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カレーの福神漬けは如何に?

 子供の頃はカレーが嫌いであった。『 エッ?何で? 』と思われる方も多いと思う。カレーといえば、子どもの好きな食べ物として、真っ先にその名があがる位の人気者。実際、〝ぐるなび〟さんの『 こどもの好きなものランキング 』では、平成14~20年生まれの子供のランキングでも、昭和20~30年生まれの子供のランキングでも、堂々の第一位はカレーである。そう、子どもはカレーが好きなのである。では、なぜ私は子供のころカレーが嫌いであったか?実は当時、私の実家は飲食業を営んでおり、昼・夜の食事は店員さんの賄(まかない)でもあった。そのため、子どもの頃の私は〝大人と同じものを食べる〟のが常であった。カレーにおいてもそうであった。私が食べるカレーは〝子供が食べるカレー〟ではなく〝大人が食べるカレー〟だったのだ。『 大人が食べるカレーといったところで、そんなに辛くは… 』と思う人がいたのなら、それは100%間違いである。そういうことを口にする人は、おそらく〝子供の頃に大人基準のカレーを食べたことがない人間〟である。大人になってから〝大人基準のカレー〟を食べるのと、子供時代に〝大人基準のカレー〟を食べるのとでは雲泥の差があることを、しっかりと認識してもらいたい。その証拠に、大手カレーチェーン店のほとんどが子供向きのカレーをメニューに載せている。それが『 大人と子供の辛さの違い 』を考慮したものであることは、言わずもがなである。

 そんなわけで、幼少時代は泣く泣く辛いカレーを食べていた。しかし、成長に伴いある程度の辛さを味わえるようになってきた。レトルトの中辛のカレーを食べながら『 なるほど美味しいかも… 』と思い、気が付けば何気に、カレーをよく食べるようになっていた。時は過ぎ、社会人となってからは、どちらかというとカレーは好物になっていた。まあ、巷にいる〝カレー通〟〝大のカレー好き〟というまではいかないが、『 カレーは好きで、結構食べますよ 』と言えるくらいにはなっていた。以前勤めていた職場の社員食堂では、『 今日はカレー 』と知れば、仲のいい同僚と『 オ~ッ! 』と盛り上がり、笑顔でカレーを頬張っていたものである。

 で、カレーが好きなのはいいのだが…ちょっと私自信、困ってしまうことがある。それが〝福神漬け〟。私はカレーを食す時には、福神漬けは食べない主義である。〝主義〟というと、カッコよく聞こえるかもしれないが、まあ早い話、あまり福神漬けが好きではないのである。だから、自分から食すことはまずない。件の社員食堂では、福神漬けは自分で盛り付けるものであったから、あえて盛り付けすることはしなかった。昨今のカレーチェーン店でも、福神漬けは自分で盛り付けるパターンが多い。だから、やはり同じように自分で盛り付けることはしない。しかし…カレー専門店以外でカレーを注文した場合、福神漬けがついてくる場合が、圧倒的に多い。イヤ100%と言っても決して過言ではないと思う。それくらい、福神漬けがついてくるパターンが多いのだ。さらに困ったことに…福神漬けがカレーと同じ皿というか器に盛りつけられている場合が少なくない。以前『 驚きのラーメン:後編 』というブログの中で『 私は基本的に出されたものは全て食べるよう心掛けている。もちろん、私にも嫌いなモノはある。そういったモノを残してしまうことはあるが、基本的に出されたものは全て食べるよう心掛けている 』と書かせていただいた。この〝出されたもの〟の中には、当然、漬物類も含まれている。漬物であろうとも出された食品である以上、残さないとするのが私の考えである。まあ漬物は、ご飯の友としては申し分ない存在である。だから、いつもご飯とともにその味を堪能している。では、カレーでは…?

 私はカレーでは、〝カレーをご飯の友〟としている。カレーとご飯のコラボレーションを堪能しいているのだ。だから、そのコラボレーションの関係の中には、福神漬けの居場所はないのである。ハッキリ言わせて頂ければ『 カレーを食べているんだから、あえて漬物はいらない 』というのが、私のスタイルである。〝スタイル〟と書かせて頂いたのは、そうではない人もいるということ、そしてその存在を認めているからである。福神漬けが好きな人も当然いることだろう。『 カレーを食べるには福神漬けがなきゃ 』という人もいるだろう。大いに結構である。その嗜好や存在を否定する気など、毛頭ない。私が言いたいのは『 福神漬けが苦手な人もいるので、器の中に一緒に出されると…なんか食べないで残しちゃうのも悪いみたいで… 』ということである。

 以前『 なぜ漬物に醤油がかかっているんだ? 』というブログの中でも、間接的に書かせて頂いたのだが…漬物に醤油をかけるかどうかは、食べる本人に委ねてほしい。同じように、カレーを食べる際に福神漬けを食するか否かは、本人に委ねてほしい。そう思っている。おそらくお店の人は『 カレーを食べるからには、福神漬けでしょ! 』という好意から、福神漬けを付けてくれているのだと思う。だからこそ、余計残してしまうのが忍びないのである。かといって無理に食べるのも…せっかくおいしいカレーを食べたのに、その後にあまり好きではない福神漬けを食べるというのも、どこか悲しいものがある。『 一緒に食べれば? 』という人もいるかもしれないが…カレーという好物を食している最中に、さして好きでもないものを口にするというのは…まあ、お分かり頂けることと思う。

 出来れば福神漬けに関しては、醤油やソース等と同じく、それ専用の容器で、自分が好きなように取ることが出来る環境にしてもらいたい。最近は福神漬けを残してしまう場合も多い。その度に、前述のように忍びない状況に陥ってしまう。美味しくカレーを堪能したいからこそ、そしてそれを作ったお店の人に不愉快な思いをさせたくないためにも、是非、前述のような〝福神漬けオプション計画〟を普及させたいと思っている次第なのである。

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2016年7月25日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

自分より下を設定しようとする人

 どうして、自分より下の人間を設定しようとするのだろう?もちろん、あえて『 あの人は私より下 』と明言しているわけではないし、ましてや公言している訳でもない。しかし、その言動をとらえた時『 この人は、明らかに人を下に見ている 』と感じさせる人間は多々いる。他のページでも書かせていただいているが、薬進塾に対し『 あんな小さい所… 』といった発言をしている所もあるようだが、これなんかも〝自分より下を設定している〟 いい例だろう。

 以前『 驚きのラーメン:前編 』で以下のようなことを書かせていただいた。

 

 以前勤めていた予備校で、新人ばかりをいじめる講師がいた。~ 中略 ~ 新人には何を言ったところで反撃されないと知っている。だから、新人に対しては横柄な態度をとる。そういえば、その講師。普段はわざとらしい位、親しげに接してくるのだが…こちらが何かミスをすると、急にデカイ態度で偉そうに意見を言ったり、上から目線で嫌味たらしく非難するようなことをしていた。

 

これなぞ典型的な例であろう。自分より下と位置付けて、反撃されないのをいいことに、好き勝手な言動をとる。こちらがミスをしたと嗅ぎ付けるや〝一時的な下〟と設定して、やはり同じような言動をとる。そう、自分より下の人間を設定する輩は、不平・不満をその〝(自らが)下と設定した人間〟にぶつける場合が多い。なんのことはない、不平・不満のはけ口として、下の人間を設定しているだけにすぎないようだ。

 〝はけ口〟とは『 内からあふれる感情などを発散させる対象や、そのための手段・方法(デジタル大辞泉より) 』とある。さらに〝感情〟とは『 意識内容のうち最も主観的な側面、言い換えると、状況や対象に対するその主体独自の態度や価値づけ(百科事典マイペディアのより) 』とある。つまり『 はけ口とする 』とは『 状況や対象に対するその人独自の価値づけを発散させている 』ということになる。

 これを、ありありと感じさせるのが『 あなたに出来る訳ないだろう 』という言葉。私もよく言われることがある。いい例が、このブログ。単刀直入に書かせて頂ければ『 お前なんかに、あんなブログ書ける訳ないだろう 』等といった内容の言葉を吐かれることがある。しまいには『 毎週書ける訳がない 』などといった言葉まで、おまけでついてきたりする(この〝毎週〟が遅れてしまうことは、当ブログの読者の方には申し訳なく思っている次第である)。講義プリントにしてもそうである。以前いた職場で、件の講師から『 こんな図形あんたに書ける訳がないだろ 』と、目も合わさず頭ごなしに言い放たれたことがある。もちろん、そのプリントの図は私が書いたものである。

 これこそが『 状況や対象に対するその人独自の価値づけ 』以外の何物でもないだろう。『 お前にはできるわけがない 』というのは、価値づけ以外の何物でもないからだ。ここで注意してもらいたいのは『 意識内容のうち最も主観的な側面 』という部分。つまり、発する人間の感情や考え方が、その根本にあるということ。単刀直入に言ってしまえば…何のことはない、僻み(ひがみ)や妬み(ねたみ)ということになる。何か事を成した人間に対して、僻み妬みとして『 お前なんかに… 』と発しているということである。裏を返せば、そういう言葉を発する時点で、自ら僻んでいること、妬んでいることを公言しているようなものではないか?

 私が学習指導を行うとき、特にウチの塾生さんにはガッチリと言っておくことがある。それは『 試験の点数は自分だけのモノ。他人と比較するのは止めなさい 』ということ。下手な講師になると、学生同士を点数だけで競わせるから厄介である。まあ、指導できない人間が『 いかにも指導している素振り 』を見せるには、学生同士を点数で競わせるのが、最も手っ取り早いやり方ではあるが…。閑話休題。点数を比較する学生は、とにかく自分より下の点数の人間を探したがる。そして『 あの人よりは… 』と〝自分より下の人間〟を設定しては、『 だから自分は安心なんだ… 』と虚構のシェルターに逃げ込むことになる。しかし、そのシェルター…全く安全でないどころか、危険極まりないシェルターである。『 試験は何のために受けるのか? 』それを知っていれば、そんなシェルターには絶対に逃げ込まないはずなのだが…。ちなみに、私の模擬試験の学習指導では、ここの所に一番ウエイトを置いて指導を行っている。それくらい、大事な部分なのだ。試験の点数においてもそうであるが、『 あの人よりは… 』と〝自分より下の人間〟を設定したところで、何ら事実は変わることはない。そのことを、しっかりと認識してもらいたい。もちろん、自分よりも成績が良かった人間に対し、僻み妬みとして『 あの人なんか… 』と発することも止めた方がいい。これも、虚構のシェルターに逃げ込んでいることと何ら変わらないからだ。そして…こちらも、そうしたところで何も変わらないことは同じである。

 とどの詰まり〝自分より下の人間〟を設定しても〝事実〟は何ら変わらない。何も変わらないどころか、ますます周りが見えなくなるだけである。当たり前であろう。世の中には自分と馬が合わない人間もいれば、自分の思い通りにならないこともあるし、自分が疎ましく思う出来事が起きることなど日常茶飯事である。そんな日常の中では、自分よりも上の人間もいれば、自分よりも下の人間もいる。しかし、その上下の基準たるや如何なるものなのか?そこの所をしっかりと認識すれば、やたらと他人と自分を比較することはないのではないか?大切なことは『 人と比較すること 』ではなく『 現実を見ること・自分自身を見つめること 』ではないだろうか?そして『 現実を見つめること・自分自身を見つめること 』ができない人間が、見つめることが出来ないからこそ『 人と比較すること 』により、自分の位置を模索するのではないだろうか?模索して現実を見つけられたのか、見つけられなかったのかは定かではない。しかし、どちらであれその人間にとっては、怖い結果なのではないだろうか?だから虚構のシェルターに逃げ込み、つかの間の安心感を得ることにする…。それが、ブログ冒頭での『 どうして、自分より下の人間を設定しようとするのだろう? 』に対する、私の答である。

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2016年7月18日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

勝負は、その勝負の前についている。

 タイトルは、当ブログでもおなじみの、実力制第4代名人の将棋棋士である升田幸三先生のお言葉。以前のブログでも書かせて頂きましたように、日本将棋界の歴史を語る上で、欠かすことができないお方。将棋の強さもさることながら、その人物、生き方の豪快さはとても魅力的です!将棋以外の武勇伝も沢山あり、私はすっかり惚れ込んでしまっている有様。そんなお方ですから、当然、将棋の強さも群を抜いており、将棋史上初の三冠(名人・王将・九段)といった偉業を成し遂げています。もちろん発した格言・名言は数知れず。以前は、その名言の中の『 たどり来て、未だ山麓 』というお言葉をタイトルにブログを書かせて頂いたのですが…このブログ、何気に閲覧数では常に上位に位置しているのです。やはり、升田幸三先生のお言葉について書かせて頂いたからこそ、感銘も多く、閲覧数も多くなるのだと思います。

 以前、〝道を選ぶということは…〟というブログで、次のようなことを書かせていただきました。

 

 格言・名言と言われるものの特徴に『 色々な意味合いに取ることが出来る 』ということがあります。表現している内容は、文章的には単に一つの内容でしかありませんが、色々な解釈が出来るというものです。文章としての表現は、あくまでも表面的なものでしかありませんが、その言葉の意味合いとしては、もの凄い深みを持っている。それが格言・名言と言われるものの〝隠し味〟だと思います。

 

と…。そして、今回のブログのタイトルである升田幸三先生のお言葉にも、同じことが言えると思います。『 将棋でコマを並べる前の、すなわち勝負の前の努力と研鑽(学問などを深く究めること:デジタル大辞泉より)が大事である 』としてある本が、多数見受けられます。もちろん、そういった意味合いもあると思います。そして、それ以外にも、沢山の意味合いを醸し出していると思うのです。そう、前述の『 珠玉の名言・格言ならばこそ持つ〝色々な意味合いに取らえることが出来る〟といった特徴 』を兼ね備えている言葉。それほど深い意味だと思うのです『 勝負は、その勝負の前についている 』という言葉は…。

 私が学習指導を行っていることは、当ブログの読者ならご存知のことと思います。その学習指導も多岐に渡り、様々な種類の学習指導があることも、読者には言わずもがな。そんな学習指導の中の一つが〝模擬試験に関する学習指導〟。実際、この〝模擬試験に関する学習指導〟に関しても何種類もありますので、時に応じ、数ある学習指導を順次行っている次第です。今年度も各企業様から〝研修の一環〟として、〝模擬試験に関する学習指導〟のいくつかを依頼されている状況にあります。まあ、何種類もあるわけですから、色々なことをお話しし指導することになるのですが…そんな数ある指導の中でもよく口にするのは『 模擬試験では、消しゴムを2つ以上持っていきなさい 』といった指導。何故かという詳細に関してここで書かせて頂きますと、また悪い癖で多大なる執筆量となってしまうことが十分に予想されますので、詳細は省かせて頂くことにしますが…。まあ、最もノーマルな理由を一つだけ書かせて頂くならば…一つしか消しゴムを持っていかなかった場合。その消しゴムが、試験中に机の上から転げ落ちてどこかに行ってしまっても、試験監督は貸してくれませんよ、ということ。つまり無くしたが最後、それ以降の試験は消しゴム無しで行わなければならなくなるということ。ですから、本番でも本番を想定した模擬試験(ここでも多大なる指導内容があるのですが、今回は省かせていただきます)でも、必ず消しゴムは2つ以上用意しなさいと指導しているのです。

 以前、とある予備校に勤めていたとき。模擬試験の時に学生さんが『 すいません、筆入れ忘れたんで、筆記用具、貸してもらえませんか… 』とやってきたことが、何回かありました。『 ああ、そう。じゃあ帰っていいよ 』という気持ちが山のようにあったのですが…当時はそうもいかず、事務方の対応で筆記用具を貸してあげた次第で。模擬試験で筆入れを忘れる…釣りに行って釣竿を忘れる。イヤ、アマゾンの密林に行くのに、何も持たずに素っ裸で行くのと等しい位の愚行だと思います。何しに来ているんですかね?模擬試験を受けるのに、筆記用具を忘れるなんて…。そして、これも『 勝負は、その勝負の前についている 』を物語っている行為だと思います。

 私が、大学4年生の頃(ちなみに私は旧4年生過程の薬学)。年も明け、大学に行く事もなくなり、ひたすら国家試験勉強に明け暮れていました。そんな中、自ら予備校の現役生コースに通っていた時の事。成績の悪い同じ大学の人間が、半ば強制的に私と同じコースに送られてきました。半ば強制的ですので、中途半端な気持ちで通っていたのが目に見えて分かりました。というか…当時、薬剤師国家試験は4月3日、4日。その輩が送られてきたのは2月の終わりだったでしょうか。国家試験も差し迫っているそんな時期なのに、勉強が皆無に近い状態だったことも手に取るように分かりました。そんなある日…模擬試験の日だったのですが、その輩『 筆記用具を忘れた 』と笑顔で楽しそうに話していました。そして私に言った一言が『 お前、どうせ消しゴム2つもっているだろ。1個貸して 』。私は拒否しました。すると件の輩は『 けち臭いな 』『 消しゴム2つ持っているんだからいいだろ 』『 困っているんだから助けるもんだろう 』と、自分のミスを棚に上げて、ほざくほざく。使う使わないではありません。私は消しゴムが2個必要だから、消しゴムを2個持ってきたのです。人に貸してあげるために2個持ってきたわけではありません。愚鈍の輩からすると『 貸してくれないお前が悪い 』とでも言っているようですが、模擬試験の時に消しゴムを忘れる輩が、100%悪いに決まっています。こちらは、この模擬試験に必死、試験に受かるための日々が必死なのだという思いで過ごしていたのです(この気持ち、試験対策に必死になっている方々には、分かって頂けることと思います)。それなのに、筆記用具を忘れたことを笑顔で話すくらいの、そんな覚悟で模擬試験を受けに来たのかと、ひしひしと思いました。これこそ、まさに『 勝負は、その勝負の前についている 』そのものだと思います。試験を受けるのに、筆記用具(当然消しゴムを含めて)が無いなんて、勝負にもなりませんから…。その勝負に備えて100%準備する。それが『 勝負は、その勝負の前についている 』という言葉には秘められていると思います。ちなみに件の輩は、そのあと合格するのに3年かかったそうです(200題で60%とれば合格の時代のお話です)。

 今回依頼されている模擬試験の学習指導も、新たに色々な内容を織り込み、新しい学習指導を作成している最中にあります。しかし、今回のブログの内容にあるようなことは必ず伝えようと思っています。筆記用具は当然のこと、模擬試験を受ける前から、色々と取り組まなければならないことが沢山あるということです。『 勝負は、その勝負の前についている 』。将棋だけではなく、薬剤師国家試験対策にも十分活用できるこの言葉。まさに珠玉の名言だと、私は思っています。

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2016年7月11日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

☆ 第101回薬剤師国家試験 旧4年制課程既卒者 合格の声!

 先生方も、それぞれカラーがあって、幅広い知識をお持ちなので、他の教科とどんどん知識が繋がり、国試の勉強が初めて楽しいと思えました。

 去年の3月、次の国試をラストチャレンジにすると決めました。4年制大学を卒業してから、ほぼ毎年受験していたので、今回は9回目の受験。その間、医療と全く関係のない業界で働いたり、薬局で医療事務として働いたり、なかなか諦めもつかずダラダラ受験していたように思います。当然ながら、結果は付いてきませんでした。

 ラストチャレンジなので、予備校選びも真剣!薬進塾を初めて見学した際、針ヶ谷先生から熱いお話を聞き、アットホームな雰囲気に惹かれてここで頑張ってみよう!と直感で決めました。

半年薬局で働き、休職してスタートした、薬進塾での半年間。下記の3点を意識しました。

『 自分と先生を信じる 』

『 授業は休まない 』

『 予備校に通ってることに安心して、あぐらをかかない 』

 正直、大学の授業内容も全く覚えていなかったので、基礎の基礎から教えて頂き、無理なく授業についていくことができました。このペースで大丈夫なんだろうか?と思ったこともありますが、基礎固めがしっかりしてしたおかげで、応用問題にも十分対応することができました。先生方も、それぞれカラーがあって、幅広い知識をお持ちなので、1つの教科だけでなく、他の教科とどんどん知識が繋がり、国試の勉強が初めて楽しいと思えました。

 勉強のやり方にも自信がなかったので、その度に針ヶ谷先生に相談しました。何回も同じような相談をしても、懲りずに付き合って頂き、その度に適した方法を探すことができました。最初は『 復習ノート 』を作る必要性が分からず、途中でやめかけました。しかし、模試の日、短時間で見直すには、自分が見やすくまとめた『 復習ノート 』が1番適していることに気づき、それからは自分の強力なアイテムとして、大事にいつでも持ち歩いていました。常に国試の当日を見越し、そのためのアイテムづくりの指導や、生活リズムの指導をして下さったおかげで、当日も慌てずにベストコンディションで臨むことができたのだと思います。

 また、半年間とはいえ、精神的に辛くなる時期が周期的にありました。友達すらも疎ましく感じてしまうことも…。そんな時も、針ヶ谷先生や事務の方にグチをこぼしたり、くだらない話で笑ったりで、勉強を続けるモチベーションを保つことができました。また少人数制の中で、先生から個人として、ちゃんと大事にされている温かみを感じ、安心して勉強に没頭することができました。

 そして何と言っても、最後の授業の後、先生から頂いたお言葉が今でも忘れられません。

 

『 君たちが薬剤師になるのを待っている人がいる。今はまだ出会っていないだけ 』

 

実際、復職してから患者さんに何度か『 ありがとう 』と声をかけてもらい、本当に諦めずに受験してきてよかったと思いました。

 私1人では、国家試験合格は勝ち取れなかったと思います。針ヶ谷先生ならびに、くだらない質問にも真摯に答えてくださった先生方、事務の方、一緒に勉強した仲間たち、家族、本当に感謝しております。

心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

T大学卒 H・Kさん(女性)

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2016年7月6日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:合格者の声

第102回薬剤師国家試験対策 半年コースの塾生さんへ

 『 薬進塾 第102回薬剤師国家試験対策 半年コース 』は、平成28年8月29日(月)から始まります。

 昨年度まで、半年コース初日は ①ガイダンス&学習指導 ②講義 で構成されていました。講義が11時から始まる関係で、半年コースの塾生さんは、初日に行う学習指導に関しましては、実質50分位となっていました。

黒板 一年コースの塾生さん達には、毎年、初日の学習指導は140分程度の時間をかけています。以前より、半年コースの塾生さん達から『 初日の学習指導に関しては、一年コースの塾生さんと同じ位の時間を設けてほしい 』といった声が上がっていましたが、前述のように初日から講義が入るため、学習指導の時間を設けるには、限度があるのが現状です。しかし、薬進塾は少人数制。塾生さんの声をできる限り受け止めるという指針で、今に至っています。ですから、先のような声が上がっている以上、その声にも当然応えるべきであるという見解を持っています。

 そこで、今年度に関しましては8月27日(土)の12:30より、入塾式・受講説明を行うことにより、一年コースの塾生さんたちと同じ時間を設けて、学習指導を行うこととなりました。

8月27日(土)のタイムスケジュールは、次の通りです。

12:30 ~ 13:40

  入塾式・受講説明

13:50 ~ 15:00

  学習指導(受講指導)

15:10 ~ 16:20

  学習指導(復習指導)

 これは一年コースの入塾式と同じ時間配分、つまり一年コースの塾生さんたちと同じ時間をかけて、上記カリキュラムで進行することとなります。

 本来、8月29日(月)に入塾式、講義を始めるということで、困惑された方もいらっしゃるかと思われます。しかし、『 初日の学習指導に関しては、一年コースの塾生さんと同じくらいの時間を設けてほしい 』といった声にお応えするために、あえて8月27日(土)に入塾式を行うことにさせて頂きました。 

 スケジュールの変更により、色々とご迷惑をおかけすることもあると思いますが、ご理解とご協力の程、宜しくお願い致します。

 なお、入塾式に参加できない場合は、別途、ご対応させていただきます。

☆ 学習指導に関しましては、勉強や試験対策に関する様々な指導を行います。内容の詳細に関しましては、問い合わせフォームより、メールにてお問い合わせ下さい。

◎ 8月29日(月)は、通常講義のタイムスケジュールとなりますが、後日、改めて、お知らせ致します。また、ホームページにて、ご確認くださいますようお願い致します。

◎ 8月27日(土)の入塾式参加につきましては、8月25日(木)までに、下記にご連絡くださいますようお願いします(参加受付はすでに行っております)。

・ 何名かの半年コースの塾生さんが〝学力診断〟〝講義前学習指導〟を受けに来ています。〝学力診断〟〝講義前学習指導〟をご希望の方は、電話・メール等で予約をお取りいただきますようお願い致します(混み合っておりますので、予約されている方が優先となります)。

 

【 連絡先 】

 ☎ 0120-970-894(月~金 10:00~17:00)

 📨 ホームページの申込み・問い合わせフォームをご利用ください。

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2016年7月6日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:未分類

驚きのラーメン:後編

先週の続き『 驚きのラーメン 』の後編である。

 

 私は基本的に出されたものは全て食べるよう心掛けている。もちろん、私にも嫌いなモノはある。そういったモノを残してしまうことはあるが、基本的に出されたものは全て食べるよう心掛けている。さらに、当ブログをご愛読されている方はご存知のように、私はかなりのラーメン好きである。おこがましくも言わせていただくならば、自他ともに認めるラーメン好きである。私がブログでラーメンのことを書かないようにしているのは、それをやってしまうと、収拾がつかなくなってしまうからである。ラーメンに関するネタなど山のようにある。書きたいことも無数にある。だから、ブログに書き始めたならば、収拾がつかなくなってしまうことが十分に予想される。それほど、ラーメンが好きなのである。今回のブログとて、ラーメンについて書いたがゆえに、少々長くなってしまったことをご理解いただきたい。前述のようにラーメンに関して筆を走らせてしまえば、止まることを忘れてしまう私である。書いている最中に、あまりに長くなってしまい、前編・後編という形になった次第である(それでも十分長いのだが…)。しかし、そんなラーメン好きで、モノを残さないようにしている私が…2口で食べるのを止めて店を後にした。劇的なラーメンであることは言うまでもない。それほど衝撃的なラーメンだったのである。

 とある大きな駅(注:浅草橋駅、蔵前駅ではない)の傍にあるラーメン屋。そこで、煮干しラーメンを頼んだ。出てきたラーメンを見て『 ? 』。刻んだキクラゲが乗っている。刻んだキクラゲが乗るのは、豚骨ラーメンではないか?そういえば、豚骨もやっているようだが…。まあ、それはいいとしても…スープから見える麺はかなり太めである。割りばし(1本)位はある、いわゆる極太面。私はあまり極太面は好きではないのだが…。さらに煮干しラーメンの場合は、あまり極太麺は使わないはず…というか、使っている店を私は見たことがない。まあ、その店その店のやり方というものがある。だから、煮干しラーメンに極太面を使っていても、何ら不思議ではない。まずは…私はラーメンを食べるときは、必ず初めにスープを飲むことにしている。ここで、美味いかそうでないかの90%は分かる。ここでも同じように、スープを蓮華にすくうが…ずいぶん濃い色だ。醤油のような色。なるほど、煮干しでだしを取り醤油で味付けした訳だな…。と、思いつつスープを口に入れたところ…『 ?? 』。一瞬、何が何だか分からなくなった。『 えっスープ!? 』と思いつつ、また一口。煮干しの〝に〟の字の味もしない…。イヤ、『 これって醤油を湯で薄めただけだろ? 』という味しかしない…。『 煮干しどころか、スープというか出汁というか、とにかくそういうモノを取っていないだろ? 』そういう味である。薄めたしょうゆの味…これが、そのスープを最もよく表現している言葉だと思う。『 よくある、スープが下の方に溜まってしまった状態か? 』とかき混ぜてみるも、味は変わらず…。なんとなく、スープの上に煮干し表面の銀色が浮いていなくもないが…煮干しの味は皆無である。

 嫌な予感がしつつも、麺を箸でとり、食べようと持ち上げたところ…『 !? 』。麺が固まって持ち上がった…。表現するならば、丸めてゴワゴワになった針金を箸で持ち上げた感じである。麺というものは柔らかいものである。ある程度の硬さがあったとて、自重で下に垂れ下がるものである。だから、箸でとって〝すする〟という行為ができる訳である。しかし、このラーメンではすすることができない。自重で下に垂れ下がってくれないからだ。折れ曲がって丸めた針金よろしく、ゴワゴワとした麺の集まりが箸で持ち上げられているにすぎないからだ。生煮えか…イヤ、生の麺とてこんなに硬さを誇示しないだろう。何と表現していいかわからないが、スーパー等で売っている焼きそばの麺(生タイプ)を袋から取り出して、チョットほぐした状態といったところだろうか?イヤ、あれの方がまだ柔らかいと思う。そちらの〝焼きそばの麺〟の方は、『 自重でしなる 』からだ。こちらの麺はしならずに、重力方向に対し垂直はおろか、その重力でさえ跳ね返す方向に、それぞれの麺が個性よろしく好き勝手な方向を向いて飛び出しているのだ。そして思った『 これ、どうやって食べればいいんだ… 』。

 自重で垂れ下がっていれば〝すする〟という行為ができる。しかし…重力に逆らった方に、それぞれが自分の姿形を誇示している麺は、どうやって食べればいいのか?思案の末、箸を口に持っていき、口の中に押し込めることに。押し込む際にも、自分の姿形を誇示し続けていたのだが、何とか口の中に押し込み、咀嚼を始めると…。賢明なる読者の方なら、すでにお気づきのことと思うが…硬い…。腰があるとか、芯があるとか、そういうレベルではない。強いて言わせていただくならば〝生茹で〟…イヤ『 茹でているのか?湯通ししただけじゃないのか? 』と言ったところである。全体的に硬いのである。生茹でならば〝芯が残っている〟程度であるが、そんな程度ではない。全体が硬いのだ。そういえば、極太麺のわりには注文してから私のテーブルまで持ってくる時間が短かったような…(私のテーブルは、調理場から結構時間がかかる場所であった)。何とか咀嚼(そしゃく)を施して飲み込もうとするのだが…こんなにも咀嚼を意識してラーメンを…イヤ麺というものを食べたのは生まれて初めてである。咀嚼に咀嚼を繰り返したのだが…硬い小麦粉の塊のぶつ切りができるだけでしかない…。ある程度の咀嚼でgive upし、飲み込むことにしたのだが…やはり、ぶつ切りされた小麦粉の塊が喉を通っていく感じである…。。粒々感が半端ではない…。この硬さを食材として何に例えたらいいのかと思案に暮れたのだが、正直言って例えようがない。まあ、当たり前と言えば当たり前の話である。本来、小麦粉に関する食材というものは、茹であがってこそ完成なのだから…。確かに、あえて硬めにしてある麺もある。しかし今回の麺はそれではなく、明らかに『 茹で方を間違えたのでは?または茹でてないのでは? 』というレベルなのだ。ましてや、相手は極太麺。茹で加減のミスは命取りである。さらに言わせていただくならば…スープと呼べるかどうか定かではない〝醤油を薄めた何とも言えない味の液体〟がまとわりついた〝自分の姿形を誇示する麺〟なのだ。衝撃的であること、この上ないラーメンである…。

 前述のように、私は出されたものはなるべく残さない主義である。だから、今回の〝驚きのラーメン〟を一口食べた時も、残そうという気持ちなど微塵もなかった。しかし…苦戦し終えた2口目の後、こう思った。『 これを食べたら、お腹を壊す… 』と…。味がどうこうなのではない。身の危険を感じたのである。麺は〝麺とは呼べない〟形状と硬さ。スープは〝醤油を薄めただけ〟の味しかしない…。これを完食した暁には、体に何らかの異変が生じる…。正直にそう思ったのである。そう思いながら、2口食べ終えただけのラーメンをしげしげと見つめ決意した。『 もう食べるのは止めよう… 』と…。そして店を後にしたのである…。

 ラーメン好きな私であるから、今まで数多くのラーメンを食してきた。中には、私の口に合わないものも沢山あった。しかし…身の危険を感じたラーメンは、今回が初めてである。〝自他ともに認めるラーメン通〟などと大口叩いてはいたものの、まだまだ自分が知らないラーメンが世の中には沢山ある。そう思い知らされた、今回の騒動であった。今回の件で、自分のラーメンに関するスキルは上がったかもしれない。しかし、できることならば、美味しいラーメンを食したいものである。幸いにして、我が薬進塾がある浅草橋や蔵前は、私が認める美味しいラーメン屋さんが沢山ある地区。そう考えたならば、ある種幸せな環境に身を置いていると言えるかもしれない。先日も、新しいラーメン屋さんに入ったのだが…恐ろしいほどに洗練されたスープであった。一口飲むたびに感銘を受けてしまうスープ。『 こりゃあ、そうとう苦労して見出したスープだな。そうとう手間暇かかっているぞ… 』と一口飲むたびに、身にしみて感じてしまう程の〝驚きのスープ〟であった。どうせラーメンを食して驚くならば、こういう驚き方をしたい。やはり、ラーメンは奥が深い…そう思わずにはいられない、今回の〝驚きのラーメン騒動〟であった。

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2016年7月3日 | コメントは受け付けていません。 |

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