてくれたのが、クリスマスブーツと同じように売られるクリスマスツリー型の紙箱のお菓子セット。おそらく、もうすぐ帰るということで、土産代りにでもと思ったのだろう。私が子供の頃は、クリスマス時期にお菓子が入って売られるものといえば、クリスマスブーツとクリスマスツリー型の紙箱の2種類しかなかった。祖母が、クリスマスツリー型お菓子箱を買って来てくれた時、実は少々びっくりしたのを覚えている。というのも、季節的にクリスマスからは離れていたからである。祖母の家は、街中からは遠く離れた位置にあり、買い物をする商店も2件ほどしかなかった。そんな商店であろうから、クリスマスに売れ残った商品でも、そのまま店に置いていたのだと思う。おそらく、クリスマスとは何かも分からなかった祖母は、単に〝キレイな箱の中にお菓子が入っているもの〟として、子供の私が喜ぶだろうと買ってきてくれたのだろう。子供ながらにも、それが分かるほどの、祖母の優しさ…。それは〝クリスマスツリー型お菓子箱〟を、買ってきてくれ私に渡すときの祖母の笑顔からも十分に伺うことが出来た。たった…たった十歳を超えたかどうかの子供でも、十分にそれを知ることが出来たのだ。その祖母の愛情がいかほどのモノであったのか?それを十分に窺い知ることが出来る、祖母の笑顔と贈り物であった。やはり、クリスマスには人の心を動かす何かがあるのだろう。でなければ、祖母の行った〝季節外れのクリスマスの買い物〟から、祖母の愛情を痛切に感じることはなかったはずである。

 よく言われていることだが、日本と欧米ではクリスマスの捉え方がかなり違うらしい。以前聞いたことがあるのだが、欧米でのクリスマスは、日本での正月にかなりイメージが近いとのこと。欧米ではクリスマスは、家族で過ごすのが当たり前。親戚を含め一族が集まる特別な日…ということで、やはり日本の正月に近いイメージ。そして、私的に思う日本と欧米のクリスマスの捉え方の大きな違いは…。それは、欧米ではクリスマスには〝人類愛〟を唱えるということ。日本でも、恋人同士がクリスマスを…というのはあるが、人類愛を唱えている人は少ないよう思える。もちろん日本でも、教会では人類愛を説いているし、宗教的に人類愛を口にされている方はいる。しかし、一個人の日本人として、クリスマスに人類愛を唱える人はあまりいないような気がする。

 人類愛を唱える人は少ないかもしれないが、もちろん、日本でも色々な意味でクリスマスに愛は溢れている。親が子供に与えるクリスマスプレゼントや、お祖父ちゃん・お祖母ちゃんが孫にあげるクリスマスプレゼントなど、その最たるものであろう。子供から親にクリスマスプレゼントを贈る場合も多々ある。人類を思う愛であれ、子や親を思う愛であれ、孫を思う愛であれ、その大きさに違いはない。その証拠に、ン十年も前に祖母からもらった、季節外れのクリスマスブーツとその時の祖母の笑顔と愛を、未だに忘れない自分がいる。やはり、欧米であろうが日本であろうが、クリスマスは愛に溢れているのだろう。この世知辛い世の中で、なんとも目出度いことでは…イヤ、なんとも目出度い日ではないだろうか?やはり、クリスマスはいいものである。

 

クリスマスという名前自体に、不思議な力があるようだ。

チャールズ・ディケンズ(イギリスの小説家)

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2017年12月22日 | コメントは受け付けていません。 |

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安心して下さい。今は誰もが不安な時期ですから。

 我が薬進塾では、今週は個人面接の週。毎日何名かの塾生さんと、マンツーマンで面接をしながら、学習指導を行っています。日々の試験結果に関してはもちろんのこと、模擬試験の結果、学習状況、復習時間、復習のやり方、受験生活に関して等、色々な指導とアドバイスを一人ひとりに行っています。

 何度もブログで書かせて頂いていますが、塾生さんは十人十色。十把一絡げでの対応なぞ出来るものではありません。もちろん、全員を対象とした学習指導も行いますが、それとセットでマンツーマンによる学習指導も、当然ながら必要になってきます。一人ひとりの話を聞いては、指導していく。十人十色ですから、話す内容が異なることは言わずもがな。まあ、この時期ですから、塾生さんから受ける相談のほとんどが、成績や勉強のやり方に関する悩み。『 成績をもっと上げたい 』 『 時間が無い 』 『 点数が今一つ 』 『 勉強のやり方が… 』などなど。なかには担当直入に 『 不安です 』といった相談も。やはり、この時期は、皆さん色々なことにお悩みなのです。

 もちろん同じ悩みであっても、塾生さんによって指導する内容は異なりますし、言い方も変わることになります。性格も異なれば、成績も異なる。学習のバックグラウンドも異なれば、通学時間も異なる。そういった観点から、我々が捉えた〝一人の人間としての塾生さん〟に対して、一番良い方法で指導しなければなりません。大人しいタイプだとか、話すのが苦手なタイプだとか、チョットさぼり易いタイプだとか、人の言動を気にするタイプだとか、色々な塾生さんがいる訳ですから、やはり日ごろから塾生さんと接し、一人ひとりを把握していおかなければ、個々の塾生さんに見合った指導は出来ないのです。当然のことながら、日々のテストの成績も把握しておかなければなりません。成績だけではなく『 何が弱いのか? 』 『 どういった時に成績が悪くなるのか?良くなるのか? 』といった、一人ひとりの〝試験に対する個性〟も知っておかなければなりません。そういった〝個々の塾生さんの本質〟から指導していく訳ですから、前述のように、同じ悩みであっても、一人ひとり指導する内容や言い方は変わってくるのも、当たり前と言えば当たり前の話。

 指導の内容こそ一人ひとり違えど、塾生さんからの相談内容は、前述のように同じ内容のものがほとんど。やはり、この時期に多いのは『 不安です 』といった単刀直入な内容。まあ、そうでしょうね…などと言うと『 何をそんなに呑気に構えているんだ 』などと、お叱りを受けそうですが…。呑気に構えているのではありません。『 当然だろうな 』という気持ちなのです。それも、そのはず。今の時期は国家試験受験を控えた誰もが、一番不安になる時期だからです。私が以前勤めていた予備校では、医師国家試験対策や歯科医師国家試験対策も行っていましたが、やはり今の時期は、どの試験対策の学生さん達も不安になっていました(ちなみに、医師国家試験、歯科医師国家試いずれも試験は2月)。ウチの塾生さん達には、『 何故、今の時期不安になるか? 』を説明して指導しているのですが…。ここでは説明は省かせて頂きますが、この時期は2月、3月に試験が控えている受験生は、誰もが不安になる時期なのです。だから、不安になるのも、ある種当たり前と言えば当たり前の話なのです。

 よく、面接をしている時に『 (不安なのは)私だけですか? 』と聞いて来る塾生さんがいらっしゃるのですが…。もちろん『 そんなことはないよ。今の時期は、皆、不安だよ 』と答えています。そして『 安心しなさい。今は誰もが不安な時期なんだから。不安なのが当然だよ 』と付け加えます。さらに…『 不安な時期だからこそ、やるべき事をしっかりとやることが大事 』と必ず言っています。

 不安から逃れるために何かする。実はコレが一番危険なことなのです。人は不安な時、往々にして〝安易な安心感〟を得るために、何か行動を起こす場合が多いのですが…この行動が〝とんでもない代物〟である場合がほとんどなのです。自分より試験結果の悪い人を見つけては、優越感に浸り安心する。同じ問題を何度もやって、出来る度に安心する。過去問の答だけを覚えて、解けた気になり安心する。『 今度はコレが出題される 』とそればかりに力を入れ、試験にそれが出題され出来た気になり安心する。どれも〝安心〟ではあるかもしれませんが、ろくな安心…イヤ、本来は〝安心〟とは呼べた代物ではない、〝不安の紛らわし〟でしかないことがお分かり頂けることと思います(先ほど〝安易な安心感〟と書かせて頂いたのは、こういった理由からです)。そして…そんなことをやっている限り、本家本元の試験対策が疎かになってしまうことは確かです。安易な虚偽の安心感を得るための行為により、試験対策の王道から外れてしまう。当然、学力など付くはずはありませんし、成績だって芳しくない状況になってしまいます。試験対策において、〝不安の紛らわし〟は非常に危険なことなのです。

 不安でいいのです。皆、今の時期は不安なのですから。皆、不安なのが当たり前なのですから、慌てる必要などないのです。不安なのが当たり前なのだから、そこから逃げる必要などないのです。『 でも、不安だと勉強に手が付かない… 』という人。『 不安である 』ということと『 勉強することが出来ない 』というのは別のことです。不安であっても、普通に勉強している人は沢山いるのですから…。不安は不安、勉強することは勉強すること…と割り切っていかなければいけません。そして、多くの人がやっているように、不安を抱えながらも勉強していかなければなりません。前述のように、不安から逃れるためにやってしまう〝偽りの安心感を得るための行動〟の方が、試験対策自体を蝕んでしまう、よっぽど危険な行動なのですから…。

 安心して下さい。今は誰もが不安な時期ですから。不安でいるのが当たり前。だから不安になった時は、『 ああ、当たり前のことなんだ 』と、勉強を始めて下さい。目の前にあるやるべき事をやっていけばいいのです。以前、ブログ『 何故、人を不安にさせるの?ラスト 』で、次のようなことを書かせて頂きました。

 

 不安を100%解消することはできません。でも前に進むことはできます。不安でもいいから前に進むのです。不安だからと前に進まないことは愚かなことです。だから前に進むのです。不安でもいいから前に進む。これが、この時期の乗り越え方でもあり、不安を抑える一番の方法でもあるのです。

 

以前書かせて頂いた内容ですが、今以て(いまもって)この通りだと思っています。そして、今もこの通り塾生さん達には、指導している次第なのです。

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2017年12月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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笑う門には福来る。

 最近、テレビでは見ない日が無いと言っていいほど活躍中の〝みやぞん〟さん。本人の類まれなる才能もあるのでしょうが、やはり彼自身の魅力が人を引き付けているのだと思います。テレビで彼を初めて見た時は、見た目少々クセもありましたので『 ちょっと変わった芸人が出てきたなぁ… 』位に思っていたのですが…何度も見ているうちに、何とはなしにファンに。今では彼が出ている番組は、楽しんで視るようになりました。

 『 見た目少々クセが… 』と書かせて頂きましたが、〝みやぞん〟さんの最大の特徴は、あの笑顔だと思います。いつもニコニコしている〝みやぞん〟さん。笑顔以外の表情があるのだろうかと疑ってしまう程、いつもニコニコしています。番組の企画等でチョット大変なことがあったりすると、少々残念そうな顔をすることもありますが(それでも、どこか笑顔の片鱗が残っているような気がします)、怒ったところは見たことがありません。それに、少々残念そうな顔をしても、すぐにいつものニコニコ顔に戻ります。あのニコニコ顔が彼の最大の魅力ではないでしょうか?そして、そんな表情をしているからでしょうか、いつも前向きで、いつ見ても楽しそう…。彼の前向きな姿勢、ポジティブな考え方、そしてそこから生まれる優しさは、並外れたものがあると思います。いつも笑顔で一生懸命。そして幸せそう…。皆、そんな彼に魅かれるのでしょう。だからこそ、テレビでは見ない日がない人気者なのだと思います。〝みやぞん〟さんはいつも楽しそうで、幸せそう。〝みやぞん〟さんが、『 楽しい 』『 幸せ 』といったことを口にすることも、よくあります。そう、彼は幸せなのでしょう。そんな〝みやぞん〟さんを見ていると心からこう思うのです。『 幸せって簡単なんだなぁ 』と…。

 そう、幸せとは本来簡単なモノなのです。自分で幸せを選べばいいだけですから…。しかし、悲しいかな人は、あれやこれやと思考を巡らせることに一生懸命になりすぎて、わざわざ幸せというものを複雑で難しいものにしてしまっているよう思えるのです。『 ○○だと幸せになれるのに… 』と幸せになることに条件を付けることも、幸せを複雑にしている一つでしょう。でも本来、幸せには条件はいらないはずです。自分が『 幸せだ 』と思えば幸せなのですから…。『 ○○だと幸せになれる 』という思いは、裏を返せば『 ○○でなければ幸せではない 』ということを表しています。でも、果たしてそうでしょうか?例えば…美味しいお寿司を食べた時を思い出してください。『 美味しい!幸せだ! 』なんて思ってしまうことはありませんか?そう、例えお望みの○○といった状況でなくとも、幸せは感じることは出来るのです。〝幸福感〟は自分で選ぶものだからです。『 幸せだな 』と思えば、幸せなのです。そう考えれば、自分の周りにはいくつの幸せがあるでしょう?それこそ無数にあるのではないでしょうか?逆に、どんなに美味しいお寿司を食べたとしても『 イマイチだな 』とか『 もっと高級な寿司の方が…』と思ってしまえば、幸せにはなれません。『 世の中には、もっと高級で美味しい寿司を食べている人がいるのに…なんて不幸なんだろう 』と思ってしまえば、その人は不幸です。そう、幸せも無数にありますが、ある意味、不幸も無数にあるのです。自分で不幸を探し出し、不幸を選べば…いや、探さなくても自分で勝手に不幸を作り出してそれを選べば、いくらでも不幸になることはできます。そして…前述のように幸せを探し出し、それを選べば、いくらでも幸せになることが出来るのです。それこそ、無数に…無数に幸せになることが出来るのです。やはり、テレビでは見ない日が無い、人気芸人、メイプル超合金のカズレーザーさん。私は彼も大好きです。頭のキレはピカ一だと思っています。そして面白い。そんなカズレーザーさんは次のようなことを言っています。

 

 理由をみつけて自分が不幸だなって思おうとしているだけで、思わなければずっと幸せだからね。

 

 生きてて幸せ、幸せの前提があるから不幸を見つけることができるんであって、不幸から目をそむければ、ずっと幸せだからね。

 

これこそが、『 幸せを選ぶ 』ということではないでしょうか?

 確かに、人には辛い時というのがあります。そんな時は中々笑顔にはなれませんし、そんな状況で『 幸せを選べば… 』と言われたところで、中々そういう状況にはなれません。かくいう私にも、そういう時はあります。そんな時、私は〝みやぞん〟さんを思い出すようにしています。何があっても笑顔を絶やさない〝みやぞん〟さん。大変なことがあっても、ちょっと困った顔はするけど、すぐにいつものニコニコ顔に。彼の笑顔を見ていると、何となくこちらまで笑顔になってしまう。そう、笑顔は伝染するものなのです。彼を見ていると、こちらまでニコニコしてしまう。そして、いつのまにか幸せな気持ちになってしまう…。よく言われている言葉に『 楽しいから笑顔になるのではない。笑顔でいるから楽しくなるのだ 』という言葉があります。まさに、この通りではないでしょうか?〝 笑顔でいれば楽しくなる = 楽しいから幸せ 〟という方程式は、しっかりと成り立つものだと思っています。そして、この方程式が正しいものであることは、〝みやぞん〟さんが証明してくれているのではないでしょうか?

 笑う門には福来る。『 明るく朗らかにいれば幸せがやってくるという意味。また、悲しいこと・苦しいことがあっても、希望を失わずにいれば幸せがやって来るということ。(故事ことわざ辞典より) 』という意味です。やはり、笑顔でいれば幸せになれるようです。悲しいこと・苦しいことがあっても、望みを捨てずに笑顔でいれば、幸せがやってくるようです。『 そんな、うまくいくはずが… 』という人。初めに書いたではありませんか?幸せは簡単なモノだと…。あれやこれやと思考を巡らせることに一生懸命になりすぎて、わざわざ幸せというものを複雑で難しいものにしてしまっていると…。笑顔になれば、幸せになれる。そう、幸せとは簡単なモノなのです。だから、辛い時や困った時は〝みやぞん〟さんを見習って、笑顔にするよう心がけてはみませんか?それだけで、色々な事を乗り切ることができる。そんな気がするのです。だって、〝みやぞん〟さんも、あの笑顔で色々な事を乗り越えているではありませんか?幸せそうに、楽しそうに…。幸せは簡単。笑顔で前向きでいれば幸せになれる。幸せを選べばいいだけ。それを、〝みやぞん〟さんは証明してくれているのだと、私は思っています。

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2017年12月9日 | コメントは受け付けていません。 |

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