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You have to learn to walk before you can run.

 意味は『 走る前には、歩くことを学ばなければならない 』。薬進塾ブログ史上2回目の英語のタイトル(ちなみに一回目は〝Slow and steady wins the race.〟というブログタイトル)。このタイトル、英語の諺(ことわざ)なのですが、どうやらこの諺とセットで、もう一つ諺があるようで。

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You have to learn to crawl before you can walk.

歩く前には、這うことを学ばなければならない。

 

つまり…『 走るためには、歩くことを学び、歩くためには、這うことを学ばなければならない 』ということ。そう、一つのことを成すためには、それ相応の順序というものがあり、基礎から一つ一つモノにして次の段階に進まなければならなりません。おいそれと一足飛びにはいかないものなのです。

 8月29日より、我が薬進塾には半年コースの塾生さんが加わり、新たに〝国家試験対策講座(8月29日~11月27日)〟が始まることとなりました。ホームページでご存知の方も多いと思いますが、27日(土)には、半年コ-スの塾生さんのみを対象とした学習指導が、5時間近くかけて実施されました。もちろん、一年コースの塾生さん達にも、基礎講座(5月30日~8月28日)の終わりには、しっかりと〝しめくくりの学習指導:今後の学習指導〟を行った次第です。この2つの学習指導の中で、私が声を大にして言ったことが『 1日1日を大切にしなさい。その日その日の積み重ねが、学力向上につながるのです 』ということ。そう、前述のように学力向上も一足飛びにはいかないものなのです。

 何気に学生さん達は、〝一足飛びの学力向上〟を狙います。それ相応の手順を踏まないで、ポーンと学力が向上することを望みます。下手をすれば、それが試験対策だと思っている方もいらっしゃいます。確かに、ある程度の学力までは、簡単に伸ばすことが出来なくはありません。しかし、あくまでも〝ある程度〟までです。残念ながら、国家試験合格へたどり着くほどの学力には、とてもじゃないけれど到達していない〝ある程度〟までです。言うまでもありませんが、これでは試験対策の役には立ちません。国家試験合格へと到達する学力を得るためには、それ相応の段階を経なければならないことは言うまでもありません。物事を成すためには、順序というものがあるのです。何事においても、真の実力をつけるためには、時間をかけて、基礎からしっかりとした手順を踏んでいかなければなりません。そう、『 走るためには、歩くことを学び、歩くためには、這うことを学ばなければならない 』のです。

 〝手順〟とは『 物事をする順序。段取り(デジタル大辞泉より) 』とあります。まさに『 走るためには、歩くことを学び、歩くためには、這うことを学ばなければならない 』ですね。国家試験の問題1つ解くための学力を得るのにも、それ相応の手順が必要になります。いきなり、問題を解くことはできません。問題を解くためには、問題を解くだけの学力を身につけていかなければなりません。『 身につけていかなければならない 』のですから、一足飛びにはいかないのです。基礎から順を追って、それ相応の学力の段階を経て到達していかなければならないのです。『 ◎◎を解くためには、○○が出来るようにならなければならず、○○が出来るようになるためには、□□をを学ばなければならない 』といったところでしょう。一見無関係とは思われる基礎的な知識が、実は大きな問題を解くための礎だったりする。そんなことはよくある…イヤ、それこそが試験対策の本質であるといっても過言ではありません。基礎的な知識の積み重ねこそが、試験対策の本質であり、『 基礎的な知識を如何に積み重ねたか 』こそが、学力と言えるのです。学力向上には〝基礎を積み上げていく手順〟が必要不可欠なのです。

 どういうわけか、その〝基礎的な知識の積み重ね〟を嫌う学生さんが増えているようです。『 こんなことやったって、問題は解けないだろう 』『 こんなこと覚えたって、国家試験には関係ないだろう 』と、基礎的な知識の習得を軽んずる方が、昨今、多いように見受けられます。誰もが知っているイチロー選手。彼はこんなことを言っています。

 

 高校のときに3年間寮に入っていて、寝る前に一日10分だけ素振りをしていました。その10分の素振りを1年365日、3年間続けました。これが誰にも負けていないと思える僕の練習ですよ。

 

 バッティングの基本中の基本が素振りであることは、誰もがご存知の事。でも『 打てるようになりたい 』と尋ねた時『 素振りをしなさい 』と言われた場合、果たして何人の人が納得するでしょうか?『 そんなことは分かっています 』とか『 イヤ、すぐに打てるようになりたいんですよ 』なんて言うことを口にするのではないでしょう?確かに、素振りを始めても、それがすぐには結果として現れることはないでしょう。やはり積み重ねが必要になるからです。しかし、それを続け積み重ねたたからこそ、イチロー選手はあのような偉業を成し遂げることが出来たのではないでしょうか?1日10分、1年365日、3年間…3年間でおよそ182時間以上、日数にして7日以上の素振りをしたことになります。182時間素振りをする。そんなことを一気にできる人はいないでしょう。しかし、イチロー選手のように、10分間でいいからそれを毎日続ければ、可能なのです。そして、それが、偉業を生み出すことへとつながるのです。毎日毎日の基本の繰り返し。基本の積み重ねで得られていく力。そう、何事においても、真の実力をつけるためには、時間をかけて基礎からしっかりとした手順を踏んでいかなければならない…『 走るためには、歩くことを学び、歩くためには、這うことを学ばなければならない 』のです。

 中国には、次のようなことわざがあるそうです。

 

山を動かす人は まず小石を動かすことから始める。

 

国家試験合格という大きな山を動かすために、基礎という小さな小石を動かすことから始めてほしい。塾生達には、そう所望している次第なのです。

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2016年8月30日 | コメントは受け付けていません。 |

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楽しめない男

 学生時代の頃。世界的にも、かなり大がかりなイベントがあり、そこを学外実習として往訪する機会があった。まあ、学外実習とは名ばかりのレクリエーション的なもので『 皆さんで楽しんで下さいな 』といった趣向のもの。バスに揺られて数時間。目的地の会場について目にしたものは『 おおっ!さすが国家的プロジェクト! 』と言わんばかりのパビリオンの数とその規模。入場する前から、胸躍るものがあった。

 いざ入場し、『 さあ、どれから入ろうか… 』などと考えていたのだが…なかなか行動が出来ない。というのも…一緒になったグループの男性。口から出てくる言葉は愚痴ばかり。観覧車を見れば『 あんな物乗って何が楽しいの?「すごいだろ」とかいって乗せて、金取るためのいい手段だぜ 』。パビリオンを見れば『 あんなんで入場料○円だぜ。いい金儲けだよな。作った方は「こういうの作っておけば、バカが金払うんだよな」って笑ってんだよ 』。イベントのグッズを見れば『 あんなの元手でタダみたいな値段なのに、買うやつバカだよな。売っている方は「バカだなぁ」って笑ってんだぜ 』、etc…。しまいには『 学校主催で来たんだから、学校が金を払って俺たちがパビリオンに入るのを無料にすべきだよな(もちろん、イベント入場料は学校もちで、我々は一銭も払っていない)。授業料取っているんだから、それ位するべきだろ 』等とほざく始末。まあイベントの一つに対し、よくもこんなに罵詈雑言が出てくるなと驚くほどの毒の吐きよう。しかも、お気づきのように、すぐに〝値段〟というか〝お金〟の話を出してくる所が、何とも卑しさを感じるところ。確かに、言っていることは間違いではないのかもしれない。チョット割高の料金だったり、いささか高いようなモノの値段であったりするのは確かだ。しかし、イベント事とはそういうものではないだろうか?件の彼はもっともらしくそれを語っているが、そんなことは誰もがご承知のこと。それでも、その金額を払うのは『 そのイベント事を楽しむため 』ではないだろうか?

 そう、楽しむため。例え、一般的な状況と比べた場合、高いと思われる値段であっても、そこでしか得られない楽しみを得ることが出来るなら、その値段を払う。前述のように、イベント事とはそういうものではないだろうか?確かにそれを『 バカバカしい 』という人間がいることも事実である。それを完全否定する気はない。しかし、どうせイベントまで行ったのなら、楽しんだ方が得ではないだろうか?日本の伝統芸能のひとつである、日本三大盆踊りの1つ〝阿波踊り〟。ご存じのように『 踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々 』と唄っての踊り。まさに、この通りではないだろうか?つまり、『 どうせなら、踊った方が楽しめるよ 』と言っているのだ。そう、何事においても、楽しんだもの勝ちである。

 楽しんだもの勝ち…。つまり何か事があった場合、それでどれほど楽しめるかは、人それぞれ違うということ。楽しみが100の人もいれば、50の人もいる。いや、楽しいと感じることが出来ない人もいるだろう。しかし、それはそれで決して悪いことではない。楽しいかどうか決めるのは、あくまでも本人次第なのだ。本人が〝楽しい〟を選択すれば楽しいし、本人が〝楽しくない〟を選択すれば楽しくないのである。どちらを選択するかは自由であるが…どうせ選ぶなら〝楽しい〟方を選択した方がいいような気もする…。

 前述のように、〝楽しい〟は人それぞれであるから、〝楽しくない〟を選択する場合もあるだろうし、それは決して悪いことではない。しかし、件の彼に関して言いたいのは『 そんなにアレやコレや毒づいているのなら、来なければよかったんじゃないの? 』ということ。彼にとっては、そのイベントの何もかもが面白くない、楽しめないモノかもしれない。だったら来なければいいのではないだろうか?おそらく学校のイベントだから『 出席がどうこう… 』とほざくのだろうが、だったらそこらへんのベンチで、一人で座っていればいいだけの話である。わざわざ、グループの人間に混ざって毒づく必要などないのではないだろうか?ましてや、人が『 アレ面白そうだから入らない? 』などと言おうものなら、途端に前述のような毒づいた言葉を吐きまくる。自分だけではなく、周りの人間さえも〝楽しくない〟状況にしてしまうのだ。

 結局…さすがに堪忍袋の緒が切れて、件の彼と別れて行動するとにし、私は何人かの人間とパビリオンを楽しむことができたのだが…。バス出発時間も近くなり、待ち合わせの場所へ向かうと…件の彼、『 何見てきたの? 』と話しかけてくる。観覧車の乗り、そこで記念メダルをもらった話をしたのだが…。実は…他にも色々楽しんだのだが、こういう輩は何を話してもケチをつけるに決まっているので、無難な話を選んだつもりであった。しかし、耳にするなり、一言。『 高い所登って、何が面白いの? 』。まあ、こんなところだろうな、楽しめない人間というのは…。何に関しても文句をつけることなど可能なのだから…。『 あんなものさ、ただ回っているだけじゃん?何が楽しいの?作った方は「バカだなこいつら」とか思っているぜ。鉄骨組んで回しているだけで金取れるんだから 』と、まあ観覧車の乗ったというだけで、これほどまでという位、毒づく毒づく。しまいには『 そんなメダルもらって何が楽しいの?そんなの原価5円もしないぜ。それなのに○○円も出して、あんなモノ乗っているの?「バカだなこいつら」と絶対思っているぜ 』と、よくこんなに毒づくことが出来るなと感心する位の毒づき方。しまいには、『 ねえ、何が楽しいの?教えて?ねえ、何が楽しいの? 』と私と友人に質問し続けてきたひには…呆れるのを通り越し、『 コイツ大丈夫か? 』と、しみじみ思ってしまうほどであった。

 楽しめるか、楽しめないかは本人次第。そう、〝楽しい〟ということは選択するものなのだ。自らが〝楽しい〟〝楽しくない〟を選択するのだから、周りや他のファクターは関係ないということになる。もちろん、選択は自由である。〝楽しくない〟を選択することは、ちっとも悪いことではない。楽しみ方など、人それぞれなのだから…。ただ…前述のように、どうせなら〝楽しい〟を選択した方が、お得ではあると思う。ましてや、イベント会場にいったのなら、何か自分の興味を引くものを見つけ出しては、それを楽しんだ方が得ではないだろうか?せっかく、期間も限定されたイベントにわざわざやって来たのだから。『 楽しまなきゃ損々』である。仮に…〝楽しくない〟を選択したのなら、自分一人でひっそりとしていればいいだけの話である。何も毒づいて、他人をも〝楽しくない〟状況に引き込むことはない。

 もしかすると…件の彼は楽しんでいたのではないだろうか?他の人に毒づく楽しみ。自分の考えで物事を批判する楽しみ。自分の思い通りにならないことに関し、不平不満を吐き出す楽しみ。楽しんでいる人間をせせら笑う楽しみ。〝真の楽しみ〟ではなく〝いびつに歪曲した楽しみ〟…。これが、件の彼の〝楽しみ〟なのかも知れない。彼は〝いびつに歪曲した楽しみ〟を選んでいるのである。そういえば…確かに毒づく彼の顔は歪な笑顔だった。

 悲しいかな、そういう人間がいることは確かである。人の楽しみに水を差して笑う人間。自分の偏見で見た物事を正しいとし、それ以外の事を否定しては優越感に浸る人間。恐らく、件の彼はその類の人間だったのではないだろうか?まあ、彼がそういう人間であったのかどうか、その真偽は定かではないが…彼が、本当の意味で楽しむことが出来ない人間、本来の楽しさを知ることが出来ない人間、真の楽しみを知ることが出来ない人間…つまり〝楽しめない人間〟であることは確かだと思う。

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2016年8月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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立ち食いソバと天ぷら考‐後編

 以前、『 立ち食いそば…なのか? 』というブログの中で、最近は座って食べる〝立ち食いそば屋さん〟が多いということを書かせて頂いた。私が住んでいる街にも、馴染みにしている〝座って食べる立ち食いそば屋さん〟がある。私が大学生の頃から通っているので、ン十年の付き合いになる。こんなことを書くと失礼かもしれないが…今でこそ再開発された近代的なビルの一室に店を構えているのだが、以前は駅前のビルの陰というか、草生い茂る中に『 平屋建てか? 』と思うような、狭く小さい木造家屋で営業されていた。カウンターしかなく、6人も座れただろうかという窮屈さ。しかし…店は盛況で、満席で入れない事も多々あった。その〝御盛況〟の理由が『 美味しいから 』であることは言わずもがな…。

 何が美味しいかというと…特筆すべきは、その〝つゆ〟。〝立ち食いそばのつゆ〟というと、誰もが醤油色というか、醤油ベースの色を思い浮かべるのだが…ここの〝つゆ〟は〝透明なつゆ〟なのである。薄口と言えば薄口であるが、出汁がしっかりしているので『 味が薄い 』と感じることはない。むしろ〝醤油色のつゆ〟の刺々しさが無く、口当たりもいい優しい味わいである。この〝つゆ〟については、まだまだ書き足りない所ではあるが…今回は〝天ぷら〟の話。いつかの講釈に、その〝つゆ〟の話は委ねるものとして…。そう、天ぷら。

 このお店は、かけそばorかけうどんがベースであり、それに何かをトッピングするのを基本としたお店である。当然、天ぷら以外のトッピングもあるが、やはりこういうシステムのお店の場合、天ぷらの種類はおのずと多くなってしまう傾向にある。天ぷらだけで、十数種類はあるだろう。そして特筆すべきは、その天ぷらの形態と種類である。初めに書いてしまえば、私がここの店で決まって注文するのが〝おきあみ天〟である。この名前を聞いたことがある人はいるだろうか?私が知る限りにおいて、このお店以外で〝おきあみ天〟の名を聞いたことはない。当然、このお店以外で〝おきあみ天〟を食したことはない。この〝おきあみ天〟、名前の通り〝おきあみ〟を天ぷらにしたものである。

 『 おきあみって何? 』という人のために。オキアミは、よく釣のえさに使われる姿形がエビにそっくりの生物。前述のように魚のえさに汎用されるが、もちろん人間が食することも出来るれっきとした食材。調べてみると、えびの代用としてチャーハン、お好み焼き、かき揚げ、炒めものなどに使われるとのこと…。ン!?どうやら、一般的にかき揚げにも使われているようである。

 前述のお店では、このオキアミをかき揚げにしている。諸説あるが、私自身、アキアミは小海老と変わらない味だと思っている。チョット、小海老よりは癖のある味かもしれないが、むしろこちらの方が、そばつゆとと天ぷらの衣との相性がいいように思える。私が毎回おきあみ点を注文するのも、そばつゆとオキアミ天の味の相性が抜群だからである。

 先ほど『 そして特筆すべきは、その天ぷらの形態と種類である 』と書かせて頂いたが…『 自分が好きなオキアミ天がちょっと珍しいだけだろ? 』と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、そうではない。皆さんは〝ゲソ天〟と聞いたとき、どのようなモノを思い浮かべるだろうか?ほとんどの方が、『 ゲソ(イカの足)をそのまま天ぷらにしたモノ 』を思い浮かべるであろう。しかし、このお店の〝ゲソ天〟は違う。このお店ではゲソをぶつ切りにして揚げる。そう、ぶつ切りにしたゲソをかき揚げ形式で挙げているのである。そのままのゲソは歯切れが悪いのが難点である。その硬さのせいか、天ぷらの衣との分離も問題点である(気がつくと衣だけ、ゲソだけを食べていう状況に陥る)。ところが、ぶつ切りにしてかき揚げにすると…この両方の問題が一気に解決するのである。ぶつ切りにしてあるから、噛み易く、しっかりとゲソの味を堪能することが出来る。さらにかき揚げ形式なので、衣の中にゲソが埋まっている状態にあり、ゲソと衣が分離せず、あくまでも〝天ぷら〟としてゲソ天を堪能することが出来る。もちろん、かき揚げ形式にすることにより、そばつゆがしっかりとゲソと衣に絡むことになる。こんな完璧なゲソ天が他にあるだろうか?

 実は、このお店。天ぷらの多くが〝かき揚げ形式〟で挙げられているのだ。春菊天はもちろんのこと、ゴボウ天なんかもかき揚げ形式で挙げられている。ちなみに、このお店で〝かき揚げ〟の名がついているのは…タマネギである。タマネギを切ったものが、かき揚げ形式で揚げられている。

 先日、浅草橋の立ち食いそば屋さんに行った時のこと。そこのかき揚げは、衣の中に紅ショウガが入っているものであった。『 紅ショウガを揚げている 』というよりは『 衣メインで、その所々に紅ショウガが散りばめられている 』という感じのものであった。食べてみたが…美味しい。『 天ぷらを食べている 』というよりは『 衣を食べている 』という感じであったが、その衣。全然油っぽくなく、ふんわりとしており、何とも言えない美味しさを醸し出していた。まあ、天ぷらというものは、そもそも〝衣〟と〝具〟の両方を味わうというか、その両方が醸し出す味わいを堪能するモノである。やはり、衣も美味しくなければならない。そんな〝衣を堪能できるかき揚げ〟を提供する浅草橋の立ち食いそば屋さんも、なかなかのものである。

 前回のブログで『 かき揚げのレシピの違いこそが、立ち食いソバ屋さんの天ぷらを、ただモノではないモノにしているよう思えるのだ 』と書かせて頂いたが、まさにこの通りではないだろうか?具剤のレシピもさることながら、衣とのレシピも考えられているのだ。まさに〝天ぷら百花繚乱〟。侮れないモノがある。この世には、まだまだ私が知らない〝かき揚げ〟が無数に存在しているのであろう。その〝かき揚げ〟に出会う日はいつの日の事やら?そんなことを考えるだけでも…立ち食いそば屋さんの暖簾をくぐることに、より一層の楽しみを見いだせるのではないだろうか?

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2016年8月15日 | コメントは受け付けていません。 |

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立ち食いソバと天ぷら考‐前編

 〝天ぷら粉〟の話ではない。〝天ぷら考〟である。〝う〟があるかないかで、かなり内容は違ったものになってしまう。昔から言われている話(諸説紛々ある)ではあるが『 日本語は澄むと濁るで大ちがい。ハケに毛があり ハゲに毛がなし 』というのがある。『 濁るか?濁らないか? 』でこれほど違ってしまうのだ。一文字違うだけで、えらく変わってしまうのも納得である。閑話休題。で、今回のブログの内容は〝天ぷら〟の内容の話。

 天ぷらと言えば…和食の王者ともいえる料理。先日もあるテレビ番組で、日本在住の外国人料理人が、スゴいと思う日本の食材・料理のベスト30を発表するというのがあった。海外事情に疎い私でも『 天ぷらは日本料理として、海外でも高い評価を受けている 』ということは、何度も耳にしたことはある。当然、ベスト30に入る…と思っていたが…やはり入って30位…。ちょっと期待はずれかなと思ってはみたものの、堂々の30位である。やはり、なかなかのものだ…。

 で、今回のブログの内容はというと…同じ天ぷらでも、そういった〝海外の方がランキングで投票するような天ぷら〟とは、チョット趣向が違う天ぷらの話である。和食の王道と言われる天ぷらである。色々な種類があるのは当然なのだが…もちろん、天ぷらに上下はない。だから、どちらも列記とした〝天ぷら〟であることは間違いない。もちろん、私は、どんな天ぷらも好きである。そんな天ぷら好きの私が、今回ブログで書きたいのは〝立ち食いソバ屋さんの天ぷら〟なのである。『 天ぷらに上下はない 』と書かせていただいたが…今回は〝上〟は〝上下の上〟ではなく〝ソバやうどんの上〟、つまり〝ソバやうどんにトッピングされる天ぷら〟の話なのである。

 ご存知のように、現在は天丼のファーストフード店がある。牛丼屋のように、普通に入店して食券を購入し、天丼が食べられるシステムである。天ぷら好きの私もよく利用させてもらっている。そう、私は天丼好きである(もちろん、その他の〝丼〟も好きであるが…)。悲しいかな、薬進塾がある当浅草橋&蔵前には、天丼のファーストフード店がないことが、なんとも腹立たしい。昼食の選択時に『 今日は天丼かな… 』という選択肢がないことが、いたく恨めしいことも多々ある。しかし、そんな天丼のファーストフード店や天ぷら専門店でなくとも、美味しい天ぷらを食べることはできる。そして、その天ぷらこそが、天ぷらの種類というか、天ぷらの枠、ひいては天ぷらというものの可能性を、無限大に引き出すことが出来るカギを握っていると思うのである。その件の天ぷらこそが〝立ち食いソバ屋さんの天ぷら〟なのである。

 そんな天ぷら好きの私であるから、立ち食いソバ屋さんを利用することはよくある。で、もちろん、トッピングに天ぷらを頼むのは必須である(ちなみに、ベースは蕎麦)。そんな天ぷらトッピングを必須としうる私であるが…何気に立ち食いソバ屋さん、色々と奥が深い。以前〝立ち食いそば…なのか?〟という、ブログでも書かせて頂いたのだが、立ち食いソバ屋さんには、なかなか侮れないモノがあるのは確かである。昔、外国人の方からこういう意見を耳にしたことがある。『 日本人はスゴイ。ソバのようなヘルシーフードを、時間をかけずに、すぐに食べさせてくれる環境がある。しかも、色々なものがトッピング出来て、栄養面で見ても非常にヘルシー。立ち食いソバは究極の、ヘルシーファーストフードである 』と…。確かにそうかもしれない…。ソバがヘルシーフードであることは、誰も否定はしないだろう(まあ、チョット小麦粉の量云々はあるかもしれないが…)。そんなヘルシーフードを、注文してすぐに食べることが出来るのだ。確かに時間を気にするビジネスマンにとっては、うってつけの食品であろう。ましてや、トッピングにより好みから、ヘルシーさから自分でアレンジしていくことが出来るのだ。確かに〝究極のヘルシーファーストフード〟かもしれない。

 で、前述のように私は〝天ぷら〟をトッピングするのだが…。私は、基本的に立ち食いソバ屋さんさんでは〝天玉ソバ〟を頼むことにしている。この場合、すなわち〝天玉ソバ〟でいう所の〝天ぷら〟は、ほとんどと言っていいほど〝かき揚げ〟である。で、このかき揚げなのだが…店によって、かなり差異があるのはご存知の方も多いと思う。デジタル大辞泉によると、かき揚げとは『 天ぷらの一種。貝柱・イカ・エビや野菜などを刻んで数種取り合わせ、濃い衣でまとめて油で揚げたもの 』とあるが…私が知る限りにおいて、貝柱やイカを使っているかき揚げは、立ち食いソバ屋さんでは、チョットお目にかかったことはない。エビに関しては、時折、入っているかき揚げを目にすることはあるのだが…。立ち食いソバ屋さんで見るかき揚げのほとんどが、玉ねぎ、ニンジン、春菊を主体としたかき揚げのようである。まあ、その他にゴボウが入っていたりと、それぞれのお店でレシピは異なるようではあるが…。そう、レシピが異なるのである。そのレシピの違いこそが、立ち食いソバ屋さんの天ぷらを、ただモノではないモノにしているよう思えるのだ。では、その立ち食いソバ屋さんのかき揚げとは?

それは次回の講釈にて! ~See you next week!~

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2016年8月9日 | コメントは受け付けていません。 |

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異様な光景

 先日、ある仕事で私の先輩と御一緒することとなった。師を同じくする先輩とはいうものの、教えを受けたこともあるので〝私の師匠〟とも言える存在の方である。その先輩…ブログで書く都合上、Aさんとさせてもらう。そのAさん、教わっているこちらとしては『 A先生 』と呼ばなければならないので、そう呼ぶと…照れ屋なのか、はたまた師匠(Aさんと私の師匠)思いなのか、『 Aさんでいいよ 』と照れ臭そうに話したのが印象的な人である。実際、怖い先輩方の中でも、優しい先輩である(もちろん、怒ったときは、他の先輩方に引けを取らぬくらい怖いのではあるが…)。

 前述のように、そのAさんと仕事を一緒にすることとなった、数日前。Aさんがこんなことを話してきた。『 今日、ここに来るのに久しぶりに電車に乗ったんだけど… 』Aさん、いつも仕事に来るときは車を利用しているのだが、先日は電車を利用して来たようである。そのAさんの発言。『 今日、ここに来るのに久しぶりに電車に乗ったんだけどさ、ホント異様な光景だった… 』。その発言を聞いた時、私の頭の片隅で、疼きだしたある思いがあったのだが…。心のどこかに『 (私の思いと)違うモノだろうな 』という警戒心があったので、あえてその〝疼き〟の基を呼び起こそうという気にはならなかった。しかし…その先輩が口にした言葉は次のようなモノであった。

『 ホント異様な光景だった…。皆、スマホやっているの。座っている人も立って

 いる人も。全員、スマホやっているんだ。あれ異様な光景だったよな… 』

先ほど書かせていただいた〝私の頭の中の疼き〟は、まさにコレなのである。

 私はいつも移動には電車を利用している。そして、昨今思うことがある。それが、前述のAさんと同じ『 これって異様じゃないのかな? 』という思い。車内の誰を見ても、皆スマホをいじっている。座っている人間全員がスマホをやっている。横一列に並んで座り、皆が一様にスマホをやっている光景は、異様としか言いようがない。なんの打ち合わせもなく、事前の取り組みもなく、皆一様に同じ行動をとっているのだ。これを異様と言わずして、何が異様であろう?ましてや、その前に立っている人間も、横一列に座席の前に並びながら、皆一様にスマホを扱っているのだ。異様という言葉以外に、どの言葉がこの状況を説明できようか?私も電車の中で携帯を操作することは多々ある。私がガラケーであることも理由の一つであるかもしれないが、用が済んだ時点で、携帯はしまう。目的地に着くまで、ズ~っと操作していることなぞ一度もない。私が窺い知る限り、ガラケーの人は皆そうであるよう思う。しかし…スマホの人は乗車してから降りるまでの間、ズ~っとスマホを操作している。

 『 電車内で本を読む人も、乗車から降車までの間、ズ~っと本を読んでいるじゃないですか 』という意見が出るかもしれない。確かにそうだ。私も、電車内で本を読むことはある。乗車から降車まで、ズ~っと本を読んでいることもある。しかしだ…電車内の人間が全員そのような状況になっているところなぞ、一度もお目にかかったことはない。第一…私もそうであるが、本を読む人間が常に本を持ち歩いているとは限らない。忘れたとか、読み終えた直後だとか、たまたまちょっとの移動だったから本を持たなかったりだとか…そういった様々な理由から、乗車中に本を持たないことが多々ある。その場合、当然本を読むことはない。しかし…スマホは常備しているモノ。持たないで電車に乗る…なんていうことは、まずない。ガラケー保持者の私が、そのガラケーを待たずして電車に乗ることがない以上、スマホ保持者にもそんなことがある訳はなかろう。常備している以上、いつでもどこでもスマホを操作できることになる。そう、電車の中であってもだ。

 私は、以前から『 この風景って、なんかおかしい…というか異様だよな 』と常々思っていた。しかし『 それは、自分がガラケーだからそう思うのではないか? 』という思いもあった。もしくは『 誰もがそのようなことを口にしていない。また、いつもの〝変わり者の一案〟か? 』位にしか思っていなかった。ちなみに私は自他ともに認める変わり者であるから、当然、モノを考える視点やその考え方は、周りの人間とはかなり異なるのが常である。常であるからこそ、異常な状況と思えることも、さして気にしてはいない。私にとっての異常が、社会的には『 普通でしょ! 』なんていうことがよくあるからだ。前述の〝心のどこかに『 (私の思いと)違うモノだろうな 』という警戒心〟も、そこなのである。私は〝電車内での一斉スマホ操作〟が異様だと思っているが、どうせ周りの人間は、そうは思っていないだろうから、それを話しても賛同は得られないだろう。だから発言は慎んだ方が…という警戒心なのである。

 ところが、今回のAさんの発言。やはり、私以外にもその光景、すなわち〝電車内での一斉スマホ操作〟が異様と視える人がいたのだ。Aさんは、私に比べればえらく真っ当な方である(多少は変わっているかもしれないが…)。その真っ当な方が〝電車内での一斉スマホ操作〟が異様と視えているのだから、やはり、異様な光景でなのではないだろうか?別に、電車内でのスマホ操作が悪いと言っているのではない。人に迷惑をかけている訳ではないのだから個人の自由だろう(立ちながらスマホを操作している方の中には、電車の乗降に著しくい支障をきたしている方も多々いらっしゃるが…)。しかし…。なのに何故異様に見えるのであろう。私もAさんも、何か特段の支障が生じて、そう感じている訳ではない。支障をきたしている訳ではないのだが…異様さを感じる…。これはもしかすると〝特段の支障を生じる事態〟よりも、よっぽど危険な事態なのではないだろうか?私もAさんも理屈ではなく、どこか本能的なもので、その異様さを感じているのではないだろうか?異様とは『 ようすが普通でないさま(デジタル大辞泉より) 』とある。何人かの人間が〝普通でないさま〟と感じている光景が、普通の光景として日常に展開されている…。これは…もしかすると、とっても怖いことなのではないだろうか?そう危惧している次第なのである。

 

 

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2016年8月1日 | コメントは受け付けていません。 |

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