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一番いけないのは、自分なんかダメだと思い込むことだよ。

 今回のブログのタイトル。なかなかいい言葉であるが…何と発したのは、〝ドラえもん〟の登場人物である野比のび太氏(ちなみに、作者の藤子・F・不二雄によると、ドラえもんが主人公でのび太氏は副主人公とのこと)。おそらく、日本でのび太氏を知らない人は、まずいないだろだう。そして、彼が誠にもって〝冴えない人間〟であることも、皆、御承知のことと思われる。おそらく、〝冴えない人間〟として日本で一番認知されている人物ではないだろうか?『 テストで0点 』といって思い出す人物といえば、まず彼が真っ先に来る。磯野家のカツオ氏であっても『 テストは30点前後 』といった結果が多いように思う。日本全国で『 テストで0点。誰を思い出しますか? 』というアンケートを取ったならば、二位以下を大きく切り離して、ぶっちぎりの第一位を獲得するのではないだろうか?『 のび太氏のテストは0点 』と聞いても、おそらく誰もが『 それで…? 』という反応を取るだろう。0点ということは、ある種何気に凄いことなのだが、その凄い事さえも、平然と流されてしまう人物が、野比のび太氏なのだ。こんなすごい人間、そういるものではないと思う。

 そんな、のび太氏がドラえもんに発したのがこの言葉。作中では、ドラえもんに諭されることの方が圧倒的に多いのび太氏であるが、時折、ドラえもんに向かって良き言葉を投げかけたりもする。もともとドラえもんは、のび太氏を助け歴史を変えるため現代にやってきている。しかし、ここで『 本末転倒では? 』などとは思ってはいけない。人間(ドラえもんはネコ型ロボットであるが…)、どこでどう誰に助けられるか分からないものである。色眼鏡で『 あの人は私より劣っている 』などと、人を見ることなどもってのほか。誰もが、それぞれ人には無い優れた部分を持っているものだ。それは、のび太氏とて同じこと。冴えないのび太氏を諭すために未来からやってきたドラえもんだが、逆にのび太氏に諭されてしまう…。人生、そんなもんである。

 そう言えば作中ののび太氏は、至って明るい。確かに落ち込んでいたり、暗い時もあったりするのだが、あまりそれを引きずっているようには見えない。イジメでひどい目にあったり、ついていないことがあったり、不運を嘆いたり、大人たちから叱られたり、それに関する不平・不満を嘆いたり、泣き叫んだりしていることはよくあるのだが、だからと言って、ず~っとそのことで思い悩んでいたり、『 どうしよう 』とひたすら不安な状況でい続けたりすることはないよう思える。何気にいつも明るく、チョットしたことで前向きに楽天的に考えたりと、切り替えも早い。ある意味、凄い事である。しかし、そうでもなければ、0点を連続することに対するメンタル的ダメージに耐えられる訳もなかろう。どんな状況でも、憂鬱さを引っ張らずに明るくいく。これこそが究極の強さではないだろうか?

 明るく生きていくということは、何気に難しい事である。生きていく中では、〝明るさが奪われるような出来事〟が多々起こるからである。そういった事が生じる度に、明るさが失われ、憂鬱に、不安になってしまう。そんなことは、誰にでもよくあることである。そして、明るさが奪われ、自信が奪われ…『 私なんか… 』と、つい思ってしまうこともある。しかし、のび太氏は言っている。それは一番いけないことだと…。『 私なんか… 』と、自分を卑下したところで何も始まらない。何も生まれなければ、何も変わらない。自ら『 自分なんかダメだと思い込むこと 』から抜け出さない限り、憂鬱・不安な状況から抜け出すことは出来ないのだ。のび太氏はそれを知っているのだろう。だからこそ、0点を連発しようとも、あのように明るく生きていけるのだ。

 のび太氏が、よく周りの人間から『 ダメなヤツ 』と言われているのも御承知の通り。しかし、当ののび太氏は『 一番いけないのは、自分なんかダメだと思い込むことだよ 』といっている。つまり…外野から何を言われようとも、のび太氏は『 自分なんかダメだ 』と思っていないということである。ここに、のび太氏の強さがある。外野に何を言われようが、ダメだと言われようが、自分はダメだと思っていない。これは、非常に重要な事である。えてして人は、他人から何か言われると、それに引っ張られることが多い。引っ張られるあまり、それを自分で認めてしまう事態に陥ったりもする。のび太氏は件のセリフで『 …思い込むことだよ 』と言っている。『 思うこと 』ではなく『 思い込むこと 』が良くないと言っているのである。誰だって、他人から何か言われた場合、『 そうなのだろうか? 』と思ってしまうことはある。しかし、それを受け止めてしまってはいけない。受け止めて、思い込みが強くなってしまえば、自ら『 思い込むこと 』になってしまうからである。受け止めなければ、言葉には効力はない。確かにのび太氏は、友人達からひどいことを言われようとも、大人達から怒鳴られようとも、『 そう思うこと 』はあるようだが『 そう思い込むこと 』はないようである。彼にとっては、友人達からのひどいことも、大人達からの怒鳴られる内容も、嵐のごときもので、過ぎ去ってしまえば何のことはない…といったところなのだろうか?しかし、そこに彼の強さがあるのだろう。まあ、真剣に怒っている側からしては、たまったものではないのだろうが…。

 自分がダメかどうか決めるのは、誰であろうか?先生であろうか?目上の人間であろうか?良識者と呼ばれる人間であろうか?権威ある立場の人間であろうか?誰でもない。自分自身である。自分がダメかどうかを決めるのは、他でもない自分自身なのだ。のび太氏は、そのことを知っている。だからこそ『 一番いけないのは、自分なんかダメだと思い込むことだよ 』といっているのである。自分で自分をダメだと思い込まない限り、ダメではない。のび太氏は、そう言いたいのだろう。

 ブログタイトルのセリフのあと、のび太氏はこう言っている。

 

自信を持て! 僕は世界一だと!

 

自分で思い込んでしまってはいけない。だから、自分に自信を持て。自分は世界一なんだと自信を持て…と言っているのだ。何とも素晴らしい見解ではないだろうか?『 自分なんか… 』という言葉は、往々にして自信を失っている時に出てくる言葉である。だからこそ、『 自分は世界一なんだ 』と自信を持てと言っているのである。そう思ったところで、誰に迷惑をかける訳でもないのだ。第一…自分だからといって卑下していい訳ではない。自分も一人の人間である以上、尊重しなければならない。自分で自分を尊重し、勇気づけて前に進んでいく。それは一人の人間として、とても大事なことではないだろうか?それを、ブログタイトルの言葉や先の言葉は教えてくれている。おいそれとは思いつかない、そして発することのできない言葉ではないだろうか?世間では、冴えない人間の代表格のように思われているのび太氏であるが…なかなか、どうして。相当の人物である。

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2017年7月19日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

予備校に通いながらのバイトは可能か?

 薬剤師国家試験予備校の講師も長く続けていると、講師になったばかりの時とは、その指導内容もかなり異なってきます。もちろん、自分自身の講師としての成長も、その理由の一つです。講師になりたての頃は『 こうだ! 』と断言していたことも、色々な状況に関わっていく中、それが必ずしも断言できない場合もあることが分かったりしました。多くの学生さんを相手にすることにより、本当に色々な学生さんがいるということも骨身にしみて分かるようになりました。そんな状況をくぐりぬけてきた訳ですから、指導内容も新人講師の時とは、変わってくるのも至極当然と言えば、至極当然のこと。

 そんな変貌を遂げた指導の中に『 学生さんのバイト 』のことがあります。以前は『 バイトなんてとんでもない!試験対策に集中しなさい! 』と指導していたのですが…。そもそも、以前は予備校に通いながら、バイトをするという学生さん自体、ほとんどいなかったように思います。短期のバイトという学生さんは何気にいたのですが、通いながら長期的なバイトを…という学生さんは、ほとんどと言っていい位いなかったと思います。いない以上、そういった指導をする機会もなかったのですが…。ここ近年の社会情勢(&薬学の状況)もあるのか、最近は『 予備校に通いながらバイトを… 』という学生さんが、確実に増えてきているような気がします。

 前述のように、以前は『 バイトなんてとんでもない!試験対策に集中しなさい! 』と指導していたのですが…やはり社会情勢等もあり、学生さんも色々と大変なご様子。ましてや、バイトをしながら予備校に通うという学生さんが、現実に増えてきているのが現状。こうなってくると、頭ごなしに『 とんでもない! 』と否定することも、なかなか難しい状況に…。一体どうしたものか…と考えてみたのですが…。

 まず、バイトをしながら通う塾生さんには、『 必ず、そのことを伝えるように 』と指導しています。やはり、一番困るのは、こちらに内緒でバイトをされること。塾生さんの状況を把握しないと、的確な指導が出来なくなってしまいますから。『 バイトはダメです! 』と言った場合、『 じゃあ、黙ってバイトをしよう… 』となってしまう場合がほとんどです。前述のように、むしろこちらの方が、試験対策には芳しくない状況となってしまいます。そこで、『 必ず、そのことを伝えるように 』と指導をすることにしているのです。

 そして、もう一つ指導するのが…『 出来れば、9月以降はバイトを辞めて、試験対策に本腰を入れて欲しい 』ということ。9月となれば国家試験まで、あと半年といった状況。こちらとしては、ここは集中して試験対策に本腰を入れていって欲しいといった状況。出来れば、試験対策1本に絞ってもらいたいのですが…御時世の壁が立ちはだかり、なかなか難しい方も…。もちろん、最後までバイトをしながらも、ちゃんと指導通りに勉強して、合格していった塾生さんもいらっしゃいますが、やはり中々大変なことなのです。

 何故、予備校に通いながらのバイトはよろしくないのでしょうか?大きな理由は二つあります。一つは、バイトをする時間を学習の時間に回してもらいたいから。逆の言い方をするならば、本来学習に使えるその時間を、バイトをしている分、削ってしまっていることになるからです。やはり、1分1秒でも勉強はしてもらいたいものです。1分1秒を惜しんで勉強する。それが、試験対策の王道だからです。バイトをするなら、その時間を勉強に回して欲しい。それが、指導する側の本音なのです。

 そして、もう一つの理由は…。バイトというのは『 社会で仕事をして、お金を稼ぐこと 』です。社会の中でする仕事ということは、お金をもらう以上、それなりの働きが要求されます。当然、それ相応の労力を駆使することになる訳ですから、疲れが生じるのもこれ然り。『 昼は講義、夜はバイト&勉強 』または『 朝はバイト、昼は講義、夜は勉強 』となると、やはり疲れが溜まってしまうのも必然の話。そんな疲れた状態では、『 良好な状態で受講している 』『 良好な状態で勉強している 』と言える状況には、中々なりません。バイトでの疲れを背負ってする勉強というのは、それ相応に大変なものなのです。

 薬進塾の塾生さんの中にも、バイトをしていた人は何人かいらっしゃいます。中には1年コースで、最初から最後まで仕事をしながら、合格された方もいらっしゃいます。『 だったら… 』と思った人は、早とちりしないように。今まで書いてきたように、バイトをしながらの試験対策は、それ相応にリスクを背負うことになります。その覚悟があるのか?それを乗り切ることが出来るのか?という、大きな課題が伴うことになるのです。

 私は、バイトをしている人には、それ相応の学習指導を行っています。中には『 このままでは、乗り切れないな… 』という人も何人かいました。もちろん、そういった塾生さんには『 バイト、辞めた方がいいんじゃないのかな… 』という指導をすることになります。その指導の結果、バイトを辞め合格された方もいらっしゃいましたので、それはそれで良かったのだと思っています。

 やはり、試験対策において、バイトは勧められるものではありません。しかし、やむを得ずバイトをしなければいけない事情の方もいらっしゃいます。そういう方は、それ相応の大変さが伴うことを心得ておいて欲しいと思います。決して、脅している訳ではありません。やはり薬剤師国家試験は、そう甘い試験ではないからです。大変なことを覚悟の上で、バイトをするという強い意志が必要になります。バイトをしながら合格したある塾生さん(女性)は、こんなことを合格体験記に書いています。

 

 私は今年以降、もう親には迷惑をかけられないとの決心のもと、バイトをしながら塾へ通っていました。授業が終わり教室の友だちが勉強しているのを横目にバイトへ行っていた為、周りの友だちより勉強時間が少ないことは自覚していました。

 薬進塾は復習を基本としており、そんな中で私が行った工夫は、どんなに眠くても、その日習った中で今後思い出せる自信のない箇所や苦手なところだけでも必ず復習してから寝ると決めていたことです。

 

 この塾生さんは、バイトをしているため自分の勉強時間は少ないのだと、しっかり自覚していました。だからこそ、どんなに眠くても、今後思い出せる自信のない所、苦手なところだけでも必ず復習してから寝ると決めていたのです。大変なことだと自覚したからこそ、『 どんなに眠くても、これだけは必ずやらなければならない 』という課題を、自分に課したのです。大変だけども乗り切るために自分に課題を課す。それ位の厳しさは、必要だと思います。

 バイトをしながら試験対策を…と考えている人は多いかもしれません。本来、試験対策としては両手を叩いて推奨できる…というような行為ではないのですが…。しかし、前出の合格された塾生さんのように、それ相応の事情があって、やむを得ない方がいらっしゃるのも確かです。バイトをしながら試験対策を行う人は、それ相応の覚悟を持って、その両立に取り組まなければなりません。それ相応の覚悟が必要になることは、肝に銘じておいて欲しいと思っています。そして私も『 バイトをしている塾生さんには、大変であることを十分に理解してもらいながら、合格へと向けた指導を行っていこう 』と、新人講師の頃には無かった想いを持って、指導していこうと思っている次第なのです。

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2017年7月13日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

人にした事は いつかは 自分に返る ~ 後編 ~。

 前回は、漫画家・西原理恵子先生のお祖父さんである〝徳松おじいさん〟のお言葉であるブログタイトル〝人にした事は いつかは 自分に返る〟について書かせて頂きました。

 前回書かせて頂いたのは…他の学生さんに嫌がらせをする学生さんは、私が知る限り、ほぼ間違いなく国家試験においていい結果を出せていないといった内容。他人に対して行った嫌がらせは、その時は『 してやったり 』と思うやもしれませんが、結果、『 国家試験結果で嫌な思いをする 』という形で返ってくるということ。そう、一時の腹いせと、本人は深く考えずに行っていたとしても、必ず何らかの形で、それは自分に返ってくるのです。そして、前回の締めくくりには『 私が勤めてきた職場でも、沢山の〝嫌がらせ〟を見てきました。では、その人達はどうなったのか? 』と書かせて頂いたのですが…。

 以前いた職場でのこと。私よりも年配のある講師(直接の上司ではなかったのだが…)。この講師を、仮にAさんとしておくが…。このAさん、新人講師に対して、やたら尊大な態度を取る。常日頃から、そういう態度である。そんな新人がミスをしようものなら、ここぞと言わんばかりに非難しまくる。聞いているこちらが、『 そこまで言う必要ないだろうに… 』と思うどころか、聞いていて不愉快になる位、激しく責めまくる。その後、おもむろに相手にしなくなる。まあ、わざとらしく関わりを避けるような態度を取るのである。もちろん、新人ばかりが対象ではない。そこそこの就業年数の職員に対しても同じ行為を行う。あえて言うならば、そこそこ就業年数のある職員に対しては、普段は普通に、時にはわざとらしい位、親密に接していたりするのだが…。やはり、チョットでもミスをすると、火がついたように責めまくる。Aさんが全く関わっていない仕事(つまりAさんは部外者)でのミスであっても、お構いなし。『 何でそんなに怒る必要があるんだろうか 』という位怒る。ましてや、普段はそれ相応に親しげに接している相手にである。そして最後は、相手に関わらないような素振りをこれ見よがしにする…。そう、お気づきになった方もいらっしゃると思うが、このAさんは『 自分に逆らえないような立場の人間に対して逆上する 』のである。新人は、長く務めているAさんに対し、当然ながら言葉を返すことは出来ない。長く就業していた人間とて、ミスをして、そのことを非難されれば、おいそれと反論することができるはずは無い。反論したり、言葉を返したら『 反省していない 』と取られるからだ。Aさんはそれを知っている。だから、反論できない相手に対して、逆上するのだ。そう、これはイジメ以外の何物でもない。叱責の名を借りた、嫌がらせ、イジメ以外の何物でもないのだ。かくいう私も被害になったことはあるのだが…人のミスに託け(かこつけ)、偉そうに、したり顔で下らぬ正論を述べていたのが忘れられない。まあ、そんな調子だから蛇蝎のごとく嫌われていたのだが…。退職する新人や職員が、辞める際に私に『 先生(私)が辞めるか、Aが辞める時は、私の代わりにぶん殴って下さい 』と4、5人から頼まれたことがある。言っておくが、まとめてきたのではなく、一人ひとり個別に頼まれたのだ。辞める時期も違えば、講師だったり職員だったり役職も違う人間。もちろん、男性もいれば、女性もいた。そんな色々な人物から『 私の代わりにぶん殴って下さい 』と頼まれるのだ。ある意味、凄い人間かもしれない…。

 人の人生は様々である。その人の生き方もあれば、価値観も違う。当然、幸せかどうかも、人によって異なるものである。だから、外部の人間がそれを評価するのは、いかがなものかとも思うのだが…。

 時折、Aさんの現状を耳にすることがある。上司、部下に関わらず、低頭に接しているにも関わらず、周りから疎まれているとのこと。日常生活においても今一つパッとしていないご様子。単刀直入に言わせていただけば、当時の勢いはどこへやらといった感じで、さみしい状況にあるらしい。まあ、傍から見ても、あまり楽しい人生ではないようである。私と関係を持たなくなる時点でも、周りからはかなり疎まれている状況で、私生活もパッとした状況ではなかったのだが…。以前、Aさんが『 自分の人生はこうしたい、こういう生き方を目指す 』と強気に語っていたことがあったのだが、それとは程遠い人生である。前述のように、人の人生は人のもの。どうであれ周りは関係ないし、その充実度は本人が決めるものである。しかし、公言していた人生と程遠いものとなれば、やはり本人にとっても不本意な状態といえるのではないだろうか?尊大な態度で、人のミスに託け、ここぞとばかりに人を叱責し、その後は徐(おもむろ)に関わらないような態度を示していた人間が、今や低頭な態度を取りながらも、周りから関わりたくないような態度を取られている。これぞ、まさに『人にした事は いつかは 自分に返る 』ではないだろうか?

 ご理解頂けるように、この結果は全てAさんに責任がある。どんな人間にもプライドがある。それを平気で踏みにじるようなことをする人間が、恨まれない訳が無い。自分より弱い人間、ミスをした人間を見つけては、平気で正論を述べながら、叱責という名を借りたイジメを行うのである。四面楚歌になるのも当たり前と言えば当たり前。しかし、そんな〝叱責という名を借りたイジメ〟など長く続く訳はない。新人はいつまで経っても新人ではない。いつかは、それ相応の地位になる。Aさん自身もミスをしないかというと、人間である以上何らかのミスはする。そうなった時、Aさんの立場はどうなるのか?あえて書くまでもない状況となるのは目に見えている。

 他にも色々な人間を見てきた。平気で嘘をつき、人に嫌がらせをしては笑っていたBさんという人がいた。人をはめては、意地悪そうに笑うあの顔は忘れられない。ところが、Bさんと仲良くしていた人達が辞める否や…やはり、職場で孤立し結果的に本人も辞めることになった。その後の話を時折耳にするのだが…仕事もプライベートもさっぱりとのこと。やはり『人にした事は いつかは 自分に返る 』のだろう。早いか遅いかだけであって、必ず返って来るように私には感じられる。何とも恐い話ではないか?

 しかし、本当に怖いだけの話だろうか?人にした事は、いつかは自分に返る…。単純に考えれば『 人に良いことをしてあげれば、それも返ってくる 』ということになる。確かに、こちらに関しても、私は沢山の事例を知っている。イヤ、むしろこちらの方が多いような気がする。いつも学生さんのことを親身になって考えて、気遣っていた職員が、誰もがうらやむ結婚をした。気の弱い学生さんを励ましながら、一緒に勉強していた成績の芳しくない学生さんが、2人そろって合格した。いじめられたいた学生さんを庇い、色々と相手をしてあげた学生さんが、今や数店舗の薬局を経営するまでになった。数え上げればきりがない。良い行いをした人は、確かに一時的には大変な状況に陥っても、最後にはいい結果を出している場合が多いようだ。やはり良い行いをすれば、遅かれ早かれ、それは自分の所に返ってくることになるのだろう。もちろん、『 自分の所に返ってくることを期待しての行為 』は、良い行いとは言えないことは言わずもがな。だが、やはり返ってくるなら〝良いこと〟の方がいいに決まっている。さらに…良いことをしたあとは気持ちがいいものである。ということは…良いことをすれば、良いこと尽くめということになる。こんなに目出たいことはない。

 人の邪魔をすれば、いつかは自分も邪魔される。人を悪く言えば、いつかは自分も悪く言われる。人の足を引っ張れば、いつかは自分も足を引っ張られる。人をバカにすれば、いつかは自分もバカにされる。人に優しくしてあげれば、いつかは自分も優しくされる。人を助けてあげれば、いつかは自分も助けられる。人を喜ばせれば、いつかは自分も喜ばせてもらえる。人を笑顔にすれば、いつかは自分も笑顔にさせてもらえる。なんとも、単純明快な理論ではないだろうか?善悪どちらにしても『人にした事は いつかは 自分に返る 』のだ。だったら、一時の腹いせや奢りに浸かるより、『 良いこと尽くめ 』の良い行いをした方がいいに決まっている。私は、そう思っている。

幸福になりたいのだったら、 人を喜ばすことを勉強したまえ。

M・プリオール(イギリスの詩人)

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2017年7月6日 | コメントは受け付けていません。 |

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