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〝分からないこと〟は〝悪いこと〟ではない。

 先日、一年コースの塾生さんから『 どうやって勉強していけばいいのか分からないんです 』という相談をされました。実際、このような相談は多いのですが…。この質問を受けた時、正直、嬉しかったのが事実です。何故、嬉しいのか?前述のように、勉強のやり方が分からないという人は何気に多いのです。ところが、それを自ら相談してくれる人は、圧倒的に少ないのが事実です。相談してくれれば、こちらも学習指導を行い、『 どうやって勉強していくか? 』『 復習はどうやるのか? 』等を指導していくことができるのですが…何の相談もなければ、指導のしようがありません。もちろん、定期的にマンツーマンの個人学習指導を行ったり、普段の学習状況を見たりして、『 どうも分かっていなさそうだ 』と判断した時には、それ相応の指導をするのですが…。それでも、やはり本人が直接口にして伝えてくれるのが、一番手っ取り早いのです。でも前述のように、相談してくれる人が少ないのが現状なのです。そこが困ったところなんですが…。

 では、何故、『 どうやって勉強していけばいいのか分からないんです 』と相談に来てくれないのでしょうか?理由はいくつかあるみたいですが…1つは『 そんなことを相談するのはチョット… 』という場合が多いようです。『 今更、勉強のやり方が分からないなんて、聞くのが恥ずかしい 』『 この年になって、勉強のやり方を聞くなんて恥ずかしい 』といったご様子。別に大学を卒業してきていようが、歳がいくつであろうが、分からないことを聞くのは恥ずかしいことではないと思いますよ。〝経営の神様〟の異名を持つ松下幸之助は、生前、次のようなことを話しています。

 

 もし、(学校を)出ておれば、わしは人に尋ねるのも恥ずかしいと思うやろうし、あるいは人に聞く必要もないと思ったかもしれん。けど幸いにして学校へ行っていないからね。そういうことであれば、人に尋ねる以外にないということになるわな。それで経営も商売も、人に尋ねながらやってきた。それがうまくいったんやな。

 

分からないなら聞けばいいだけの話です。何ら恥ずかしいことではありません。私も分からないことがあると、すぐ人に聞きます。あまりに聞きすぎるので『 少しは自分で考えろ 』とお叱りを受けることも、しばしば(笑)。まあ、確かに、何でもかんでもすぐに聞いてしまうのは、あまりよろしくないかもしれませんが、〝分からない〟が〝悩み〟にまで成長したのなら、やはり聞くのが一番ではないでしょうか?そこには〝恥ずかしさ〟というものはないと思います。

 私の中には〝塾生さんには言ってはいけない言葉〟というのがいくつかあります。そして、それは薬進塾の講師陣にもしっかりと伝えています。まあ、薬進塾の講師は、皆、ベテラン講師。私に言われるまでもなく、そういった言葉は使いませんが…。そんな、いくつかある〝塾生さんには言ってはいけない言葉〟の中に『 こんなこともわからないの? 』という言葉があります。前述のように、私は言いませんし、薬進塾の講師でこの言葉を使う人はいませんし、当然、口にしているのを聞いたこともありません。私も他の講師も『 分からない人間に教えるのが自分たちの仕事。だから、相手にしている人間が何が分からなかろうが、関係ない。同じように、塾生は分からないから(薬進塾に来て)学んでいるんだから、別に分からないからといって、何ら非があるわけではない 』と考えています。そう、〝分からないこと〟は〝悪いこと〟ではないのです。〝悪いこと〟ではないのですから、責められる謂れ(いわれ)もなければ、蔑まれる謂れもありません。むしろ、せっかく『 何でだろう? 』と芽生えた学力向上意欲の芽を、『 こんなこともわからないの? 』と摘み取ってしまうことの方が、よっぽど責められなければならない行為だと思っています。

 第一『 こんなこともわからないの? 』と言うから、質問に来なくなってしまうのです。まあ、質問に来てほしくない講師だとか、質問に対応する力がない講師だとかには、必須アイテムの言葉でしょうが…(もちろん薬進塾には、そんな講師は一人もいません!)。『 自分たちの仕事は、学力をつけて合格へと導くこと 』そういった認識があれば、『 こんなことも… 』といった発言は為されないと思いますが…。

 『 「どうやって勉強していけばいいのか分からないんです」と、何故、相談に来ないのか? 』といった、前述の疑問の答えもここにあると思います。『 こんなこともわからないの? 』と蔑まれたり、話を濁すような対応をされたりするからではないでしょうか?つまり、『 どうやって勉強していけばいいのか? 』の明確な答えが与えられないから、相談に来なくなってしまう。ましてや、前述のような蔑まれる発言をされるとなると…、黙っていた方がいい。それが、『 どうやって勉強していけば… 』と相談に来ない真相だと思います。学習指導のページでも書かせていただいていますように『 誰もが学習指導ができる 』とか『 予備校の講師をやっているのだから、学習指導ができる 』とか、そんな簡単なモノじゃないんですけどね、学習指導は…。だから、相談されても、話を濁すような対応をしてしまう…。そして、それが学習指導というモノだと思ってしまう…。まあ『 本物の学習指導 』を知らない人にとっては、『 紛い物の学習指導と称するモノ 』を、学習指導と捉えてしまうのも致し方ない部分はあると思いますが…キチンと学習指導を行っている、こちら側としては、やはり〝騙している側〟の悪行に対し、憤慨するものがあるのは確かです。

 5月30日から、薬進塾 第102回 薬剤師国家試験対策 一年コースが始まります。初日の30日は、学習指導だけで70分2コマの時間を費やしています。実は、これだけでは終わらないので、3日の金曜日にも学習指導が行われます。『 学習指導をそんなに… 』と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、何事においても『 どうやって行っていけばいいのか? 』の説明は、事を始める上でとても大切なことです。ここで、しっかりとやり方を説明しておかなければ、物事は進みませんから…。そこの学習指導でも、いつものように『 分からないことがあったら、必ず質問してください 』ということを強調して説明していこうと思っています。〝分からないこと〟は〝悪いこと〟ではありませんし、『 質問する 』ことは恥ずかしいことではないからです。そこの所をしっかりと胸に刻んで、国家試験対策に臨んでいってほしいと思っている次第です。

 

 

 

 

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2016年5月29日 | コメントは受け付けていません。 |

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君子危うきに近寄らず。

 タイトルの言葉。色々な表現の仕方はあるものの、私なりには…

 

教養・徳があるような人格者は、物事を深く考えて振る舞い、自分の行動を慎むものだから、危険なことに関わりを持たない

 

このような意味だと思っています。

 日本の武芸家、兵法家である塚原卜伝(つかはら ぼくでん)。剣術の卜伝流(鹿島新当流)の開祖です。その強さは、あの宮本武蔵や柳生一族も一目置いていたとされています。彼が生きたのは戦国時代。塚原卜伝はその時代の中で、真剣勝負が19回、戦場には37回出陣、木刀での試合は数百回したとされています。しかし、一度も負けたことはなく、倒した相手の数は212人、その身体には矢傷6か所以外の傷はなく『 日本史上最強の剣豪である 』と断言する方が多いのも納得します。

 その塚原卜伝には、こんな逸話が残っています。卜伝の門弟が、道端に繋がれている馬の後を通り抜けようとしたときのこと。馬が突然跳ねて、その門弟を蹴ろうとしたのですが、間一髪、門弟は体をかわし馬の蹴りを避けたそうです。周りの人々は『 さすが 』と驚き、褒めたそうですが…それを聞いた卜伝は、感心するそぶりも見せなかったそうです。そこで、門弟達。師匠であれば、どういう風にかわすのだろうと、ト伝の通る道に、わざとよく蹴り上げる馬を繋いでおくことに。そこをト伝が通りがかったのですが…路上にいる馬をみると、大廻りをして馬を避けて通り過ぎたそうです。その様子を見た門弟達は、師匠がなぜそのような行動をとったのか、馬の蹴りをかわした門弟のをなぜ褒めなかったのかと、卜伝に聞いたところ…

 

馬に蹴られて身をかわす技は、なるほど熟練した技である。しかし、馬は跳ねるものであるということを忘れ、その後を通りすぎたのは、軽はずみであるという他ない。飛び退くことが出来たのは、僥倖(ぎょうこう:偶然に得る幸運)というものである。剣術試合も、時に下手が上手に勝つことがある。だから、勝ったから旨いとは、一概には言えない。馬の足を避けた事も、同じ事。偶然、上手くいっただけではないのか。危難からは避けるのが一番である。

 

と言ったそうです。さすが、最強と言われる剣豪。彼の言葉には、誰もが勘違いしてしまう『 本当の強さとは何か?賢さとは何か? 』といった〝重大な真理〟が含まれていると思います。

 『 危うき 』とは何でしょうか?調べてみますと『 危険なこと・事象 』『 悪いことが起こりそうなこと、またはそういった場所 』とあります。つまり、直接『 自分の身に災いが降りかかること 』を表しているのはもちろんのこと、そうなりそうな場所、モノ、事柄、人物等も含まれているということになります。そう、人物も含まれているのです。すなわち『 その人物と関わることによって、自分の身に災いが降りかかる・ダメージが与えられる 』そういった人物も〝危うき〟に含まれているということ。このダメージの中には、肉体的なダメージはもちろんのこと、社会的ダメージや金銭的ダメージ、もちろん精神的ダメージも含まれています。そう、精神的ダメージを与える人も〝危うき〟なのです。

 ブログで何度も書かせて頂いていますが、世の中には〝お付き合いを避けた方がいい人〟という人がいます。しかし、悲しいかな『 人を嫌ってはいけません 』『 皆と仲良くやらなければいけません 』という〝誤った教育(私はこれが誤った教育だと100%思っています)〟のおかげで、できれば付き合いたくないのに、疎遠にしたいのに、自分を殺して無理に付き合いをして、披露困憊している方が何人もいます。その腐敗しきった人間関係のために、自分自身が壊れてしまった方が何人いることでしょう?これもブログで何度も書かせて頂きましたが、私は長い講師生活の中で、そういった〝付き合いを避けた方がいい人〟に関わる人間関係の悩みを、学生さん達から数えきれないくらい相談されてきました。私は、その度に『 いいんだよ、無理に付き合わなくったって。それで、嫌われたら嫌われたでいいじゃない。逆に、寄ってこなくなるから、ラッキーじゃないの? 』とアドバイスしてきました。そのアドバイスを聞くと、ほとんどの人が何かに開放されたかのように、『 そうか 』といった感じで、表情を一気に明るくしてくれます。そして、アドバイスした学生さんは、私の言う通り付き合いをやめ、以前よりも生き生きとした姿を見せてくれるようになります。そんな学生さんに『 調子はどう? 』と聞くと『 以前は、どうなるかな…と心配していたんですけど、全然何ともないです。こっちの方が気楽でいいです。勉強にも集中できるし… 』と答えてくれる方がほとんどなのです。

 君子危うきに近寄らず。この言葉の中には『 嫌だなと思う人には関わらない 』という意味も含まれていると思います。嫌だなと思う人…不平・不満ばかり口にしている人、人の悪口ばかり言っている人、高飛車な人、人を小バカにしている人、人の上げ足ばかり取る人、意地悪な人、人を陥れる人、自分のことしか考えない人…まあ、手っ取り早く言えば〝『 この人といても面白くないな 』という人〟と考えれば分かり易いでしょうね。だから、私は〝この人といても面白くないなという人〟とは、お付き合いを避けるようにしています。わざわざ、面白くない人と付き合う必要もないですからね。嫌な思いばかりして、何の得にもなりませんし…。そして、これも〝君子危うきに近寄らず〟だと思っていますから…。

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2016年5月21日 | コメントは受け付けていません。 |

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不平・不満は試験対策の敵。

 本日(平成28年5月16日)をもって、薬進塾 第102回国家試験対策ベーシック講義・学習指導が完了しました。第一回 ベーシック講義が始まったのは、今年の4月4日(月)。今年度は、全6回のべーシック講義と、それに伴う全5回の学習指導を行いましたが、〝新塾生さん〟が真摯に受講してくれている姿には、心動かされるものがありました。卒業試験を控えている方、来年の国家試験合格を目指している方。どちらも、今から〝試験合格〟を目指して、今できる限りの勉強をされている方ばかり。ベーシック講義の内容は、〝ベーシック〟というだけあって、非常に基本的なモノでしたが『 これなんかも国家試験に出題されているよ 』という私の言葉に、皆、過敏に反応し、即座にチェックを入れていました。その、皆がチェックを入れたプリント。全て、今回のベーシック講義用に作り直したもの。昨年は行われなかった新しい科目に関しては、一からプリントを作ることに。そんなこんなで、大変慌ただしい2か月間でしたが、前述のように、受講されている〝新塾生さん〟たちの真摯な姿を見て、ただただうれしい限りでした。

 学習指導は全5回行ったのですが…やはり、学習指導に関しても、今回用にプリントを作り直しましたし、新たに作ることになったプリントもいくつかありました。私の行う学習指導は、実際に私が勉強して得たもの、そしてそれを指導して成果のあったものをベースに、組み立てられ体系化されています。学習指導のページにも書かせて頂いていますが、行き当たりばったりの思い付きを話したり、そこら辺の本に書いてある内容をそのまま話すなどということは一切行いません。それ相応の〝理由〟と〝成果〟、この二つを兼ね備えたものでなければ、学習指導に取り入れることはしません。文献に書いてあることを参考にすることもなくはありませんが、自分の今までの体験と照らし合わせて『 なるほど、その通りである 』と、自分が体験してきた内容と一致した場合だけ、取り入れるようにしています。ただ『 本に書いてあるから良い 』では相手を納得させることはできませんし、第一、指導する人間がその内容を経験していなければ、本当にそれが功を成すものなのかどうか判断できないからです。市販の〝勉強に関する本〟は沢山出版されていますが、その中に書かれている内容には、『 そのやり方は、薬剤師国家試験対策には向かない 』といったものも、やはり沢山あります。ですから、ただ『 本に書いてあるから良い 』と、その内容を鵜呑みにした場合、逆に試験対策に支障をきたす場合もあるのです。

 今回、作り直した学習指導のプリントですが…私が以前から、『 注意してください。こんなことも、あなたの学力向上の足を引っ張りますよ 』といった内容が記載されているものもいくつかあります。その『 あなたの学力向上の足を引っ張りますよ 』といった内容の一つが『 不平・不満を言う 』ということ。これは何も『 何でもハイハイ言いなさい、言いなりになりなさい 』ということではありません。『 何か問題が生じた場合、不平・不満を言っているだけではなく、最善策を考えてみてください 』ということ。およそ何事においても、全てが自分の思った通りに事が運んだり、順風満帆で問題なく進むことなぞ、そうあるわけではありません。多かれ少なかれ、何らかの問題は現れてくるものです。その時にどう対応するか?それが大事だと言っているのです。そこで、なんの策も講じずに、ただ不平・不満ばっかり言っていても何もならない。イヤ、何にもならないどころか、不平・不満を言うことで、どんどんやる気が失せたり、つまらない気持ちになってしまう。ひいては、試験対策全体の覇気を削ぐことになってしまう。だから、私は『 不平・不満を言わないよう、何か事が起きた場合は策を講じるように 』と指導しているのです。

 今回、学習指導を行うにあたり、ある文献を調べていたところ、似たようなことが書いてありました。その文献に書かれていた大体の内容は…

 脳科学的にも、不平不満は頭を鈍らせるだけとされている。最善策に考えをめぐらせれば、頭はフル回転し、脳の神経細胞も活発に働く。しかし、何か問題が生じた場合、不平・不満を言っているだけは〝困った事態〟を抱えながら、心も体も神経細胞も活発に働いていない状態にある。つまり、不平・不満で済ませてしまうと、頭は使われないことになる。

といったもの(上記文章は、その文献の内容を私の経験を元にアレンジして、私流に書き直したもの)。不平・不満で済ませてしまうと、頭は使われない…。なるほど、そうですね。だから頭を使って『 策を講じてくれ 』と私は言っているのです。不平・不満で済ませてしまうと、頭は使われないことになる。頭を使っていないから、頭を鈍らせることになってしまう。頭が鈍くなれば…まあ、勉強に対する覇気もなくなってしまうでしょう。それに…頭が鈍くなってしまうことが、試験対策において致命的であることは言うまでもありません。

 不平・不満の害については、当ブログでも何度も書かせて頂いていますが、脳科学的にも不平・不満が試験対策の足を引っ張ることが証明されているとは、チョット驚きでした。と、同時に『 やっぱり 』と納得できるものがあったのも確かです。やはり、試験対策においては、不平・不満はよろしくないようですね。まあ、試験対策に限らず、不平・不満で口は動くけれど、自分はさっぱり動かない(行動しない)…というのが、問題ある行為であることは間違いないのですが…。

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2016年5月16日 | コメントは受け付けていません。 |

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すぐに『 ちょうだい 』という人。

 『 何を考えているんだコイツは? 』とまじまじ考えてしまう。で、こういう輩に限って『 ちょうだい 』という申し出を断ると、『 ケチ 』とかコチラを罵る発言をする。そこで、さらにまじまじと考えてしまう、『 コイツ、日本語分かっているのか? 』と…。ケチとは…

 

むやみに金品を惜しむこと。また、そういう人や、そのさま。(デジタル大辞泉)

 

とある。『 むやみに 』というのが大事なキーワードである。『 むやみ 』には…

 

物事の状態が度を超えて甚だしいさま。(デジタル大辞泉)

 

と言う意味がある。つまり、ケチというのは『 度を越えて甚だしい位、金品を惜しむこと 』という意味となる。よって、他人が欲しがっているモノをあげなかったからといって、『 ケチ 』と言われることは、常識的に考えておかしいということになる。第一『 ちょうだい 』と言えば聞こえはいいが、よは『 タダでよこせ 』と言っているのである。日常生活において『 ちょうだい 』と言って渡す場合、100%金銭の授受はないだろうし、言っている輩も金銭の支払いをする気など、毛頭もないはず。お店に行って『 これちょうだい 』という場合の『 ちょうだい 』とは別物で、今回取り上げている『 ちょうだい 』は、『 タダでよこせ 』と言っている方の『 ちょうだい 』なのだ。『 タダでよこせ 』と言っている輩の方こそ、ケチではないだろうか?

 そりゃあ、今食べている菓子を『 ちょうだい 』というのなら話が分からなくもない。菓子の一つくらいあげる分には、さして問題はない(もちろん、その菓子がどういうものかにもよるが…)。しかし、自分が使用しているモノや所持しているモノを『 コレいいな。ちょうだい 』と言ってくる輩には、前述のように『 何を考えているんだコイツは? 』と、まじまじ考えてしまう事態に陥ってしまうこととなる。

 必要だから持っているのだ。もちろん、ほとんどの場合が金銭を支払って購入したモノである。それを、言い回しはどうであれ『 タダでよこせ 』と言っているのだ。常識的な考え方をすれば『 コレいいな。どこで買ったの?私も買おう 』となるのが、本当ではないか?それを『 自分はお金を出さないから、よこせ 』と言っているのだ。これほど相手のことを考えない理不尽な行為も、珍しいのではないか?そして断ると『 ケチ 』…どっちがケチだ?自分が『 いいモノだ 』と思ったのなら、自分で金銭を支払って購入すればいいだけの話ではないか?それが、社会人としての常識ではないのか?それを『 タダでよこせ 』だと?断れば『 ケチ 』だと?非常識にもほどがあるとは、このことではないか?

 自分が良かれて思って購入したものや、自分が所持しているものには、誰しも愛着があるはずである。それをあげるということは、その愛着も渡してしまうことになる。『 ちょうだい 』と言われた時、『 これは○円したから… 』と金銭的なことを思い浮かべる場合は少ないはずである。むしろ、その愛着さや必要性のことを考えるはずである。場合によっては、そのモノをあげてしまった場合、再度購入する際の手間暇(いつ買いに行くか、どこに買いに行くか等)を考える場合だってあるだろう。もちろん、必要だからこそ持っているのだから、それを失った場合の不便さを考えるのも、至極当たり前の話である。

 『 自分が良かれと思って購入したものや、自分が所持しているものには、誰しも愛着がある 』と前述させていただいたが、『 ちょうだい 』と言う輩は、そこのところを分かっているのだろうか?愛着があるからこそ、『 ちょうだい 』と言われた時点で、ほとんどの人は顔をしかめることになる。あげたくないからだ。それを伝えるのも、相手を拒否しているみたいで心苦しいのだが…あげたくない以上、口にするしかない。口にしたところ、帰ってくる言葉が『 ケチ 』。これほど理不尽な、そして人を不愉快にする言動も、そうないのではないだろうか?

 ちょっと物騒なお話になるが…。財布を盗まれたり、落としたりしたケースを何件か知っている。そいった場合、被害にあわれた方は『 お金はいいけど、財布だけは戻ってきてほしい 』といった発言をすることが、何気に多い。そして『 あの財布は祖母からプレゼントされたもので… 』とか『 父の形見なんです 』といった内容の話をする。財布である。それを窃盗も含め紛失したとなると、金銭面で色々と支障が出るだろうし、カードやらなんやらの問題が加われば、なおかつ面倒な状況であることは間違いない。しかし、それさえも凌駕しているのが〝そのモノへの気持ち〟。愛着には『 なれ親しんだものに深く心が引かれること 』『 愛する気持ち 』という意味がある。〝祖母からのプレゼント〟や〝父の形見〟には、祖母や父に対するのと同じくらいの『 愛する気持ち 』があるはずである。だから、『 お金はいいけど、財布だけは戻ってきてほしい 』という言葉が、まず先に出てくるのだろう。

 『 ちょうだい 』『 ケチ 』とむやみに口にする輩は、そういったことを分かっているのだろうか?必要だから購入したモノ。自分が良かれと思って購入したモノ。愛着があるから所持しているモノ。愛する気持ちがこもっているモノ。そういうものを、むやみやたらに『 ちょうだい 』ということが、いかに問題のある発言なのか。そして、それを拒否すると、さらに追い打ちをかけて『 ケチ 』と言うことが、やはりいかに問題のある行動なのか。今回のブログで、そこの所を少し考えていただたらと思う。『 別に「 ちょうだい 」も「 ケチ 」も、本気で言っている訳ではないんだから、そんなに目くじら立てなくても… 』という輩がいるかもしれないが…本気で言おうが、言うまいが、人を不愉快にする言動は慎んだ方がいいのではないか?ましてや〝愛着〟や〝愛する気持ち〟を、蔑ろにするかもしれない言動なのだ。慎むに越したことはないと思うのは、私だけではないはずである。

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2016年5月8日 | コメントは受け付けていません。 |

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