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対策とは何か?

相手の態度や事件の状況に対応するための方法・手段。(デジタル大辞泉より)

 

 つまり〝試験対策〟とは、『 試験の状況に対応するための方法・手段 』ということになる。先の文章では〝相手〟という文言が入っていることからしても、この言葉の意味が『 相手に対する自らの能動的な行為 』を指していることが伺える。つまり〝対策〟とは『 自ら行うもの 』ということである。

 私の実家は、寿司屋を営んでいた。つまり、私の父は寿司職人である。職人(料理人)である以上、今も昔も〝親方〟〝先輩〟の教えは厳しく、ある種絶対的なものがある。ましてや自らが作り出す料理こそが、自分を支える唯一の武器と言っていいのが料理人。それ相応の、厳しい環境で育っていくことは、言わずもがな。そんな厳しい板前の見習い時代の話を、よく父から聞かされたものだ。まあ、子どもの頃は分からずとも、年を取るにつれなんとなく理解できるようになり、今では共感できることの方が多くなっている。そんな父が話してくれたことに〝味付け〟の話がある。

 板前の見習いで入りました。将来は料理人になりたいです…と言ったところで、最初は厳しい下積みの仕事ばかり…まあ、そんなことは今も昔も同じなのかもしれないが…。父曰く『 味付けなんか、教えてもらえないからなぁ 』とのこと。当時、ある程度の年齢に至っていた私としては『 ? 』である。すぐにとは言わずとも、弟子というか見習いで入った以上、将来は料理人(まあ和食料理人だの、すし職人だの違いはあれど)になるのだから、それ相応の教えは受けるのではないだろうか?ましてや料理人志望である。一般的な味付けくらいは、教えてもらえるのではないだろうか?それを父に告げたところ…『 自分の味付けというのは、自分しか作り出せない味付けだからね。それだけで、何人ものお客さんを捕まえることが出来る、つまり料理人として食っていくことが出来るんだ。そんな味付けを、教えなんかしないさ。まあ、最低限の出汁の取り方なんかは、チョットは教えてもらえるけど…そこから先は自分でやらなきゃいけない 』。なるほどと思いながらも『 教えてくれないんだったら…じゃあ、どうやって味つけを勉強するの? 』と聞いたところ…『 見習いのうちは、お客さんが食べた後の食器洗いが担当なんだ。だから、下がってきた食器に残っているお吸い物やら、煮付けの汁やら、そういったものを自分で舐めて、どういう味付けなのか、どういう出汁を使っているかを確かめるんだよ 』との返答。『 そんなんで、出汁に何を使っているとか分かるの? 』と聞くと…『 それで分からない奴は、料理人としては残れないさ…親方や、先輩方は教えてくれないんだから… 』。〝弟子を育てる〟というからには、何気に色々と指導を受けるのかと思っていた私にとっては、センセーショナルな言葉であった。さらに、それに追い打ちをかけるように…『 先輩方も、それに気が付いてね。椀の中に洗剤をかけてから、俺たちに洗い物を出すようになったんだよ。これだと、味付けは分からなくなるからね 』と話し出す父。『 先輩方は、自分が作り出した〝味付け〟で料理人をやっている。それを食べに来てくれるお客さんがいるから、料理人としてやっていける。その味を盗られたら、自分たちは料理人としてやっていけなくなるかもしれないからさ… 』との父の言葉に、思わず納得する私。確かに、そうかもしれない…。しかし、何たる凄まじき、先輩方と見習いの〝味付け奪回攻防戦〟だろう。その凄さに感嘆するのもつかの間…そこで一つの疑問が浮かび、それを質問することに…。『 洗剤まで入れられたんじゃ何もできないじゃん…それで、どうするの? 』と聞く私に、父曰く。『 そりゃあ、こっちも考えるさ…仲居さん(お客さんに料理を運ぶ人)と仲良くするんだよ。そして、お客さんへ運ぶ途中の料理の味見をさせてもらうんだ。味見っていっても、料理に箸を入れて、その箸を舐めてどういう味か確認するだけなんだけどね 』とのこと。

 何という激しい〝味の攻防戦〟なのだろう。ある時は客の残り物を食し、ある時は仲間を作り、その味付けをモノにしようとする。そして、それを防ごうとする動き…しかし、やむをえまい。〝これから料理人として生きていこうとする人間〟と、〝料理人としてこれからも生き続けようとする人間〟の、まさに人生をかけた戦いなのだ。激しくなるのも、ごもっともな話である。

 料理人になろうと、弟子入りし、見習いから始める。しかし、肝心の部分は教えてもらえない。自分で何とかするしかない。それも、あの手この手を使って…。それだけではない。それ相応の妨害も入るのだ。それでも、それをクリアしていかなければならない。でなければ、料理人としてメシを食っていくことが出来ないからだ。果たして…薬剤師はどうなのだろう?

 薬剤師の世界も、何気に厳しい世界である。それを、ここで語る気はない。私が言いたいのは、薬剤師になる前、すなわち〝薬剤師国家試験対策に挑む〟 ということに関してである。薬剤師国家試験対策に取り組んでいる人間は、ある種〝薬剤師見習い〟と言える状態にあると思う。そこから、色々な知識を身につけ、晴れて薬剤師国家試験に合格した時こそ、〝薬剤師としてメシを食えるようになる〟からである(もちろん、すぐに〝使える薬剤師〟となる訳ではないが)。では…その〝薬剤師見習い〟と言える国家試験対策に取り組んでいる人には、前述の料理人のような大変さを乗り切るための、そして〝これから薬剤師として生きていこうとする人間〟としての、『 自分で何とかしなければいけない力・その覚悟 』があるのだろうか?私は、薬剤師国家試験対策において長く教鞭を執らせてもらっているが、その力と覚悟が、年々希薄になってきていることを、ひどく痛感している次第である。『 見習いなんだから、何とかしてくれる 』 『 薬剤師(前述の内容では料理人)にしてくれるのは当たり前 』 『 見習いなんだから、そこそこやっていれば薬剤師(前述の内容では料理人)にはなれるのだろう 』等々…そういう考え方の人が増えてきているのは、間違いなく事実である。

 先ほどの父の言葉に『 最低限の出汁の取り方なんかは、チョットは教えてもらえるけど…そこから先は自分でやらなきゃいけない 』というのがある。試験対策も、まさにこの通りだと思う。ブログ冒頭にあるように、そもそも〝対策〟とは『 自ら行うもの 』である。手取り足取り、第三者が何かしてくれるものではない。第三者が何かしてくれるのは、あくまでも〝最低限の部分〟だけでしかない。そこから先は、自分次第なのだ。自らが、何らかの手立てを講じていかなければならない。もちろん、薬剤師国家試験対策の場合、自らが動けば、それ相応の対応はしてもらえる。周りの人間や状況も、前述の料理人のような世界と比べ、協力的であることは間違いない(これが、前述の料理人見習いとの、大きな違いではあるのだが…)。しかし、やはり〝自らが対策を講じること〟これが必要であることも間違いなく事実である。そこの所をしっかりと認識して、試験対策に励んでもらいたい。そう思っている次第である。

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2017年1月23日 | コメントは受け付けていません。 |

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つくねと鳥団子は違う!

 私が酒好きで、居酒屋によくいくことは、当ブログで何度も書かせて頂いている。大人数で行くこともあれば、2~3人で行くこともある。もちろん、一人で行くこともある。一人で行った場合、当然、食べるモノに関しては、その注文は100%自分の意向に沿ったものとなる。大人数で行った場合、飲みモノに関しては確かに自分の飲みたいものを注文することが出来るが、食べ物に関しては〝自分が食べたいもの〟だけを注文するという訳にはいかない。しかし一人で飲みに言った場合は、自分の好きなものを、好きなだけ注文することが出来る。こんな贅沢なことはない。ある意味、至極の時を過ごせると言っても決して過言ではないと思う

 一人で行く店は、大体決まっている。当然、注文するものも、いつも大体同じものである。まあ、新しく行った店でも、注文するものは、さして変わらない場合が多い。居酒屋にあるメニューは、ほとんどが居酒屋定番メニューであるのだから、注文するものが同じようなものになってしまうのも、致し方のないこと。もちろん、好きな食べ物があれば、必ずと言っていいほど注文する事にはなるのだが、好きであってもおいそれとは注文しない食べ物がある。それが〝つくね〟である。

 これほど、店によって味に開きがある食べ物も、珍しいのではないだろうか?『 好きであってもおいそれとは注文しない 』と前述させて頂いたが…つくねの味に関しては『 ? 』となってしまうお店が、圧倒的に多いのだ。残念な結果になる場合が多い以上、やはり『 好きであってもおいそれとは注文しない 』という結果になってしまうのは、至極当然のこと。『 美味しいな!ここの、つくね! 』というお店が、ほとんどないのが現状である。

 先日、初めて入ったお店でのこと。ちょうど、調理場前のカウンターに座ったのだが…。初めて入ったお店ではあったが、なかなか料理がおいしいと評判のお店。実際、姉妹店での料理のお味は上々。ならば…ということで、初めて入ったお店ではあったが、つくねを注文することに。で、出てきた焼きたてのつくねを食べてみたのだが…少々残念な結果となってしまった。お味の方は今一つ…イヤ今二つくらいであろうか…。まあ、よくあるお味だと、少々残念に思いながら、レモンサワーを口に運びつつ前を見ると…。目の前の料理人が、袋から何やら出して串に刺しているご様子。何をやっているのかと袋を見ると…大きな透明袋の真ん中にオレンジ色で鶏と思しきイラストが…。そしてその下には『 鳥団子 』の文字が、やはりオレンジ色で施されている。えっ?鳥団子を串に刺している…もしやと、自分の皿にあるつくねに目をやると…同一である。目の前で、料理人が作成している〝鳥団子が串に刺さっているモノ〟と、私の皿の上に乗っかっている〝つくね〟は、寸分違わず、同じものである。ここのお店では、〝鳥団子〟を〝つくね〟と称して出していたのか?

 『 つくねと鳥団子って同じものだろ? 』という方もいらっしゃると思うが…。〝つくね〟を調べてみると、『 鶏肉や豚肉のひき肉、たたいた魚肉などに鶏卵・片栗粉などをつなぎに加え、よくこねて丸めたもの(大辞林) 』とある。ほう、コレは驚きである。魚肉の場合も〝つくね〟という場合があるらしい。閑話休題。では、鳥団子はと調べてみると…肉団子はあるが、鳥団子というのは説明されているものが少ないようである。調べた結果から統合的に考えると、『 ひき肉を丸めて調理した食品(デジタル大辞泉) 』を肉団子といい、その肉が鶏肉の場合を、鳥団子と言っているようである。『 魚を用いた場合は〝つみれ〟、鶏肉を用いた場合を〝つくね〟、豚や牛の場合は〝肉団子〟と呼ばれる場合が多いですよ 』と紹介してある所もある。豚や牛の場合は〝肉団子〟、鳥肉使えば〝つくね〟…。よって、つくね=鳥団子…いいや、この方程式は間違っている!式として、結果的には成り立っているのかもしれないが、この方程式は絶対間違っている!つくねと鳥団子は別物である!あくまでも私の中では…。

 私がつくねを注文するお店(=つくねの美味しいお店)は、全て手作りのつくねを出すお店である。だから、形も歪なところが多い。でも美味しい。硬くなく、ホコホコとしている。そして、野菜や鶏肉の味のコラボが、何とも言えない旨味を醸し出している。そう、筆舌しがたいオリジナリティー溢れる味わいがあるのだ。それは当然であろう。手作りなのだから。手作り…もしかすると、ここに謎を解き明かすカギがあるのではないだろうか?

 手作りつくねは、お店の人が『 つくねを作ろう 』と思って作られる。だから〝つくね〟なのだ。鳥団子の袋に入っているのは、〝つくね〟ではなく〝鳥団子〟なのである。〝つくね〟は〝つくね〟として生み出されるものであり、〝鳥団子〟は〝鳥団子〟として生み出されるものなのだ。だから、作っているお店の人が『 〝つくね〟ではなく〝鳥団子〟ですよ 』と言えば、それは〝鳥団子〟になってしまうのだろうが、そんなお店は一度も経験したことはない。どのお店も〝つくね〟として作って〝つくね〟として売っている。これが、〝つくね〟と〝鳥団子〟の、一つの違いではないだろうか?

 確かに〝業務用つくね〟として販売されているモノもある。しかし、お店の人が手作りで『 美味しい〝つくね〟を作ろう 』として生み出された〝つくね〟の方が、〝つくね〟としての存在価値が大きいように思える。その存在価値こそが、味の違いに出るのではないだろうか?何事も魂込めて作ったものというのは、そうでないものとは一線を画するものとなるというのは、言わずもがなである。まあ、例え鳥団子であっても、美味しければ何も問題ないし、それはそれで大いに結構なのだが…。やはり、〝つくね〟として注文した以上、〝つくね〟として生まれてきた、美味しい〝つくね〟を食べたいな…そう思っている次第である。

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2017年1月9日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

明けまして おめでとうございます。

謹賀新年

 皆様におかれましては、お健やかに新春をお迎えのことと存じます。
旧年中は一方ならぬ御高配にあずかり誠にありがとうございました。
今年も何卒ご指導、ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
皆様に益々ご繁栄がありますよう心よりお祈り申し上げます。

  平成29年 元旦

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2017年1月3日 | コメントは受け付けていません。 |

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