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悪いことは去る(猿)! 幸せを取り(鳥)に行く!

 残すところ、今年も後わずか…という月並みと言うか、お約束と言うか、毎年この時期になると発せられるこの言葉。あまり人並な言葉は発したくない性質である私としては、出来る限りこの言葉は発したくないのだが…。やはり、お約束のモノなのだろう。

 そして1年の経つのが何と早いことか…これも、この時期にはお約束の言葉。実はこのブログを書くにあたって『 昨年末のブログは、何という内容だったかな… 』と、デスクトップ上にあるブログのフォルダーを調べたところ…〝「 あけおめ。ことよろ 」に言霊は宿るか?〟というタイトルのブログを目にしてビックリ。今年2番目に書いたブログ?…今年2番目…。私としては、つい最近…とまではいかなくとも1、2カ月前くらいに書いたようにしか思えないブログである。そんなに経ったのか?とうことは、アノ居酒屋に行って件の出来事に出くわしてから、一年近く経つということになのか?う~ん…どう考えても1、2ヵ月くらい前にしか思えない…。

 アインシュタインの特殊相対性理論では、時間は絶対的なものではなく、人によって『 早いか・遅いか 』が異なる相対的なものであると説いている。

 

 熱いストーブの上に一分間手を乗せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです。 

 

 というのは、アインシュタインが特殊相対性理論について語った言葉。〝言い得て妙〟とは、まさにこのこと。非常に分かりやすく説いている。やはり天才と呼ばれる人間は違う。閑話休題。熱いストーブの上に手を載せると時間は長く、つまりそのスピードは遅くなる。かわいい女の子と一緒に座ると時間は短く、つまりそのスピードが速くなるという事である。つまり当人、にどんな出来事が起こっているかで、時の進みは異なるということになる。言いかえれば…何か事があれば、時間の進み方は変わってくるということになる。確かに、何もやることが無くヒマであれば、時間が進むのが遅いということは、賢明なる読者の方にはお分かり頂けることだと思う。

 人によって時の流れは違う。ご存じのように、この〝人〟という言葉。〝個人〟として捉える場合と〝集団〟として捉える場合の2通りがある。この〝人〟という言葉を〝集団〟として捉えた場合。その集団によって、時の流れ方は違うことになる。〝個人〟としてではなく、人の集団として〝日本人〟というものを捉えた場合、日本人にも日本人なりの時の流れがあるということになる。果たして、その時の流れは…。2016年の日本という国を見た場合、色々とドタバタしていたように思える。1月には芸能界で色々なドタバタが起こり、それは今もって尾を引いている。逆を言えば、1年間、その話題に振り回されたというか、四六時中その話題が取り上げられていたということである。オリンピックで盛り上がった一年でもあるが、その盛り上がりと同じ位、ドタバタがあったことも事実である。エンブレム問題、新国立競技場の聖火台問題、果ては会場からその費用まで、これも1年間、四六時中取り上げられていた話題であることは間違いない。もちろんオリンピックを行う〝東京〟の長である都知事が変わったこともドタバタの一つ。新しい都知事の動向に、政界の方でもドタバタが起こっているであろうことは、誰の目にも明らかな事である。他にも〝ドタバタ〟を上げればキリがない。今年一年、日本中がドタバタしていたのは間違いないことである。そんなドタバタの中で過ごしてきた日本人という、人としての〝集団〟。これだけ事が起こっていれば、そりゃあ時の流れが速くなるのも、致し方の無い事ではないだろうか?

 〝ドタバタ〟には『 あわて騒ぐさま(大辞林より) 』という意味がある。もちろん『 厄介なこと 』で慌て騒ぐことがほとんどであるが、中には『 喜ばしいこと 』が起こって慌て騒ぐこともある。そう、確かに悲しい、そして厄介なドタバタは多かったが、喜ばしいことが無かった訳ではないことも事実である。実際『 2016年はいい年だった 』という人もいるのだから…。

 2016年が悪い年だった人も、いい年だった人も、その2016年があと僅かであることは間違いない事です。そして時は酉(鳥)年に向かっています。すなわち、これから酉年という新しい年に行くのです。2016年の干支は申(猿)。この干支が示すように、2016年はもうすぐ『 去る 』なのです。2016年が悪い年だったという人。その悪い年は、もうすぐ去るのです。そして、新しくやってくる2017年の干支は酉(鳥)。この干支が示すように、2017年は『 幸福を取りに行く・幸せを取りに行く 』年なのです。そう『 これから2017年に行く→酉(年)に行く 』とうことは『 幸福を取りに行く・幸せを取りに行く 』ということなのです。そして、第102回の薬剤師国家試験を受験する方が、是非とも『 薬剤師国家試験の合格を勝ち取り、薬剤師になる 』『 薬剤師免許を取り、薬剤師としての第一歩を踏み出す 』年であるよう、心より祈っている次第であります。

 薬進塾も今年は色々な事がありました。しかし、塾生さんも集まり、ベテラン講師陣が腕をふるい、教室には活気があふれていました。少人数ということもあり、講師・職員と塾生さんの距離もちょうどいい感じで、和気あいあいと試験対策に臨むことが出来ました。

 2016年も残すところあとわずか。皆様におかれましては、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 本年は格別のご愛顧を賜り、まことに有難く厚く御礼申し上げます。 来年も、より一層のご支援を賜りますよう、薬進塾一同、心よりお願い申し上げます。

 

では、皆さま、よいお年を!

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2016年12月27日 | コメントは受け付けていません。 |

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タバコを焚くな!

 『 タバコを吸うな! 』ではない。『 タバコを炊くな! 』である。ちなみに、〝焚く〟とは…

燃料を燃やす。また、火にくべて燃やす。火をつけて香をくゆらす。

(デジタル大辞泉より)

である。

 以前からずっと気になっていたのだが…先日、昼食を取っていた時のこと。私の傍のテーブルに、年配の男性が一人座っていた。私は注文を終えたばかりであったが、その男性は既に食事を終えていたらしく、新聞を読んでいたのだが…その男性のテーブル上の灰皿には、煙を燻らせる吸いかけのタバコが…。どうやら、男性は新聞を読むことに没頭しているようなのだが…その間も、灰皿の上のタバコを深々と煙を吐き出し続けている。煙というものにはテリトリーというか、縄張り意識などというものは全く無い。好き勝手に動き回るのだから困ったものである。当然、こちらのエリアにも侵入してくることになるのだが…私は喫煙者ではない。だからこそ、タバコの煙は、なおかつ困ったものになってしまうのである。

 私は何も『 タバコを吸うな! 』と言っているのではない。法律で決められた嗜好品である以上、それを嗜むことに何ら問題はない。ましてや、そのお店は〝喫煙可〟のお店である。そこのお店が『 タバコを吸っていいですよ 』明言しているのだ。そのことに対し、お店を利用している私が、どうこう言う権利はない。それが嫌ならば、そのお店を利用しなければいいだけの話である。喫煙可のお店を利用するということは、当然ながら、『 喫煙されている人がいることは認識していますし、喫煙されることに関して何ら問題はありませんよ 』ということを暗黙のうちに了承していることになる。だから、タバコを吸っている人がいたとて、何もいう気はないし、それはそれで致し方の無いことだと思っている。

 私が言いたいのは『 タバコを吸うな! 』ではなく、『 タバコを焚くな! 』という事である。前述の年配の男性。新聞を読むのに御熱心なのか、タバコはほとんど吸っていない。まあ、何回か口には運んでいたようではあるが、とてもではないが『 タバコを吸っている 』と言える状況ではなかった。もちろん、男性が新聞を読んでいる間も、タバコは煙を吐き続けている。そして、その煙は私の所へもやってくる…。新聞を読むか、タバコを吸うか、どちらかにしてもらいたい。若しくは、吸うなら吸うできちんと吸って欲しい。どう考えてもやっていることは『 タバコに火をつけて放置しているだけ 』『 タバコに火をつけて煙を出しているだけ 』なのである。そう、『 タバコを焚いている 』のである。

 思うのだが…タバコがもったいなくは無いのだろうか?私は、非喫煙者であるのでよく分からないのだが、タバコといえどもお金を払って購入しているものである。〝1本いくら〟という価値があるはずである。それを、ほとんど吸いもせず、燃やしてしまっているのだから、コレを持ったいないと言わずして何がもったいないのであろうか?言い方は少々乱暴になるが…お金を払い購入したモノをただ燃やして損をするのは、当人だけだからいいかもしれないが、残念ながらその煙によって被害を被っている人間がいることを忘れないで欲しい。

 〝吸う〟のは構わない。しかし〝焚く〟のは止めて欲しい。しかも、今回の様な事を何度も経験しているのだ。最近は、食後、ご多分にもれずタバコを焚きながら、スマホに夢中になっている人をよく見かける。スマホをやっている場合は、ほとんどと言っていいほど、タバコを口元に持っていくことはないようである。火を付けたはいいが、スマホに夢中になり、1本丸ごと燃やして吸えなくなってしまった…そんな状況を見たことも、一度や二度ではない。『 もったいないことするなぁ 』という思いと同時に、吸ってからスマホをやるか、スマホをやってから一服するか、どちらかにすればいいのに…と思ってしまう。本人は『 俺のタバコだ。どうしようが俺の勝手だ 』と言うかもしれないが、その煙をこっちは半ば強制的に吸わされているのである。〝喫煙することによる煙〟は、まあ我慢しよう。前述のように、喫煙可のお店に入った以上、それは覚悟の上である。しかし〝喫煙していない煙〟となると、こちらとしても、それを吸わされるのは何か違うような気がする。タバコを吸うことはその人の嗜好であり、それに対してどうこう言う気はない。しかし、〝タバコを焚く〟事に関しては、一体、その煙は何なのだろうと考えてしまうのだ。当人も吸ってはいないのだから、全くもって無駄な、何一つ必要性のない煙である。イヤ、それどころか〝副流煙〟というれっきとした〝有害な煙〟なのだ。ブログ冒頭では〝焚く〟とは『 火をつけて香をくゆらす 』あるが、とてもじゃないが〝香〟などと呼べる代物ではない。そんな煙に対し、こちらは迷惑を被っているのである。やはり〝タバコを焚く〟という行為は、大いに問題がある行為なのではないだろうか?

 今回の〝タバコを焚く〟ことに関する一件。別に何らかのルールを破っている訳ではない。禁煙のお店でタバコを吸っているのなら、いざ知らず、喫煙可のお店でタバコを吸っているのだ。ルールを遵守していることに間違いはない。しかし…〝喫煙〟というのは『 タバコを吸う(大辞林より) 』ことである。今回の一件は『 タバコは吸わずに、タバコを焚いている 』のである。これは、やはりチョット問題ある行為のように思える。タバコを焚いても、誰の益になる訳ではない。むしろ、害となっている人間がいるのである。ましてや、せっかく購入したタバコを〝燃やすだけの代物〟にし、周りにも迷惑をかけているかもしれないのだ。タバコももったいないし、周りにも迷惑をかけているかもしれない。そんな〝タバコを焚く〟という行為。ぜひとも止めてもらいたい。そう、心より思っている次第である。

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2016年12月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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サワー考

 私が酒好きで、居酒屋によく行くことは、当ブログご愛読の方は勝手知ったること。ちなみに、私は酒好きであるが、酒を飲む場所にもこだわりがある。そのことは、以前のブログ〝居酒屋考〟で書かせて頂いた。その中では、あまり詳しく触れなかったのだが、私は基本的に〝居酒屋〟や〝焼き鳥屋〟で飲むのが好きである。小料理屋や日本料理のお店となると、今一つしっくりいかない。おそらく、ちょっと(中には凄く)高めの値段設定や高級感ある雰囲気が合わないのだろう。庶民的…というよりも、気取らず・気遣わず酒を飲めるところが、やはり落ち着くのである。蕎麦屋や寿司屋で飲むというのも、なぜか落ち着かない。こちらは『 酒を飲む 』というより『 ご飯を食べる 』という認識の方が強くあるため、今一つ落ち着かないのだと思う。やはり、腰を据えて酒を飲むなら、『 酒を飲むことだけに特化した所 』の方が、落ち着いて飲むことが出来るよう思える。ちなみに…そういった理由から、横にお姉さんが付くお店も正直苦手である。そのお姉さんがキレイであろうが、可愛くあろうが、所詮は初めて会ったばかりの他人。そんな人が横に座っているというのが落ち着かないのである。まあ、初めて会ったばかりの他人と楽しく会話してお酒を飲める人を、私は尊敬してしまうのだが…尊敬と同時に『 何故そんなことができる? 』という疑問も生じてしまうことになる。

 閑話休題。居酒屋で私が頼む飲み物は、最初に中ジョッキ。その後は、ずーっとサワーである。まあ、ほとんどがレモンサワーであるが…。このレモンサワーというのも、店によって違うから注意が必要である。レモンサワーは酸味があってサッパリしている。だから、食べ物との相性がいい。ところが…お店によってはレモンサワーでも、かなり甘味が強いものがあったりする。すると、私的には今一つ料理との相性が悪くなってしまう感がある。口の中が甘ったるくなってしまい、料理の味が今一つ生きてこないよう思えるのだ。だから、料理がおいしい居酒屋でも、レモンサワーが甘いと…自然、そのお店へは足が遠のくことになってしまう。『 他のお酒を飲めばいいんじゃないの? 』と言う方がいらっしゃるかもしれないが、確かに私もそう考えて、焼酎のお湯割りやら、チューハイを注文しては見るのだが…やはり、今一つしっくりいかない。気のせいか、レモンサワーが甘いお店は、他のお酒も今一つ…といったところが多いよう思える。

 実際、レモンサワーがおいしいお店では、レモンサワー以外のモノも頼むことは多い。やはり、スダチサワーやシークワーサーサワーなどの柑橘系類が多い。最近はクエン酸サワーがお気に入りである。このクエン酸サワー、名前の通りクエン酸がベースとなっているのだが、以前から何かとよく注文していた品である。『 以前から何かとよく注文していた 』と書かせて頂いたが、過去形となっている。つまり『 最近はあまり注文していない 』ということなのだが、その理由は…クエン酸サワーを置いている店が少ないのである。もしかすると、このブログを読んでいる方の中には、クエン酸サワーが初耳の方もいらっしゃるかもしれない。そう、あまり聞きなれないというか、サワーとしてはまだまだ市民権(?)を得ていないサワーといえよう。その市民権が得られない大きな理由の一つが『 置いてある店が少ない 』ことだと思う。

 一般的な居酒屋においてあるサワーの種類は、5~6種類位ではないだろうか。ちょっとしたチェーン店だと20種類近く置いてあるお店もあるが、どちらかというと〝サワー〟というよりは〝ジュースにアルコールがチョコット入った飲み物〟といった程度のもの。私が好むタイプの居酒屋だと、5種類くらいしか置いていないお店がほとんどである。〝○○サワー&○○ハイ〟で、合計5~6種類といったところだろうか。ちなみに、〝○○サワー〟〝○○ハイ〟の違いであるが…諸説あるが、一般的に『 炭酸が入っている焼酎ベースのお酒がサワー、炭酸が入っていない焼酎ベースのお酒がハイ 』とされている。まあ、厳密な線引きはないようだ。私も大変お世話になっているが、東京・目黒の老舗飲料メーカー博水社さん。焼酎を割るための〝ハイサワー(炭酸入り)〟という商品を販売している。私も愛飲させてもらっているのだが…この商品など〝ハイ+サワー〟である。謳い文句に『 おいしいサワーやチューハイが作れる 』とある。老舗飲料メーカー博水社さんが、炭酸が入っていても〝ハイ〟と言っているのだ。炭酸ありきで〝ハイ〟か〝サワー〟かの線引きが出来ないということである。まあ、名称の線引きよりも『 美味しいかどうか? 』が酒飲みにとっては重要なことである。おそらく博水社さんも『 そんな細かい線引きは横に置いておいて、美味しいお酒を飲みましょうよ 』と言っているのだと思う。あくまでも私の個人的見解ではあるが…酒飲みとはそういうモノである。美味しい酒が飲めればそれでいいのである。理屈よりも美味い酒が飲めるかどうか?これが酒飲みの根底にある理論である。

 サワー一つとっても、こんなに色々なことが書けるのである。イヤ、私としてはまだまだ書き足りないくらいだ。おそらく、後日、またサワーのことについて書くことになるであろう。サワー一つとっても、やはり奥深いものがある。サワーを見ながら、そんなことを考えて一杯やっている昨今なのである。

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2016年12月15日 | コメントは受け付けていません。 |

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〝薬剤師として働くことが出来ない人〟が増えてきている。

 大変な努力をして大学生活を終え、一生懸命勉強して卒業試験をクリアして、更なる勉強を重ね、念願の薬剤師国家試験に合格。晴れて、薬剤師として働くこととなったのですが…薬剤師として働くことが出来ない人がいます。私が知る限り、そういう人が年々増えてきているような感があります。ちなみに…これは『 病気や家庭の事情で働くことが出来なくなった 』という類の話ではありません。『 薬剤師としての技術が身に付かず、働くことが出来ない 』といった話でもありません。『 職場において、働くことが出来ない人が増えてきている 』という話なのです。

 薬局や病院の方、大学の先生から、昨今、晴れて薬剤師にはなったものの、働く環境、すなわち職場のルールに沿うことが出来ずに職を離れる人が多いといった内容の話を、よく聞かされます。ルールというと堅苦しい感じがするのですが…。実際、お話を聞くと、〝職を離れた方が沿うことが出来なかったルール〟というのが、さほど大きなルールではないことがほとんどなのです。〝遅刻をしない〟〝返事をする〟〝汚したら掃除する〟〝開けたら閉める〟〝連絡をする〟等、むしろ社会人としては当たり前の行為のように思われることばかりなのです。まあ人間ですから、そこらへんが上手く機能しない状況のこともありますし、その人の短所として許される範囲でお目こぼしされる場合もあります。しかし、何事も限度を過ぎると、お目こぼしされることが無くなるのは世の常。『 それは違うんじゃないの? 』と注意を受ける結果になってしまいます。

 どうも〝さほど大きなルールではないルール〟を守らない人の特徴として、『 そのルールに抵触することをしているのに、本人はさほど気にしていない 』という場合が多いようです。注意しても『 はぁ… 』という、何とも頼りない反応が返ってくることが多いとのこと。確かに、私が見てきた学生さんの中にも、そういった学生さんはチラホラ見受けられました。遅刻して注意しても、本人はいたって悪気無しという感じで、しまいには『 それ位で目くじら立てるな 』的な反応を示す学生さんも。これを、前述の薬局や病院の方、大学の先生に話してみると、『 そうなんですよ 』といった共感の反応が返ってくる状況。やはりどこでも苦労しているんだなと、しみじみ感じてしまいます。〝返事をする〟〝汚したら掃除する〟〝開けたら閉める〟〝連絡をする〟ということは、『 ルールに沿う 』なんて言うほど、大きく厳正なるモノでもないと思うんですが…もちろん難しいこととも思えません。さらに、注意をすれば『 それ位で… 』的な反応を取るとなれば、どうしたものやら…薬局や病院の指導の方が困ってしまうのも、至極当然のことだと思います。

 そのルールに対して『 私の考え方・やり方と違う 』と不平・不満を言ってくる方も、昨今多いとか…。まあ、遅刻したことに対し注意された時、『 それ位で… 』という反応を示してしまうこと自体、ある種、不平・不満を言っているのと同じこと。よは『 私の考え方・やり方では、今回の遅刻は云々… 』といった自己理屈があるのに注意された。それに対するマイナスの反応なのですから、不平・不満とさして変わらないと思います。マイルールを持つのは構いませんが、前述のように社会には社会の中のルール、職場には職場のルールがあります。優先されるのは、やはり社会で生きているからには、職場で働いているからには、そちらのルールが優先されなければなりません。マイルールに合わないからと不平・不満を言ったところで何も変わりません。もちろん、マイルールありきで職場のルールを破った時、注意されたからといって逆ギレしたところで、これまた何にもなりません。ましてや〝返事をする〟〝汚したら掃除する〟〝開けたら閉める〟〝連絡をする〟という大きく厳正なるモノではない、社会人として常識的ルールならば、従わなかったり不平不満を言う方が、人間性を疑われてしまうことになりかねません。不思議な事に、従わなかったり不平不満を言う人に限って、『 別に私は悪くない 』と考えてしまう傾向にあるようです。そして…ルールに抵触する→注意を受ける→不平・不満を言う&反抗的な態度を取る→そのことに対して注意を受ける→…と悪循環に陥ってしまう場合が多いようなのです。

 そんな悪循環が繰り返されると…『 この薬局(or病院)は合わないんで… 』と退職されていく方が多いそうです。どうも『 (薬剤師の)免許があるんだから、どこの薬局でも行けるし、働ける場所はある 』という考え方が根底にあるみたいなのですが…結局は、そういう人はどの薬局に行っても、どの病院に行っても長くは続かないそうです。気がつけば、どの薬局にも、どの病院にも勤めることが出来ない状況に…。そう、これがブログタイトルにある〝薬剤師として働くことが出来ない人〟なのです。

 社会のルール、職場のルールが全て間違いなく、正しいとは言いません。世の中には支障のあるルールも存在するからです。でも、前述の〝大きく厳正ではないルール〟は、至極ごもっともなルールだと思います。そのルールがマイルールに合わないからと言って、従わなかったことに注意されたからと言って不平・不満を言ったり、逆ギレしたところで、物事は何も進みません。せっかく薬剤師になれたのですから、マイルールはチョット横に置いておき、〝大きく厳正ではないルール〟に従って、活躍してみてはいかがでしょうか?そちらの方が『 免許があるんだから、ココでなくとも… 』というより、よっぽど薬剤師免許を有効に活用していることになると思うんですが…。

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2016年12月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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