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第101回薬剤師国家試験 不適切問題

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2016年3月28日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:薬剤師国家試験

第101回薬剤師国家試験 正答

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2016年3月28日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:薬剤師国家試験

去る者は追わず。去ったからには、振り返らず。

 『 去る者は追わず 』よく耳にする言葉ですが、正確には『 去る者は追わず 来る者は拒まず 』という諺(ことわざ)。意味は、皆さんご存じの通り『 自分のところを去りたい人がいても引き止めない、 自分のところやって来る人は、受け入よう 』という意味。前述のように、前半の『 去る者は追わず 』のフレーズはよく耳にするのですが…同じように、後半の『 来る者は拒まず 』だけというのも、多々耳にするのですが、この二つがセットになっているのはあまり耳にしないような…。

 私はよく『 去ったからには、振り返らず 』という事を言います。その付け足しで『 「去る者は追わず」っていうでしょ? 』と言ったりもします。去ったからには、振り返らず…。去るのは自由です。私もあえて引き留めることはしません。まあ『 ああ(去っても)いいですよ 』と、すんなり口にするのも、つれないものがあるようなので、取りあえず何らか言動をとりますが、基本的には『 本人が自由に 』という考え方です。

 『 去ったからには、振り返らず 』これは〝去った方〟にも〝去られた方〟にも言える言葉です。特に、去った人は『 去ったのだから、去る前の事をあれやこれや言うものではない 』と思います。決別した所から、何かを得ようとしても、何も得ることは出来ません。確かに、そこで体験した何かから得るモノはあるでしょう。しかし、その体験は決別する前、すなわち〝去る〟前に得た体験です。去った後に得たものではありません。去るということは決別するという事。決別した以上、去る前の事でとやかく言うのは、野暮というものではないでしょうか(ちなみに『 以前いた会社等に顔を出すな 』などという事を言っている訳ではないことは、お分かりのことと思います)。第一、そんな昔のことにしがみついていたところで何のメリットもありません。

 〝去った所〟と書かせて頂きましたが、前述の文章からもお分かり頂けると思いますが、この〝所〟とは何も〝場所〟だけを指していいる訳ではありません。〝時間(つまり過去)〟だったりもします。〝去った所〟というのは〝過去〟を指していたりもします。〝去った〟時点で〝去る前〟のことは過去の事。過去のことをほじくり返しても、いいものは何一つ出てきません。過去は過ぎ去りしモノ。つまり、〝現在〟には〝過去〟はありません。過去にすがりついている限り、現在は見えませんし、来るべき未来をも見逃してしまう事になります。過去にしがみついていたところで、何ら良いことはありません。過去と決別するためにも、そして現在を見つめ、新たなる未来を手に入れるためにも〝振り返らず〟は必要だと思います。

 振り返りたくなることは誰にもあります。得てして〝振り返る〟場合、人はネガティブな理由から振り返り、ネガティブな部分だけを見つめます。歩みを止め、いつまでも振り返ったまま…。やはり、ここは〝振り返る〟事を辞めるのが一番だと思います。過去は過去のものとして、振り返らずに歩きながら、あくまでも思い出す程度にとどめるのがいいのではないでしょうか?『 そういえば、そんな事もあったな… 』と…。歩み出すことによって、何か新しいものが発見できた…なんていうことも、よくある話です。歩みを止め、いつまでも振り返り続け、変えられない過去のネガティブなモノを見続けるのと、今まで手にした事もないような新しいモノを発見するのでは、どちらがよろしいでしょうか?

 〝暑さ寒さも彼岸まで〟とは言いますが、彼岸を過ぎてもまだ寒い今日この頃。厚めのコートがまだまだ手放せない状況ですが…変えられぬ過去は手放し、『 去ったからには、振り返らず 』と歩み出すのがいいのでは…と私は思います。

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2016年3月25日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

不幸を選ぶ女

 何やらテレビの2時間サスペンスドラマのようなタイトルになってしまったが…以前、交流があった女性の話。その女性、私から見るに、あまり幸せな人生を送っているようには見えない。私だけではなく、私の知人も同じことを口にしている。前回の『 幸せになりたくない男 』でも書かせて頂いたが、幸せかどうかは本人が決めること。周りの人間が、その人の幸・不幸を決められるものではない。その女性自身の幸・不幸も、その女性自身が決めるものである。しかし…おそらく、その女性は幸せではないだろう。なぜなら…彼女の笑顔を久しく見たことがないからである。

 その女性と知り合ったのは、かなり前のことであったが…その頃は普通に笑顔を見せていた。会話の内容も、誰もが日常的に話すような、やれ何々を食べたけど美味しかっただの、やれ何処に行って面白かっただの、楽しい話題が多く、笑顔でそれを語っていた。ところが…私は日常的にその女性と交流があった訳ではないのだが、いつの頃からか、その女性から笑顔が消え始めた。と、同時に『 横柄になった 』という噂もチラホラ耳にするようになった。時折、会って話をする機会もあったのだが…彼女の口から出てくるのは不平・不満ばかり。もちろん、何をしただの、どこへ行っただの、そういう類の話もあったのだが…話している時の顔は無表情に近いものであり、その顔からは〝楽しさ〟〝嬉しさ〟というものが消え失せていた。前述のような〝日常会話として話す楽しい体験談〟とは、程遠いものであったよう思える。その後も、その女性とは何度か会う機会があったのだが、その顔からはどんどん笑顔が消えていった。それと入れ替わるように、不平・不満を口にすることが多くなっていった。しまいには、不平・不満や愚痴以外、その女性から聞くことは無くなったといってもいいだろう。もちろん、笑顔どころか、いつも何かにイラついている表情だけが、その顔には貼り付いていた。

 『 私に面白くない所があって、私に対してそういう態度をとっているのだろうか? 』と考えた事もあったが、どうやらそうではなかったようだ。何故なら、いたる所から『 いつも文句ばかり言っている 』『 いつも機嫌が悪いみたいで仏頂面 』『 態度が横柄 』といった、その女性に対する評判の良くない話ばかりが、耳に入るようになったからである。つまり、誰に対しても笑顔ではなくイラついた表情を見せ、愚痴や不平・不満ばかりを吐くようになった…という訳である。なるほど。これでは幸せではないだろう。

 以前、〝不平、不満は不幸を呼ぶ呪文。〟というブログに、次のような事を書かせてもらった

 単に、不平不満ばかり言っているから『 この人の周りは、さぞかし悪い事ばかりなんだろうな 』とこちらが勝手に思ってしまい、幸せそうに思えないだけかもしれない。ということは、不平・不満を口にするということは、周りの人に自分自身で『 私は幸せじゃない 』と叫んでいるようなものではないか?そして前述のように、それを見聞きする人間は『 不平不満ばかり言っているから、この人の周りは悪い事ばかりなんだろうな 』と、さらにその人を〝不幸の人〟と位置付けてしまうことになるのではないか?自分も幸せを否定し、周りの人間もその人を不幸としてしまう。なるほど。これでは幸せであろうはずがない。

 冒頭で私は『 その女性、私から見るに、あまり幸せな人世を送っているようには見えない。私だけではなく、私の知人も、同じことを口にしている 』と書かせて頂いたが、まさにこれであろう。不平・不満を口にする度に、その女性は『 如何に自分は不幸なのか 』を語っているのだ。周りが、その女性を不幸と思ってしまうのも致し方のない話ではないだろうか?そして『 おそらく彼女は幸せではないだろう 』と書かせて頂いたのも、同じ理由からである。不平・不満を口にするということは、『 如何に自分は不幸なのか 』を語っている行為なのだ。つまり、その女性自身、日々の生活の中で幸せを感じていないということになる。もし、幸せを感じることがあるならば、その女性の顔には笑顔が現れるであろうし、日々の生活の中での楽しい話を嬉しそうに話すことがあってもいいはずである。少なくとも、仏頂面の横柄な態度で、不平不満ばかりを口にすることは無かろうかと思う。

 その女性は、今、幸せなのだろうか?不幸なのだろうか?付き合いの無くなった今となっては知る由もないのだが…。私の師とも呼べる知人(女性)が、その女性について『 あの人は、自分の立場が危なくなると平気でウソをつく人だから、気をつけなさい 』と忠告してくれたことがある。仏頂面の横柄な態度で、不平不満ばかりを口にし、自分が危ない立場になると平気でウソをつく…そんな人との交流は、誰もがご遠慮願いたいと思うのも、至極当たり前の話である。皆が、交流を避けようとするのだから、その女性にとってはますます面白くない状況となってしまう。すると…面白くない状況となるから、ますます仏頂面にも不平不満にも磨きがかかることになり…悪しきスパイラルである。しかしながら、このスパイラルの根源はその女性にある。彼女が選び掴み取っているのが〝不幸〟そのものだからである。〝仏頂面〟も〝横柄な態度〟も〝不平不満ばかりを口にする〟のも〝自分が危ない立場になると平気でウソをつく〟のも、全て自分自身で選びとっている〝不幸〟ではないだろうか?やはり、彼女は幸せではないよう思える。自ら不幸を選びとっているのだから…。

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2016年3月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

幸せになりたくない男

 以前、私と同じ志を持ち、その当時交流があった男性の話。

 ある日、その男性と一緒にいた時の事。私の名前を呼ぶや否や、こんなことを話しかけてきた。

『 幸せになりたいか? 』

一瞬、訳が分からず躊躇する私。困惑しつつも『 ええ、幸せになりたいですね 』と答えると…。その男性曰く『 俺、幸せってなんか嫌いでさ… 』 。『 何を言っているんだこの男は? 』と思いつつも、話を聞いていると…。『 何かさ、幸せってイヤじゃない? 』と、これまた意味不明なことを言ってくる。さすがの私も戸惑いつつも『 何が嫌なんですか? 』と応戦。『 イヤさ、幸せに浸っているっていうか、そういう状態ってイヤじゃない? 』と、全くもって理解不能のことを言ってくる。閉口している私をよそに、さらにしゃべり続ける男性。『 なんかさ、世間で言われている幸せってイヤでさ…その幸せに浸っているっていうのが嫌なんだよね。だから、幸せになりたくなくてさ… 』と話している。今から考えれば〝中二病〟全開の発言なのだが…その当時は〝中二病〟という言葉が無かったものだから、どいう対処したものかも見当もつかなかった。取りあえず『 幸せになりたくない 』と言っているので…『 じゃあ、お金も何もかも投げ出して、全くの無一文で、食べるところも住む所も無いっていう環境にしてみたらどうです?あと犯罪にかかわって、その後自首して、全ての信用を失ってみたらどうです(今から考えれば、これも非常識甚だしいもの凄い発言ではあるが…)?そうすれば、今すぐにでも幸せじゃなくなると思いますよ 』と言ったところ…。その男性曰く『 イヤ、それじゃあダメなんだよ。そうやって、わざと幸せじゃなくなるのはさ、なんか違うと思うんだ 』と、輪をかけて訳の分からぬことを言っている。呆然とする私をよそに、『 自分から幸せを壊すんじゃなくて、なんていうか…幸せにならなっていうかさ。幸せが嫌いなんだよね 』…う~ん、全くもって何を言いたいのか理解不能だ…。

 幸せって何だろう…というと、一昔前のCMのフレーズを思い出してしまいそうであるが…。本の虫…とまではいかないが、私も結構いろいろな本を読んでいる方だと思う。種々雑多なジャンルの書籍を購入しては、読みふけっているのだが…何気に色々な本に、共通して書かれていることがある。それが、『 幸せは本人の心の持ちようである 』といった内容。つまり幸せかどうかは、本人がどう受け止めるかで決まるものであるということ。幸せは、己が決めることであり、自分で『 幸せだ 』と思えば幸せであり、『 不幸だ 』と思えば不幸である…そう言った内容が、何気に多くの本に書かれているのである。なるほど、確かにそうであろう。

 『 こんな物しか食べられないなんて、私は不幸だ 』と思えば、その人は不幸だろうし、同じものを食べていても『 毎日三食食べられるだけありがたい。幸せだ 』と思っているのなら、その人は幸せであろう。幸・不幸を決めるのは、その人自身なのだ。賢明なる読者の方ならば、傍から見ると『 どうして、そんなに大変なのに… 』と思うような人物が、笑顔で『 幸せです 』と言っている場面を、何度も目にした事があると思う。そう、第三者が何と言おうと、どう思おうと『 私は幸せだ 』と思っている人は、何がどうあれ、外野がどうあれ幸せなのだ。

 実は…『 私は幸せだ 』と思っている人には、一つの特徴がある。先の傍目から見て大変そうなのに『 幸せです 』と言う人の多くが、その言葉を発するのと並行して『 感謝しています 』と言う言葉を、口にしている場合が多い。前述の『 毎日三食食べられるだけありがたい。幸せだ 』の『 ありがたい 』も同じである。なるほど…感謝の気持ちがあれば幸せになれるのだろう。確かに『 こんな物しか食べられないなんて、私は不幸だ 』には、感謝の気持ちは感じられない。感謝の気持ちがないのだから、幸せなど感じることは出来ない。確かに『 不幸だ 』は間違いないだろう。

 件の男性は、幸せが嫌いだと言っていた。彼は感謝の気持ちが嫌いなのだろうか?取り立てて、感謝の気持ちが無い人間ではなかったと思う。感謝の気持ちはあったが、それを幸せと感じることが嫌いだったのだろうか?そうなると、全くもって意味不明なのだが…何故、彼は『 幸せが嫌い 』だったのだろうか?彼との付き合いが無くなってしまった今となっては…イヤ、付き合いがあった当時から今に至るまで、未だもってその理由は不明である。志を持って故郷を出てきた彼ではあったが…風の便りに聞くと、その志半ばで病に倒れ、今、実家に戻り暮らしているとのこと。今、彼は幸せなのだろうか?不幸なのだろうか?そんなことを時折、ボンヤリと考えることがある。もっとも、そんなことは知る由もないのだが…。

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2016年3月9日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

一旦終了…としましょう!

 先日、第101回薬剤師国家試験が終了しました。今まで、第101回薬剤師国家試験受験に向けて頑張ってきた皆さま、お疲れ様です。

 試験後、薬進塾にやって来てくれた塾生さん、皆、笑顔で朗報を伝えてくれました。そんな、笑顔を見ると、こちらにも笑顔が伝染してしまいます。

 今回の国家試験、まだ採点されていない方も大勢いらっしゃると思います。採点したけれども、点数が今一つ…という方もいらっしゃると思います。問い合わせでも多いのが『 ○点なんですが、大丈夫でしょうか? 』といった内容。色々お話しはするのですが…やはり、最終的には厚生労働省からの発表があって合否は決まるもの。確かに、ある程度の点数を取っていれば、合格圏内ということは言えるでしょう。しかし、その点数とて、厚生労働省の正答から出たものではありません。合否に関しては、人の一生がかかっているいる重要な判断発言。ですから、私としましては『 安心して合格発表を待てる点数かどうか? 』といった内容で、お話しさせて頂くに留めています。

 もちろん、『 そんなんじゃあ安心できない!何とかしろ! 』という方もいらっしゃることと思います。しかし、やはり前述のように、人様の人生を左右する内容。おいそれと身勝手な言動をとることは許されないと思います。『 この不安を何とかしろ 』と言いたい気持ちはよく分かりますが…しかし、それは皆同じなのではないでしょうか?何点取っても不安はぬぐえないと思いますよ。現に、ウチの塾生さん達からも、まず合格安全圏内と思われる点数を取っているのに、『 不安です 』『 大丈夫でしょうか? 』とよいう声が上がっていますから。『 発表までは、安心できない 』というのは、この前の国家試験を受けた方、皆に言えることなのではないでしょうか?ちょっと厳しい言い方をさせて頂くなら、厚生労働省の発表こそが真の合否決定なのです。そう考えるならば、その発表までは、やはり誰もが不安なのではないでしょうか?

 不安はぬぐえない…。では、発表まで不安を抱えて生活していくのでしょうか?私は、切り替えることが必要だと思います。国家試験は終わったのですから。そう、第101回薬剤師国家試験はもう終わったのです。ここで、一旦終了!そう考えてみてはいかがでしょうか?終わったことにクヨクヨしても仕方がありません。ああだこうだと、思いを張り巡らせても仕方がありません。結果が変わる訳ではないのですから。だったら、腹を決めて合格発表を待つ。そちらの方がいいと思います。だって、どうやったって現時点では誰も合否は分からないのですから。誰も分からないことに、頭を悩ましても何の得にもなりません。不安だからと、あれこれ〝不安を解消できると思われる素材〟をかき集めたところで、不安解消の役には立たないと思いますよ。何故ならば、自分は知っている訳ですから。『 厚生労働省の発表こそが真の合否決定だ 』と…。だったら、不安解消のための素材集めなんか辞めて、『 一旦終了 』と、他の事、どうせだったら楽しい事をやった方がいいとは思いませんか?。せっかく、長い試験対策から解放されたのですから!今までやりたかった事。やり残してきた事。そういう事を、思い切ってやってみてはいかがですか?そっちの方が精神的にも健全だと思いますよ。どうなるか分からないのは、皆同じこと。だったら、腹を据えて楽しく生活していった方がいいじゃないですか!せっかく、今まで一生懸命やってきたのですから、自分にご褒美をあげてみてはいかがですか?私は『 自分にご褒美 』といったことは、あまり好きではないのですが、こういう時には使っていいと思いますよ(笑)。

 何はともあれ、一旦終了。終了したんですから、次の事をやる。次の一歩を踏み出す。それが必要というか、大事なことなのではないでしょうか?終了しない限り、次へは進めません。不安解消のための素材集めをしている限り、終了とはなりませんし、次へ進む事も出来ません。ここは一つ、一旦終了して、色々と楽しんでみてはいかがですか?次の一歩を踏み出すためにも…。

Tommorow is another day

※名作『 風と共に去りぬ 』の最後のシーンで、スカーレット・オハラが言うセリフ。

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2016年3月4日 | コメントは受け付けていません。 |

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